悲しい。 憎い。 怖い。 僕は決めた、殺してやる、と。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 1-2:彼方の、レクイエム。
一之瀬は早足で病院の廊下を歩いていた。少しでも円堂達の病院から遠くへ行 く為に。正直−−これ以上は、限界だったから。 円堂が無理をしているのは明白。自分の言葉でさらに無理をさせてしまったの も明白。それでも一之瀬は、半ば無理矢理でも円堂を立ち上がらせた。−−そう しなければならないと、感じたからだ。 鬼道が死んだ。 豪炎寺はまだ帰って来ない。 雷門というチームは、良くも悪くも一部のカリスマが引っ張る形で成り立って いる。本人達にその自覚は無いだろうが、少し遠いアングルで見ればすぐ分かる 。当面雷門の−−円堂依存傾向がさらに強まるであろう事も。 それはけして良い事ではない。だから自分は、土門と誓った。これから孤独な 戦いを強いられるだろう円堂を、自分達で支えていこうと。彼がどうしても弱っ た瞬間、吐き出して貰えるくらいの存在になろうと。 だがその為にはまず、チーム全体がこの悲劇から立ち直らなくてはならず、や はり第一歩は円堂に踏み出して貰う他ないのである。彼が無理にでも立ち上がっ てくれなければ、雷門は空中分解必至だ。 しかしその後は。それ以降は、自分達も最初に立ち上がる人間になる。円堂の 荷物から脱却し、支える側の人間になる。そうでなければ−−意味が無いのだ。 鬼道の死に、報いる事もできやしない。
「一之瀬」
人気の階段まで来た時、自分の名を呼ぶ声が。誰だ、と尋ねる必要も無かった 。当の本人は目の前にいたから。
「頑張ったな。お前」
一之瀬よりだいぶ背の高い聖也は、身を屈めてこちらを見る。その眼は、優し い。 「円堂の前でよく、泣かなかったな。偉いよ」 「…立ち聞きしてたのか、聖也?」 「俺も見舞いに来たんだってば。そしたら先客がいて、深刻な話してたんで退散 したのー」 まるで小さな子にするように頭を撫でられて。気恥ずかしさよりも先に、涙腺 が緩みそうになる。 本当はずっと、我慢していた。最初に、訃報を聞いた時からずっと。悲しくて 悔しくて泣き喚きたかったのだ。 それをしなかったのは、円堂が倒れていたから。後輩達の前だったから。 知っているのだ。どんな状況でもチームで必ず一人は、最後まで冷静に判断で きる人間が必要な事を。今までその役目は鬼道であり、豪炎寺だった。だが二人 ともいないなら、自分こそが役目を買ってでなければと思ったのだ。 それに先輩の自分まで取り乱したら、後輩達はどうなる。ただでさえ不安がっ ている彼らを、動揺している彼らを誰が安心させてやるというのだ。 だから感情を全力で殺した。上辺だけでも冷静で強い人間を演じようと頑張っ た−−愛する仲間達の為に。
「……人が死ぬって。大事な誰かがいなくなるってこういう事なんだな」
胸の内から緩やかに込み上げる想いを。一之瀬は吐き出すように、放つ。
「もう二度会えない。もう二度笑ってくれない。俺達はもう二度と、鬼道とサッ カー、出来ないんだ」
自分で言うのもアレだが。一之瀬は自らの非凡さをある程度自覚していた。自 分は一瞬天才であり、サッカーの才能に恵まれている事も理解していた。 伊達にフィールドの魔術師と呼ばれていないのだ。 体格の無さはテクニックと観察力でカバーしてきた。それで切り抜けられない ピンチなんて、日本に来るまで無かった事だ。日本に来て初めて実力という意味 でも壁にぶつかり。それを寧ろ嬉しく感じていた。 その壁の一つだったのが、鬼道の存在。個人技で自分と互角。観察力では自分 の方が劣るだろう。その分フィジカルでは自分が勝つだろうが、彼と対決して有 利な勝負をさせて貰えた試しがない。 いつか鬼道に読み勝つこと。その策を読み切る事。それは一之瀬にとって一つ の目標でもあった。 けれど。もうその目標を達成する事はできない。お互い最も望まない形で、鬼 道に勝ち逃げされてしまったのだ−−永遠に。
「悲しくて悔しくて…それだけで死んじゃいそうなんだ…っ!!何で鬼道があんな 風に死ななくちゃいけなかった!?鬼道が一体何をしたっていうんだっ!?まだたっ た十四歳じゃないか…っ!!」
叩きつけるように、叫んでいた。 痛い。心臓が痛くて痛くて仕方ない。どうすればこの痛みが収まるのかも分か らない。
「しかも…俺、最低なんだ。鬼道が死んで初めて理解したんだから。身近な誰か が死ぬってこんなに…こんなに辛いんだって…!!」
この痛みは、悲しみだけじゃない。どうしようもない、取り返しのつかない過 去の−−後悔にも、起因するもの。
「俺、本当に身勝手だ。自分勝手だ!こんな想いをずっと…土門や秋にさせてた んだから…っ」
あの日の事は、実は一之瀬自身もあまりよく覚えていない。生きていたのが奇 跡と言われたほどの大怪我をして病院に担ぎ込まれ、長く生死をさ迷ったのだか ら当然かもしれないが。 ただ。もうサッカーどころか満足に歩けるようになるかも分からない−−そう 宣告されて。絶望して。大好きな二人の親友と顔を合わす勇気さえ持てなくなっ て。 一之瀬一哉は死んだ事にして下さい、と家族に頼んだのは事実。友人達にもそ う伝えて欲しいと。 サッカーが無い人生なんて考えられなかったのだ。サッカーが出来なくなった ら自分なんか死んだも同然。いや、あながち比喩でもない。松葉杖で屋上に上が っては、何度死を考えたかも分からない。 あの時自分は、自分の事を考えるので精一杯だった。それはどうしようもない 事かもしれない。今同じ状況に置かれても冷静な判断を下せるか分からない。 だけど結果として、誤った選択をしたのは間違いないのだ。一之瀬が死んだと 聞かされた時。事故を目の前で見ていた二人はどれだけショックを受けたか。傷 ついたか。 優しい彼らのこと。きっと長い間己を責め続けていただろう。そうさせたのは 他でもない一之瀬で−−だけどその罪の重さに、自分はまるで気付いて無かった のだから笑える話だ。 あれだけ秋と土門を傷つけておいて、のうのうと日本に現れた自分を−−彼ら はまるで咎めなかった。赦す赦さない、という概念すら頭に無かったのかもしれ ない。 その心のどれだけ貴い事か。ゆえに自分はどんな大きな過ちを犯した事か。今 になってやっと理解させられたのだ。大事なチームメイトを喪って、同じ痛みを 味わって、やっと。
「…それが分かって、良かったな。それだけで多分…意味はあったさ」
頭を撫でる聖也の手は温かい。見つめる眼は、優しい。彼だって傷ついてない 筈はない。鬼道の死に悲しみと憤りを感じない筈がない。 だけどそれを押し隠して、自分の前に立ってくれている。一之瀬の傷を少しで も癒やそうと慰めてくれる。 ああ、そうだ。彼は自分より年上なのだった。そして吹雪の保護者なんだっけ 。きっと−−親や兄のように人を愛する事を、知ってるんだ。 「…泣けよ。今なら俺以外誰も見ちゃいねーから、泣け。抱えてるもん全部ブチ 撒けちまえ。…偶には先輩面させろや、後輩」 「…すみません」 スッと抱き寄せられる。背中に回される腕。スッポリ収まってしまう、身も心 もまだまだ小さな自分。 ぎゅっとその胸にしがみついて、叫ぶ。
「悔しい…悔しい悔しい悔しい悔しいっ!」
溢れ出す。溢れかえる。涙と言葉と一緒に、感情が。
「何でだ!何で鬼道がっ!何であんなにボロボロにされてっ…まるでゴミみたい に捨てられてっ…!!ふざけるなよ…ふざけんじゃねぇよぉぉ−っ!!」
ただ殺すだけじゃ飽きたらず。犯人達はよってたかって鬼道を痛めつけたのだ 。私怨?口封じ?見せしめ?そんなもの知るか。奴らの理由なんか関係ない。 十四歳の男の子を輪姦して、リンチして、ボロ雑巾のような姿にして命を奪っ た奴らの事なんて理解できない。したくもない。 鬼道は自分達の大事な仲間だったのだ。奴らはそれを最低なやり方で奪い去っ た、それだけが全てだ。 何処の誰かも分からぬ変態どもが、今憎くて憎くて仕方ない。もしそれが佐久 間達だったら?−−寧ろこの憎しみはさらに濃くなるだろう。裏切り者。大好き なチームメイトに殺された鬼道がどれだけ無念だった事か。 考えるだけで−−腸が煮えくり返りそうだ。
「犯人を赦さない…絶対に赦さないっ!殺してやる殺してやる殺してやる殺して 八つ裂きにしてやる−−っ!」
呪いの言葉を泣き叫ぶ一之瀬を、聖也はただ抱きしめて頭を撫でてくれた。一 之瀬が泣き止むまで、ずっと。
この知らせを、本当に伝えていいものなのか。デザームの自室の前で、ゼルは 一人思い悩んでいた。 ここ最近で、いろんな事が起こりすぎている。先の京都での戦いから、イプシ ロンメンバーにも動揺が広がっている。原因は二つ。
『それでも戦うのか?たとえ…最終的に…自分達が人殺しの道具にさせられても …?その全てが、お前達の信じる人の意志ですらなくても…か!?』
あの雷門の鬼道、というMF。彼が言った言葉。そして。
『この勝負、預からせて貰おう』
まるで鬼道の言葉を遮るように現れ、勝っていた試合を中止させたガゼル。 自分達の知らない“何か”が、上で起きているのではないか。自分達は皇帝陛 下の為に戦ってきたつもりだが、果たして今までの命令は本当に全て陛下のご意 志だったのか−−。 疑惑を呼ぶ理由の一端が、自分達イプシロンが所詮ファーストランクのチーム に過ぎないという事。陛下に謁見し、直接御命令いただく立場にないのだ。 だからもし、その“繋ぎ”に位置する上層部が−−マスターランクの三人か二 ノ宮か研崎が−−命令を捏造していても分からないのである。 不安がる部下達に向けてデザームは言った。自分達はエイリアの戦士。陛下の ご意志を疑うことは赦されない。さかし陛下以外を疑う事は可能である、と。 特に、二ノ宮蘭子−−あの魔女への疑いは日増し濃くなるばかりである。デザ ームは、上層部の事や彼女について独自に調べてみるつもりのようだ。
−−貴方は優しく強い方だ。でも…だからこそ私は、貴方が心配で仕方ないので す。
確かに、ゼルとて不安な気持ちが無いと言えば嘘になる。でもそれ以上に、デ ザームの身を案じる気持ちの方が強いのだ。 知りすぎてはならない。疑念を抱きすぎてはならない。その結果どのような末 路を辿るのか−−その実例を、ゼルは知ってしまったから。
−−私達に情報を与えた…鬼道有人が死にました。
明らかに口封じと見せしめ目的だった。あれは雷門のみならず、自分達イプシ ロンへの見せしめでもあるとゼルは考える。 あの残酷極まりない殺し方。あの魔女が黒幕である事は明白だった。
−−知りすぎれば…貴方も奴と同じ目に…。
そんな未来は、想像するだけで恐ろしい。自分達は確かに皇帝陛下に尽くして きた。しかし自分達を率いるのはデザーム以外には考えられない。彼以外の下で 働くなんて考えたくもない。 ゼルは意を決して、ドアを叩いた。
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感情の、サクリファイス。