墜落するのは私の心。 放たれたのは狂気の弾丸。 ただ、救けたいと願ったの。 その何処に、罪が在ったと云うの。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 1-24:真実は、刃の如く。
話は−−十日以上前まで遡る。 源田はその日、佐久間と共に愛媛に調査に来ていた。脱獄したという影山の真 意を探り、その野望を食い止める為。そしてこれ以上鬼道に負担をかけない為に 。 埠頭に何かがある。そこまで調べたものの、それ以上辿り着くより先に影山の 手の者達に見つかってしまった。即ち影山の手下達と、不動率いる真帝国学園の 生徒達にだ。 持ち前の体力を生かして、逃げ回る二人。しかし、向こうは数で攻めて来る。 市街地まで逃げ切るより前に−−。
『見ィつけた♪』
不動に、発見され。あっという間にエージェントと真帝国の子供達に包囲され てしまった。手首を捕まれ、口を塞がれては悲鳴も上げられない。 自分達はこのまま捕まってしまうのか。また影山の奴隷にされてしまうのか。 源田の脳裏をよぎったのは、最悪の想像。自分達を手の内に収めた影山が次、 どんな行動に出るかは容易く知れた。 影山は異常なほど鬼道に執着している。きっと自分達を人質に鬼道を脅迫する だろう。そしてまた、鬼道が影山の支配下に置かれるような事が起きたら−−。
−−駄目だ…絶対に駄目だ、そんな事…!!
また同じ悲劇が、繰り返されてしまう。 思い出すのは、影山の虐待と圧力に耐え、ボロボロになっていった鬼道の姿。 自分達はいつもそんな彼を見ているだけで、何も出来ずにいて。 彼の力になりたくて此処にいる筈なのに、これではまた鬼道の足を引っ張って しまう。やっと影山から解放されて、前を向いて歩けるようになった彼の。 それだけは避けなくてはならない。そう思ったのは源田だけではなかったよう だ。この命に代えても、影山に囚われるのだけは避けなくてはならない−−と。
「ぐぁっ!!」
悲鳴が二つ上がった。佐久間に手を噛まれた男と、源田に思い切りタックルを くらった男の。
「に、逃がすかっ!!」
暴れに暴れる二人に、伸びてくる幾つもの手。大人の手に子供の手。それを必 死で振り払わんと抵抗を続ける源田達。 がむしゃらに暴れて、やっとその群集から抜け出して−−走り出そうとした、 その時だった。
ガンッ!!
源田のふらついた体が、勢いよく何かにぶつかる。それは倉庫街に積まれた、 鉄骨や角材。本当はしっかり縛って置いておくべきところを、責任者がいい加減 だったのか乱雑に積み上げられていただけだった。 それが災いした。 ぶつかった拍子にバランスが崩れ−−それらが源田の上に、土砂崩れのように 落ちてきたのである。
「源田ぁっ!!」
ドンッ!と背中にタックルをくらって、源田は転がった。轟音。衝撃。激痛。 ああその時のショックをどう説明すればいい−−手を縛られていたせいで受け身 をとる事も叶わず、その少年は悲劇の成すがままだった。
「う…ぐ…っ」
背中と胸が、焼け付くように痛い。それでもどうにか少しだけ身体の向きを変 えて、後ろを振り返った。 そこには滅茶苦茶に崩れ落ちた鉄骨と角材の山が。酷い有様だ。多分真帝国の 奴らは逃げ出したのだろう−−いなくなっている。 立ち上がろうとして、脚がおかしい事に気付いた。
「−−ッ!!」
右の脹ら脛まで、角材の山に埋もれている。いや、それだけじゃない。源田は 見た。自らの頭から、身体から、勢いよく滴る紅い滴を。 そして理解した。背中に何本も、細い鉄骨が突き刺さっている事を。 ひきつれた悲鳴が喉から絞り出される。押し寄せる激痛の波の中、どうにか佐 久間の事を思い出す。自分のすぐ側にいた彼は何処に−−。
「あ…」
いた。見つけた。
「ああ…あぁぁ…」
見つけて、しまった。
「あああああああああっ!!」
重たい角材の一番下から。褐色のほっそりとした腕と、水色の髪が覗いている 事を。 その下からじわじわと真っ赤な海が広がっていく事を。 まさか、さっきの体当たりは。佐久間は自分を庇って、あの下敷きに−−あれ では、もう。
−−何でだ…何でだぁぁっ!!
叫ぶ事は出来なかった。源田はガハッ、と大量の血を吐いた。急速に身体から 力が抜けていく。源田の周りも血の海だった。その中に、ダイブするように沈み こむ身体。 どうしてこんな事になってしまうのだろう。自分達は何を間違えたのか。こん な所で。こんな惨めな死に方をしなければならない?どうして? ただ、鬼道の役に立ちたかっただけなのに。ただ、普通に、当たり前のサッカ ーをしたくて−−ただそれだけで。
−−…鬼道は…いつも俺達の前じゃ涙なんか見せなかったけど。
緩やかに霞みがかっていく意識の中、源田は思う。痛みすら薄れつつあるとな ると、これはいよいよマズいのだろう。真帝国の奴らが救急車を呼んでくれると は到底思えない。 このまま自分達が死んだら。そしてそれを鬼道が知ったなら。
−−泣かせてしまうだろうか。そんなの…嫌、だな。
嫌だけれど、もはやどうしようもない。源田の思考が諦めに落ちようとした、 その時だった。 災禍の魔女が−−現れたのは。
「お生憎様ねぇ。数ある運命の中から、最も残酷な道を選んでしまうだなんて。 これも必然かしらね?」
源田の視点からは、真っ赤なヒールを履いた足首までしか見えなかったが。 女が目の前に立っている事だけは、分かった。
「……誰…?」
血に塗れた唇で、どうにかそれだけを絞り出す。掠れた小さな声だったが、女 の耳には届いたようだ。
「あたしは魔女。最も残酷にして偉大な、災禍の魔女よ。この世界での名前は、 二ノ宮蘭子」
くすくす。女は笑っているらしい。
「ねぇ貴方…望みはある?あたしは魔女だから、叶えてあげられるかもしれなく ってよ。代価はきっちり貰うけどね」
魔女。その言葉を馬鹿らしいと笑う気力など、源田には残されていなかった。 魔女だろうと悪魔だろうと人間だろうと−−何でもいい。 望みを、叶える。その言葉に源田は縋ってしまった。それこそ、藁をも掴むよ うな心地で。
「助け…て…」
助けて。お願い、助けて。
「さくま、を…たすけて…」
自分のせいで、彼が死ぬような事があってはならない。自分のせいで誰かが傷 つくのを見るのはもうたくさんだ。 自分が生きたくなかったわけじゃないが。源田が何より最初に願ったのは、そ れだった。 魔女に助けを求める事が、どれほど危ない賭かも知らないで。
「…いいわ。助けてあげる。佐久間君も…貴方もね」
急速に視界から光が失われていく。ブラックアウトの寸前、最後に拾ったのは こんな言葉だった。
「ただし…貴方達は今日からあたしの玩具にして駒よ。あたしの為に働いて貰う わ…壊れるまでね」
「げ…源田と佐久間が…死んでいただって!?それも鬼道より先に!?」
土門の驚きの声を、どこか遠い場所で聞く。 源田はガタガタと震えながら、両手で自らの肩を抱いていた。 そうだ−−“思い出した”。 この背中の傷は、あの時降ってきた鉄骨によって負ったもの。自分はあの場所 で命を落とした筈だ。佐久間と、一緒に。
「どういう事…?二人が死んだなら、今此処にいる源田君達は何だっていうの…!? 」
ベンチから、夏未が叫ぶ。二ノ宮は飄々と、そしてあっさり言い放った。 「生き返らせたのよ。私の魔法でね」 「ば…馬鹿な…!!そんな事あるわけ…」 「無いって言い切れるの?証拠は?」 「…っ!!」 言葉に詰まる夏未。そうだ、自分も佐久間も魔法など信じて無かったのだ−− そんなモノ有るわけがない、と。 あの日実際に、自分達が生き返るまでは。 あれだけの傷。仮に生き延びても、相当長い間治療が必要だった筈。ところが 源田と佐久間が目覚めたのはその翌日で、負った筈の怪我は綺麗さっぱりなくな っていたのだ。
「悪魔の証明…か」
一之瀬が苦い顔で呟く。 「悪魔が“いる”事を証明したければ、実際に悪魔を連れて来れば済む。だが悪 魔が“いない”事を証明するのは遥かに難しい…」 「頭がいいのねボウヤ。その通りよ。悪魔の証明は、魔法にも当てはめる事が出 来るのよね。尤も、人間は頭が堅いイキモノだから…実際に魔法を見ても、簡単 には信じようとしないのだけど」 少なくともこの場で魔法が“存在しない”事を証明するのは不可能に近い。そ ういう事だ。
「この世に“有り得ない”事は“有り得ない”の。覚えておきなさい」
二ノ宮はにっこりと笑う。衝撃的な話を語るにはあまりに不似合いな笑顔で。 源田の心を、あまりにも重たい恐怖が塗り潰していく。自分達は死んだ。それ なのに生き返った。 だが本当の問題は−−ここから先なのだ。消されていた記憶の恐ろしさに、言 葉も出ない。そうだ、自分は全て見ていた筈なのに、忘れさせられていた。 あの魔女の手によって。
「…さて大事なのは此処から先。佐久間クン源田クンをスカウトするように不動 クンに命じたのはあたし。でも不動クンは、大事な大事な人材を殺してしまい、 あたしの手を煩わせたわ」
ビクリ、と膝をついた不動の肩が震える。
「まあその時点で…お役御免にされても仕方なかったんだけど?あたしってば優 しいから、ちょっとだけ挽回のチャンスをあげたのよ」
二ノ宮はポケットから何かを取り出して掲げる。それは携帯電話だった。ベー ジュ色の、auの最新機種−−源田には見覚えがあるものだった。
「コレ、佐久間クンの携帯電話。不動クンに、盗んでくるように命令したの。何 に使うかまでは教えてあげなかったけどね」
そうだ。佐久間の携帯。買い換えて半年程度しか経っていないのに、真帝国学 園に来てすぐ紛失したと大騒ぎになったのだ。 まさか。二ノ宮が不動に盗ませていたとは。
「もう分かるわよね?そうよぉ、あたし。あたしがあの日帝国学園に、鬼道クン を呼び出したの」
悲鳴にならない悲鳴が、あちこちから上がった。 鬼道を、あの倉庫に呼び出した携帯を、二ノ宮が持っていた。それはつまり− −。
「あたしは最後にトドメを刺しただけ。でもずーっと見てた。見てたのよ…教え てあげましょうか?」
ニィ、と。まるで口裂け女のように−−真っ赤なルージュが凶悪につり上がる 。狂気と、快楽と、喜悦を最悪の組み合わせで掛け合わせたような−−そんな笑 みの形に。
「ずーっと見てたわ。 待ち伏せに気付いたあの子の驚愕に染まったカオも。 いきなり蹴り飛ばされて、軽く吹っ飛ばされちゃったところも。 腕を叩き折られて悲鳴をあげるところも。 肋骨を一本ずつ叩き折られていくところも。 男達に滅茶苦茶されて、涙を必死に堪えるところも…」
やめて。 もうやめてくれ。 それ以上、言わないでくれ。
「その中に大好きな仲間の顔を見つけて、その顔を絶望に染め上げるのもね…!! 」
源田は頭を掻き毟り、絶叫した。 そうだ。そうだ。そうだ。 望んでなどいなかったのに。
自分達が、鬼道を殺した。
NEXT
|
そして、惨劇は起こった。