瓦礫の天国、人は何故。 それでも空に、恋焦がれ。 背中の羽根、捥がれても。 飛び立つ夢を、捨てられないのか。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 2-5:記憶の魔女、降臨。
強い子だ。聖也は小さく笑う。 自分がレーゼにふっかけた条件はとんでもないものだった。そんな馬鹿なと鼻 で笑われても、出来るわけないと一蹴されても仕方がない事。 なのに彼は、聖也を疑わず、真剣に考えた上で条件を呑んだ。それがどれだけ 重い代価であるかなど、何も知らない彼にも分かっただろうに。 強い子。そして優しい子。仲間の為ならどんな努力も惜しまない。そして、ど こまでも戦い抜く事ができる。円堂達と同じものを、彼もまた持っているのだ。
−−そんな子にエイリアは…アルルネシアは…!
ギリ、と歯噛みする。駄目だ−−感情を乱したりしては。吹雪は自分を光の魔 女だと言ってくれたが、元々自分の力は闇の色が濃いのだ。憎しみを思い出した ら−−戻って来れなくなるのは明白。 真帝国でアルルネシアに逢った時、半分本気で半分演技だった。アルルネシア を憎悪し、殺してやりたいと願ったのは本当。しかし、その怒りを解放したのは 打算的な意図もあったのだ。 もし自分が真っ先にあの女に切りかかって行かなければ。間違いなく塔子は銃 を抜いていたし、他のメンバーも高確率で魔女に飛びかかっていただろう。 そうなったら、きっとまた死人が出ていた。 自分は仮にアルルネシアの反撃をくらっても、防ぐくらいの力はある。しかし 他の仲間達は魔法耐性などない−−普通の人間にすぎないのだ。少なくとも、現 時点では。 いずれ彼らにも、アルルネシアに対抗できる力を渡す腹づもりではある。しか しそれはまだ、今じゃない。力を受け取る為には相当の覚悟と代償を伴う事にな るのだから。
「いいんだな?リュウ」
最終確認のつもりで問う。レーゼはこくり、と頷いた。その眼に迷いはない。
「…分かった」
すっ、と息を吸う。そして聖也は、その言葉を暗唱した。
「我が名は創造と終焉の魔女キーシクス。さぁさおいでなさい…我が愛しの記憶 の魔女ナミネ」
それは召喚の呪文。聖也とレーゼの目の前の空間に光の輪が浮かび上がり、次 には一人の人間の姿を成した。 聖也の友人にして優秀な家具。“記憶”の二つ名を持つ大魔女の姿を。 「彼女が…魔女?」 「そうだ」 レーゼが驚くのも無理はない。 現れたのは、白いワンピース姿の少女だったのだから。セミロングの金髪に青 い眼。年もレーゼと大差あるまい。
「記憶の魔女ナミネ、ここに。…きちんと逢うのは久しぶりだね、キーシクス」
にっこりと微笑む彼女。 だが。このまるでお人形のような愛らしい少女が、とんでもない力を持ってい るのである。その力を喩えるなら、“一人を永遠に踊らせる”事が出来ると言う べきか。 聖也の能力は“どんなルールも必ず一つ覆す”というものだが。ナミネと真正 面から戦えば、相性の意味では彼女の方に分があるかもしれない。 どんな強靭な人間でも。記憶を奪われ、 書き換えられれば無力と化す。まさし くレーゼ達がそうであったように。
「急で悪いが、仕事だ。こいつの記憶を取り戻したい。…出来るな?」
出来るか、なんて訊く必要はない。出来ると分かっているから呼んだのだ。問 題があるとすれば、“課題”にレーゼが耐えられるか。“対価”が願いに見合っ ているか。 「初めまして。貴方がリュウジ君、ね?」 「あ…はい」 戸惑っている様子のレーゼ。多分もっと大人の女性が出て来るとでも思ってい たのだろう。実際魔女と言えば、美しい女性かしわしわの老婆のイメージが強い 。御伽噺の影響だろう。
「君の話は聞いてるよ。…記憶ってね、カケラのようなものなの。沢山の思い出 のカケラが鎖のように連なって…一つの個人を形成する。記憶とは、君の想いそ のものでもある」
つまり。何かを見た。何かを訊いた。そんな数々の場面の思い出をたくさんつ なぎ合わせて、自分達は何かを記憶している。 その記憶は人の心に、脳に、蓄積されたり封印されたり開かれたりする。が、 “それ”そのものを見る事は叶わない−−普通の人間ならば。 記憶を視覚化し、触れる術を持つのは。記憶の魔女たる、彼女くらいなものだ 。
「私は。貴方の記憶の欠片を見て、手に取る事が出来る。記憶の欠片を繋いで、 正しい鎖の形に戻す事が出来るの」
その一瞬。ナミネが一瞬だけ、辛そうな顔をした。思い出してしまったのだろ う−−かつての罪と、それに纏わるたくさんの傷を。 彼女はかつて、友人の記憶の欠片をバラバラにして、偽りの記憶を繋ぎ合わせ た。記憶を改竄し、彼の人格そのものを書き換えようとしたのである。 それにはある大きな理由と意味があったのだが。結果として正しいやり方では 無かった。それを行使しようとし、かつ失敗した事で、多くの犠牲を払い罪を重 ねる事になってしまったのだから。 ナミネにはそれだけの力がある。一人を永遠に踊らせる−−ナミネの思い通り の人形に変える事の出来てしまうほどの力が。 だから、罪の意識と共に畏れている。もう二度と悲劇が起こらないよう願い続 けている。聖也には及ばないとはいえ大魔女の一人である彼女が、聖也の家具に 甘んじている理由の一端がそれだ。 力の正しい使い方を探す為に。家具になる事で一時的に鍵をかけたと言っても いい。全てが思い通りになる世界など、退屈で悲しいだけと知っているから。 「私が、貴方の記憶の欠片を元の鎖に戻す魔法をかけてあげる。でもそれはある 程度時間もかかるし、痛みも伴うこと。どれだけ早く完成するかは、君次第」 「感謝します、ナミネさん」 「ナミネ、でいいよ。対価はもう貰ってるから、早速始めるね」 ナミネが手を翳すと、彼女の手にスケッチブックとクレヨンが現れた。クレヨ ンは一本ではない。何本もの色鮮やかなクレヨンが、クルクルと彼女の周囲を踊 るように舞う。
「さぁさ思い出して御覧なさい…貴方がどんな姿をしていたのか。それはきっと とても美しい姿」
スケッチブックに、少女はクレヨンを走らせる。謳う言葉を紡ぎながら、凄ま じいスピードで。 「さぁさ、取り戻すのです…貴方の本当の形を…!」 「……!!」 パシン!と何かが弾けるような音。レーゼははっとしたように眼を見開いて− −そのままフラリと倒れる。
「おっと」
ギリギリのところで、聖也は少年の体を支える。どうやら完全に意識を失って しまったらしい。そのまま彼の体を抱き上げる。
−−吹雪にしろお前にしろ…軽すぎんだよな、ほんと。
ため息をつきたくなった。 体格からして予想はついていたが、あまりにも体重が無さ過ぎる。そう感じる のは自分が馬鹿力であるせいだけではあるまい。 吹雪もレーゼも。誰もが幼く華奢な身体で、あまりにも重い荷物を背負い続け ている。棄てられれば楽なのに、強いからこそ棄てられなくて。 肩代わりできたなら、なんて。考えるだけ傲慢と分かっているけど。
「最初だから。ショックが大きすぎたんだね」
ナミネが少し苦い笑みを浮かべる。
「彼が何かを強く願い、力を求めるたび。少しずつ記憶は戻っていくよ。でもそ れには痛みを伴う。身体も、心も」
スケッチブックを広げる少女。そこには先ほどナミネが、レーゼの記憶の欠片 に触れて拾い上げた景色が描かれていた。 暗い照明。手術台にベルトで固定されたレーゼと、それを取り囲む白衣の大人 達。それが何を意味するかは、尋ねるまでもない。 「どんな順序で記憶が戻るかは、完全にアトランダム。今、一番最初に戻ったあ の子の記憶が、これ」 「…ひでぇな」 「うん。…酷い。たくさんたくさん、悲しい人の記憶を見てきたけど。あの子の 記憶も、とても悲しいものがいっぱい混じってる」 泣き叫ぶ子供。絶望する子供。メスを握る大人達を、少年はどんな眼で見てい たのか。想像する事も叶わない−−あまりにも酷すぎて。 レーゼはそれだけ、酷い環境で生きてきたのだろう。それでも戦うしかなかっ た−−全てはエイリア皇帝陛下の為に。自分達の居場所の為に。
「でもね。優しい記憶も、あるのよ。それがリュウ君をずっと支えて来たんだね 」
聖也は、気を失ったレーゼの胸元を見る。そこで揺れているペンダントを。 それを渡した人物が誰なのかはまだ分からない。でもきっと、彼にとって何よ り尊い“優しい記憶”だったのだろう。 自分達はこれからエイリア学園と戦わなければならないけれど。それは滅ぼす 為ではなく、救う為の戦いなのだ。少なくとも自分はそう、信じたい。
「お前なら…出来るさ」
レーゼを抱きしめる力を強くする。 この子ならきっとできる。自分は頑張るこの子を、今度こそ護ってみせる。鬼 道の二の舞になんか、するものか。 「時にキーシクス。一つ気になってた事があるんだけど、いいかな」 「何だ?」 「リュウ君に課した、対価の事」 ナミネが何を疑問に思っているか、すぐに分かった。自分も何も知らなかった なら、同じ事を口にしただろう。
「リュウ君の願いは、記憶を取り戻す事。それに対してキーシクスは彼に、“マ リア”を要求したけど。…それはちょっと、対価が重すぎるんじゃない?」
“マリア”−−それはこの戦いが終わった後、聖也の家具としてレーゼに果た して貰う事になる仕事の事。本来は特定の魔女の器が果たす事だ。 しかし、“マリア”の器は何十万人に一人しか発生しない。また、世界を渡る ほどの力を持つ魔女はその不老不死ゆえ不可能なのである。自分にもナミネにも それはできない。 だが“マリア”と、対を成す“キリスト”がいなければ。世界の均衡は、崩れ てしまうのである。だから何としてでも周期的に、自分達は“マリア”の資格を 持つ者を探し出して来なければならないのだ。 レーゼが“マリア”の資格者である事は気付いていた。だが彼は魔女どころか 女でもないし、魔術師でもない。魔力もなければ腕力や体力すらない。 それゆえに、重すぎる対価なのだ。果たして彼に成し遂げる事ができるのか。
「リュウ君の本当の願いは、記憶を取り戻す事じゃないからさ。それは手段に過 ぎない」
記憶を取り戻して彼の望みが果たされるなら。彼はあそこまで重い対価を払う 必要は無かった。 「彼の本当の願いは…みんなを助ける事。雷門のみんなも、エイリアのみんなも ね。その為にはある時期まで生きなければならないんだけど…」 「…あの子の本来の寿命はもう、長くなかったのね?」 ナミネの言葉に頷く聖也。レーゼの身体は生体実験の後遺症でボロボロ。しか も放射性マーカーを体内に埋め込まれたせいで、常に被爆し続けている。酷い話 だ。
「あの子だけじゃない。イプシロンやジェミニストームの他のメンバーの延命処 置を願ったも同然。だから、非常に重い対価が必要になってしまった」
レーゼはそこまでは理解していないだろう。それでも、対価を払うと約束した のだ。愛するものの為に。 聖也は眼を閉じて、空に祈った。 どうか彼の決意が無駄になりませんようにと。
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茨の道、選ぶのは。