君に出会って世界が変わった。 君が怒ると世界が泣いた。 君が笑うと世界が輝いた。 君のおかげで私は、きっと 。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 2-23:想いの、紡ぎ歌。
GK練習場に設置された、休憩用のベンチ。秋は円堂とそこに座っている。 久しぶりかもしれない。こうやって、二人だけで話すのは。円堂とは、家が近 所なだけあって中学に上がる前から付き合いがある。風丸ほど長くはないけれど 。 本当は、もっとたくさん話したいのだ、彼と。 それは円堂守に恋心を抱く女の子としてだけではない。マネージャーとしても 、幼なじみとしてもそう思うのである。 彼は無意識に、何でもしょいこみ過ぎてしまうタイプだから。せめてその荷物 を軽くする手伝いくらいさせて欲しい。そう願うのが、傲慢な事だろうか。
「前に…秋がさ、言ってくれたよな」
眼を閉じて、何かを思い出すように言う円堂。
「帝国との地区予選の時。悩んでるのは見ればすぐ分かるから…一緒に背負わせ て欲しいって。サッカーなら、一人で守れない時は二人で守るものだからって」
そんな事も言ったなぁ、と思う。あの時円堂は、影山から聞いてしまった話が 元で悩んでいた。 帝国で三連覇を成し遂げなければ、鬼道は妹と暮らせない。雷門が勝ったら、 鬼道と春奈の兄妹は破滅する−−と。 話を聞いたからといって、秋に何かができたわけではないけれど。それでも、 円堂の気持ちを少しだけ軽くする事は出来たと思うのだ。そして、結果的に春奈 に真実を知らせる事も。 小さな勇気を持つだけで、変わる事もあるのだ。ただ自分達はそれを忘れてし まいがちなだけで。 「だから俺…もっとみんなと話さなきゃいけないんだな…って思ってさ。思って たのに最近ちょっと忘れてたかもって」 「…そっか」 悩んでいる円堂に対して不謹慎だとは思うが。秋は嬉しかった。彼が自分から 、胸の内を明かしてくれる事が。 キャプテンである以前に、円堂守は彼という一人の人間であり。十四歳の子供 なのである。それなくして彼という存在は有り得ない。見失ってしまいがちでは あるけれど。
「みんな…悩んでると思うんだ、本当は。鬼道の事、影山の事、エイリアの事、 怪我した奴らの事…とにかく、たくさんの事で」
円堂が、ボールを抱きしめる手に力を込めたのが分かった。その手が震えてい ないのは、彼の強さゆえなのか。 その強さが、時に周りを不安にさせる事もあると、きっと彼は気づいていまい 。
「でも俺、そんなみんなに…何て言えばいいのか、分からないんだ。キャプテン なのに、上手に励ます事一つできやしない。鬼道が死んだ時だって…」
その名前を出した途端、一瞬彼の手に大きな震えが走った。そのトラウマの大 きさを示すように。 あの一件が皆に齎した傷はあまりに深く、重い。誰しもに例外なく。
「一ノ瀬が背中を押してくれなかったら、まず俺が立ち上がれてなかった。みん なを励ましたのだって俺じゃなくて…塔子や土門が頑張ってくれたお陰だし」
凄いよな、あいつら。 そう呟く円堂の瞳に、暗い感情はない。ただ眩しいばかりの羨望と尊敬を湛え るばかりで。 「俺…俺がキャプテンで本当に良いのかなって、思う時もあるんだ。今更こんな 事言うべきじゃないって分かってるけど。俺みんなの為に…何も出来ないんだ」 「円堂君…」 秋は、切ない気持ちになる。 みんなの為に。みんなの為に。気付けば彼はそればかり。自分自身の傷は二の 次に置いてしまうのだ。だから涙すら、ろくに見せようとはしない。 でもそれが、円堂が無理して作り上げた姿でない事も知っている。確かに円堂 は時々意識的にがんばっているけれど。けして、キャプテンとしての自分を演じ ているわけではないのである。 「…ありがとね、円堂君」 「え?」 きょとん、と目を丸くする幼い顔に向けて、秋は微笑んでみせる。
「不謹慎だけど…嬉しいな。円堂君から、思ってる事話してくれた。それに、円 堂君がそれだけチームを大事に思ってくれてて…すっごく、嬉しいよ」
どんな言葉が相応しいかなんて分からない。でも分からないなりに、自分なり の言葉を一生懸命探してみる。 「誰かに相談するとね。自分が楽になるだけじゃないの。気付いてた?相談され る側も嬉しいの」 「そう…なのか?」 「そうだよ。円堂君はよくみんなの相談受けてるでしょ。その時思ったんじゃな い?秘密や悩みを相談してもらえるくらい、自分は信頼してもらえてるんだ…っ て」 円堂も不器用なりに、自分の言葉で語ってくれたのだから。その想いに応える だけの誠意を示したい。 それが礼儀であり、感謝でもある。
「逆に、秘密にされてばっかりで、話して貰えなかったら?…不安にならない? 自分はそんなに信用して貰えてないのかなって」
勿論、必ずしもそうとは限らない。大切だからこそ、近しい存在だからこそ打 ち明けられない事もある。 相手に心配をかけたくないから。迷惑をかけたくないから。そう考えて隠し事 をする事も多いだろう。 実際、隠し事自体は悪い事ではない。秘密や話したくない事のない人間なんか いないのだから。でも。 相手を想って隠した事で、もっと相手を傷つけてしまう事もある。隠す事で、 もっと心配させてしまったりする。 だからこそ、仲間の存在は貴く、何物にも代え難いのだ。仲間に相談する事で 、お互いの信頼への証であると同時に、より良い解決策が見つかる事もあるのだ から。
「うん。…言われてみると、そうかも。仲間の誰かに、一人で悩みを抱え込まれ てたら…いろんな意味で、辛いし。打ち明けて貰えたらそれだけで嬉しいや」
円堂も理解できたらしく、うんうんと頷いている。
「そうでしょ?…でね。話は戻るけど」
スカートの膝の上で、両手を握り直す。落ち着かない時や緊張した時、さりげ なく指をいじるのは秋の癖だった。 二人きりで話せる今の状況に、自重しないと一気にテンションが上がってしま いそうである。
「円堂君が、キャプテンで本当に良かったと思ってる。私だけじゃないよ。…キ ャプテンっていうのは、チームの事を一番想ってる人がやるべきだもの。円堂君 は、いつもみんなの為に頑張って、悩んでる」
本当はもう少し、自分の為の事も考えて欲しいのだけど。その言葉は、今は飲 み込む事にした。 この状況では何より残酷である事も、理解していたから。
「円堂君が先頭に立って引っ張ってるから、みんな安心してその背中についてい ける。何回倒れても立ち上がる君の姿そのものが…みんなの力になってるの。… 私も」
諦めない強さ。立ち上がる勇ましさ。 そして、世界中で一番素敵な気持ち。 教えてくれたのは、みんなみんな円堂だった。
「私も、感謝してる。今の私がいるのは、円堂君のおかげなんだよ」
そんな彼だから、好きになったのだ。 千年に一度とすら思えるような、とびっきりの恋をしたのだ。
「…もし、それでもまだ足りないと思うなら。悩んでる人に言ってあげて。…頑 張ってるね、って」
頑張れ、は。本当はとてもとても残酷な言葉。頑張りすぎてる人を、さらに追 い詰めてしまう事になる。 落ち込んでいる人は、心のどこかで認めて貰いたがっているのだ。自分が今此 処に在る成果を。辿ってきた足跡を。 円堂だったらどんな言葉でもポジティブに捉えて、本当にそれ以上頑張れてし まうかもしれない。でもその強さは時に危なくて。同時に、それだけの強さを持 っている人も少ないから。 「無理しすぎないでね。偶には逃げたっていいよ。……ってそのへんみんな、私 が円堂君に言いたい事なんだけど」 「秋…」 「円堂君は無力なんかじゃない。たくさんたくさん、私達の為に頑張ってくれて る。これからも出来る事はたくさんあると思うけど…その為に円堂が頑張りすぎ ちゃったら、見てる側が辛くなっちゃうからさ。……って段々何言ってるか分か んなくなってきちゃった」 「いいよ。大丈夫。ちゃんと伝わったから」 うーん、と伸びをする円堂。
「ありがとな、秋。おかげで大分肩の荷が降りた気がする」
さっきまでより、その笑顔が晴れやかになっているように思う。
「どういたしまして」
ああ、可愛いなぁ。何でも許せちゃいそうだなぁ。 そう思ってしまうのも惚れた弱みと言うべきなのか。見ているだけで幸せな気 持ちになれる笑顔というものが本当にあるのだ。今、目の前に確実に。 この恋が実るかどうかは分からない。正直現状でかなり望みは薄いけれど。 それでも、一番はやっぱり、円堂が幸せになってくれる事。その手伝いをどん な形であれ自分ができるのなら、それ以上に秋にとって幸せな事はは無いのだ。 うん。やっぱり、思っていた以上に自分は円堂に惚れている。 「私…決めた。この戦いが終わったら…私ももう一回サッカー始める!」 「ほんとか、秋?」 「ほんともほんと。音無さんや塔子さんだって活躍してるんだもの、いても立っ てもいられなくなっちゃった!!」 実のところ。秋は昔はかなり本格的にサッカーをやっていたのである。アメリ カ時代は一ノ瀬や土門と同じチームに入っていたのだから。 でも。一ノ瀬がトラックにはねられるのを見てしまったあの日から。殆どボー ルを触る事をしなくなった。出来なかったと言ってもいい。 結果的に一ノ瀬は生きていたけれど。あの日の後悔とトラウマは思っていた以 上に根が深くて−−秋をサッカーから遠ざけてしまっていたのだ。 それで何が変わるわけではないとしても。気持ちの問題であるとは分かってい ても。
−−だけど今…サッカーやめた事、後悔してる。もし私にもそれだけの力があっ たら…同じフィールドで、円堂君と戦えたかもしれないのにって。
エイリアとの戦いには間に合わないだろう。だが、円堂と同じ場所に立つとい う夢が、新しい目標を連れてきてくれた。 女子サッカー部を作ろう。そしてまたサッカーをやろう。 きっと、楽しいから。
「ちなみに私、GKになりたいな。円堂君みたいに、チームを守る人に」
いや。なりたいな、じゃない。
「ううん。…絶対、なる!」
どんなボールも、現実も、運命も受け止めて。支えて。文字通り護る人になり たい。大好きな円堂のように。 チームのGKが守っているのはゴールだけではないのだと、円堂がそう教えてく れたから。 「円堂君もビックリの名GKになっちゃうかもね!追い抜かす気満々だから、覚悟 しといて〜!!」 「ははっそりゃ楽しみだ!期待して待ってるからな!!」 幼い頃、サッカーは魔法だった。中間質との絆を結び、そしてみんな一緒に幸 せになれる魔法。 円堂やみんなが戦う姿を見て。当たり前のようにそう信じていた日々を思い出 した。忘れかけた気持ちを、彼らが呼び覚ましてくれた。
−−サッカーは、楽しいものなんだ。
トラウマに沈んでいた昔の自分に、心の中で手を振る秋。闇色の幻は消えずと も、目の前にはそれより眩しい現実がある。 頑張りすぎるつもりはない。でも、無理せず頑張れる。今の自分なら。 秋と円堂は顔を見合わせて、また笑った。
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きっと、大丈夫。