一番怖いのは、証明を失う事。 俺が基山ヒロトという名の意義を喪う事だ。 そうでなければ、自分は愛されなくなる。 そして今まで負った痛みの全てが、無意味となるだろう。この背中に、白い翼は 無いとしても。2-0:Message from Hiroto Kiyama そもそも俺は、本当の俺の名前を知らない。 俺の記憶はある日、ポツンとお日様園の前に立っているところから始まる。それまで自分が何をしていたか、自分の名前が何だったか、何故そこにいるのか−−まるで思い出せずにいた。要は、記憶喪失だったのだ。 そんな、何もかも真っ白な俺を見つけたのが、瞳子姉さんだったのさ。 並々ならぬ事情を察してか(まあ小さな子供が記憶喪失で孤児院の前に立っているなんて、何かあるとしか思えないし)、彼女は俺を園に連れて行き、父さんに紹介してくれた。 それが全ての、始まり。 俺は基山ヒロトという名前を貰って、お日様園の一人として生活する事になった。その時は知る由もない。何故父さんが初めて俺を見た時あんなに驚いたのかも、ヒロトという名前がどれだけ特別なものだったのかも。 お日様園の子供達は皆、親が死ぬか捨てられるかした孤児達ばかり。皆が皆どこかしらに傷やトラウマを抱え、悲壮な闇を背負って生きていた。普段はそれを感じさせないくらい、明るく笑いあっていたけれど。 俺はというと。 生活の基礎知識(文字を書くだとか家事をするだとか)は持っていたし、元々記憶力は悪くないのか知らない事もすぐ覚えたけれど。 いかんせん、自分に関する事は何一つ分からない。だから他の子供達より明らかに感情に乏しくて、なかなか彼らに馴染む事が出来なかった。『ヒロトは、つまんねー!』 昔から、何でもものをハッキリ言う質だった晴矢は、そうやって俺を嫌った。仕方のない事だ。記憶が無いからといっても、その状況を幼い子供に理解しろというのはあまりに酷なもの。『遊んでやっても笑わないし!苛めてやっても泣かないし!お前、変だよ!』 ああ、自分は、変なのか。 そうは思ったが、そこに感情は伴わない。ただ漠然と事実を享受するだけだ。『ヒロトは、笑ったり、泣いたり出来ないの?』 孤立しがちな自分に声をかけてきたのは、リュウジ。外で遊ぶよりも部屋で本を読んでる事の多い、おとなしい子だった。外に出る時はいつも兄貴分である治 に手を引かれていた気がする。 その日もリュウジは、治と一緒にいて。ブランコで一人揺れているヒロトに二人で近付いてきたのだった。『笑うとか泣くとか…よく分からないんだ。知らないから、何も』 だからおかしいのかなぁ、と俯く俺に、リュウジは悲しそうな顔をした。何故そんな顔をするのか、疑問を抱いた次の瞬間−−彼は笑っていた。 精一杯の笑顔で。『じゃあ、これから勉強していけばいいよね。ヒロトは頭いいから、すぐ覚えるよ!!』 『そうだな。よし…こっち来いよ』 『え…ちょ…!?』 治に手を引っ張られて、俺はグラウンドに連れて行かれる。治兄、と呼んでみんなが慕っていた年上の彼は、自分やリュウジと違いいつも誰かと一緒にいる印象が強かった。 勝気な晴矢も、悪戯好きの明王も、ちょっとひねくれてる風介も。みんなが彼の事は頼りにしていたし、遊んで貰いたがったからだ。『笑い方を知るなら、まずは楽しい事を見つければいいと思うんだ』 そして治は倉庫からボールをとってきた。 サッカーボールを。『だから俺達の楽しい事を、ヒロトにも教えてやる』 それが、初めて俺がサッカーボールを蹴った日。父さんはサッカーが好きらしく、治とリュウジも父さんに教えて貰ったのだという。 引っ込み思案のリュウジや風介も、サッカーだけは好きだった。リュウジの方はけして上手とは言えなかったけれど。 運命は、あるのかもしれない。 自分が父さんに出逢った事。サッカーと呼ぶにはあまりに稚拙な遊びだったかもしれないが、俺達みんながサッカーを好きになった事。 最初は治とリュウジだけだったが、次第に他の皆も加わって遊ぶようになった。体があまり丈夫でない俺は、最後まで走る事が出来なかったけれど、それでも知ったのだ。 楽しいとはこんな気持ちで。 笑うとはこういう事だと。 幸せな毎日だった。自分達がサッカーをすると父さんもなんだか嬉しそうで。サッカーを通じて、今まで疎遠だった仲間達とも、犬猿の仲にも等しかった晴矢とも仲良く遊べるようになったのだから。 それもまた、やがては醒める夢であったのだけど。 五年前、富士山に落ちた隕石が、日常の全てをブチ壊しにした。 いや、正確には隕石のせいだけではないのかもしれない。 隕石と一緒に父さんの元にやって来た女が、悪夢を持ち込んで来たのかもしれない。 あたしは災禍の魔女なのよ、と二ノ宮蘭子は言う。 最初は誰もその言葉を信じてはいなかった。魔女なんて御伽噺の中にしかいない。確かに二ノ宮は美しい女ではあったが、白衣を来ただけの普通の人間にしか見えなかった。 魔法を使う杖もない。黒猫と話すでもない。そんな女が魔女だと言われても実感が乏しすぎる。『健康診断を始めるわ。みんな、一列に並んで頂戴ね』 だが、女は間違いなく魔女だったと、後に俺達は皆思い知るのである。知った時にはあまりに全てが遅すぎたのだけど。 健康診断と称して、彼女は子供達を診察し検査し、幾つかのグループに分けた。それが後々の−−チーム分けに影響していた事が今なら分かる。 リュウジのようにあまり体力が無い子供達や大人しい子達の列。最初は俺や他何人かもこの列に属していたが、後の検査で別の集団へと仕分けられた。 それがどれほど大きく命運を分けたかも知らぬまま。『貴方達は生まれ変わるのよ。大好きなお父様の為に、ね』 リュウジ達は真っ先に実験室に放り込まれた。実際中でどんな事をされていたかは分からない。でも、リュウジの引き裂くような悲鳴が、今でも俺の耳について離れない。 自分達の最後の天国は、永遠の奈落へと変わる。 一ヶ月ぶりに逢ったリュウジはもう、リュウジでなくなっていた。自分達を、人間だという事も忘れていた。『我が名は、レーゼ』 抑揚のない声で、光の消えた眼で。俺を見たリュウジ−−否、レーゼは。 俺に跪いて、こう言ってみせた。『御命令を。グラン様』 頭の中をぐちゃぐちゃにいじくり回されて。記憶を書き換えられ、人格を歪めさせられて。 友達は友達ではなく、部下になり。子供は宇宙人になった。大人達がそうさせた。『これはお父様の為。貴方達、お父様の役に立ちたいんでしょう?』 魔女はメスをちらつかせて笑う。嗤う。嗤う。 情けないと言えばいい。俺はその時、怖くて完全に足が竦んでいたんだ。死ぬ事が怖いのか、自分が自分でなくなるのが怖いのか、仲間達を失うのが怖いのか。 あるいはその、全部だったのかもしれない。『貴方は子供達の中でも特別選ばれた存在。…自分を失いたくなかったら、言う 通りにしておきなさい』 俺は、無力だ。何も出来ずに流されるしかない。俯くしかない。こんな事は間違ってる−−と。同じ“ガイア”への配属が決まっていた治は二 ノ宮と父に直訴し、結果リュウジと同じ末路を辿った。大好きなみんなの“治兄さん”は、デザームという宇宙人になった。 俺は結局、誰も救えないのだ。誰も守れやしないのだ。どんな理不尽な場所でもその正しさを信じるしかない。それがどんなに歪んだ行いだとしても。−−喪った物が戻らないなら、貫き通すしかない…そして。 俺は決意する。何が真実で、何が嘘かも定かでない世界で。最後に残された“愛する物”を守 り抜く事を。−−俺は最期まで、父さんの本当の味方であり続ける。 もう遅い事もたくさんあるだろう。だけどまだ間に合う事もある筈なんだ。 瞳子姉さんが、父さんから離れる事で道を阻むというなら。自分は父さんの傍で道を正す。もし父さんが最後の一線を越えようとしたなら、自分は全力で止めよう。 たとえこの命に代える事になっても。 それで父さんやみんなに、裏切り者と罵られる事になったとしても。−−でも、さ。俺、結局中途半端なのかもしれないね。 その覚悟は揺らぎそうになるたび、自己嫌悪で死にたくなる。父の愛を失う事への怯えが日増しに強くなる。心も体も非力な自分に、父の黒い焔を消す事が出来るだろうか。 記憶を、人格を書き換えられて、破壊の道具にされるかつての仲間達。敗北した途端、ジェミニストームのメンバーは、レーゼはどうなった? 何もかもを白紙に返されて、捨てられた。彼らはモルモットじゃない、れっきとした人間なのにと−−言う事の出来なかった自分は所詮臆病者なのだろう。 さらには、迷いを振り切るように無茶な練習をして、発作で倒れていては本当に世話ない。 集中治療室のベッドの上も、フィールドの上も。いつしか暗雲が立ち込める同じ場所になりつつあった。 笑顔を、涙を、喜びを、悲しみを。 知ることができた場所は、お日様園はエイリア学園になって。俺は基山ヒロトからグランになって。 誰もが本当の笑顔を忘れてしまった場所に、太陽の光が射す筈もなく。−−神様なんてこの世にはいない。 でも。 救世主ならいるかもしれないなんて、思う自分は甘えているのだろうか。−−円堂守、君は…俺達の太陽になってくれるでしょうか。 それ以前に、真実が知れたら許して貰えるとも到底思えないのだけれど。ジェミニストームを倒した彼なら。レーゼを許した彼なら。自分のことも赦してくれるのではと期待してしまう。 彼は知らないのだろう。 円堂からのメールが来るたび。俺が涙をこらえて携帯を握りしめている事なんて。嘘はついていないけれど、結局は騙しているのと同じ。罪悪感で死にそうになる自分がいるのだ。『じゃあさ、今一緒にやろうぜ』 あの晩、自分は彼と出逢った。出逢えると思ってあの場所に行った訳では無かったけど、運命は自分達を引き合わせた。『いいって!特訓も、一人より二人のがずーっと楽しい!!』 あんなサッカーをしたのも久しぶりで。やっぱり泣きたくなった自分の脆さと言ったらない。−−サッカーって、楽しいモノなんだよね。 自分は父から離れられない。離れたらもう、生きて行けない。それは義務であり権利であり絶対なのだ。 だからいずれは、円堂と敵として向かい合う事になるのだろう。だけど。−−破壊の道具じゃない。それは俺が、一番よく分かってる。 綺麗な思い出が、偽りの愛と共に霧散していく。「出来る事なら。君と本当の友達になりたかった、な」 助けて、なんて言う資格もないんだ。 淀んだ空に、希求の声は溶けて滲んで、俺の耳にだけ届く雨音にかき消された。 いつになったら自分達はまた、青空を見る事が出来るのだろう?NEXT |
この罪を、どうやって贖えばいい。