さよならと言えば君の 疵も少しは癒えたでしょうか。 逢いたいよ、と泣いた声が 今も僕に響いています。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 1-26:終末の、ラプソディア。
嗚咽が響く。源田が泣いている。血の海の中、佐久間を抱きしめたまま、瀕死 の体で弱々しく涙を流している。 他の者達は、涙さえ流す事が出来ない。あまりにも衝撃的な話に。あまりにも 惨たらしい真実に。
「愉しかったわぁ。あそこでこの子が殺ってくれたら最高の作品だったのに。ま さかあの程度でクラッシュするなんて…おかげで記憶は消さなきゃいけないし、 二度手間だったわ」
二ノ宮の笑う声を、塔子はただ呆然と聞く。脳がまだ、事実を受け付けてくれ ずフリーズしているのだ。
「で、仕方ないから、あたしが情けをかけてあげたわけ。気持ち良かったわよ… 刃が肉に食い込んでいく感触!直に伝わる、弱々しい鼓動!!…あれは何回繰り返 してもクセになりそう…っ!!」
女は醜悪な笑みを浮かべて、嬉々として自らの殺人を語る。 この女が、全てを壊した。 源田と佐久間の死の原因を作り、影山を煽り、源田達の意志をねじ曲げて弄び 、彼らを惨劇に無理矢理荷担させて。 彼らから、自分達から。 鬼道を永遠に奪い去った。
「−−ッ!!」
怒りと憎しみで、一気に目の前が真っ赤になる。この女が全ての元凶。この女 がこの女がこの女がこの女がこの女が!! これほどの激情を、十四年の人生で味わった事があっただろうか。
「やっぱり…全ては貴様の仕業だったのか…」
しかし。 塔子が持っていた銃を抜くより先に。
「ブッ殺してやるッ、アルルネシアァァァァァ−−!!」
誰よりも冷静に見えた、聖也が。 絶叫と共に、二ノ宮に踊りかかっていた。
ガキィンッ!!
聖也がどこからともなく取り出した、鍵のような形の、赤と青二本の剣。それ は二ノ宮の寸前で、見えない壁のようなものに阻まれた。
「殺してやる…殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるッ!!てめぇだけは赦 さねぇ…一度殺すだけでも飽き足らねぇっ!!」
修羅の形相で、力任せに剣を震う。行き場の無い殺意を叩きつけるように。 しかし二ノ宮は涼しい顔だ。
「生きたまま腸引きずり出して食ってやるっ…死んだらまた生き返らせて、何万 回だって殺して…無間地獄に叩き落としてやるっ!!」
聖也の怒声と雰囲気の恐ろしさに、誰もが声をなくしていた。飛びかかる寸前 だった塔子ですら。 いつもおちゃらけて、お馬鹿で、鬼道が死んだと聞いた時も冷静に皆を慰めて いた彼が−−こんな姿を見せるだなんて。 それに−−アルルネシア? 二ノ宮の事だろうか。
「その名前を知ってるって事は…なるほど、貴方キーシクスね。あまりにも力を 感じないから気付かなかったわ」
小馬鹿にしたような顔で言う二ノ宮。 「無様ねぇ…かの終焉の魔女、キーシクス卿ともあろう人物が、そんな惨めな姿 になっちゃって。あたしを追って来たのかしら?干渉値を護る為に、ガチガチに 能力を制限した貴方なんか…怖くもなんともないわよ?」 「黙れメス豚がぁっ!!」 聖也が吼える。憎悪に満ちた凄まじい形相で。
「何故だっ…何故あいつらを巻き込んだ!?何故鬼道を殺したっ!!あの子はやっと …やっと自由になれたんだぞ…っ。やっと願いを叶えてやっと…影山と決着をつ けようとしてたのに!!仲間の元へ帰ろうとしてたのに…っ」
そうだ。 鬼道には帰る場所があったのだ。 帰りを待つ仲間達がいたのだ。 それなのに。
「返せよ…っ鬼道を返せ!人殺し!!」
その言葉に、二ノ宮が弾けたように笑う。蔑みきった声で。 「貴方がそれを言うの?今まで何万もの世界を滅ぼしてきた魔女の貴方が!!お笑 いねっ…くだらない情に振り回されるから何の望みも叶わない!!誰も護れない!! だから愉しいのよ…貴方みたいな人を喚かせるのは!!」 「黙れぇぇっ!!」 聖也は叫び、刃を高々と振り上げた。しかし。
「やめて聖也さん…!!」
その動きは中途半端に止められる。
「闇に呑まれちゃ駄目…そんな人の言葉に耳を傾けちゃ駄目…!だって貴方は… 白き魔法使いなんだ…!!」
吹雪が。後ろから聖也に抱きついていた。涙を流しながら。
「ふぶ…き…」
聖也の眼から急速に、黒い焔が消える。不思議だった。あれだけ空間を満たし ていた恐ろしいまでの威圧感が、吹雪の言葉と共に消失したのだから。
「貴方は誰かを不幸にする魔女なんかじゃない…!その人とは違う…違うんだよ …」
聖也の手から、剣が滑り落ちる。鍵の剣は地面に落ちると同時に、溶けるよう にして消えてしまった。
「吹雪…ごめん。情けない姿…見せちまって」
泣き出しそうな、子供の顔。普段の聖也に戻っていた。いつもの彼からは予測 もつかないほど自信なさげで、弱々しかったが。
「なーによそのハートフルドラマ。つまんないわねっ」
二ノ宮は子供のように口を尖らせる。誰もがキッと彼女を睨みつけた。 聖也に出鼻を挫かれる形となったものの、皆の気持ちは同じなのだ。彼女が自 分達の大切な仲間を奪った。 間違いない。誰もが直感しただろう。 この女こそ自分達が倒すべき真の敵にして、黒幕なのだと。 「つまんないから…さっさと終わらせちゃいましょ。さぁ、何人が生き残れるか しら?」 「何をする気!?」 秋が叫ぶ。魔女はニヤリと笑って、パチンと指を鳴らした。
「ファイガ」
その瞬間。潜水艦を、轟音が襲った。爆発音。塔子はハッとして辺りを見回し −−気付いた。向こうからモクモクと黒煙が上がっている事に。 まさか機関部を爆破したのか!? 「またどこかで逢いましょう、可愛い坊や達。生きてたら、の話だけどね」 「待てっアルルネシア!」 「ご機嫌よう」 二ノ宮の周りを、黒い霧が取り囲んでいく。聖也が憤怒の表情で低く唸った。
「覚えとけ…てめぇは必ずオレが殺す。鬼道や佐久間達の痛み…何千倍にして返 してやる…!!」
ひらりひらりと舞う黒い蝶の群。その中に埋もれていく中、二ノ宮は最後まで 厭らしい笑みを浮かべていた。
「やれるもんならやってみなさい?ふふふ…きゃははははっ!!」
やがてその身体は全て蝶に覆われ、消えてしまった。後には、目の前の急展開 とファンタジーに呆然とするイレブンが残される。 再び爆音。フィールドの向こう側には、ちろちろと火の手が上がりつつある。 急いで逃げなければ。しかし−−どうやって?
「佐久間ッ!!源田!!しっかりしろ!!」
土門がぐったりと意識を失っている佐久間達に、必死で声をかけている。まだ 息はあるようだが、あの出血量は危ない。元より禁断の技のせいで、二人の身体 は限界だったのだ。 そして彼らだけではない。雷門の方にも怪我人は続出している。普通に走るの も厳しそうな者もいる。 いずれにせよ此処は海の上。このままでは逃げ場がない。救命ボートを探して 脱出しなければ−−しかし間に合うか?それにこの船の乗務員は?
「総帥ッ!!」
照美の声。塔子はハッした。さきほどまで試合を見ていた筈の影山が、いつの 間にかいなくなっている。 「総帥ッ何処ですかっ!?総帥−−ッ!!」 「あ、アフロディ!!待てっ危険だ!!」 影山の名を呼びながら船内へと入っていく照美。あまりにも危険すぎる。それ に彼の身体もボロボロな筈だ。 塔子は慌ててその背中を追いかけた。
これが報いか。 影山は一人、高台で空を見ていた。鈍色の空は重く、湿った潮風を吹かせてい る。いっそ雨が降ればいい。嵐のような大雨で全て洗い流してしまえばいい。 人の罪は結局−−どう足掻いても清める事はできないのだから。
−−…罰を受けるべきだったのは…鬼道ではなかった。それなのに。
下方からは、断続的に爆発音が響いている。いずれこの船は沈むだろう。たく さんの悲しみと、憎悪を、暗い海の底に呑み込むに違いない。 それが自分の運命なら、受け入れよう。そもそもこの年まで生き長らえたのが 奇跡のようなものだ。本当なら自分は幼い頃、父の手で殺されていた筈なのだか ら。
今、影山は考える。
何の為の生だったか、そして何の為の死だったかを。
父が死に母が死に。憎悪に身を焦がしながら耐えていた自分。そこに現れたの があの魔女だった。魔女は甘く囁いた−−お前の心は復讐でしか晴れない、と。 幼い影山は魔女に誘われるまま雷門の敷居を跨ぎ、復讐の為に円堂大介の率い るチームに入った。 そして起きる、イナズマイレブンの悲劇。しかし実のところそれは、影山が直 接の原因ではない。バスに細工したのも、影山の名をかたって出場を辞退したの も、あの魔女の仕業だったのだから。 厚意でした事だと、二ノ宮は告げた。しかしその真意が今なら分かる。彼女は ただ自分が愉しみかっただけだと。事態を引っ掻き回し、チームメイトから恨み を買うように仕向け、影山の逃げ道を塞ぎ。 そうやって影山が壊れていく様を見て笑っていただけなのだ。 鬼道の事についてもそう。彼女はエイリア皇帝陛下を護る為に手を回したと言 っていたが、実際はただ鬼道を玩具のように弄びたかっただけ。あの話を聞いて 漸く理解した。 自分は従うべき人間を、縋るべき存在を誤った。自分は間違っていたのだ、と 。
−−父を追い詰めたサッカーが憎い。その原因を作った円堂大介が憎い。
その黒い焔は今でも消えていない。 でも。
−−本当の意味で私を不幸にしたのは他の誰でもない…私自身だった。
憎しみでするサッカーは、楽しいものではなかった。圧倒的な力を持つ駒で、 弱者を踏み潰した瞬間は、確かに喜悦を伴うもの。 しかしどれほど強い駒を集めても満たされなかった。勝利の次の瞬間、胸の奥 に穴のあいたような虚しさが込み上げ−−それを振り払うように、また次の勝利 を求めてきたのだ。 まるで薬物中毒者のように。
−−常に勝利し続ける最高のチームを作り上げれば…満たされると思っていた。 でも。
そんなモノは存在しなかった。そして自分にとって最高傑作と呼べた戦士は、 勝利だけを自分に提供する存在ではなかったのだ。 敗北を知り、絶望を知り、その上で立ち上がり続けた鬼道有人。彼と、彼の愛 する仲間達こそ、最高に限りなく近い強さを持っていたのだ。 彼らのサッカーは影山に教えた。負けて立ち上がる強さに勝るモノは無いのだ と。
−−お前を失ってから、気付くだなんてな。
『そうすい』
たどたどしい言葉で自分を呼び、小さな手でこの手を握り。施設から引き取っ たばかりのあの子を思い出す。 彼はきっと自分を最期まで憎みながら死んでいったのだろう。 けれど、自分は。
ドォン!!
一際大きな振動が来た。バランスを崩し、影山は高台の下へと放り投げられる 。
−−ここまで、か。
自分は間違いなく、鬼道と同じ場所には行けないだろうけど。
−−出来る事なら、もう一度だけ。
もう一度だけ、あの子の顔を見たかった。 影山がそう願った時だった。
「零治ッ!!」
影山の手を、掴む手があった。
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伸ばされた、手は。