何度振り払われても。
 私は貴方に手を伸ばすから。
 どうか気付いて下さい。
 貴方は貴方の、本当の願いに。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
1-11:メラはまだ、羽根を持たず。
 
 
 
 
 
 まるで喧嘩を売るように掲げられた帝国学園の看板。蹴り飛ばしたくなる
のを理性で押しとどめて、円堂は入り口をくぐる。
 倉庫街を抜けると、暗い海に出た。愛媛の埠頭。そしてまるで自分達を待ち構
えていたかのごとく、海の中からそれは姿を現したのである。
 地元民が海坊主と勘違いしたものの正体。それは巨大な潜水艦であった。
 潜水艦が浮上してきた衝撃で大量の水しぶきが上がり−−うっかり逃げ遅れた
円堂はすっかり塗れ鼠に。ただでさえ斜めっている機嫌がさらに悪くなった事う
けあいだ。
 そうかこれも嫌がらせか!地味に腹が立つぞ影山!
 しかもいかにも金をかけてそうな最新設備満載の船とは。一般庶民に喧嘩売っ
てるとしか思えない。
 重たい音と共に開いていく入口。円堂は秋から受け取ったタオルで体を吹きな
がら、じっとその光景を見ていた。
 階段が降りてくる。まるで円堂を招待するかのごとく、丁度真正面に。
 
「久しいな、諸君」
 
 その低い声に。隣に立っていた照美が小さく肩を震わせたのが分かった。怯え
ているのかもしれない。円堂は迷わずその手を握った。
 照美の目が驚いたように見開かれる。円堂は力強く頷いてみせた。大丈夫だよ
、という意味をこめて。
 もう誰も、傷つけさせはしない。
 もう誰も、独りにはしない。
 
「お前達が来るかどうかは一種の賭だったんだがな」
 
 階段の真上から。自分達を蔑むかのように見下ろしてくる影山。
「やはり来た、か。逃げ出さないその勇気だけは讃えよう。ただ無謀なだけかも
しれないがな」
「逃げないさ、俺達は」
 円堂は男の、サングラスに隠れた瞳をひしと見据えて、ハッキリと断言した。
 
「俺達は逃げない。逃げ出さない。目の前にある現実からも、真実からも」
 
 何かを変えたいならば。
 救いたいならば。
 立ち向かうしか方法は無いのだから。
 
「俺達は知る為に来た。知って悪夢は終わらせてやる」
 
 ビシリ、と。一瞬、頭に亀裂が走ったかのような痛みがはぜる。フラッシュバ
ックする景色。散らばる茶色の柔らかそうな髪と、ぽっかりと何も移さない赤い
瞳。
 床に咲き誇る紅蓮の花の鮮やかさと、血の通わない素肌の青白さ。
 恐怖と絶望に染め上げられたその記憶に、円堂は歯を食いしばって耐える。辛
すぎる記憶。しかし、この感情を忘れてはならない。この悲しみを、そして怒り
を。
 未来を見る事の叶わなくなってしまった彼の代わりに、今自分達にできる事を
する為に。どんなに痛くとも円堂は自らの脳髄に刻みつける。
 鬼道が生きていた証として。その死を無駄にしない為の、意志を繋ぐ為の礎と
して。
 
「お前には聞きたい事がたくさんあるんだ、影山」
 
 あらゆる激情を押さえ込んで、円堂は言葉を紡ぐ。
 
「お前の最終的な目標は何なんだ。サッカーへを憎んでるのは知ってるさ。だ
けど世宇子中は敗れ、プロジェクトZは潰えた筈。その先に、お前が望むものは
何だ」
 
 もし。彼の憎しみの対象が特定の団体や個人であったなら。その復讐という底
の知れない闇にも、ゴールらしきものが見えたかもしれない。
 だが、彼の恨みの対象は、サッカーというスポーツそのもの。物理的にどうこ
うするにはあまりに幅が広すぎる。
 それとも最終的に、この地上からサッカーそのものを消し去る事が目的だとで
も言うのか?
 
「そういえば、お前達に直接話した事は無かったかな。まあ、君も君でいろいろ
知らされてはいるようだが」
 
 暗い笑みを浮かべて、影山。
 
「サッカーを誰より憎む私が、サッカー界の頂点に立ち支配する事。その為に、
常に勝利し続ける最高のチームを作り上げる事!具体的な説明をするならば、
そんなところだろうな」
 
 ちらり、と目線を、男は照美へと映す。照美はその眼を様々な感情で揺らしな
がらも、口を開いた。
 
気付いて、ました。貴方がサッカーを憎んでいる事も私達世宇子中もプロ
ジェクトZも全ては駒の一つでしかない事も」
 
 影山はサングラスごしに、かつての教え子たる天使を見る。照美は切なげに、
声を震わせて−−しかしハッキリと告げた。
 
「それでも不思議な話ですね。サッカーを憎んでいる貴方が私達に教えた破壊
の手段。なのに私はサッカーが大好きなんです。サッカーも貴方の事も。サ
ッカーは貴方と私達を繋ぐ、唯一の絆だったから」
 
 サッカーが、絆。その言葉に、何人かがピクリと反応した。吹雪に、聖也に、
春奈。
 円堂も思い出していた。まだ鬼道が雷門に転校して来る前に。彼の家に呼ばれ
て、話してもらった過去。
 両親が飛行機事故で亡くなって、春奈と二人だけで生きてきたこと。
 サッカーを始めたのは、顔もあまり覚えていない父の唯一の遺品がサッカーマ
ガジンであったからである事。
 そしてサッカーが−−亡き実父と自分を繋ぐ、唯一の絆だと思っていたからだ
と。
 照美もきっと、同じなのだ。
 彼がどんな経緯で影山に従う事になったかは分からない。でもきっと鬼道と同
じように影山を信じてきて−−鬼道以上に、影山という男を慕っていたのだろう
 もしかしたら本当の父のように思っていたのかもしれない。
 
「何度でも言います。貴方に届くまで、何度でも。たとえ敗北を知っても、神で
いられなくなっても、いつかこの身体ごと朽ちても。この命がフィールドで散
るなら本望です。サッカーが、大好きだから」
 
 影山に付き従った事で、その下でサッカーをした事で。仲間達を失い、自らの
命すら失おうとしている照美。
 しかし彼は強い心で言う。
 それでもサッカーが好きだと。それでも今の自分を後悔しないと。
 影山を怨みはしない、と。
 
 
 
「だから私は貴方と戦う。私はサッカーで、貴方を救ってみせる」
 
 
 
 憎しみは罪ではない。
 けれど女神は知っているのだ。
 世界を、誰かを救うのは憎しみではない。愛こそが幸せを齎す、唯一にして最
大の魔法であることを。
 
思い上がるな、墜ちた女神が」
 
 やがて影山は吐き捨てるように言った。
 
「かつて何度も告げただろう。私がお前に求めるのは勝利の美しさのみ。敗北は
醜いぞ。墜ちて汚れた醜悪な天使など、もはや何の用もない」
 
 照美は何も言わない。本当は傷ついたのかもしれないが−−きっとその言葉す
ら、予想の範疇にあったのだろう。
 くるり、と背を向ける影山の背を、待って!と呼び止めたのは春奈だった。
 
「お兄ちゃんをお兄ちゃんを殺したのは誰!?貴方はエイリアと繋がってるんで
しょう?なのにどうしてお兄ちゃんは殺されたの?貴方が指示したのっ!?
 
 それは多分、この場にいる全員が、最も聞きたい内容だろう。
 周囲の温度がすっと冷える感覚。円堂は緊張して、春奈と影山を交互に見た。
 
「鬼道の妹音無春奈か」
 
 影山は、春奈がユニフォームを着ているのに気付き、小さく笑みをこぼした。
それは失笑か嘲笑か苦笑か−−それとも別の意味合いでか。
 
「それ以上の事を知りたくば試合で私のチームを倒す事だ。来るがいい。お前
達を潰したくてウズウズしている奴らがお待ちかねだ」
 
 そのまま潜水艦の中へと消えていく。
 知りたければ力づくで奪い取れ、という事か。望むところだ。どちらにせよ試
合はするつもりでいる。そして負けるつもりもない。
「行こう!みんな!!
「おうっ!!
 円堂のかけ声と共に。一同は一斉に、潜水艦の中へ続く階段を駆け上り始めた
 
 
 
 
 
 
 
 実験室にて。パタン、と二ノ宮はカルテを閉じた。
 
「暫く吐き気と目眩が残るわ。多少熱も出るかもしれないし」
 
 意識を取り戻し、寝台から降りるデザーム。よろけながらも出口に向かう彼の
背中に、二ノ宮は声をかける。
 
「今日は練習も休んで頂戴。無理は禁物よ?いいわね?」
 
 デザームは青ざめた顔で一度だけ二ノ宮を振り返るも、返事をするのもきつい
のだろう。そのまま何も言わずに、部屋を出て行く。
 
「お大事にふふっ」
 
 二ノ宮はとうに気付いていた。漫遊寺での雷門との戦いから、デザームが自ら
の立ち位置や記憶に疑問を抱き始めている事を。
 鬼道が死んでからますます疑いを強めたようで、資料室にも頻繁に出入りして
いる。いずれ二ノ宮の正体にも辿り着くかもしれない。彼の明晰な頭脳にはマス
ターランクの三人ですら一目置いているのだから。
 
−−それはそれで面白いんだけど、ね。
 
 さすがに今すぐ、自分が黒幕である事を確信されては困るのだ。
 イプシロンにはもう少しばかり働いて貰わねばなるまい。しかしイプシロンの
面々は、エイリア皇帝陛下よりもデザームへの忠誠心が強い。デザームが万が一
離反するような事になれば、メンバーも迷わず着いていくだろう。
 それはちょっと面倒だ。イプシロンにはまだ利用価値がある。使い物にならな
くなるにはまだ早い。
 
−−気付いてるのかしらねあの子。仲間の事は鋭いのに、自分の事となると鈍
いんだから。
 
 ゆえに二ノ宮は、デザームへの生体実験を増やし、またそのレベルも今までよ
りハードにした。少しでも彼の思考時間と余裕を奪う為に。
 麻酔で眠らされていた彼は、自らの身体に何が埋め込まれて、どのようにいじ
くり回されたかも知らないだろう。今日一日に至っては全身の痛みやらけだるさ
やらで、実験内容を予測する余裕もないだろうが。
 
−−強かで、美しい子は好きよ。貴方はどんなに記憶をいじられても、根っこ
の部分では何も変わらないのね。
 
 思い出すのは、自分が吉良の元で働き始めた頃のこと。
 デザームと呼ばれるようになる前から、年長者の彼は子供達の兄貴分で、リー
ダー各だった。現イプシロンのメンバーは勿論、ジェミニなどの子供達にも本当
に慕われていた。
 特に、ゼルとレーゼが懐いていて。デザームも彼らを実の弟のように可愛がっ
ていたようだ。
 だから。レーゼが生体実験の最初の犠牲者になった時−−彼は我が身を顧みず
抗議しに来て。本来はグラン率いるガイアの一員になる筈だったのに、地位を降
格され、レーゼ以上に過酷な実験に晒される事になったのだ。
 
−−勿体無いわね。あの馬鹿な正義感かえなければ、完璧なダイヤモンドになれ
たのに。
 
 そしてまた。そのくだらない正義感のせいで、知らなくてもいい秘密に触れ、
その身を滅ぼそうとしている。本当に勿体無い事だ。
 
「まあ、こっちも精々楽しませて貰うわ。素敵な玩具が壊れるまでね」
 
 そろそろ、いい頃合いだ。
 二ノ宮はモニターを操作する。エイリアの子供達の身体には盗聴機に小型カメ
ラに放射性マーカーに至るまで、様々な仕掛けが埋め込まれている。
 レーゼも、エイリア学園出身の不動も例外ではない。
 
「上手に踊ってみせてね可愛いボウヤ達」
 
 もうすぐ真帝国学園と雷門の試合が始まる。試合が終わったら自ら挨拶に出向
くのも悪くはない。
 愚かな魔女の謙族に見せてやろうではないか。
 自らが描く、最高のシナリオを。
 
 
 
 
NEXT
 

 

一瞬映るの、貴方の笑顔が。