貴方の前に何が見える?
 美しく残酷なこの世界は。
 逝っては駄目よ、間違えないで。
 其処に貴方の望みは無いわ。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
1-29:国に、光あれ。
 
 
 
 
 
 
 
救急車の音を聞く度に、あの日の事を思い出す。兄が死んだあの日。そして多
分これからは今日の事も思い出すのだろう。
 多分一生忘れられまい。その傷も、痛みも。むしろ忘れてはならない事なのだ
ろう。
 その痛みこそ、鬼道有人と音無春奈が生きた証なのだから。
 
「佐久間君…」
 
 救急車の担架に乗せられていく佐久間を見る。不幸中の幸いと言うべきか、頭
から上は無事だったようで。一時的にとはいえ意識を取り戻した彼は、横たわっ
たまま春奈の方を見た。
「…すまなかったな。とんだ八つ当たりに巻き込んで」
「…いいえ」
 掠れ、疲れきった声だが、この距離で聞くには充分だった。春奈は首を振る。
 八つ当たりなんかでは、ない。自分は彼に恨まれても仕方ない立場だ。ある種
影山より、自分の存在こそが兄を苦しめていたと言ってもいい。
 淀んだ世界で、鬼道の存在が、鬼道を想う気持ちが春奈の支えとなっていた。
きっとそれは佐久間も同じ。
 それを身勝手な都合で奪われれば、憤るのも当然の事。
 
「もう…手も脚も動かないんだ。…きっとこれが、鬼道を悲しませた罰…。すく
えなかった罰なんだ」
 
 事実なのだろう。佐久間の首から下は不自然すぎるほど動かない。呼吸の音も
、何だか引っかかっているように聞こえるほどだ。
「だからさ。…あんたに頼みがあるんだけど」
「…何ですか?」
 その佐久間の動かない手を握り、春奈は尋ねる。
「あんたは、生きろよな」
「……!」
「あんたは、泣かせるなよ、あいつをさ」
 何処かで見守ってくれているあの人を、悲しませてはいけない。
 空の上で涙を流させるような事があっては、ならない。
 
『あんたがこのまま不幸になっても…鬼道は絶対喜ばない』
 
 塔子が言ってくれた言葉を思い出す。
 大好きな人を泣かせたくないから。笑っていて欲しいから。
 幸せを、願う。
 その気持ちは、自分達みんな、同じ。
 
「…はい」
 
 春奈は頷く。
 
「生きます。お兄ちゃんに、笑っていて欲しいから」
 
 生きて、生きて、生きて。
 幸せを見つけて、生き抜く場所を見つけて。
 ありがとう、と。佐久間はほっとしたように笑った。そして呟いた。
 
「また鬼道と、サッカーやりたかったな」
 
 隻眼がゆっくりと閉じられる。
 
「あっち行ったら、またできるの、かな…」
 
 ハッとする。佐久間が完全に意識不明に陥ったのが分かったのだろう。元より
重傷患者なのだ。救急隊員達の動きが慌ただしくなる。
 駄目だ。
 死んでは、駄目だ。彼はこんな場所で終わっていい人間なんかじゃない−−!!
 
「佐久間さん!!
 
 ぐったりと、中に運び込まれる佐久間に向かって。春奈は精一杯叫んでいた。
 
「貴方も生きなきゃ駄目です!生きて…生きて下さいっ!!
 
 彼の護るべき帝国は、この過酷な現世にある。遠い遠い、手の届かない場所な
んかじゃ、ない。
 
「みんな貴方を待ってます!!私も待ってます!!だから……生きて帰ってきて下さ
いっ!!
 
 救急車のドアが閉まり、遠ざかっていく。春奈は祈るように己の手を握り締め
、見送り続けた。
 鬼道だけではない。源田も、佐久間も、愛されて愛されてそこにいる。今生き
ている。帝国では仲間達が彼らを待っている。自分も、待ち続ける。
 どんなに残酷な世界だとしても。それが必ず光になる。
 パンドラの箱の底には、ひとかけらの希望が残されていたように。
 
 
 
 
 
 
 
 秋が両手で顔を覆い、啜り泣いている。彼女との付き合いは長い円堂だが、こ
んな風に涙を流す彼女を見るのは−−初めてかもしれない。
 それだけにやるせない。本当にこんな結末しか無かったのか。本当にこれで良
かったのか。
 目の前の現実が重すぎて、過ぎてしまった悲劇が苦しくて、円堂は唇を噛み締
める。
 
「…サッカーって、楽しいものな筈よね」
 
 ポツリ、と夏未が呟く。
 
「誰かを傷つけるとか…壊すとか、苦しめるとか。そういうものじゃ、無い筈な
のに」
 
 どうして涙が出るのかしら。空虚なその声に、夏未の顔を見る事ができない。
 勝負に負けて悔しい。そんな涙なら当たり前なのだ。いくら流しても構わない
。それは次の笑顔に繋がっているから。
 でも今の自分達は、違う。同じ無力さでも、何かが違う。負けたわけじゃない
のに、二度と戻らない何かを悔やみ、失い、途方に暮れている。
 
−−泣くな、俺。
 
 まだつけたままだったグローブで、ゴシゴシと目元を擦った。顔に土がついた
が、どうでも良かった。
 
−−俺はキャプテンなんだ。キャプテンの俺が弱気になったら、チームは終わる
んだ。
 
 自分は必ず最後まで立っている人間にならなくてはならない。どんな場所でも
、それがキャプテンとしての責任なのだ。
 彼らの前で、涙は見せるな。仲間達を不安がらせるな。言い聞かせ、グラつく
心のネジをきつく締める。
 
「…円堂」
 
 さりげなく、一ノ瀬が側に歩いてきた。彼は何もかも分かっているような気が
する。
 円堂の気持ちが弱くなっている事も、それでもどうにか脚を踏ん張ろうと足掻
いている事も。
 
「無理、すんなよ」
 
 その優しさが嬉しくて。
 少しだけ、辛くて。
 
「…うん」
 
 なんとなく、理解していた。彼が鬼道の代わりに、皆を精神的に支える立場に
なろうと頑張っている事を。
 自分達はそれだけ鬼道に寄りかかっていて。一ノ瀬もそれに気付いたに違いな
い。今更空けておくにはあまりに大きな穴なのだと。
 
「とりあえず全員一度病院、ね」
 
 瞳子が疲れた顔で言う。さっきまで響木に電話していたようだ。相当説教され
たと見える。その傍らではレーゼが悲しげな顔で彼女にしがみついている。
「これからの行動はその後で考えましょう。少なくとも染岡君は入院確定でしょ
うし」
「染岡君…」
 俯く吹雪。佐久間、源田とともに染岡は既に病院に搬送されていた。足を骨折
しているのは誰が見ても明らかだったからだ。
 他のメンバーも満身創痍。照美や吹雪も、しばらく休ませなければマズいかも
しれない。一ノ瀬や土門もかなりダメージを負っている筈である。
 佐久間達はどうなるのだろう。鬼道の件、彼らは直接殺していないにせよ、リ
ンチに加わったのは確からしいし。どちらも十四歳は超えている。怪我が治った
ら逮捕という事も考えられるのではないか。
 
「…救えなかった。あの人を」
 
 ぐったりと聖也に支えられたまま、照美が言う。
 あの人−−影山零治。多分照美と彼の間には、自分達には推し量れぬものもあ
ったのだろう。恩人であったのは確かだろうから。
 潜水艦は爆発し、水底に沈んでしまった。何人が死んだだろう。脱出できたの
はあの場にいた雷門陣と真帝国メンバーだけだ。何人もいただろう従業員達と影
山の生存は、絶望的だろう。
 真帝国メンバーはというと、呆然と近くに座り込んでいる。まるで糸の切れた
マリオネットのように。キャプテンの不動は錯乱状態だった為、染岡達と共に既
に救急車に乗せられていた。
 彼らの事も、身元を確認し、処遇を検討しなくてはなるまい。
 
「照美ちゃんは、精一杯やったよ。あれがあの人なりのケジメのつけ方だったん
だ。…今はそう、思うしかない」
 
 声もなく涙を流す照美を抱きしめる聖也。
 みんな、悲しい。大好きなサッカーをして、それなのに悲しい。
 
−−終わらせなくちゃいけないんだ。
 
 円堂は拳を握りしめる。
 大好きなサッカーを護る為に、全ての悪夢を断ち切る。それはきっと自分達に
しか出来ないこと。
 悲しいだけのゲームはもう、これっきりだ。そうしなければならないのだ。
 
「……そろそろ、頃合いかもしれないな」
 
 照美を抱きしめたまま、聖也は一つ息を吐く。そこにいたのは普段の楽天家で
も、さっきの阿修羅のような少年でもない。真剣な、戦士の顔だった。
 
「みんなにも、話すよ。鬼道が調べてた事…そして俺が知っている事の、全てを
 
 
 
 
 
 
 
 突然目眩に襲われ、デザームは膝をついた。
 
「だ、大丈夫かい!?
 
 グランが慌てて駆け寄ってきた。申し訳なく思いながらもその手を借りて立ち
上がり、手すりに寄りかかる。
 今この廊下には、自分と彼の二人しかいない。部下達の前でなくて本当に良か
った。
 これ以上イプシロンのメンバーに心配をかける訳にはいかないのだ。キャプテ
ンの自分が弱れば、ただでさえ動揺している彼らの士気をさらに下げてしまう事
間違いない。
「ごめんね。…今こんな事頼めるのは、君しかいなかったから。俺が出ていけた
ら良かったんだけど」
「構いません、グラン様。貴方はジェネシスの正当なる継承者。まだ表舞台に出
るには早すぎますから」
「まだ正式決定じゃないんだけどね」
 グランは謙虚な姿勢を崩さない。しかし、彼の率いるガイアがジェネシスの最
有力候補である事は日を見るより明らかだった。
 バーンとガゼルも頑張ってはいる。実力だけ見れば互角かもしれない。しかし
ガイアは他二チームと比べ連携に長け、メンバー全員の忠誠心も高い。
 それにいざという時最も冷静で頼りがいのあるキャプテンが誰かと言えば−−
グランを置いて他にいないのだ。それに彼のチームには、グランと同等の実力を
持つウルビダという優秀な副官もいる。
 
「…すみません。少し休ませて、下さい」
 
 断りを入れて、デザームは廊下に座り込んだ。正直立っているのも辛い体調。
実験の後遺症か、熱がなかなか引いてくれないし目眩と吐き気も酷い。雷門メン
バーの前ではかなり無理をしていたのだ。
 それでも。グランの命令とはいえ、二ノ宮の命令に背く事を他の誰かにさせる
わけにはいかない。自分はとうにあの女に目を付けられているが、仲間達は違う
のだ。巻き込むわけにはいかない。
 それに。
 
「本当に…レーゼは雷門にいたのですね」
 
 どうしてもこの眼で確かめたかったのだ。自分が追放した彼が無事でいる事を
「本当に…何も覚えていないとは」
「デザーム…」
 そこそこ付き合いはあったつもりだ。だがレーゼは自分の姿を見ても、まるで
反応を示さなかった。まるで初めて会う人間を見るように。
 何も知らなかったとはいえ。これが自分のした事の結果だ。彼は記憶を消され
、かつて見下していた敵チームに保護されている。これも運命なのだろうか。
 
「…でも。生きていた」
 
 それでも生きていてくれただけで良かった、なんて。そう思うのは自分のエゴ
なのだろうか。
「なんか、分かる気がするな」
「何がです?」
「ふふっ」
 グランはデザームの隣に座って、言った。
「デザームがイプシロンのメンバーにあんなに慕われてる理由。分かるなぁって
「…貴方にはかないませんよ」
 キャプテンとしての在り方を自分に教えてくれたのは、グラン達だ。言葉には
しなくともデザームは、彼を心から尊敬している。
 自分は実力こそ劣るとしても。気持ちだけでは負けたくない。
 いつか彼のような心強きリーダーになる為に。
 
 
第一章『どうか忘れないで、君が交わした約束を』完
   ⇒NEXT 第二章『どうか畏れないで、目の前に在る真実を』に続く。
 

 

彼らが知るのは、魔女幻想。

 

 そんなこんなで終了しました、第一章真帝国編、完結です。序章よりかなり駆け足連載になってしまいました;;

 佐久間、源田、不動の痛々しさがハンパなくて申し訳ないです。

アニメ公式素晴らしいんだけど、源田の描写の少なさと小鳥遊ちゃんが一言も喋らなかったのだけが心残りだったんで…それらを解消しました。

本当はもっと小鳥遊ちゃんを出すつもりだったんだけど、ちょっと失敗。第二章以降、微妙に小鳥遊×不動描写入ってきます。

佐久間と源田については今後も書きたいことがたくさんあるので、気長にお待ちいただければこれ幸いです。

次章は大阪決戦編。別名、『イプシロン決起編』になります。あとはリカ。やっと出せるよリカ!煌はリカが大好きです。

第二章『どうか畏れないで、目の前に在る真実を』。全四十三話というハンパない長さですが、お付き合いいただければ嬉しい限りです。