その想いが武器になる。 貫く事が難しくとも。 その想いが盾になる。 護れるように、強く強く。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 2-14:たった一つの、想い。
別に、彼がどうなろうと自分には関係ない。恩がある事は確かだし感謝もして いるが、それだけだ。小鳥遊自身、それ以上の感情を不動に対して感じてはいな い。
−−だからこれは、ただの義理!
遊園地に来て、嫌でも目に入るカップルにあてられたとか。それで不動の事を 思い出したからとか、そんなんじゃない。 誰に聞かれているわけでもないのに、内心で言い訳しながら、小鳥遊は電話を 握っている。 自分が最後に見た不動は、二ノ宮に見限られ居場所を失い、錯乱状態になった 彼の姿。 元々精神的に不安定な所があるのは知っていた。しかし、あの時の彼は、とて も正視できたものではなくて。言葉をかける事もできず、救急車にかつぎ込まれ て−−それっきりだ。 その後退院できたのか、できたとしても彼に行く場所があるのかどうか。入院 したままならばこの電話も繋がらない可能性が高い−−それでも、指は自然にア ドレス帳を呼び出していた。 味気ない長いコール音。 駄目かな、と思った直後に、その声は出た。
『…何だよ』
沈んではいるけれど、間違いない。不動の声。失語障害が出ていたと聞いてい たがとりあえずその状態は脱せられたのか。 彼がちゃんと出た事自体より、それ以上に小鳥遊が驚いたのは、その声に心底 ほっとした自分自身にだった。
「不動!あの…あたし…」
だが。何を言うべきか。まったく考えていなかった事にも気付き、途方に暮れ る。 あんたが心配だったから電話したんだ。 今どうしてる?退院はしたのか?いつ?帰る場所はあるのか?これからどうす るつもりか? 訊きたい事はたくさんあった筈なのに。何一つ、言葉になってくれない。素直 じゃない、無駄にプライドばかりが高い己の性分を、小鳥遊は初めて呪った。 言葉にしなければ伝わらない事はたくさんあるのに。同じ機会が何度も巡って 来るとは限らないのに。心と裏腹に、体は固まって動いてくれない。
『…お前さぁ』
長い沈黙の後、不動が口を開く。
『何?お前も俺を笑いに来たってのかよ?』
暗く淀んだ声にはっとする。 不動の口調に、怒りは無かった。ただ陰鬱とした嫌悪と、それさえも上回る嘲 り。そしてそれは他の誰でもなく、不動自身に向けられたもので。
『負け犬だって事ぁ、俺が一番よく分かってんだよ。お前にトドメ刺して貰うま でもねぇんだっつの。…安心しろよ。俺、もう行く場所も帰る場所もない。どう せそのうち、どっかで野垂れ死ぬのが関の山なんだから』
淡々と並べられる、空虚。 それは、不動が最悪の状態からどうにかある程度回復できたゆえだろう。一番 酷い時の不動は泣き喚いているか、呆然としているかのどちらかでしかなかった 。 これだけ喋れるようになったのは、悪い傾向ではない筈だ。病んだ人間が一番 自殺に走りやすい時期とも言えるが、それでも。
「…ざけんなよ」
小鳥遊が一番最初に考えたのは、そんな冷静な分析などではなくて。
「ざけてんじゃないよ不動!何一人でウジウジ卑屈になってんの?聞いててすっ ごいイライラする!!」
場所も構わず、電話口に向けて怒鳴っていた。たまたま近くを通りがかった家 族連れが、びっくりしたような顔で振り向き、そそくさと立ち去っていく。 何もかもが惨めだった。小鳥遊も、不動も。思っていた以上に心配し過ぎてい る自分に苛ついたし、まるでそれを想定していない不動にも苛ついた。
「いつ!あたしがそんな事言った?そんな事望んだ?勝手に決めつけて、不幸に 酔ってんじゃないわよ!!」
不動が黙り込む気配。それでも小鳥遊は止まらない。
「人が心配して電話してんのに、その態度はなんだ!!あたしはっ…あたしはただ …」
ヤバい。どうしよう。 自分今、らしくもなく泣き出しそうになってる。
「あんたに…ありがとうって、言いたかっただけで…っ」
不動じゃなくても、自分はサッカーさえ出来ればついて行ったかもしれない。 実際、最初はそうだった。ただ、サッカーが出来れば何だって良かったのだ。 でもそこから先は、紛れもない小鳥遊自身の意志。 不動の歪んだ性格も、個人的な私怨も大まかに理解していたし。真帝国という 存在も自分がやろうとしている試合の意味も、ろくな物じゃないと気付いていた 。 それでも、構わないと思ったのだ。こいつがキャプテンのチームにいるのは悪 くない、と。そして不動とやるサッカーは楽しかった。どんなに間違いだらけの 場所であるとしても。
『…小鳥遊よぉ』
長い沈黙の後、不動が口を開く。
『俺がお前をチームに誘った時、言った言葉、覚えてるよな?』
“お前、力が欲しくねぇか?もっともっと強くなって、証明したくねぇか?”
“俺が用意してやるよ。お前のステージを”
“勝ちてぇんだろ?いろんな奴を見返してやりてぇだろ?悪魔に魂売る覚悟も、 お前にはあんだろ?”
“俺なら出来る。信じるか信じないかはお前次第だ”
忘れるわけがない。 小鳥遊を魅了した、魔術師の言葉の数々を。それが全ての始まりだったのだか ら。
『俺は約束、破ったぜ。お前がアレを真っ当な約束だと信じてたかはわかんねー けどよ』
彼は、小鳥遊に対し罪悪を感じているのか。それは少しばかり意外で、少しだ け胸が痛かった。それだけ不動が追い詰められている証拠でもあったから。 約束と言えば、約束で。そうでないと言えば、そうでないとも言える。何故な らどちらも心からその言葉を信じてはいないし、寄りかかっていたわけでもない のだから。 むしろ小鳥遊より。その約束は不動自身の為だったのだろうと今なら分かる。 小鳥遊や、他の誰かに約束する事で、それを確かな未来にしようとしたのだ。 自分を魅せる舞台が欲しかったのも。 勝利を心から望んでいたのも。 悪魔に魂を売っても構わないと思っていたのも。 自分なら出来ると、そう信じていたかったのも。 小鳥遊ではない。ましてや源田でも佐久間でも、影山ですら無かった。全ては 不動が誰より願い、渇望していた事だったのだ。
『俺は自分のやった事に反省も後悔も出来ねぇ。出来んのは突き進む事だけだ。 そんな俺に引っ張って来られて、お前は何か得られたのかよ』
その約束を、守れなくて。結局欲しがった全ては幻のまま消えてしまって。 でも自分の行いを真正面から否定するにはあまりに、不動の精神は歪みを飲み 込んでしまっているから。
『何がありがとう、だよ。憎めばいいだろ。そっちのが楽なんじゃねぇの?』
無意識の、自己嫌悪と拒絶。 彼は断罪されたがっているのか。自覚すらも無いままに。
「…残念ながら。あたしは憎んで楽になれるほど、割り切った生き方してないん だよ」
だったら尚更だ。望むまま断罪なんかしてやらない。不動の懺悔は不動に決め させなければ意味がない。それこそが最大の贖罪になるのだから。
「居場所が無いって言ったね。…あたしもさ。真帝国がなくなって、またサッカ ーする場所はなくなった…その筈だったけど」
不動は確かに、自分にとってキャプテンだった。だからこれが自分なりの恩返 し。 一番大事な事が理解出来るように、繋がるように。 「あたしは今、雷門にいる。その意味、あんたに分かる?」 「……!!」 電話の向こうで、不動が息を呑む。
「此処があたしの居場所になるかは、まだ分からないけど。…でも思ったんだ。 欲しいもんがあるなら、自分から掴み取りに行かなきゃ駄目なんだって」
不動が来るまで、忘れていた事だ。ただ、いつか来るかもしれない奇跡を夢見 て、待っていただけ。自分から世界を変えようだなんて思いもしなかった。 だから何も変わらなくて。いつまで経ってもサッカーができないまま、鬱々と 過ごすしかなくて。
「あんたが、あたしに奇跡をくれた。何回だって言う。あたしはあたしの意志で あんたに着いて行った。それを後悔する気はさらさら無いね」
不動の手をとって、開けた新しい未来。新しい道。その先を描くのは、自分の 手で。自分の心で。
「もう、迎えは待たない。不動、あんたが自分から未来を変えようとしたように 。……あんたはあたしよりずっと前に気付いてた筈だろ。だったら…これからだ って出来るんじゃないのか」
自分はそこまで深い事情を知っている訳では無いけれど。不動が元々はエイリ ア学園にいて、役に立ちたい人がいて、でも望んだ役目にはなれなくて。 その状況を打破する為に、影山を脱獄させたり潜水艦を用意したり、大きな事 もたくさんやって。それなのに結局報われなくて。 壊れて歪むまで頑張っても頑張っても頑張っても、どうにもならなかった未来 に絶望してしまっている。それくらいは、理解しているつもりだ。 このまま彼が立ち上がらなかったとしても、小鳥遊に何か実害があるわけじゃ ない。そのまま廃人になろうが死のうが関係ない。関係ない筈だ。でも。 そのまま終わってしまったら、自分はきっと悲しむ。こんな風に誰かを想った のは初めてかもしれない。 つまりは−−誰かの幸せを、願いたくなる気持ちは。
「…あたしは、あたしのサッカーをやる。そして、エイリアと戦って…知りたい 事全部、確かめて来る」
最初はサッカーをしたいから、その為の居場所だけ求めて雷門に来たけれど。 今不動と話してもう一つ目的ができた。 エイリア学園。 魔女、二ノ宮蘭子。 何もかもの契機となったその場所を、確かめてみたいと思う。サッカーできる だけで幸せなのに。何故彼らはそのサッカーを破壊の道具にするのか。 心をすり減らしてまで不動が仕えようとした“あの方”というのが、どんな人 物であるのかを。
『…馬鹿だろ、お前』
不動の声は、泣いていた。
『大馬鹿者だ』
小鳥遊は笑った。泣きそうになっている自分をごまかすように。
「失礼な!馬鹿は馬鹿でも、サッカー馬鹿と言って貰いたいね」
電話を切った時初めて小鳥遊は、すぐ近くに立っている見知った顔に気づく。 春奈と塔子は、少し困ったような、切ないような顔でこちらを見ていた。 まさかさっきまでの会話を、聞いていたのか。小鳥遊が内心焦っていると、塔 子の方が先に口を開く。
「ほんと」
まるでそれは、懐かしむような眼。
「男ってさぁ、めんどくさいよな」
きっと、今は亡き人の事や、不器用にすれ違ってしまった人達の事を思い出し ているのだろう。 立ち聞きされていたというのに、その言葉だけで怒りは吹っ飛んでしまったの だから不思議だ。塔子の言葉に、ありありと実感がこもっていたせいかもしれな い。
「…そうね。まったくその通りだわ」
たった一つの強い想いを貫く事と。たった一つの過去に拘り続ける事は違う。 誇りを持って生きる事と、プライドを翳して自分を守る事もまた。 ただ気付いてくれるだけでいい。小鳥遊はそう思う。魔術師である不動は、一 時的に見失っているだけなのだ。 小さな理解が変える未来は、とてつもなく大きいのだと。
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祈るように、ただ生きて。