君の声。 祈る言葉。 優しい歌。 誰かの願い。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 1-7:魔法の、言葉。
瞳子は、考える。 自分が今すべき事を、何をすべきかという事を。
−−私は、取り返しのつかない事をしてしまった。
自分の監督責任だ。自分が鬼道を止めていれば。彼が真実に近付くのを防いで いれば。 いや、それ以前に、だ。 自分が彼らを巻き込まなければ。父の凶行を止めてさえいれば。
−−私には、あの子達を護る力さえ無いというの…?
無力感に、キリキリと心臓が痛む。鬼道有人。その主だったデータは瞳子の手 元にもあった。実力も頭脳も人徳も。優秀すぎるほど優秀な子だった。大人にな ればきっと、日本、いや世界のサッカー界をも背負って立つ人材になっただろう 。 それを自分が潰してしまった。自分に力が無かったから、気付かなかったから 。それが悔しくて仕方ない。
−−私は…本当にあの子達の監督でいていいの…?
そんな資格はない。あるわけない。そう思っていた−−でも。 自分の前に現れた雷門夏未は言った。瞳子に、これからも雷門を引っ張ってい って欲しいのだと。
『私も木野さんも…お見舞いに行った先で、円堂君の強さに教えられました』
夏未の眼は真っ赤だった。相当泣いたのだろう。それでも彼女は真っ直ぐ瞳子 を見据えて、告げたのだ。
『私達は…鬼道君が命を落としたからこそ。立ち止まる事は赦されないんだって 』
あとは監督が決めて下さい。 彼女はそう言い残し、瞳子の前から去っていった。
−−立ち止まる事は、赦されない…か。
それは紛れもなく正論。そもそも自分はあらゆる逃げ道を塞いで此処にいる筈 なのに。まだ心の何処かで退路を捜しているのだとすればとんだお笑い草だ。 鬼道の死は自分達全員の足を止めさせたが、同時に振り返る道を奪い去ったの だ。彼女達は瞳子よりも早くそれに気付いたのだろう。 たとえこの道の先に待つのが絶望だとしても。自分達は進むしか無いのだと。
−−私は…。
瞳子は、考える。
吹雪は、考える。 土門達が告げた言葉の意味を。これ以上喪わない為の百の方法を。
−−サッカーは、絆。サッカーが、いなくなってしまった人をも、生かしてくれ る。
ベンチに座り、ボールを抱きしめる。慣れ親しんだ優しい感触。丸いかたち。 それは湿った土の匂いがした。まるで雷門というチームが歩んできた長い道を示 すかのように。 自分は、弱い人間だ。 あの雪崩の日。愛する家族をいっぺんに失って、吹雪の世界は壊れてしまって 。彼らの死に狂う吹雪は孤独に耐えきれなかった。たとえ愚かな幻でも、一人き りでないという夢を求めてしまった。 大事な人を−−土門もまた、一時的にとはいえ失った事があったのだ。けれど 彼は自分のように、悲しい幻に頼る事はしなかった。一人でも立ち上がる手段を 見つけて、乗り越えたのだ。 それは照美も同じ。吹雪以上に過酷な境遇でありながら、前を向く天使。彼も 土門と同じくとうに気付いていたからこそ、フィールドに舞い戻ったのかもしれ ない。 愛した人は。彼らの愛したものの中で生き続ける。彼らの愛したサッカーの中 に彼らは存在し続ける。
−−だとしたら…僕のサッカーの中にもいるのかな。鬼道君の心も…アツヤの魂 も。
頭の上に、温かな重み。 「聖也さん…?」 「よぉ」 いつの間にか病院から戻ってきたようだ。円堂君に逢ったの、と尋ねると、今 日は遠慮しといた、と返事が返ってきた。
「土門の奴も強くなったよな。ま、あいつもいろいろあったしな」
ベンチメンバーとはいえ、聖也もフットボールフロンティアの頃から雷門にい る。きっと吹雪がまだ知らないメンバー達の秘密もたくさん知っているのだろう 。 今度聞いてみようかな、と思う。特に染岡の話が聞きたい。初対面の時はあれ だけ険悪だったのが、最近はやっと笑って話ができるくらいになったのだ。 コンビネーションもうまくいくようになってきた。同じFWとして話も合うし、 個人的には彼のように真っ直ぐなタイプは嫌いじゃない。一緒にいると楽しいし 安心するのだ。
「……昔な。俺に教えてくれた奴がいたんだ」
小さな頃と同じように。まるで幼子のように吹雪の頭を撫でてくれる聖也の手 。気恥ずかしいと思う年になってなお、彼に頭を撫でて貰うとほっとする。 自分の外見年齢も殆ど聖也に追いついてしまった。何年経っても子供の姿のま まの彼の年を、近い未来自分は追い越して大人になってしまうだろう。 それでも彼は。自分にとって二人目の、大好きなお父さんで。自分を救ってく れた恩人なのだ。
「人間はよ。望めば誰でも魔法使いになれるんだ。…奴は言ったよ。自分にとっ てサッカーは、幸せを叶えてくれる魔法なんだって」
サッカーが、魔法。それは吹雪が考えもしなかった、新鮮な捉え方。でも。
「素敵だね。その魔法」
サッカーをする事で、自分は幸せになれる。 サッカーをする事で、誰かを幸せにできる。 だとしたら。
「そうとも。俺達はいくらでも魔法が使えるのさ。そこに愛さえあったなら」
のぞき込むように、吹雪の顔を見る聖也。その眼は、慈しみに満ちている。
「その魔法で、お前はどうしたい?吹雪」
吹雪は、考える。
風丸は、考える。 もう戻らない時への償い方を。これから待っている未来への歩きだし方を。
−−やっと…本当の意味で理解できたかもしれない。あの時、鬼道が俺を叱って くれた意味。
グラウンドを吹く風は清々しい。ひんやりと頬を撫でるその冷たさが、自らの 頬を伝う涙を教える。 何もかも吹っ切るのは難しい。それに、神のアクアさえあればと願う気持ちが 消えたわけでもない。でも。 もう少しだけ。もう少しだけ頑張ってみてもいいのではないか。自分自身の力 でどこまでできるのか。何かを救う事が出来るのかを。 諦めるのはいつでもできる。 しかし諦めない事は、きっと今しかできない。
−−知らなきゃ、俺達は選択肢すら得られないんだ。
知らないからでは赦されない事もある。それは即ち、どんな事でも知る努力を 怠るなかれという彼からのメッセージ。 無論。足掻いたからといってたどり着けないものはたくさんあるだろう。願っ た真実にあと一歩のところで手が届かない事もある。やっと手にした真実が望ん だ答えであるとも限らない。 だけど人はは、知ろうとする事ができる。 知る為に歩むか、眼を背けて立ち止まるかは、選ぶ事ができる筈だ。
「…僕…やっと理解できたかもしれません」
風丸の隣で。宮坂が小さく笑む。 「どうして風丸さんが、このチームに入ったか」 「…?勘違いだったら悪いんだが…宮坂はフットボールフロンティアの時納得し てくれたんじゃないのか?俺がサッカーする事」 「ええ。納得しました」 でもそれ、違うんです。宮坂は少し恥ずかしそうに俯いて言う。
「それはあくまで…風丸さんがサッカーをする事であって。“雷門サッカー部で やっていく事”は、僕の中でまた別問題だったんです。サッカーをやる風丸さん はかっこよくて応援したいと思いました。でもその一方で僕は、サッカー部の方 々の事は恨んでもいました。…どんな理由であれ、風丸さんを僕達から奪ってい ったのは変わりないから」
それは意外な告白だった。まさかそんな風に思われていたなんて。申し訳なさ と罪悪感に襲われる風丸。 よくよく考えれば自然な事だったかもしれない。まるで陸上部を捨てるかのよ うにサッカー部に来てしまったのだから当然だ。 むしろ今まで恨み言一つなく送り出してくれた宮坂や速水には、本当に感謝し なくてはならないだろう。
「僕が此処に来たのは…風丸さんを助けたかっただけじゃなくて。風丸さんが選 んだ人達を、間近で見てみたかったからなんです」
眼を閉じ、穏やかな顔で、ほっと息をつく宮坂。 「来て、良かった。…あんな風に叱ってくれて、支えてくれる仲間がいて。やっ と安心できましたよ。土門さん達になら、風丸さんをお任せできます」 「宮坂…」 「って…すみません!こんな偉そうなことっ…」 あわわっ、と真っ赤になって慌てる宮坂があまりに可愛らしいので、風丸はつ い吹き出してしまった。 自分は、間違った事をたくさんしたかもしれない。これからも間違えるかもし れない。 だけど。
「ありがとう宮坂。俺…幸せ者だ」
ふと、気がついた。鬼道がああやって風丸を気にかけてくれた理由。それは自 分と彼がどこかしら似ていたからではないかと。 風丸は陸上部からサッカー部へ。鬼道は帝国から雷門へ。過去に後ろ髪を引か れて、過去を護りながらも、新しい道を歩んでいた自分達。 自分は彼ほど強くは生きれないけど。
「…頑張るよ。頑張ってみるから」
風丸は、考える。
そして、春奈は考える。 愛する人に恥じない生き方とは何か。大切なモノを護る千の方法を。
−−私…お兄ちゃんのいない世界で、幸せになる自信なんか、無いよ。
ずっと離れ離れだった時も。本当は大丈夫なんかじゃなかったのに、大丈夫な フリをした。いつも兄の姿を捜してしまう自分の依存症に気付いて、失望して、 絶望して、それでも無理矢理歩いてきたのだ。 生きてさえいれば。いつかまた大好きな兄に再会できる日が来る筈。それが春 奈にとって最大の希望だった。 加えて音無家の両親は本当に優しくて。ごく普通の一般家庭に小さな家だった が、血の繋がらない自分の事も本当に愛してくれた。二人の存在なくしては、兄 がいない場所で頑張る事など出来なかっただろう。
−−これは罰なのかもしれない。…お兄ちゃんが傷ついてる時も、のうのうと幸 せに生きてきた…私への。
そして、春奈の為に奔走してくれていた兄の愛情に気付かず、酷い言葉を投げ つけた自分への。 鬼道は許してくれると言った。だけど神様は、許してくれなかったのかもしれ ない。 だとしたら兄がその罰の巻き添えを食うのは、あまりにも割が合わないのだけ ども。
−−お兄ちゃんは、もういない。どんなに願っても、もう二度と逢えない。
その事実を胸の内で呟く。それだけでじわじわと滲んで来る涙。
−−これが夢ならどんなにいいだろう。でも優しい夢に逃げて私が狂ったら…お 兄ちゃんを悲しませちゃうのかな。
分からない。でも兄はきっと自分を愛してくれていたから。少なくとも、喜び は、しない。 まだ、幸せになる方法は分からない。兄が喜んでくれる方法も分からない。 だけど。これ以上不幸にならない方法と。兄を少なくとも悲しませない方法な ら、分かるかもしれない。
−−それはきっと…お兄ちゃんを…もう二度と死なせない方法。
涙を袖口で拭い、春奈は立ち上がった。
「…私にも、出来るかな」
いや。出来るか、ではない。きっとやらなくてはならないのだ。自分こそが。
「出来るかな。諦めないで、戦う事が」
春奈は、考える。
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想いよ、届け。