転がる少女は何時までも。 届かない、夢、視て。 騒ぐ脳髄(アタマ)の、中を。 掻き回して、掻き乱して。 この背中に、白い翼は 無いとしても。2-8:無知への、代償。 研究所の医務室。ベッドの上で、グランが眠っている。眠るというより、気絶してぐったりしている、が正しい。 顔色はいつもにも増して真っ青。胸と手に巻かれた包帯と点滴が痛々しい。デザームはその姿を、苦々しい気持ちで見ていた。 廊下で座り込んでいた彼をここまで運んで来たのはウルビダだった。気絶する寸前に、意味ありげにデザームの名前を口にした為、自分がこうして呼び出されたのである。「たまに…妙にこいつの体調が悪い時があるのは気付いていたがな。それは病と 疲労のせいだけだと思っていた」 ウルビダも、苦虫を噛み潰したような顔になっている。同じチームでありながら異変に気付けなかった事を、後悔しているのかもしれない。「今日のはどう見ても人為的なもの。実験のせいとも違う。…デザーム、お前は 何か知っているのか?」 知っている、といえば知っている。 自分が最後にグランに会ったのは、二時間前。廊下ですれ違った。彼は二ノ宮に呼び出しを受けて今から向かうところだと言っていて−−その時点で嫌な予感はしていたのだが。 恐れていた通りになってしまった。二ノ宮がお仕置きと称して、グランを暴行したのは明白だ。ウルビダがグランを見つけた通路は資料室の側。二ノ宮の自室はその隣の隣だ。 グランは左手の骨と肋骨一本に罅が入っていた。何度も殴る蹴るされたのだろう、それ以外も服の下は痣だらけだった。 それに、あの傷。爪か何かで繰り返し抉られたようだ。どうにか危険な血管には届いて無かったのであの程度の出血で済んだのである。 加えて、どうやらスタンガンか何かで焼かれた跡があったという。なんて恐ろしい。心臓に障害のある人間がそんな物を使われたらどうなるかなど、火を見るより明らかではないか。 皮肉にもギリギリで彼の命を救ったのは、二ノ宮がグランの胸に取り付けていた装置のおかげだった。「グラン様は、日常的に虐待されていた可能性があります。あの人に…二ノ宮様 に」「二ノ宮だと?」「こんな事を言いたくはないのですが」 訝しげなウルビダに、デザームは告げる。「二ノ宮様には以前から、やや特殊な趣向をお持ちでした。私も、気分の悪い思いをした事がありますから」 二ノ宮は女性。ウルビダも女性。同性愛者でない二ノ宮の常軌を逸した欲が、女に向けられる事はまずない。二ノ宮が担当すると、男女で検査や実験時間に差があるのは有名な話だった。 ようはウルビダ達女性陣は殆ど被害を受けないわけで。二ノ宮の異常な行動や趣向に実感がわかなくとも無理はない。 何より興奮さえしなければ、見た目は美しく理知的な女なのだ。実際頭はいいし、話の知的レベルも高い。その見た目に騙されたとしても、仕方がない。「…グラン様は今日、二ノ宮様から呼び出されておりました。そしてその内容が 予想通りならば、普段よりキツく当たられるのも自然な事かもしれません」 自然、だなんて言いたくはないけれど。あの女に限定すれば、自然な事になってしまう。あの女と自分達の常識は、修復不可能なほどにズレているのだから。「グランは何故呼び出された?命令違反でもしたか?」「当たらずとも遠からず、です」さすがガイアのNo.2。頭の回転スピードが違う。 「先日。私は、二ノ宮様が潜水艦に放置した雷門イレブンを救出しました。グラン様の御命令で」 何故グランが雷門を助けたか。それはデザームと重なる部分もあるだろうし、違う部分もあるだろう。 ウルビダもそれは訊かなかった。本人に尋ねなければ無意味な問いと分かっているからだろう。「つまりは我々が許可なくした独断専行。お怒りを買うのも分からないではないです」 怒り。本当に怒っていたのか。ただ単にグランを痛めつけて発散したかっただけなのではないか。 深く知るのもおぞましいけれど。「…本当に」 ウルビダはじっ、と長身のデザームを見上げてくる。「本当にそれだけ、か?他にも何か理由があるのではないか?」「というと…」 「最近、お前は毎日資料室に入り浸っているそうだな。記録に残ってるぞ。一体何を調べてるんだ?」 驚いた。まさかウルビダにまで知られていたとは。彼女が鋭いのもあるだろうが、自分もやや行動が軽率だったかもしれない。 これからは気をつけよう、と胸の内で呟く。「…気になる話を耳にしたもので。二ノ宮様に関する事で」 余計な事を語れば、ウルビダも巻き込まれるかもしれない。鬼道が殺された事もグランが痛めつけられた事も−−究極的には、デザームへの牽制目的ととれるからだ。 が、ウルビダの気の強さはよく知っている。ここでだんまりを決め込む事は出来まい。そもそも、下手に勘ぐられて、彼女も二ノ宮を嗅ぎ回ったりしたら、それこそ目を付けられてしまう。 ならば。当たり障りの無さそうなギリギリの情報を与えて、引いて貰う。それが一番ベストな選択に思えた。「グラン様への今回の行いもそう。私は正直…二ノ宮様を信じる事が出来ません 。そしてガゼル様やバーン様も、二ノ宮様の正体を疑っていながら手を出せないでいらっしゃる」 それは仕方ない事だ。マスターランクは地位が高すぎる。行動を起こせば目立つし、陛下の側近である二ノ宮に探りを入れて不興を買うわけにもいかない。 なんせ彼らは、このエイリア学園のメンバー全員の命運を背負う立場。自分のミスが下のどこに及ぶかも分かったものではない。「ですから…これは私の仕事なのですよ。私が忠誠を誓うのは二ノ宮様でも研崎 様でもない、あくまで陛下ただ一人なのですから」「…なるほど」 話が繋がったのだろう。やや険しい表情のまま、ため息をつくウルビダ。 つまり。デザームは元々、二ノ宮の周囲を調査して目を付けられていて。グランがそのデザームに独断専行を命じたゆえ、グランが罰を受けた。 それはけして嘘ではない。ただ何故デザームが二ノ宮を嗅ぎ回るようになったのか、そのあたりをぼかしているだけで。「こんな事、続けさせていい筈がない。私達を殺せるのは陛下だけ。命令を下せるのはその陛下に真の忠誠を誓ったあなた方だけ」 ボロボロにされたグランを見て、心は決まった。「おこがましいのを承知で言います。グラン様もウルビダ様も…他の全員も。私 が必ず、護ってみせる」 自分は守れなかったから。真実も事実も、何も知らなかったばかりに。もう同じ後悔は、したくない。「私にお任せいただけませんか。明確な事が分かり次第、必ずお伝えしますので」 自分達はどのみち捨て駒に過ぎない存在だった。ジェネシス計画とはその名の通り、ジェネシスが全て。その地位に着く可能性があるのは、マスターランクの3チームのみ。 イプシロンもジェミニストームも、それを分かった上で参加したのだ。過酷な訓練と凄惨な実験に晒されても。最後に愛されるのが自分達でなくても、いい。 どんな形であれあの方に仕える事が出来るなら、それ以上の名誉はない。サードランク以下のチームは計画に組み込んで貰う事もできなかったのだから。 なのに。この計画のどこまでが陛下の意志かも分からないとしたら。自分達の今日までの苦労が何の為だったかも分からなくなってしまう。 だったら、知るしかない。真実を知る事から逃げてはならない。いずれ駒として終わるさだめなら、後悔しない終わり方を。「…デザーム……」 ウルビダが何かを言いかけたが、それを聞く事なくデザームは部屋を後にした。 デザームは知る由もない。真実を後で知らせると−−同じ事を仲間に告げた鬼道が、結局何も話せぬまま死を迎えた事など。 何かを言いかけた唇は、名前だけを呼んで停止する。結局ウルビダは、去ってく背中をそのまま見送る事となった。 これで良かったのか。 デザームとて、ガイアに所属するウルビダが何も知らない筈はないという事に気付いていた筈。なのに、何一つ言及しなかった。ただ自分が背負う事だけ、考えて。「…馬鹿者が…っ」 ギリ、と唇を噛み締める。 苛立ったのはデザームにではない。何も言わずに見送った自分にも、何かを言おうとした自分にも腹が立った。 自分は何を告げようとした?デザームは、自分達をエイリアの星の使徒だと信じている。皇帝に選ばれた戦士だと。だからこそ命を懸けようとしているのに。 その心を折りかねない真実を告げて何になる? 陛下の正体を、かの人の目的が侵略などよりもっと人間くさいものであると知らせて−−何をどう好転させられるといいのか。 しかしだからといって。何もせずに見過ごす?これから先の未来など目に見えたものだというのに?「何も覚えてないくせに…その妙な正義感だけはちっとも変わりゃしない…」 ジェミニストームとイプシロンのメンバーは全員、エイリア石の影響下にある。人格、外見。共に改変されてしまっていると言っていい。 全員が共通して、攻撃性を高められている。また負の感情を強化された模様。 確かに−−特にジェミニストームには大人しい子が多く、そうでもしなければ戦士として使い物にならなかっただろうが。 果たしてここまでやる必要があったのか。 どんなに記憶と心を歪められても、彼らは彼らだというのに。「あんたは本当に……馬鹿だよ、治兄」 兄ちゃん、と呼ぶ声が。記憶の奥底から響いてきた。少女の声。少年の声。その中には幼い自分の声も混じっている。みんなに慕われていた“治兄”はデザームになって。自分はウルビダになって 。たくさんの、たくさんの悲劇が、悲鳴が、涙が傷が、積み重なって。 だけど彼が己の本当の名前を忘れても、その性格の根本的なところは何も変わらなかった。エイリア石に洗脳され、記憶を書き換えられた筈なのに。 その強い正義感でまた、何かを守ろうとしている。そうやって足掻いた果てに待つ結末を、彼自身一度は痛感した筈なのに。その記憶すら、消されてしまっている。−−本当は…あんたもガイアに入れた筈なのにな。 ベッドで眠り続けるグランを見る。彼もまた知っている。デザームが本来はガイアのメンバーに入る筈で、記憶を書き換えられる必要など無かったのに−−地位を降格された理由を。 その強すぎる正義感ゆえに。弟のように可愛がっていたレーゼが実験で傷つけられるのに耐えられず、あの方に直訴したせい。 結果デザームもまた同じ実験で痛めつけられる事になったのだ。「また繰り返す気なのか…?」 このまま行けば、デザームはあの時よりもっと酷い目に遭わされるかもしれない。マスターランクのグランさえここまでされたのだ。 所詮ファーストランクでしかないデザーム相手なら、殺されようと計画に支障は出ない。 自分は、どうするばいい。どうするのが最善手なのか。ウルビダはただ、拳を握りしめるより他無かった。NEXT |
息を止めるの、今。