かの者は魔女の使者。 されどかの者はいずれ魔女を狩る者。 盛大な魔女狩りはまだ始まらない。 夜会の前の、凪いだ海。 この背中に、白い翼は 無いとしても。0-25:凍てつく闇の、冷たさが。 「ガゼル様…どうして貴方が此処に…っ」 デザームもイプシロンの面々も、驚愕してこちらを見ている。 無理からぬ事ではある。ガゼルがこの段階で表舞台に上がる事は当初の計画にはなかった。イプシロンは計画の全てを知っている訳ではないにせよ、彼らが役目を終えるまでは、マスターランクに出番は回ってこないのは明白である。 実際。この展開は誰にとっても予想外だったろう。あの女は自分にイプシロンの監視を命じたが、その発信源が敬愛する父本人とは限らない。あの女の独断である可能性は十二分にある。 悔しい事に−−その判断は間違ってなかったようだが。 今の時点で、真実が漏れる事になってはならない。雷門は勿論、イプシロンにも。「マスターランクチーム…ダイヤモンドダスト…。やはり、イプシロンより上の ランクがいたか」 二ノ宮がマークするように言った少年−−鬼道有人。彼はガゼルのプレッシャーにも臆する事なく、真正面から対峙してきた。 なるほど。天才ゲームメーカーの名は伊達じゃないという事か。頭も切れるし度胸もある。ついでに諦めが悪い。敵に回すと厄介なタイプである事は間違いない。「…困るな。好き勝手に、適当な憶測吹き込んでうちのメンバーを動揺させるの は。君達は正々堂々と戦うサッカーが好きだとか聞いていたけれど」「悪いがガゼルとやら、こっちは根拠があって喋っている。お前達の身元についてもだいぶ分かってきたところだ」「…へえ」 ゴーグルごしに覗く、自信に満ちた眼。ハッタリなどではなさそうだ。まったくどうやって調べたのか。警察にも科捜研にも圧力はかけているというのに。 そういえば、データにあったような。鬼道の父は大財閥のトップ。個人的なコネや情報網があってもおかしくはない。「お前達とはイーブンで戦いたい。本当の意味でだ。…今のお前達と俺達が戦う 意味が、どうしても見えない。…俺の話を遮って登場したあたり…お前は真実を 殆ど知っているんじゃないのか?」 面白い人材だ。敵でさえなければ、こうも苛つかされる事も無かっただろうに。髪を弄りながら、ガゼルは深い溜め息をついた。 あの魔女の思惑通りに動くのは癪だが、今は仕方ない。「…残念だけどノーコメントだ。それ以上教えてやる義理は無い。…繰り返す。 この試合は中止だ。今回は前半で勝ち逃げさせて貰おう」「ま…待って下さいガゼル様!」 口を出したのはゼルだった。「私達は負けたわけではありません!何故こんな半端なところで引かなければならないのですか!?」 試合をまだ続けたい。このまま終わったのでは納得いかない、という顔。ゼルだけではない、デザームを含めたイプシロンのメンバーは皆多かれ少なかれ不満そうだ。 気持ちがまったく分からないではない。が、ここで情にほだされるのはお門違いだ。これ以上イプシロンに動揺を広げるわけにはいかない。 彼らにはまだ、働いてもらわねばならないのだから。「上の指示だ。…それとも何かな、この私に逆らうつもりかい?」 ギラリ、と強く睨みをきかせてやれば、それ以上何も言えなくなるゼル。これがエイリア学園における絶対の上下関係というもの。 ましてやゼルは雷門の、キーパーでもない人間にシュートを止められている。その負い目もあって強い態度には出られないのだろう。「…分かりました、ガゼル様」 やがてデザームが代表して、了解の意志を示した。納得のいかない様子ではあるが、そこで理解して引くあたり彼は大人だろう。 そのまま、突然の展開に固まっている雷門を見やるデザーム。「…そういう事だ。私達も不完全燃焼だが仕方ない。勝負は次に持ち越しとしよ う」「ちょ…待てよ!勝手に決めるなよ!!」 我に返った円堂が非難の声を上げるが、既にデザームの手には黒いサッカーボールが。溢れ出した紫の光が、イプシロンとガゼルを包み込んでいく。「安心しろ。我らは必ず再び貴様等の元に現れる…今度こそ、我々の真の実力を 思い知らせてやろう」 デザームの言葉は、いつもながらの傲岸不遜なのに−−不思議だった。なんだか、口調がいつもより穏やかな気がする。 雷門と戦ったせいだろうか。短い前半三十一分。その間に、一体何を見たというのだろう。いや−−自分は知っている。“デザーム”を名乗るその人が本当はとても面倒 見がよくて、温厚な人物であった事を。そんな彼を変えてしまったのは−−。「…鬼道とやら。忠告しておいてやる」 暗い光に包まれ、ワープする寸前。ガゼルはそんな言葉を口にしていた。殆ど反射的に。「下手な興味で…我らの領域に踏み込まない事だ。さもなくば命の保証はない。 …あの残酷な魔女が、嬉々として貴様を喰らいに来るぞ」 あの女の本性に、一体何人が気付いているだろう。 彼女ならやりかねない。あの女のサディスティックな趣味は、思い出すのもおぞましいものばかりなのだから。 マスターランクチームのキャプテン、ガゼル。 その出現に、衝撃を受けたメンバーは少なくあるまい。かくいう風丸もその一人。ジェミニストームを倒せば終わると思っていた戦い。しかしイプシロンが現れてさらなる勝負を挑んできて。さらにそのイプシロンよりも上がいるという。「イプシロンを倒せば、終わりだと思ってたでやんす…」 栗松の呟きが、皆の気持ちを代弁していた。 戦っても戦っても終わりが見えない。倒して立ち上がってもまた倒される。自分達はそんな場所に立たされているのではないか−−そんな不安が皆に広がりつつあった。 こんな時。上級生の自分は率先して皆を勇気づけるべきと分かっている。しかし今、風丸自身の気持ちが折れつつあった。 あのイプシロンにも、自分達は押されていたというのに。それより上のランクのチームなんて尚更勝てる気がしない。 ガゼル様、と。あの傲岸不遜なデザームが敬意を払うくらいだから、余程実力があるのだろう。実際目で確かめてみない事には如何ともし難いが−−今は確かめようと思う気概すら失われている。 怖いのだ。もし圧倒的な力で叩きのめされるなんて事があったら。自分達が今まで積み重ねてきたもの、全て否定されてしまう気がして。 そもそも。風丸をはじめとした雷門の初期メンバーは、こんな世界規模の戦いをする為に集まったのではないのだ。 あくまで部活として。フットボールフロンティアで優勝するというささやかな願いの為に此処に居た筈なのに、それがいつの間にか世界を救う為の戦いになって−−。 違うんだ、とは言えなくなった。一度乗った列車からは降りれない。周りの期待から背負わされた荷物を、まるで自分の意志かのように背負うしかなくなった。 確かに、エイリアのしている事は赦せない。サッカーを汚す奴らを放っておきたくない。だからといって逃げたくなる瞬間がある事の何がいけないというのか。 何もかも割り切って納得できるほど大人じゃない。円堂のように真っ直ぐ前を見て歩けるほど強くもない。「…この戦いは…いつになれば終わるんだ。強くなっても強くなっても、また次 の敵が現れてさ…」 「風丸君…?」 どうやら声に出ていたらしい。たまたま側に立っていた秋が不安げにこちらを見てきたが、一度決壊してしまえば止める事などできなかった。「なぁ…教えてくれよ円堂。俺達はいつまで頑張ればいいんだ?」 円堂の大きな眼が見開かれる。 彼の強さがいつも眩しかった。真っ直ぐ進める純粋さが羨ましくて−−時に妬ましくて。 彼の事は親友だと思っている。だが円堂を好ましく思うほど、ドス黒い嫉妬の炎が風丸の中で渦を巻く。 自分はけして彼のようにはなれないのだと、思い知らされる。「神のアクアがあれば…!それで世界が救われるなら何が罪だ!!悪事に使うわけ じゃないんだぞ…なんで否定できるんだよ円堂っ!!」 「風丸っ…まだそんなこと考えてたのか!!」 神のアクア。その名前が出た事で、フットボールフロンティアの一見を知る面々は誰もがぎょっとした顔になる。 風丸は以前にも円堂に同じ話をした事があった。だから円堂は皆ほどは驚いていないのだろう。それでも、あの時は冗談の範疇だと言ってみせた。今の風丸は、違う。 本気で。神のアクアを欲している。円堂の理論が理解できなくなりつつある。「前にも言ったじゃないか!正々堂々エイリアと戦わなきゃ意味がないって…!!お前だって分かってたんじゃないのかよ!!」 肩を掴んでくる円堂の手を払いのける。これではいけない。後輩の前でこんな感情的になるのはまずい−−分かっている。分かっているのに。「みんながみんな!お前みたいに強いと思うな!!そもそも俺は…俺達は世界を救 う為にサッカーを始めたわけじゃない!!そんな大それた目的、背負いきれるわけ ないのにっ…」 円堂の横で。悲しそうな顔で風丸を見ている照美。かつて影山率いる世宇子中に所属し、神のアクアを使って自分達を絶望の縁に叩き込んだ天使。矛先は自然に彼へと向いた。「誰かに与えられた強さなんて本当の強さじゃない…そう言ったよなアフロディ ?」「…言ったよ」 「それ、本当か?本当はまだ神のアクアを隠し持ってるんじゃないのか?」「おい、風丸!」 言い過ぎだ、聖也が非難の声を上げる。だがその制止をも無視して、風丸は照美に詰め寄る。激情は、もはや自分でも止められそうになかった。 照美は、その少女のような顔を苦痛に歪めて沈黙している。それがますますイライラを募らせた。 否定するなり肯定するなり、何か言えばいいじゃないか。何故答えないのか。苛立ちのまま、華奢な肩を掴もうとした、その時だった。 パァン! 頬に、衝撃。そして甲高い、乾いた音。平手をくらったのだ、と気付き、風丸は呆然とその相手を見る。「いい加減にしろ、風丸」 鬼道だった。彼は静かな、しかし厳しい声で言った。「知らない事は罪じゃない。…だが、知らないからで赦される事は何もない」 まさか彼に叩かれるとは。しかも何の話をしているのだ。混乱する風丸に、鬼道は険しい視線を投げる。「神のアクアがどんなものか…どんな悲劇を巻き起こしたか。アフロディが誰よ り分かってる」 はっとした様子で照美が顔を上げる。「鬼道君…君は…」 「すまないな。…神のアクアについて調べる時、鬼瓦刑事から話を聞いたんだ… お前の身に起こった事を」 照美の瞳の奥が揺れる。泣き出しそうな顔に、見えた。一体鬼道は何を知っているのだろう。照美が自分達と一緒に戦いたいと言い出した事と、何か関係があるのだろうか。「…そうだね。やっぱり、私から話さなくちゃいけない事だ」 意を決したように、顔を上げる照美。無理に話さなくても、と鬼道は言ったが、彼は首を振った。 そして、語り出す。「神のアクアは…私から全てを奪った」 一つの、真実を。 NEXT |
死者が翼を、広げる時。