降り積もる記憶。 雪のように覆い隠す、誰かの真実。 白の中、僕を呼ぶ声がして振り向くけど。 まだ君の姿は、見えなくて。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 2-21:ブラッディ、クロス。
地下施設の広さはとんでもなかった。あちこち鍵がかかっていて入れない部屋 があった事を考えると、少なくとも目に見える範囲の倍以上の広さが実際はあり そうだ。 聖也がドアを力任せにブッ壊して開けまくろうとするのを、全員総出で止めた 。壊れるのがドアだけで済まないのは目に見えている。本気で勘弁して欲しい。
−−影山の事…相当気に病んでたと思うんだけど。
円堂はさりげなく、仲間達の様子に気を配っていた。真帝国学園戦での事は、 仲間達の中にも大きく爪痕を残している。特に照美、聖也、塔子の三人は目の前 で影山が死ぬのを見てしまっているのだ。 ショックで無かったはずが、ない。特に照美にとっては、あんな男であろうと 父親同然の存在だったのだ。 また。別の意味でも、兄を殺した犯人と対面した春奈は動揺しているだろうし 。別件だが吹雪も染岡の離脱で、大分気持ちが揺らいでいるはずだ。
−−形だけでも…気持ちは切り替えられた、のかな。
ブチ開けさせろー!と喚く聖也を、ゴッドハンドでぶっ飛ばす秋(いやホント 、いつの間に会得したんだろーか)。照美と塔子がその様子を、苦笑しながら見 ている。 木暮がまた悪戯をしてか、悲鳴を上げている壁山。春奈が保護者の務めと言わ んばかりに、木暮を説教しながら引きずっていく。 影山が海に消えた後照美は相当泣いていたし、佐久間の救急車を見送ってしば らくは春奈も泣きじゃくっていた。聖也や塔子に至っては言わずもがなだ。 でも、次の日には二人とも普段通りで。 空元気なのが目に見えていたが、円堂はあえて気付かないフリをしていた。ど うにか乗り越えようとしている彼らの覚悟に、水をさすような事があってはなら ないから。
−−頑張れ、なんて言わないから。
逃げる事があってもいい。 それがいつか、立ち上がる強さに繋がるのなら。 だってもう、彼らはあんなにも、頑張っている。
−−無理だけは、すんじゃねぇぞ。
大丈夫だと思う。少なくとも、彼らに対してはそう信じても構わないだろう。 誰もが傷を抱え、ぎこちなくも立ち上がろうともがいている。その気持ち以上 に、大事な事は無い筈だ。 今円堂が一番心配しているのは、吹雪の方だった。気がつけばぼんやりと何か を考えこんでいるか、何かを吹っ切るように練習に打ち込んでいるか。 シュート特訓のできるエリアを見つけてからは、吹雪はずっとその部屋に籠も りっぱなしだ。こっちが声をかけなければ、食事や睡眠どころか水分補給すら怠 りそうな勢いである。
−−ああいうとこ、似てるんだよなぁ。
自分と、似てる。 何かに躓いて、でも深く考えこみたくなくて。そんな時、モヤモヤを無理矢理 ぶっ飛ばす為に、特訓しまくる。立ち止まったら、闇に飲み込まれそうで−−怖 いから。 吹雪の悩みの、根本的なところは円堂には分からない。 彼が悩み始めたのは京都の試合で、デザームにエターナルブリザードを止めら れてからだ。 今までシュートを止められた事が殆ど無かったのかもしれない。相当ショック だったのだろう。その上、真帝国戦が原因で染岡が離脱。仲が良かったようだか ら、それも影響しているに違いない。 けれど円堂が知っているのは、そこまでに過ぎないのだ。 後一歩。いや、もっともっと根本的なところで、何かが足りない気がしている 。自分は何か、大事な事を知らない。吹雪もまた何かを隠しているような気がし てならない。 吹雪が自分に、仲間達に向けて出しているサイン。その存在は朧気に感じ取れ るのに、一番肝心の本質が見えそうで見えないのだ。 本人に尋ねるべきか。あるいは、本人をよく知る人物に訊くべきか。もしくは 本人が語ってくれるのを待つべきなのか−−。
−−どうするのが最善、なんだろうな。
ナニワ修練場内。GK専用特訓場。 そのゴールの前で、円堂は考えこむ。複雑な論理を展開するのは得意じゃない 。それはずっと鬼道の役目だった。だから甘えてしまっていたのだけど。 試合に直接関わる事でなくとも、もっとたくさんの事を考えて、悩むべきなの だろう。自分は雷門のキャプテンで、みんながその自分を信じてついて来てくれ るのだから。 けれど。
『豪炎寺だけじゃない。…チーム全体で、俺達は円堂、お前にも頼りきっている 。依存するのと共に立ち向かうのは違うから』
そこまで考えた時。円堂の脳裏に蘇ったのは、いつかの晩の鬼道の言葉だ。
『改めて言うぞ。お前も一人で背負いこむな。…仲間を信じてると言うのなら』
「ほんと…難しいよなぁ」
もしかしたら、鬼道が言いたかったのはこれかもしれない。 キャプテンだから。それを理由にみんなに気を配ろうと悩みすぎるな、と。い や、多分悩む分には構わないのだが。確かに、気がつけば一人で考えこんでしま う事が多いかもしれない。 無意識に。そう、本当に無意識なのだけど。仲間を信じている筈なのに、その 仲間に胸の内を明かさないまま、何かを背負いこもうとしてきた気がする。 うまく言えないけれど−−それはきっと、良くないことだ。 他人にして欲しくない事は自分もするな、なんて基礎の基礎ではないか。仲間 に独りきりで悩んで欲しくないなら、自分もきっと、独りきりで悩んじゃいけな い。 チームであるとは、そういうこと。
「…よしっ」
パンッと両手で頬を叩いて、円堂は気合いを入れ直した。 もっとたくさん、いろんな人の話を聴こう。吹雪とももっと話そう。 そして自分も、今考えてることを、誰かに相談してみよう。本音の全部をぶち まける必要はない。ほんの端っこだけでも、きっと意味はある。
「やるぞ!」
不思議な事に。そう考えた途端、急に気持ちが軽くなった。やる気−−はいつ も有り余っているけれど。ただ何かをぶつけるような特訓は、今日はせずに済み そうだ。 パネルのスイッチを入れる。最初は操作に四苦八苦したが、春奈に教えて貰っ てなんとか把握出来た。 人差し指でポチポチボタンを押していく。素人くさい押し方だと夏未に呆れら れたが、慣れてないもんはどうしようもない。 この練習場は、一見普通のゴールと、ボールを不規則に射出するロボットがあ るだけに見える。 だが、キーパーの立つゴールエリアの高い足場はグラグラで、ボールだけに気 を取られているとあっという間に下に落ちたり転んでしまう。 落ちても下は分厚いマットなので怪我はしないが、それなりに痛いし、その度 に足場によじ登らなければならないのである。それだけで手足の力は鍛えられる だろう。
「来いっ!」
円堂が足場によじ登った途端、ボールが次々こちらに向けて飛んで来る。足場 に気をつけながら、身長にキャッチしなければならない。転びやすいジャンプは 極力控える必要がある。 バランス感覚を鍛えるメリットは多い。どんな体制からでもキャッチできるよ うになれば、守備力はぐんと増す。 また、ポジション上打たれ強さが要求されるのがGK。足場でフラつくのは、三 半規管をやられた状態とよく似ている。万が一の対処法を知る意味でも、無駄に らならない筈だ。
−−次は…左!
初動の差が勝負を分ける。早い段階で見極め、キャッチやパンチングの体制に 入れるかどうか。 今回足場がグラつくので、急激なジャンプも避けなくてはならない。最低限の 体重移動とリーチの把握。それができなければ、ボールを取るのは難しい。 パシッと手の中からいい音。キャッチ成功。だが、機械は容赦なく次の弾をこ めている。休んでいる暇はない。 次々と思考と体を切り替えていかなければ、相手チームの猛攻に耐える事など できやしないのだ。
−−次も…左か!?
左隅の際どいところに向けて、ボールが飛んで来る。左足を軸に、体を動かそ うとして−−読みが間違っていた事に気付く。 左へ向かうと思われたボールはぐるん、と弧を描き、右寄りの中央付近に滑り こんで来たのだ。 アウトフロントキックの再現とは。さすがエイリアの施設、芸が細かい。
−−なんて感心してる場合じゃないし!
しまった、と思った時はもう遅い。無理に体の向きを変えようとしたせいで、 バランスを崩してしまった。 足場が急激に斜めになる。足が滑る。ボールがゴールに吸い込まれ、ネットに 叩きつけられる音がしたが−−それどころではない。
「わっ!」
円堂はひっくり返り、足場から真っ逆様に落下した。続いて衝撃。肩口からマ ットに叩きつけられ痛みが走る。 その時だった。
−−あ…れ…?
バチリ、と。視界に電撃が走ったような歪みが。頭を打ったわけじゃないのに −−なんだろう、この感覚。頭の中に、現実とは違う景色が写り込むこの感じは −−。 そうだ。鬼道の死体を見つけたと、同じ。同じフラッシュバック。
鬼道と同じように、血に染まった身体 。 違うのはそれが鬼道よりずっと幼い子供であることと、子供がちゃんと服を着 ていること。 そして自分がその子供の前で泣き叫んである事−−。
−−なんだ、これ?
気持ち悪い。何だろう、吐き気がする。何か、とてつもなく嫌なものを思い出 してしまいそうで−−全身が震え、胸の奥から暗いものが吹き上がる。
『……だ!…や!!……る、か…!!』
泣き叫ぶ幼い自分の声が、途切れ途切れに聞こえる。名前を呼んでるのか。し かしその名前も聞き取れなければ、倒れている子供の姿もよく見えない。 いや。見たくないのだ。気付いてしまったら取り返しのつかない事になる気が して。
『……!!』
ふと、目の前に暗い影が落ちる。顔を上げた先に、大人が一人立っていた。そ ちらはやけにハッキリ見える。 痩せこけた頬。爬虫類のように、ぎょろりとした目つき。握られたナイフ。そ して−−ニィ、と喜悦の形に弧を描いた唇。 こんな男は知らない。知らない筈だ。なのにどうしてこんなにも恐怖を煽られ るのか。 嫌だ。嫌だ。嫌だ。−−逃げなければ。でも。 男がナイフを振り上げて、幼い手が血だまりで滑って、また叫んで、それで− −その後、は?
パキン!!
「円堂君っ!」
その声に、円堂は我に返った。急速に戻って来る現実感。円堂は、自分がマッ トの上に倒れたままである事に気付いた。目の前では秋が心配そうに覗きこんで きている。 「良かった…心配したよ?倒れたまま固まってるんだもの」 「ご…ごめん」 とりあえず謝るも、円堂自身にも訳が分からない事だらけだった。 今のは、一体。まるで現実のようにリアルな悪夢。全身がぐっしょり冷たい汗 をかいている。 本当に夢、なのだろうか。妙に生々しいフラッシュバックだ。しかし、あんな 目に遭った記憶なんてない。無い筈なのに。
−−なんか…凄く、嫌な予感がする…。
今の悪夢が。警鐘を鳴らしている気がしてならない。 気付き損ねている、何かの真実に。
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消えていく、朽ちていく。