君の瞳の中に映ってた。
 少女は悲劇のヒロインだった。
 絶望して、動けなくなった。
 世界は停止したままだった。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
1-5:時計、さらさら。
 
 
 
 
 
 幸せとは、零れ落つ砂のようなものなのだ。僅かな時間であっという間に掌を
すり抜けてしまう。なくなってしまう。
 そしてどれだけ強く握りしめようと、掴みきる事は出来ないのだ−−春奈は今
まさにそれを実感しつつあった。
 キャラバンの中に今いるのは、春奈と木暮の二人だけ。別にキャラバンの中で
なくとも良かったのだが、とにかく今は一人になりたくて此処に来た。
 そしたらなんと先客がいて。そのままなんとなく二人で此処にいる。気を使う
でもなく、語り合うでもなく。
 口を開けば、虚しい傷の舐めあいになると感じたのかもしれない。言葉を発す
る為の気力すら、億劫だったのかもしれない。それでも二人は並んで、その場所
にいた。なんとなく握った手も離さないまま。
 
−−私、まだ夢なんじゃないかって思ってる。だからうまく、涙も出ない。
 
 ずっと離れ離れになっていた兄。兄というより、親のようにすら頼っていた唯
一無二の存在。
 かつてはそんな鬼道の心を疑っていた。連絡を貰えない虚しさと悲しさを、卑
屈に解釈して誤解した。帝国で傲慢にすら振る舞う彼を見て失望すらした。
 そして酷い言葉を投げつけて、深く深く傷つけた。
 
−−やっと、一緒にいられるようになったのに。笑えるようになったのに何で
 
 出来の悪い映画でも見ているかのよう。ああ、映画だとしたらとんだB級だ。
やっと和解できた兄妹が夢半ばで永遠の別れを−−なんて。くだらなすぎて誰も
感動できやしないだろうに。
 これが現実?そんな馬鹿な。
 きっと自分はまだ悪い夢を見ているのだ。パソコンに向かいすぎたのか雑用し
すぎたのか−−きっと疲れたのだ。だから爆睡しすぎてまだ目が覚めていないの
だ。
 そうだ、そうに決まってる。早く起きなきゃ。こんな馬鹿げた悪夢など見てい
る場合じゃない。マネージャーが寝坊したらみんな困るし、先輩達にも迷惑かけ
る。
 兄はきっと怒らないだろう。でもきっと、ちょっと苦い顔で笑って春奈を叱る
。昔からそう。自分が悪い事をした時はそうやって道を正してくれた。大好きな
お兄ちゃん。これからはずっと一緒にいられる。これからは−−。
 
「おまえ」
 
 木暮の、声。春奈は我に返り、声の主を見た。
 彼は青ざめて、だけどとても胸の痛くなるような顔で−−自分を見つめていた
。どうしてそんな悲しそうな顔をするの。春奈が尋ねるより先に、木暮が言った
 
 
 
「やめろよ。現実から、眼を背けるの」
 
 
 
 一瞬。
 世界が、停止した。
 まさか今の考えが全て口に出ていたのか。なんてこっぱずかしい−−いや、そ
れよりも。
 
「何、言ってるの。木暮君」
 
 何だろう。喉が、カラカラに乾く。
「これは夢でしょ。夢だと言って何が悪いの。いいじゃない別に。意地悪しない
でよ。ああ、今の木暮君も夢の中の住人だもんね。だから木暮君にとっては現
実みたいなもので
「いい加減にしろよっ!!
 ビクリ、と肩を震わせる春奈。絶叫に近い、怒声。木暮が本気で怒っているの
が分かる。大きな瞳には、凄まじいまでの怒りが煮えたぎっている。
 
「鬼道有人は!あんたの兄貴は死んだんだっ!!悲しいからってその事実を無かっ
た事にすんなっ!!
 
 どくん、と心臓が一つ大きな音を立てた。木暮の言葉が頭の中をぐるぐる回る
 死んだ。死んだ。誰が?
 
 
 
 アンタノ
 兄貴ハ
 死ンダンダ。
 
 
 
どうして」
 
 自分は今どんな顔をしてるだろう。きっと醜い顔に違いない。
 
「どうして、そんな事言うの」
 
 じり、と一歩木暮に近付く。まるで気圧されたように木暮は後退る。
 
「やっと、お兄ちゃんと仲直りできたの。やっと一緒にいられるようになったの
。やっと笑って貰えるようになったの。やっと私、ごめんなさいが言えたの。や
っと、やっと、やっとなのに
 
 ぐにゃぐにゃと目の前の景色が歪む。恐ろしい。恐ろしいのに思い出してしま
う現実。思い出させたのは目の前の、コイツ。
 
「何でっ!何で思い出させるのっ!!何で忘れさせてくれないのっ!?お兄ちゃんが
死ぬ訳ないっ死んだなんて嘘っ!!嘘嘘嘘よっ嘘に決まってるわっ!!
 
 ガシリ、と掌が華奢な肩の感覚を知った。気付けば木暮の小さな両肩を掴んで
、窓際に勢いよく押し付けていた。木暮が痛みに呻く。
 しかし怒りと、絶望と、気が狂い出しそうな悲しみに支配された春奈は、自ら
が何をしているかも分かっていなかった。
「これは悪い夢なのっ私が目覚めれば全部消えてる夢なの!お兄ちゃんがきっ
と私を起こしてくれるそしたらまた楽しい現実が待ってる!お兄ちゃんが、お
兄ちゃんが、お兄ちゃんがっ」
ふざけんなよ」
 ギリギリと凄まじい力で肩を掴まれる痛みに脂汗を流しながらも、木暮は鋭く
春奈を睨みつける。
 
「誰だって逃げたいさ。それ自体は悪い事じゃないさっ。だけどな、あんた
の兄貴は言ったぞ、待っていても都合のいいハッピーエンドなんか来ないって
!」
 
『チャンスが無いなら作ってみせろ。都合のいいハッピーエンドなんて、待って
いても訪れない。自分で創らない限りはな』
 
 蘇る言葉。それは漫遊寺で、鬼道が木暮に言ったものだ。
 あの夜、彼は確かに生きていた。そこにいた。そんな何日も前の話じゃない、
なのに。
 
「最後に立ち上がる為の逃げならアリかもしれない。だけど今のお前、ほんと
にただ逃げてるだけじゃん!いいのかよそれで?それで現実が何か変わるのかよ
お前の兄貴、生き返るのかよ!?
 
 黙れ、と叫んだ筈の喉は枯れて音にならない。木暮の肩を掴む手がブルブル震
える。ごき、と嫌な音がして悲鳴が上がった。漸く自分のしている事の重大さに
気付く、青ざめる春奈。
 その春奈に、木暮は容赦なくたたみかける。
 
 
 
「悲劇のヒロイン面すんなっ!悲しいのがお前だけだと思うなよっ!!どんなに否
定したってなあいなくなった大事な人は帰って来ないんだっ!!
 
 
 
 大きな目にいっぱいに涙をためて木暮が叫ぶ。その言葉が春奈を抉った。
 
 帰って、来ない。
 
「うあぁ
 
 ずるり、と滑り落ちる手。木暮が左肩を押さえてうずくまった。本気で痛いそ
うだ。やったのは、他でもない春奈。
 だが我ながら酷い事に、今は別の事を考える余裕がまるで無かった。理解して
しまったから。ハッキリ実感してしまったから。
 これは悪夢などではない。今こそが現実。紛れもない現実。
 鬼道は、本当に。
 
「あああああっ!!
 
 本当に、死んでしまったのか。何故だ。どうしてだ。どうしてこんな事になっ
たのだ。
 受け入れてしまった事実はあまりに重く、真実は残酷で。
 
「お兄ちゃっお兄ちゃぁんっうわぁぁぁぁっ!!
 
 泣き叫ぶ春奈は、キャラバンに乗ってきた第三者の足音にすぐには気付かなか
った。足音は通路を抜け、春奈と木暮のいる座席の前でピタリと止まる。
 そして、言った。
 
「顔を上げろ、春奈」
 
 強い口調での命令。春奈はぐしゃぐしゃの泣き顔で、その人物を見上げる。
 塔子が仁王立ちで、自分を睨みつけているのが目に映った。
 
 
 
 
 
 
 
 裏切られた、だの。失望した、だの。
 そう感じるのはお門違いと分かっている。鬼道とて何も望んであんな末路を辿
ったわけではないのだから。
 それでも吹雪は思ってしまった。
 
−−嘘つき。
 
 そう思った自分を、心底恥じた。
 
−−でも君は、言ったじゃない。自分はいなくなったりしないって。
 
 雷門中のグランドは、ほぼ葬式モードだった。一応練習時間にはなっているが
−−身の入っている者は誰もいない。何人かは私用や入院でいなくなってるし、
残ったメンバーも落ち込みが激しくて練習どころではなくなっている。
 吹雪もその一人に違いなかった。ベンチに座り、頭を垂れる。
 
−−ほら、見てよ鬼道君。
 
 思い出してか。栗松が鼻を啜る。それが壁山や目金にも伝染した。そのままあ
ちこちで嗚咽が漏れ始める。
 
−−みんな、泣いてるよ。君は雷門にとって本当の本当に、必要な人間だった
んだよ。
 
 元々帝国にいた鬼道。エイリアとの戦いが終われば帝国に戻るとも言っていた
わけで。
 それでも今や彼は雷門の司令塔であり、副将と言っても過言でない存在だった
。彼なしでは作戦は成り立たず、冷静に敵を分析し活路を見いだす事も出来ない
。そんな存在だったのだ。
 能力のみならず。彼にはカリスマ性があり、人徳もあった。気遣い上手な人柄
も、鬼道が皆に慕われる要因だっただろう。
 それがこんな形で失う事になって。これからどうすればいいのか。戦っていけ
るのか、彼なしで。そんな不安がありありと伝わってくる。
 
−−どうして、僕を置いてみんな死んじゃうんだろう。アツヤも鬼道君も僕な
んかよりずっと必要とされていたのに。
 
 これは罪なのだろうか。弱いくせに生き残った自分への、あまりにも重たい罰
 
−−やっぱり、そうなんだ。僕が完璧じゃないから護れないんだ。
 
吹雪」
 
 緩慢な動作で顔を上げる。染岡だった。彼は視線を泳がせて、吹雪を見る。な
んて一言を選ぶべきか分からないで困っている−−そんな表情だ。
ごめんね、染岡君」
!」
「鬼道君とは君の方が付き合い長いのに。辛いのに。気遣わせちゃって、ご
めん」
馬鹿野郎」
 染岡は吹雪の隣に座って、一言そう漏らした。
 
「どっちが辛いとかんなの、ねーだろが。俺にとってもお前にとっても大事
な仲間だった事に、代わりないんだからよ」
 
 彼なりにできる、唯一の慰めなのか。ぐしゃり、と頭を撫でられた。まるで子
供扱いだが、不快じゃない。
 その大きな手が思い出す。今まで自分の頭を撫でてくれた人達のことを。父に
母。そして聖也。頭を撫でてくれるような存在でなくとも、大切な人はたくさん
いる。白恋のみんな。雷門のみんな。
 だけど。大切なものが増えれば増えるほど、いつか失うその時が怖くなる。
 
人って、簡単に死んじゃうんだね」
 
 いなくなる。消える。
 全ては砂のようにすり抜ける。
 
『完璧じゃなくたって護れる物はあるさ。円堂を見ろ。あいつは完璧じゃない
から負ける。だけど何回だって立ち上がる』
 
 鬼道はあの晩、そう言った。でも。
 
その強さは、完璧な存在よりもずっと貴い物だと思う。安心しろ。俺達は
お前の前からいなくなったりしない。大事な仲間を置いていったりはしないさ
 
 結局、いなくなってしまった。完璧じゃない自分に護れるものなんて何も無か
った。
「みんな、いなくなっていく」
「んな悲しい事言うなよ!」
 染岡は叫び、うなだれる。
 
「言うんじゃねぇよっ畜生!」
 
 ああ、彼も悲しいんだ。みんな悲しいんだ。
 誰も、悲しみから抜け出せないのか。
 
 
 
お前ら、いつまでそうしてる気だ」
 
 
 
 はっとして顔を上げる二人。チームのみんなが同じ方向を見てる。
 土門と照美が、厳しい顔で立っていた。
 
 
 
 
NEXT
 

 

顔を上げた先に居たのは。