夢と現を彷徨いながら、景色を見ていた。 僕は笑っていた。君も笑っていた。みんな笑っていた。 ただボールを追いかけていられたら、それで幸せだった。 そんな日々はもう、還らないのに。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 1-1:哀しみ、ブルー。
そのまま自分はどうやら、気を失って病院に担ぎ込まれたらしかった。 円堂が目覚めた時は翌日の昼になっていて−−惨劇から一夜明けたと知ったの は、病院のベッドの上だった。 何だろう。起きたばっかりだが−−思考が何一つ正常に働いてくれない。感情 が麻痺して、自分の体でないかのようだ。
「おはよう、円堂」
パイプイスに座って円堂を覗き込んでいたのは、一之瀬。もしかして随分前か ら側にいてくれたのかもしれない。 落ち着いているように見える彼だが、目の下にはうっすら隈ができている。本 当は憔悴しきっているのだろう。それでも笑顔を作れるあたり流石だと思う。 そういえば、鬼道もいつもそうだった。この二人はとてもよく似ている。本当 は激情家なのにそれを押し殺して冷静な判断を下す。滅多に感情的に怒ったりし ない。いつも余裕を漂わせる。 それが自分達の役目だと言うように。
「…一之瀬」
いつもなら、彼を気遣う言葉の一つや二つ出た筈だ。しかし今は何も言う事が 出来ない。 疲れきった色を隠して笑う一之瀬の顔を見て、悟ってしまったから。
「鬼道は…本当に…」
昨晩見たものは、嘘じゃない。幻でもなければ質の悪い悪夢でもない。 紛れもない現実なのだと。
「円堂と一緒に、病院に搬送された。でも」
一ノ瀬も分かっている。だから沈黙する事も隠し立てする事もなく、ハッキリ と告げた。 優しいだけの嘘に、意味など無いと知っていたから。
「病院でハッキリと死亡が確認された。遺体は司法解剖に回されたよ。…他殺な のは、間違いないみたいだから」
他殺。つまり、殺された、ということ。 あの状況で事故や自殺であろう筈がない。それは現場を間近で見た円堂が一番 よく分かっている。 でもその事実が。改めて重くのしかかる。 殺人事件だなんて、サスペンスドラマや映画の中だけの出来事だと思っていた 。確かに世界では毎日人が人を殺しているわけだが、それが身近で起きるなんて 考えもしなかった事だ。 ましてやその被害者が、自分の大事な友達だなんて。 「…詳しい話、聞くか?」 「……うん」 「円堂も塔子も倒れちゃったし、帝国メンバーも錯乱状態で殆ど話にならなくて 。だから事情聴取は聖也さんと瞳子監督が受けたんだ。まあ、どっちみち後で円 堂のところにも来るかもだけど」 一之瀬が得た情報の大半は、聖也から聞いたもののようだ。その聖也は警察か らある程度詳しい状況を聞かせて貰ったらしい。 鬼道有人の死因は、失血死。刃渡り数十センチ程度の刃物による、全身何十カ 所の切り傷や刺し傷、最終的には心臓と肺に届く胸の傷が致命傷。 また、左手上腕、左足首、肋骨四本、左鎖骨が複雑骨折。右足は腱を切断され ていた。骨折は素手による暴力が原因と思われる。 傷のほぼ全てに生活反応があり、被害者は長時間に渡っていたぶられたものと 考えられる。また、性的暴行も受けた形跡あり。体内からは犯人のものと思われ る体液が数種類見つかっている為、犯人は複数名と見て間違いない。 以上の事から、犯人は少なくとも男性が三人以上。犯行動機は私怨である可能 性が高い−−とのこと。
「鬼道は佐久間から呼び出しを受けたけど…電話はかかってきてない。メールだ けだ。だから本当に呼び出したのが佐久間本人かも分からない」
メールアドレスは佐久間の携帯からだったが、アドレスを偽装する方法も実は ある。 それに佐久間が失踪中である事を考えれば、その携帯を奪った別人がメールを 送った可能性もある。さらに仮に本当に佐久間が呼び出したのだとしても−−本 人が直接犯行にかかわっているとは限らない。 いずれにせよ佐久間も源田も行方不明のままでは、事情を聞く事もままならな い。そして佐久間が鬼道を殺す筈ない、と円堂も思う。彼も犯人に捕らえられて いるかもしれない。 下手をすれば、もう生きてはいないかもしれない。
「…俺もさ、そう信じたいんだけどさ、円堂」
一之瀬はうなだれるように言った。
「鬼道…犯人の名前、残してないんだ。事切れる前に、音無にメールして、お前 へのメッセージを打つだけの余力があったのに」
彼が何を言いたいか、分かる気がした。こういう時に限って冴えている自分の 頭が恨めしい。 つまり。鬼道がダイイングメッセージを残さなかったのは犯人が全く見知らぬ 他人だったか。あんな目に遭わされて尚庇いたい相手だったか−−そのどちらか である可能性が高いということだ。 目隠しをされた形跡もない。犯行時は電気はつけられていたと推測される。な ら、鬼道が犯人の顔を見ていないというのは考えにくい。
「あいつらが…やるわけない」
円堂は絞り出すように言った。
「するわけないだろ。あんな酷い、真似」
自分は確かに、佐久間や源田について深くは知らない。帝国にいた頃、鬼道と 殊更仲が良かったという事くらいしか。 だけど。
「だってそうだろ。そうなら…もしそうなら!鬼道が…可哀想すぎる…っ!!あい つは今まで何の為に…誰の為にあんな…」
こらえていた涙が、一気に溢れ出した。押し込めていた悔恨と悲哀と共に。一 度決壊した涙はどれだけ拭っても止まってくれない。 知っているのだ。自分は春奈から聞いている。鬼道が影山からの虐待を受けて いたことを。それは鬼道が鬼道家から逃げる術を持たなかったせいもあるだろう が−−誰にも打ち明けず耐えていたのはやはり仲間の為だ。 追い詰められて追い詰められて。それでも仲間を護ろうと尽力し、仲間の仇を 討つ為恨まれるのを承知で雷門に転校し。全てに決着をつけるべく再び影山と対 決しようとしていた鬼道。 その結果がこれなら。なんて浮かばれないのだろう。
「…俺も、そう思う。仮に佐久間達が関わってたとしても…それはあいつらの本 意である筈がないって」
聞いてくれ円堂、と。一之瀬は改まって顔を上げる。 「俺は…愛媛に行くよ。真帝国学園に行く。そして…真実を確かめる」 「え?」 ああそうだ。自分達は本当ならもう愛媛に行っている筈だったのだ。鬼道が惨 死したせいで、予定は遅れたが。
「…これは俺の…推理にもならない推測なんだけど。鬼道の死に方からして、恨 みによる犯行じゃないかって刑事さんは言ってた。確かに鬼道が昔帝国で影山に 従ってた時の事を考えると、いくらでも逆恨みは考えられる。でも…俺はその上 でこう考える。結論から言おう」
大きな目と愛らしい顔に、静かな憤怒を載せて。一之瀬は言う。
「鬼道を殺したのは影山ではなく、エイリアの一派。ガゼルが言っていた、“魔 女”の派閥。目的は口封じと…俺達への見せしめではないか…と」
彼の考えはこうだった。 鬼道はエイリアについて相当調べをつけていた。真実に近付きつつあった事だ ろう。先日もイプシロン相手に情報を引き出そうと奮闘していた。 だから“口封じ”である可能性はけして低くない。 さらにガゼルの鬼道への忠告。残酷な魔女がお前を殺しに来る−−という言葉 からして。ガゼルは“魔女”に対しいい印象を持ってない様子が窺え、また“魔 女”ならばやりかねないと考えているのも見てとれる。 エイリアは一枚岩ではないのではないか。あの子供達は皆“エイリア皇帝陛下 ”の為だけに動いているつもりのようだが、上層部には派閥があるのかもしれな い。 エイリアと繋がっている筈の影山は、鬼道を真帝国に呼びたがっている。なら ば少なくとも真帝国と戦う前に鬼道を殺すとは考えにくい。だがエイリア内に派 閥があるなら、エイリア内の影山とは別の一派が独断で犯行に及ぶ事も考えられ る。 とにかく−−タイミングがおかしいのだ。ガゼルから忠告を受けてそう何日も 経ってない。影山から呼び出しを受けたのもつい先日。どうも偶然とは考えられ ない。
「そして…佐久間と源田は今、影山に捕まっている可能性が高い」
影山の事を調べていて愛媛で行方知れずになったのだ。無関係とは到底思えな い。 携帯はその時奪われたのかもしれない。洗脳されたのかもしれない。いずれに せよ事件に関わっている可能性のある影山、佐久間、源田の三人に−−愛媛に行 けばおそらく逢える。 そうすれば事件の真相も掴めるかもしれない。
「俺にとっても鬼道は大事な仲間だ。鬼道をあんな目に遭わせた犯人を絶対赦せ ない。俺は…真実が知りたい」
強い意志の光が、一之瀬の眼にはあった。彼とて泣きたい筈だ。怒り狂いたい 筈だ。それなのに−−自分を律して、現実を見据えている。 自分なんかより、余程強い。円堂は、布団を握りしめる。
「…鬼道さ。言ってたんだ…死ぬ前の晩に」
『どんなに離れても。サッカーが俺達の絆になる。ずっと繋がっていられる』
あの夜は、こんな事になるなんて誰一人想像していなくて。いつものようにサ ッカーをして、笑いあっていた。こんな日がずっと続くと、信じていた。
「エイリアとの戦いが終わったら、帝国に戻るつもりだからって。…だから別れ って…そういう意味だと思ってて。まだ…先だった筈で」
別れても、望めばまた逢える別れの筈だった。二度と逢えない別れになるなん て考えもしなかったこと。
「……でも…サッカーが俺達の絆だって鬼道は言った。俺もそう、信じたい。サ ッカーしてる限り…あいつが完全に死ぬ事はないんだって。俺達の中で生きてる 筈なんだって」
再び頬を伝う滴を、ごしごしと袖で拭った。悲しい。苦しい。辛い。感情は幾 多にも混ざり合って、爆発しそうで。 でも、ここで立ち止まる事を、きっと彼は望まないから。
「だから俺!答えはサッカーで出したい…!鬼道の代わりに、あいつが望んだ決 着をつけにいきたい…!!」
護れなかった友へ、それが唯一の償いになるのなら。 円堂の叩きつけるような叫びに、一之瀬はうん、と頷いた。泣くのを我慢して いるような、儚い笑みを浮かべて。 「…じゃあ、俺。そろそろ行くから」 「うん」 「……あのさ、円堂」 病室を出て行く間際。一之瀬はドアに手をかけて、言った。
「昨日土門と話してた事があるんだ。俺達みんな…お前と鬼道と豪炎寺に頼りす ぎてるって。お前達にばっかり…背負わせてるんじゃないかって」
そんな事ないよ、と円堂は即答する。一之瀬は背中を向けたまま首を振った。 そんな事あるんだよ、と。
「だから…これから先、もうお前達にばかり荷物は背負わせない。お前が俺達を 護ってくれる分、俺達も全力でお前を護る。…忘れないでくれ」
何も言う事ができなくなかった。一ノ瀬の細い背中が、泣いていたから。 閉まる扉を見送るとまた涙が出て来た。円堂はベッドの上でうずくまる。目覚 めて一番最初に逢ったのが、彼で良かった。
「くっぅ…ぅ−−ッ!!」
声を押し殺して、一人で泣き続けた。決意はすれど、もう二度と帰らない。失 ってしまった、大事な人は。
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お帰りなさい、母なる記憶へ。