ひっくり返った空と大地。 逆さになった点と線。 この脚すらも証明できずとも。 この心だけは、嘘にしたくないから。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 1-3:花葬されし、追憶。
空は、晴れている。昨日の雨が嘘のように、真っ青な色が頭上に広がっている 。 残酷過ぎるほど、綺麗だ。世間はまるで何事も無かったかのように動く。当た り前のように夜が来てまた朝が来る。 それすらも、塔子にとっては恨めしい事だった。鬼道はもういないのに。彼の 時間は永遠に止まってしまったというのに。
−−一昨日の晩じゃないか。鬼道が死ぬ前の晩だぞ。あたし達、いつもみたいに 会話して…それで…。
月が綺麗で。ゴーグルを外してこちらを見つめてくれる鬼道の姿も、それ以上 に綺麗で。
『好きだ、鬼道。愛してるって意味で…あたしはあんたが好きだ』
自分は想いを、伝えた。何年越しになるかも分からない、恋を。叶わなくても いいと思った。ただ伝えておきたかったから、伝えた。だけど。
『これがその、答えだ』
鬼道は最高の答えを返してくれた。塔子にとっても−−多分鬼道にとっても生 まれて初めてのキス。優しい味だった。愛しくて愛しくて、抱きしめて離したく ないと、心からそう思って。 自分は改めて誓ったのだ。鬼道を護ると。もう二度と傷つけさせないと。なの に。 その翌日が彼の命日になるだなんて−−一体誰が想像しただろう?
−−護れなかったんだ、あたし。
あんな暗くて狭い場所で。ボロボロにされて棄てられていた鬼道。SPとしての 知識と経験は、否が応でも事実を塔子に見せつけた。彼がどんな形でなぶり殺し にされたのかも。
−−護れなかった。
SPフィクサーズのリーダー失格だ。 本当なら、現場でもっと冷静な判断を下すべきだった。少なくともあの光景を 、帝国メンバーに見せるべきでなかったのは明白である。 なのに、自分はそうしなかった。自分の感情で手一杯で、取り乱して。彼らを より傷つける結果を招いた。瞳子監督にもさぞかし迷惑かけた事だろう。
−−でもさ。仕方ないじゃん。大好きな人が、あんな死に方して。落ち着けって のも、酷い話だろ。
寝転ぶ河川敷。塔子は割とすぐ病院から解放された。取り乱した事は取り乱し たが、日頃の訓練の成果か落ち着きを取り戻すのも早かった。特に外傷があった わけでもない。 だがそうもいかないメンバーが数人。完全に気を失ってしまった円堂に春奈。 酷く錯乱した帝国メンバー。暴れた彼らを取り押さえて、ひっかき傷をつけられ た瞳子。 あとは吹雪も。思いの外取り乱し、パニック状態に陥ったので少しの間病院の 世話になる事になった。また、公に入院させられないが、レーゼがまた体調を崩 して倒れたので休ませる必要ができた。 事件の内容が内容だ。警察としても自分達にすぐ東京を離れられては困るだろ う。自分達が遺体の第一発見者なのも間違いないし。 結果。どうやらあと何日かは東京に留まるしかないと判断され、今に至る。
−−赦さない。赦すもんか…っ!犯人見つけたらブッ殺すだけじゃおさまんねぇ よ…っ!!
怒り。悲しみ。現実への絶望。自らへの失望。 それらがグルグル胸の内に渦巻き、今にも破裂しそうで。それが、怖かった。 技術的には−−自分はいくらでも他人を殺せる。それが複数の大人だとしても、 関係あるまい。 今の自分は−−感情に任せてそれをしてしまいそうで、恐ろしいのだ。力を持 つゆえの恐怖。自分で自分が分からない。だがどうすればこの闇を打ち払えるか も、見当がつかない。
♪〜♪♪〜
「!」
場の空気の重さとあまりに不似合いな、ケータイの着信メロディー。この音は ある人専用だった。慌ててポッケから携帯電話を取り出して通話ボタンを押す。
『…塔子』
聞こえてきたのは大好きな父の声。 『悪いな、急にかけて。…鬼道君の事、聞いたよ』 「……うん」 どうして。総理大臣なのだ、忙しくない筈がない。今日は確か大事な首脳会談 があったとかなんとか−− もしかして無理矢理時間を空けてくれたのだろうか。大事な人を失ってハンパ なく落ち込んでるであろう、自分を励ます為に。
「……何でこんな事になったのか、本当によく分かんないんだ」
考えて喋るのは最初からやめた。元より性分ではない。ただ思い浮かぶまま語 る事にしようと決める。
「あいつの事、本当に好きだった。どうしようもなく、好きだった」
零れるように、零すように。
「だからどうしようとか、そこまで欲があったわけじゃないんだ。あたしがあい つを好きなら良かった。そしたらあいつも応えてくれて、もっと幸せになった。 だから…一緒にいられたら、それで良かった筈なんだ」
紡がれるように、紡ぐように。
「ただ鬼道と並んで。円堂達と一緒に。サッカーしてられれば、それ以上に何も 要らなかったんだ…!」
だから。それを阻む物は全て排除しよう。その為に、彼を傷つけるすべてから 護ろうと決めたのだ。 分かっている。鬼道の為じゃない。結局全ては彼と一緒にいたい自分の為。自 分勝手なエゴに違いないという事は。 それでも。彼が笑ってくれる場所になれるなら、それで良かったのに。
『…人が死ぬっていうのは、そういう事だ。いなくなるっていうのは、そういう 気持ちなんだよ』
黙って聞いていた財前は、やがて静かに口を開く。
『塔子はまだ小さかったから殆ど覚えてないだろうけど。…母さんが死んだ時も 、そうだった。私もね…今の塔子みたいに泣いたし、悔しくて仕方なかったよ』
塔子は目を見開く。それは初めて聞く、父の本音。 父の言うとおり、自分は母親の事など殆ど覚えていない。小さい時、海外でボ ランティアに行った先で−−熱病にかかり、死んだという話は聞いているが。
『塔子の母さんは、誰かに殺されたわけじゃなかった。だけど私は恨まずにはい られなかったよ…世界を。とにかく何でもいいからこのやるせない気持ちをぶつ ける先が欲しかった』
分かる気がする。 悲しみを消す為に。怒りを紛らわす為に。何でもいいからその矛先となる何か が欲しい−−そんな気持ちは、今まさに塔子の中にくすぶっているものだ。
『復讐しても愛した人は帰らない。それは本当は誰だって分かってる。それでも ぶつけて、壊さずにはいられないのが人間。赤の他人に綺麗事を並べる権利なん かない』
復讐。まさにそれも考えていた事。 犯人が憎い。赦せない。法に触れると分かっていても殺してやりたい−−それ で何かが解決になるわけでなくとも、そう思った。 自分は人間で、それ以上でもそれ以下でもないから。 『私が正気を保てたのは塔子、お前がいたからだ。私が一時の激情に身を任せれ ばお前はどうなってしまうか。…お前の存在が私の理性を留めてくれた』 「愛する、存在…」 『愛とは誰かを慈しむ気持ち。貴ぶ気持ち全てを言う。お前を愛する人、愛して くれる人はたくさん要る筈だ。お前はみんなに愛される子なんだから』 愛。それは友愛や家族愛にも言える事。塔子は目を閉じる。たくさんの顔が浮 かんでは消えていく。 父や鬼道だけではない。雷門のみんな。SPフィクサーズのみんな。いつも自分 を影ながら助けてくれる大人達。 自分はたくさんの人に愛されて、此処にいる。
『その上で教えて欲しい、塔子』
父がしゃんと背筋を伸ばす気配。
『お前が一番やりたい事が、何なのかを』
そっと芝生から上半身を起こし、考える塔子。やりたい事。すべき事。一体、 何だろう。 『私は…塔子に、イナズマキャラバンを降りて欲しいのが本音だ』 「!」 『エイリアと関わり、エイリアの秘密に触れたせいで鬼道君は消された可能性が 高い。そして彼をあんな惨たらしく殺害した最大の目的は、お前達への見せしめ であり、警句だろう。我々に関わる者は皆こうなる…とな』 ぎゅっ、と携帯を握る手に力がこもる。鬼道は一人、真実に近付いていた。イ プシロンとの会話だけでも分かる−−多分彼はエイリア学園の正体をハッキリ掴 んでいたのだと。 だから消された。理屈は分からないわけじゃない。が、納得しきれない。 ジェミニストームもイプシロンも、数多く破壊活動を行った。それで怪我をし た者も少なくない。 けれど実際に試合してみて。また、記憶を失ったレーゼを見て感じたのは。サ ッカーをする彼らは内面的に見れば普通の子供となんら違いがないという事だっ た。 そんな彼らが、口封じと見せしめの為とはいえ鬼道を殺す? いや−−彼らは何も知らないのかもしれない。彼らの上にいる“エイリア皇帝 陛下”とやらが独断で、別の駒に命じた事ならば。
『塔子が強いのは分かっている。それでももし…塔子まで同じ目に遭ったら。そ う考えると…私はそれだけで死んでしまいそうなんだ』
でもね、と財前は続ける。
『それはあくまで、塔子に無事でいて欲しい私の願い。塔子の願いじゃ、ない。 だから…最終的な決断は、お前が自分で決めなさい』
いつも落ち着いている父の声が、微かに震えていた。本気で心配されているの だ。 当然かもしれない。チームメイトが、おそらくエイリアの秘密を知ったせいで 殺された。塔子は雷門の一員としてエイリアと戦い続けている。親として不安に ならない筈もない。 そしてその“愛”が当然である事の、なんと幸せな事か。鬼道と春奈のように 両親を早々に失ってしまった子供達がいて。木暮のように信じていた親に裏切ら れた子供もいる中で。
『私は、塔子が心で選んだ道なら…どんな道でも応援する。たとえそれが復讐だ ったとしても』
スッ、と眼を閉じて。一つ息をついて、塔子は自らの心に問う。一番やりたい 事は一体何なのか。一番望む事は何なのか。 死んだ大好きな人。 護れなかった約束。 心配してくれる父。 愛すべきたくさんの仲間達。 再び眼を開いた時、塔子の心は決まっていた。
「あたし…鬼道を殺した奴が、赦せない。今目の前に現れたら、殺しちゃうかも しれない」
せめて仇を討ちたい。それもまた紛れもない願いである。そのドス黒い感情を 、憎悪を、憤怒を、忘れる事なんてできるわけもない。 だけど気付いたのだ。それは多分−−一番やりたい事ではない、と。
「だけど…それ以上にあたし、真実を明らかにしたい。もうこんな事が起きない ように…エイリアを止めたい」
大好きな人達と、笑ってサッカーできる世界。その願いは鬼道を失って尚変わ ってはいない。 彼はもういないけど。もう抱きしめる事も、キスをする事も叶わないけれど。 彼の愛した世界は、此処にある。 愛する仲間達ね中で、生きている。 「あたしはみんなの世界を、あたし達のサッカーを護りたい。その為に、戦う。 立ち向かう!!」 『そうか』 父に申し訳ない気持ちがないわけじゃない。だが決めた。自分は父を、愛する 人達を裏切らない。 生きて生きて、生き抜いてやる。
「パパ、ありがとう」
塔子はジャージについた草をはらって、立ち上がった。やるべき事はたくさん ある。だから。
「あたしは、行くよ」
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決めたから、歩き出すと。