ごめんなさい。
 ありがとう。
 あいしてる。
 そして、さよなら。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
0-37:れはまるで、恋文のよう。
 
 
 
 
 
 一体このもやもやした気持ちは何処から来るのか。
 春奈はさりげなく、後ろを座席を振り返る。斜め後ろで、塔子と鬼道はさりげ
なく隣に座っている。塔子の声は大きい。話している、新しいフォーメーション
の話題も丸聞こえだ。
 甘いカップルの話題ではない。それでもなんだか二人とも生き生きとしている
し、兄も楽しそうに見える。彼の過去を思えばそれは喜ぶべき事である筈なのに
−−なんだか、見ていると胸が痛くなる。
 本当は昨晩も、見てしまっていたのだ。塔子が鬼道に告白するところも、二人
のキスシーンも。それはキスと呼ぶにはあまりにささやかで一瞬の時間だったか
もしれないが、春奈を揺さぶるには充分だった。
 予想の範疇だった筈。
 少なくとも塔子が兄に好意を寄せているのは知っていたし、いつか二人がくっ
ついてもおかしくないとは思っていた。結構な事ではないか。愛をろくに知らな
い兄が、愛する人を見つけられるというのなら。
 なのに。どうして自分は、こんな鬱々として彼らを見ているのだろう。嫉妬し
ている?そんな馬鹿な。自分にとって鬼道は大切な兄で、塔子の事も姉のように
慕う人である筈なのに。
 自分は鬼道が好きだ。大好きだ。しかしそれは兄に対するものであって−−そ
れ以外の何かであってはならない。自分がそれは一番よく分かっているのに。
 それとも−−自分は寂しいのだろうか。大好きな二人に、自分一人置いていか
れる気がして。
 だとしても−−それは仕方のない事ではないか。春奈は結局、鬼道の妹という
ポジションでしかない。塔子の後輩という立場でしかない。いつか離れる時が来
たとしても、受け入れるべきではないのか。
 
−−嫌な子だな…私。
 
 ぐるぐると考えてみても、結論は一つしか出ない。自分は塔子に嫉妬したのだ
。二人に置いていかれるかもしれなくて寂しいのだ。我ながら幼すぎて泣けてく
る。
 
−−戦いが終わったら、一緒にいられなくなるかもしれない。だったら尚更…二
人を応援してあげなくちゃいけないのに。
 
 今日の予定は大まかだが決まっている。佐久間との待ち合わせ場所である帝国
学園まで鬼道を送って、自分達は雷門で練習。話が終わって鬼道から連絡が来た
らキャラバンで彼を迎えに行き、そのままの足で愛媛に出発する。
 ハードスケジュールだが仕方ない。いくら駄々をこねてもエイリアも影山も待
ってはくれないのだ。ただでさえ予定は遅れている。これ以上はロスできない。
 文武両道の超名門校、帝国学園。スポーツのみならず偏差値も目眩がするほど
高い。実は雷門の偏差値も高い方に分類されるのだが、全国区の帝国とは比較に
ならない。
 窓の外に帝国のスタジアムが見えてきて、春奈は益々暗い気持ちになった。鬼
道には悪いが、あの場所にはあまりいい思い出がない。
 あの場所で影山に、危うく殺されかけた雷門イレブン。兄を誤解して、酷いこ
とばかり叫んでしまった自分。
 一度口にしてしまった言葉はもう取り返しがつかない。だけど、謝らなければ
と思う。むしろ今日までズルズル引きずって、謝罪の一つも口に出来なかった自
分が心底情けない。
 キャラバンが停車する。手荷物だけ持って、鬼道がバスを降りる。その背中を
、春奈は追いかけていた。
 
「待って!」
 
 鬼道が不思議そうに振り返る。
「私も…一緒に行っちゃ駄目かな」
「…すまない」
 兄の真実に少しでも近付けたら。知ることができたなら。そう思ってのダメも
との提案は、やっぱりダメであった。
「個人的に相談したいこともあるから、一人で来てくれと言われているんだ」
「そっか…そうだよね。ごめん」
「いい。気遣ってくれて、ありがとうな」
 すぐに終わるさ、と兄は笑う。その笑顔が少しだけぎこちなかったことに、果
たして何人が気付いただろう。
 
「…あのね、お兄ちゃん」
 
 キャラバンの中から見つめる塔子の視線を感じながら。春奈はその言葉を口に
した。
 今言わなければ、当分言えなくなる気がして。
 
「ずっと謝らなきゃいけないって思ってたの。…私がお兄ちゃんのこと…ずっと
誤解してたこと。お兄ちゃんはずっと私の為に頑張ってくれてたのに…私、あん
な、酷いこと言って…!」
 
 自分が邪魔だから連絡をくれなかった、なんて。今考えるととんだ被害妄想だ
。彼は連絡しなかったのではなく、できなかったというのに。
 その上−−もう貴方は他人だ、なんて。仮に思ったとしても言っていい言葉で
はなかった。どれだけ傷つけただろう。考えるだけで胸を抉られる。
「…気にするな、と言っても無理かもしれないが。いいんだ春奈。勘違いされる
ような事ばかり繰り返してた俺が悪い」
「お兄ちゃん…でも…」
「いいんだ」
 慰める声が、あの頃と同じように優しくて。頭を撫でる手が、あの頃と同じよ
うに温かくて。
 
「春奈は優しい子だな。その優しさを、忘れないようにしなさい」
 
 その愛が、あの頃と同じように嬉しくて。不覚にも涙が出そうになる。
 
「……うん。ねぇ、お兄ちゃん」
 
 自分は、卑怯だ。赦されるのが分かっていて謝った。そして今も、答えが分か
っていながらこんな問いかけをする。
 
「私のこと、好き?」
 
 鬼道は一瞬きょとんとして、やがて笑った。その笑顔も、あの頃と何一つ変わ
っていなかった。
 
「好きだよ。当たり前だろう?」
 
 青いマントが揺れて、遠ざかる。その“好き”、は。兄としてというより、親
としてのそれに近い事も気付いていた。春奈の今一番望む“好き”でない事も。
 そして結局、一番聞きたかった愚かな質問は、春奈の胸の内に封印されるので
ある。結局一生口にしないで終わる事になる、馬鹿馬鹿しくて残酷な問いは。
 
『ねぇお兄ちゃん…私と塔子さんの、どっちが一番好き?』
 
 
 
 
 
 
 
 何だか急に空が暗くなってきた気がする。日が落ちてきたせいだけではない。
土門は肌で感じる湿った空気に眉を顰めた。
 
「今日は一日晴れるでしょー…とか言ってなかったっけ?」
 
 そんな土門の心情を読んでか、一之瀬が声をかけてきた。
「言ってた言ってた。こりゃ外れるなー…ってやべ、今日洗濯物ベランダに干し
さなかったっけ俺」
「どこの主婦だよ土門ー」
「うっせえ、地味に大事な事だろっ」
「はいはい」
 土門のように、休み時間に一度自宅にすっとんでいったメンバーは何人かいる。
その時、自分のように洗濯物の一部を片付けてきた者もいる。マネージャー達に
全部押し付けるのは気が引けるというもの。意外と言われそうだが、土門はそう
言った点几帳面だった。
 仮設置されたニュー部室の方も、バタバタしているようだ。みんなの溜まりに
溜まった洗濯物の大半は、今日マネージャー達がやっとの思いで洗濯したのであ
る。本当に感謝すべきことだ。
 しかしこの様子では、いきなり夕立になる恐れがある。彼女達は今、物干し竿
に干されたタオルやユニフォームを大慌てでしまっているところだった。
 まだ乾いてないだろうが仕方ない。残りは乾燥機にお願いするしかないだろう
。エイリアに壊された部室。にも関わらず、洗濯乾燥機などの電化製品は奇跡的
に無事だったのである。
 自分も手伝いに行くべきか。既に風丸と栗松は練習を切り上げて、彼女達に加
勢している。どのみち雨が降り出す前に終わらせなくてはならない。
 
「どうする、きど…あ、今いないだっけ」
 
 それは反射だった。本来キャプテンは円堂なのだが、練習開始や終了の号令は
彼がかける事が多い。
 特に土門は元帝国生。なんとなく、鬼道の指示を仰ぐのが癖になっている。
 
「条件反射だねぇ。俺も今言いかけたけど」
 
 一之瀬も隣で苦笑している。
「…分かってるんだけどさ。鬼道や円堂に…あんま依存しすぎちゃいけないって
。俺達だって二年生なのにさ」
「なんか分かる気がするなぁ」
 円堂と鬼道って、なんとなく別格なんだよな、と一之瀬は言う。本当にその通
りだった。ディフェンダー陣営は風丸が指揮をとる事もあるが、総指揮という意
味ではやはり鬼道なのである。
 円堂と、鬼道。そして−−豪炎寺。
 彼ら3トップ(イナズマブレイクを撃つ事から、ブレイクトリオと呼ばれる事
めある)はやはり特別なのだ。
 自分達の精神的支柱と言ってもいい。キャプテン円堂の脇をがっしり固める二
人。いつの間にかそれでバランスがとれていた。
 それが−−豪炎寺が抜ける事になって。
 彼らの負担は様々な意味で増してしまったように思う。時々円堂が無理して笑
っているように感じる時がある。鬼道が感情を殺したと感じる瞬間がある。
 本当は、それではいけないのだ。自分達はチームであり、仲間。誰か一人や二
人に頼りすぎて、寄りかかるような事があってはいけない。誰かに負担を押し付
けてはならない−−それは分かっているのに。
「もっと…しっかりしなきゃな。俺達」
「うん…」
 その言葉には、様々な意味が込められていた。
 円堂に聞いたのである。エイリアとの戦いが終わったら、鬼道は帝国に戻るつ
もりでいるのだと。つまり彼の指揮に頼れるのも、この戦いの間だけ。
 その頃には、豪炎寺の方は戻ってきているかもしれない。怪我をしたマックス
達は復帰しているかもしれない−−でも。
 それでまた円堂と豪炎寺に依存するようなら、何も変わりはしない。それで本
当にチームだなんて言えるのだろうか。
 
「あいつらだけに背負わせちゃいけない。…何の為に俺達がいるんだ」
 
 土門が口に出して言った、その時だった。
 
 
 
 
 
『土門』
 
 
 
 
 
 ぞくり、と。
 
 背中に走る、悪寒。なんだ。今、鬼道の声が聞こえたような。
 空耳?ああ、空耳だ。だって今彼は此処にいない。それで片付ければいいじゃ
ないか。なのに。
 
「…土門?」
 
 突然固まった土門を、一之瀬が訝しげに見上げてくる。
 何で今、思い出すのか。幼かったあの日−−子犬を助けようと道路に飛び出し
た一之瀬の小さな背中。トラックがぶつかる重たい音。秋の悲鳴。転がったボー
ル。
 一之瀬の靴が片方脱げて、道路に投げ捨てられていた。その主は吹っ飛ばされ
た体制のままピクリとも動かない。倒れた一之瀬の体は、足がおかしな方向に曲
がっていて、その下からじわじわと赤いものが滲み出していた。
 衝撃を、頭が受け入れるまで時間がかかって。秋が一之瀬に駆け寄るのを見て
我に返った。そうだ電話。電話しなくては。救急車。何番だったっけ、ああそれ
よりも携帯はどこだっけ。
 そんな事はかりがぐるぐると頭の中を回って。そうだ、二度と思い出したくな
かった事なのに、どうしてこんなにハッキリ覚えているのだ。
 どうして、今。
 
「そういえば…鬼道のヤツ遅いなぁ。まだ連絡来ねーのか?」
 
 染岡の声が聴覚を刺激した時。
 パサリ、と。春奈の左手からまだ半渇きのタオルが滑り落ちるのを、土門の視
覚が捉えていた。彼女の右手には、携帯電話が。
 
「何、これ…」
 
 凍りついた様子の春奈。尋常でないものを感じて、土門は一之瀬と共に駆け寄
っていく。
 
「おい、どうした?」
 
 尋ねる土門に、彼女は震える手で携帯のメール画面を見せた。それはたった今
話題にしたばかりの、鬼道からのメール。
 文字は何故か全て、平仮名で。
 
 
 
 
 
『はるな
 すまない
 あいしてる』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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突き落とされたのは、僕?