正しさのベクトル。 愛しさのベクトル。 全ては簡単に変わるとしても。 それでも今は、今だけは。 この背中に、白い翼は 無いとしても。0-35:ラスト、キッス。 イナズマキャラバンは、雷門のグラウンドに停められている。雷門が私立で、夏未の家の私有地であるゆえである。 ひっそりと静まり返った夜の空気。本来ならとっくに子供は帰る時間。にも関わらず、塔子は円堂の家を抜け出して、一人ジャージ姿でそこに立っていた。−−あたしも練習中毒だな…。 苦笑しながら、サッカーボールを蹴る。普段のしっちゃかめっちゃかな練習に慣れすぎたのか。今日のように短時間に簡単な練習をしただけではどうにも落ち着かないのである。 焦っている−−のとは違うだろう。とにかく、少しでも長くボールを蹴って、少しでも早く強くなりたいのだ。その成果は如実に試合に反映される。それが嬉しくてたまらない。 要は、自分は本気でサッカーが好きなのだ。 サッカーは自分にたくさん素敵なものをくれる。新しい世界を見せてくれる。今回のエイリア侵略だって−−勿論彼らのする事は赦せないが−−サッカーをやっていなければ、宇宙人との試合なんて経験できなかったに違いない。 父や世界を守って戦うことも。鬼道や円堂と同じフィールドに立つことも。「考えることは一緒だな」「お?」 声がして振り向けば、鬼道が苦笑しながらそこに立っていた。「円堂顔負けのサッカーバカっぷりだな。練習し足りないってとこか」「へへっ…あたり」 ボールをパスする。鬼道は軽く胸でトラップして、そのまま返してきた。簡単な動作の中にもテクニックが窺える。天才ゲームメーカーとして、全国トップの帝国学園に君臨していただけある。 その技量も力量も。才能だけではない、鬼道が努力によって身につけたものだ。しかし同時に、影山に仕込まれたものでもある。 彼は今−−どんな想いでサッカーをしているのだろう。もしサッカーをするたびに影山を思い出すとしたら、影山に与えられた痛みが蘇るとしたら−−それは彼を縛る鎖に他ならない。 もうすぐ、再び影山と対決する事になる。辛いのではないか。また苦しむだけの結果になるのではないか。鬼道は本心をまるで表に出してくれないから−−心配でたまらないのである。 塔子からすれば鬼道に尋ねたい事は山ほどあったが、最初の一言がなかなか見つからなくて困った。「下手な気遣いはいい」 すると鬼道の方から、告げられた。「お前は昔からそうだな。思った事が全部顔に出る」「うげっ…マジか」 「マジだ」 なんだかおかしくて、くすくすと笑い合う。影山の存在は、確かに鬼道を縛っているのかもしれない。けれど彼の表情は昔よりずっと穏やかになった。それは多分、鬼道がサッカーによって、痛みよりもっと大きな物を得る事ができたという、その証ではないだろうか。「…ずっと、不思議に思っていた事があるんだ」 キャラバンに寄りかかり、鬼道は言う。何か、吹っ切ったような声だった。「エイリアと影山が繋がってるかもしれないと知って…疑問が一本の線で繋がっ た」 帝国の事なんだが、と彼は続ける。「中学校として正式な形になっていなかった世宇子は例外にしても…。木戸川に 、尾刈戸に、野生に、千羽山に、戦国伊賀島…。フットボールフロンティアの出 場校はみんな、エイリアの襲撃を受けている」 ジェミニストームは、サッカー部のある学校なら強豪も弱小も無差別に襲っていた。それに対しイプシロンは漫遊寺を始めとした隠れた優勝候補に狙いを定めていたようだ。 僻地の学校はまだ無事なところも多いようだが、殊にフットボールフロンティア出場校は早い段階で殆どが潰されている。SPフィクサーズとしてエイリアを追 っていた塔子はその辺りを熟知していた。そう−−“殆ど”、なのだ。 鬼道の疑問が何か思い当たり、まさか、と顔を上げる塔子。「そうだ塔子。…帝国学園だけが、未だに襲撃を受けていないんだ」 それは−−塔子も不思議に思っていたことだ。 確かに帝国は地区大会で雷門に負け、全国大会でも世宇子に負け。悪い言い方をすればその権威は失墜している。 だが、それでも四十年間フットボールフロンティアを制覇し続けたサッカーの超名門校であることに変わりはない。 サッカー部としてやっと成立したばかりの傘美野中は襲ったのに、何故長年の王者たる帝国をエイリアは見逃したのか? ジェミニストームはともかく、あのデザーム率いるイプシロンなら、真っ先に勝負を挑みそうなものなのたが−−。「まさか…影山がエイリアの上層部に進言したのか…?帝国だけは手を出さない でくれって…」 「…さぁな。証拠は何もない」 影山は、帝国学園を復讐の道具として扱ってきた筈だ。実際卑怯な真似を数え切れないほどやらかしたと聞いている。鬼道への扱いに至っては凄惨極まりないものだ。 最終的には帝国イレブンを捨て、世宇子を使って彼らを病院送りにした。それは紛れもない事実。 なのに−−それでももし本当に、影山がエイリアに帝国を見逃させていたとしたら。それは一体何の為で、誰の為というのか。 決まっている。決まっているが−−どうにも信じられない。「…もし本当に…それがあの男の、俺への最後の気遣いだとしても…。俺はあい つを、赦すことは到底できないだろう」 でも、それでも知りたいんだ、と言う鬼道。「……影山の…本当の心が知りたい。今更それを確かめたって何がどうなるって わけじゃないけれど、でも…あの男にとって俺が、俺達がどんな存在だったのか 、奴の口から直接聞きたいんだ」 それは感情を絞り出すような声だった。あの鬼道が初めて見せてくれた、本心の一端。「だって…どんなに虐げられても道具扱いされても…。あの人は俺にとって…父 親のようなものだったから。大切、だったから。…ふっ、笑える話だろ」 「笑わないよ」 無意識に手が伸びていた。鬼道の眼が見たい。そう思って、彼のゴーグルをそっと外していた。 鬼道は驚いた顔をしたが−−抵抗しなかった。「笑わない。…笑うわけ、ないだろ。鬼道が初めて本当のキモチ、話してくれた のにさ」 切れ尾の、大きな赤い瞳。綺麗な色は昔からちっとも変わっていない。その眼を真正面から見つめて、塔子は言った。「本当は…大好きだったんだな、あいつのこと。だから裏切られたと知って…本 気で傷ついた」 鬼道の瞳が揺れる。瞳の中には、塔子の顔が映っている。「…頑張ったな。お前は今日まで本当によく、頑張ったよ」 塔子は微笑んだ。今だけは彼を、幼い子供のように誉めてやりたい。鬼道はずっと頑張って、頑張って、頑張り続けてきた。だけどそれを誉めて、頭を撫でてくれる存在がいなかった。 だから自分が、彼をたくさん誉めてあげたい。ありきたりな言葉しか浮かばないけれど、讃えて、たくさん抱きしめてあげたい。 だって自分は、鬼道のことが大好きだから。「…なあ鬼道。覚えてるか。昔、あたしがお前に約束したこと」 そっと抱きしめた身体は、小さくて痩せっぽっちだった。こんな細い身体で、どれだけたくさんのものを背負ってきたのか。どれだけの傷を負ってきたのか。「お前のことは、あたしが護る。お前が辛い時は、あたしが助けに行くって」 離れていた長い時間にはできなかったこと。ずっと護れなかった約束。だけどこれからは一緒にいられるから。傍にいるから。「今まではできなかった。でもこれからは…約束を果たす。もう誰にも、傷つけ させない」 我ながらベタな台詞だ、と塔子は思う。しかしそれ以上に相応しい表現が見つからない。 貴方を傷つける全てから、護りたい。 貴方を苦しめる全てを、自分が取り除きたい。 かつては淡い淡い気持ちだったけれど。こうしてまた一緒に過ごすようになって、ますます想いは強くなった。それはとても苦しくて、とても切なくて、でも世界一素敵な気持ち。「好きだ、鬼道。愛してるって意味で…あたしはあんたが好きだ」 抱きしめる耳元で、一瞬彼が息を呑んだのが分かった。涼しい夜風が吹き抜ける。学校のグラウンドで、キャラバンの前で。まったくムードも何もない場所かもしれないが。 月と星が綺麗な夜だ。とりあえずそれだけでも充分ではないか。「…馬鹿だな」 背中に回される手。照れてるのだ、と鬼道の声で分かった。「お前はずっと、約束を護ってくれていたさ。あの約束があったから…お前との 思い出があったから、俺は今日まで生きてこれたんだ」 覚えていて、くれたのか。驚きと喜びと−−言葉にできぬ想いで頭がいっぱいになる。腕を緩めれば、再び綺麗な赤い眼と目があった。 そこに、彼の答えも、あった。「これがその、答えだ」 一瞬。時間にすればとても短い間に過ぎなかったが−−唇が触れる感触があった。その短さに彼の照れ隠しと性格が如実に現れている。 だけど塔子にとっては、何物にも代え難い一瞬だった。あまりにも純粋すぎる、ファーストキス。された塔子より、勢い任せでしてしまった様子の鬼道の方が真っ赤になっている。 愛しくて愛しくて仕方ない。ありがとう、と一言呟き、もう一度抱き締めようとした−−その時だ。「お兄ちゃーん。いるのー?」 春奈の声。お互いドキリとして、慌てて離れる。危ない、二人きりだと思ってつい油断していた。「お兄ちゃ…あ、塔子さんも一緒だったんですね」 校舎側からとことこ歩いてきた春奈に、お、おう、と答える声がどもる。よもや今の見られちゃいなかっただろうな?あと自分の顔は真っ赤じゃないだろうか。「いつの間にかいなくなってるからどうしたのかと思ったら。またこっそり練習しに来てたんですか」「ま、まぁね」 転がっているボールからそう判断してくれたようで塔子はほっとする。とりあえず、周りが暗くて良かった、本当に。「すまない。捜しに来てくれたのか?」 瞬時に切り替えるあたり鬼道は流石だ。その鬼道を見て春奈が眼を丸くしている。そういえば、彼はゴーグルを外したままだった。珍しかったのだろう。「お兄ちゃんが、キャプテンばりの練習バカだって知ってるもん。まあキャプテンほど無茶な特訓はやらないだろうけど」「当たり前だ。円堂はやることなすこと無茶すぎる」「それが円堂の魅力でもあるんだけどな」「ふふっ言えてるかも」 それからしばらく、円堂の話題で盛り上がる。今日の円堂はすっかり木暮に振り回されていた、とか。あと、塔子が出逢う前の彼の話も聞いた。 こうしてこの三人で話すのも、久しぶりな気がする。 鬼道も春奈も眼が優しくなった。昔よりも強くなった。話しぶりだけでもそう感じる。「久しぶりにさ、三人でやろうよサッカー」 ボールを拾い上げ、二人を誘う塔子。「悪くないな」「懐かしいですね…!」 響く笑い声。三人を照らしていた丸い月。 それはとても貴い、二度と無い今という時間。この日の事を、塔子は忘れないだろう。多分、一生。 NEXT |
世界が弾けて、溶けていくまで。