さあさ、思い出してご覧なさい。 貴方を生かすのは誰かしら? さあさ、忘れないで頂戴な。 貴方を殺したのは誰かしら?。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 1-23:災禍の魔女、降臨。
試合は、終わった。しかしこの場所の状況はといえばまさしく死屍累々。脚を 完全にやられてしまった染岡は立つ事もままならず、吹雪、一之瀬も満身創痍。 他のメンバーも疲労困憊といった様子だ。 照美自身も、何度もラフプレイを受けたせいで、全身傷だらけである。何より 元々体調が思わしくないのだ。体力は限界に来ていた。 だが最も怪我が誰かと言えば語るまでもない。這うように佐久間の元へ辿り着 いた源田はそこで気力体力を使い果たし、佐久間はといえば源田に抱きすくめら れたままピクリとも動かない。 このまま放置すれば命が危ないのは明白だった。
−−やっと彼らは…大事な事を思い出せたのに。
照美は全て見ていたし聞いていた。源田の叫びも、佐久間の涙も。彼らは雷門 と春奈の強さに触れ、やっと悪夢から醒める事ができたのだ。自分と同じように 。でも。 醒めた先もまた悪夢だなんて、悲しすぎる。
−−駄目だよ。君達は…死んじゃ駄目なんだ。
『完璧じゃなくたって…護れる物はあるさ』
思い出すのは、あの晩の鬼道の言葉。思えば自分に、立ち上がる事こそ強さだ と最初に教えてくれたのも、彼だった。
−−大切な物があるなら、生き抜かなきゃ。
彼らは知る由も無い事だが。鬼道は佐久間達とだけでなく、自分と吹雪との約 束も破っていった。それは無論本人の意志でも彼の咎でもないけれど。 彼は自分達を必死で護ろうとしてくれたのに。命を落とした事が契機で佐久間 と源田を護る事ができなかった。誰が悪いわけでもない、それは結果論であると しても。 護りたいモノがあるなら、どんなに辛くても生きるしかない。生きる事が死ぬ 事より遥かに辛いとしても。それは照美が誰より今痛感している。 よろけながら立ち上がり、彼らの元へ向かう。視界の端で、瞳子が電話してい るのが見えた。おそらく救助を呼んでいるのだろう。 自分に出来る事は精々、二人を助け起こす手伝いをする程度だろうが。何かを せずにはいられなかった。見殺しになんて、出来る筈もないのだから。
−−もうこれ以上、誰かが死ぬのは見たくない。
断片的な記憶。世宇子の仲間達の最期の笑顔と、繋いだ手の感触。宙に放り出 された時の、潮風の冷たさと、水底でもがくいくつもの手。 そして鬼道が死んだと聞かされた時の、胸を抉るような痛み。
−−そしてもうこれ以上…あの人を、人殺しにしたくない…。
もしこのまま佐久間と源田が死んだなら。それは間接的にとはいえ、影山が殺 した事にもなる。 過ちを繰り返したのはお互い様で、今の自分にそんな事を言う資格は無いのか もしれないけれど。 あの人を、救いたい。影山にもうこれ以上、罪を重ねて欲しくない。
−−だってあの人は私にとって、たった一人の…。
その時だった。 突然、空気の密度が上がったかのような−−奇妙な感覚。暗い色の霧が立ち込 めて、空間がぐにゃりと歪んで−−ああそうだ、まるでエイリアが現れた時のよ うな。 違うのは。歪んだ空間の隙間に、黒い蝶が舞踊りだした事。その蝶が集まり、 やがて人の形を成した事だ。
「面白い余興、見させて貰ったわ」
カツン、と真っ赤なヒールが鳴った。
「ま、こんなもんかしらね。貸し与えたエイリア石も純度の低いものだったし。 期待して無かった割には、収穫もあったし。恩に着るわ、影山センセイに不動ク ン?」
それは、真っ赤なドレスに、真っ赤なルージュをひいた一人の女だった。 焦げ茶のおかっぱ頭に、血のように紅い眼。年は二十代後半くらいか。背の高 い妖艶な美女、と言ってもいい。だがその美しさは見る者に畏怖と、不快感すら 与えるもの。 この場に似つかわぬ、喜悦に満ちた笑みがそう思わせるのか。あるいはその鼻 につく甲高い声のせいか。 女は影山を見、不動を見る。なんとあの二人が、驚愕に凍りついているではな いか。一体何者なのか。いや、そもそも今、一体どうやって現れた? その場違いすぎるドレス姿といい、その様はまるで−−。
「貴方の役目も、ここまでね。源田クン?」
源田に向けて、麗しく微笑んでみせる女。源田は佐久間を抱きしめて振り向き 、真っ青な顔で女を見ている。 役目?どういう事だ。源田は彼女の事を知っているのか? やがて戦慄くように、源田の唇が開かれる。
「二ノ宮、蘭子…!!」
掠れた声だったが、ハッキリと聞こえた。 二ノ宮?二ノ宮と言ったか?
『下手な興味で…我らの領域に踏み込まない事だ。さもなくば命の保証はない。 …あの残酷な魔女が、嬉々として貴様を喰らいに来るぞ』
『そいつは二ノ宮様の貴重な実験体だ。我々に引き渡して貰おう。逆らった場合 命の保証はない』
魔女。二ノ宮。 カゼルの言葉と、洗脳されていた真帝国学園の子供達の言葉が、照美の脳裏に 蘇る。 まさか、この女が?
「お前が…エイリア学園の二ノ宮って奴か…!?」
風丸がハッとして声を上げる。そのすぐ隣では、源田と同じく顔面蒼白になり 、宮坂に支えられているレーゼの姿が。 女−−二ノ宮は、その風丸に笑いかける。無邪気に、しかし何処かネジの外れ た笑みを。
「あら可愛い子。あたしのお気に入りの玩具と並ぶと映えるわね。…いいわ、自 己紹介してあげる」
玩具ってレーゼの事か?その言葉だけで一気に皆の不快感を最高レベルに押し 上げておきながら、女は平然と話を進める。
「あたしの名前は二ノ宮蘭子。エイリア皇帝陛下の側近の一人よ。陛下直属の親 衛隊の隊長をやらせて貰ってるわ」
その二ノ宮に向けて、真っ青な顔で叫んだ人物がいた。 不動だった。 「ちょっと…ちょっと待ってくれよ二ノ宮様!!何で此処にアンタが来るんだ!?そ れに期待してなかったって…そんな…」 「あら、本当に何も気付いて無かったの?意外〜」 二ノ宮は目を丸くして、嘲りに満ちた声を出す。 「貴方は独断で影山センセイを脱獄させて、エイリア石を持ち出して…計画を進 めたつもりみたいだけど、違うのよ?貴方が先走るように仕向けたのは全部あた し達。貴方の目の届く所に資料を並べてあげたり…力の弱くなってきたエイリア 石の欠片を盗み出しやすくしてあげたり」 「な…何だと…?」 「嫌ぁね、あれだけお膳立てしてあげたのに分かってないなんて!!期待されてる とでも思ったの?ジェミニストームから外された…失敗作でしかない貴方が?き ゃははははっお笑いだわ、傑作だわぁ!!」 「な…ぁ…っ!?」 不動の顔が紙のように白くなる。耳障りな二ノ宮の嘲笑。それは自分達に向け られたものでもないのに−−どうしてこんなに嫌な気持ちになるのだろう。 今の会話だけで、何となく理解した。不動はエイリア学園の人間であり、元々 はジェミニストームのメンバーだった事。独断で影山を脱獄させ、真帝国を築い たつもりでいたが−−違っていた事。
「貴方なんて最初から捨て駒よ。あたし達の掌で無様に踊ってただけなのよ!だ からこそ色々協力してあげたわけ。そこの佐久間クン源田クンを引っ張ってくる 時だって…ねぇ?」
がくん、と膝をつく不動。
「俺が…俺が失敗作?捨て駒?あの方がそう言ったのか…?あの方が…?あ…あ ああああっ!!」
絶叫し、頭をかきむしる。壊れた、胸を抉る声で泣き叫ぶ。自分達には詳しい 事など何も分からない。ただ、彼が“あの方”の為に何かを成そうとしていて、 しかしたった今その全てを失ったのだと−−それだけは理解する事が出来た。
「不動クンは、素質はあるけどまだまだダーメ。これで分かったでしょう?魔術 師の端くれといえど、真の魔女と魔法の前には無力だって事が」
魔術師に、真の魔女に、魔法。この女の言う事はまったく訳が分からない。 −−いや、今はそれ以上に気になるワードがある。佐久間と源田を引き入れる のに彼女が協力した−−という言葉。そのせいだろうか。あの凛々しく冷静だっ た源田が、あんなにも怯えているのは。
「名前だけでも思い出せるだなんて…さすが、貴方はモノが違うわね。そっちの 玩具とは大違い」
一歩、源田に近付く二ノ宮。本当は後退りたいのだろう。しかしもはや身体は ボロボロな上、瀕死の佐久間を抱きしめている源田は動けない。 「ね…それ以上も思い出して頂戴。あたし達が初めて逢ったのは、何処だったか しら?」 「い……嫌…」 ガタガタと、幼い子供のように震えている源田は、絞り出すようにそれだけを 紡ぐ。
「嫌…嫌だ…っ。思い出したくない…!!」
その様子に。二ノ宮は機嫌を損ねるどころか、ますます悦びに満ちた笑みを浮 かべる。怯える少年の頬に指を這わせ、その指がすっと下の方に降りていく。 真っ赤なネイルの指が、厭らしい仕草で彼のきめ細やかな肌を這う。だが不快 感より恐怖の方が圧倒的に勝るのか、少年は震えて硬直するばかり。 首筋をなぞり、やがては源田の胸の中心をまっすぐ指差して止まる。
「…雷門の子達は、優しいわね。教えてくれなかったのねぇ…鬼道クンが殺され た日、佐久間クンの携帯から呼び出されてたって事」
源田の眼がさらに大きく見開かれる。 駄目だ、と照美は思った。本能的にだ。それ以上言うな。それ以上語るな。 それ以上は、聞いてはならない。
「さぁさ、思い出してご覧なさい…貴方達の身体を貫いた、その傷を」
女が謡うように紡いだその瞬間。源田の背中から突然−−真っ赤な血が噴き出 した。マネージャー達から悲鳴が上がる。その血は照美の頬にまで飛んできた。
「げ、源田君…っ!?」
がくん、と力を失い、源田の身体が横倒しに崩れ落ちる。ひゅーひゅーと木枯 らしのような息が聞こえる為、まだ彼が生きている事こそ確かだが−−。 グラウンドに、みるみる紅い海が広がっていく。見れば佐久間の胸や頭からも 、じわじわと紅が染み出してきている。 何だ!?一体何が起こったのだ!?
「さぁさ、思い出してご覧なさい…」
指についた源田の鮮血を美味しそうに舐め上げて、二ノ宮はさらに残酷な言葉 を続ける。
「“あの日”、愛媛で何が起きたのかしら?“その後”、東京で貴方達は何をし たのかしら?そして帝国で…何を見たかしら?」
心臓がまた、雷鳴の如く大きな音を立てた。 愛媛。東京。帝国。 鬼道を呼び出した佐久間の携帯電話。確かに自分達はそれを、知っていた。だ が偽メールを送る方法が無いわけでなく、鬼道と直接佐久間や源田が話したわけ でもない。 だから照美も考えなかった。否、考えないように、していた。 彼らが本当に、あの事件に関わっているだなんて。
「さぁさ思い出して…思い出してご覧なさいよぉっ!!」
二ノ宮の顔に、醜悪に歪んだ笑みが浮かんだ。
「貴方達の大好きな大好きな鬼道クンを殺したのは…一体だぁれ!?」
バキリ、と空間に罅が入ったかのような錯覚。瀕死の源田がカッと目を見開い たまま−−絶叫した。 魂を引き裂くような、声で。
NEXT
|
そして、破滅は始まった。