掻き乱されて、壊されていく。 何処まで転がり落ちれば君はいるの? 掻き回されて、崩れていく。 何処まで頑張れば終わりは来るの?
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 2-27:嫉妬と、羨望と。
自分は、最低だ。そして卑怯だ。 風丸の胸中は自己嫌悪でいっぱいだった。 最近どんどん色を濃くする、自分の中の暗い感情。それは恐ろしいほど静かで 、それでいて強い存在感を放っている。風丸自身にもどうしようもないくらいに 。 いつかこの気持ちがあらぬ方向へと暴発したら。それが怖くて仕方ない。その 時自分は望んでもいないのに高笑っていそうな気がする。これでやっと解放され た、とでも言いたげに。
−−宮坂…リュウジ…。
自分は、嫉妬した。あの二人の才能に。 彼らは天才だ。それは最も強く尊い才覚。即ち、“どこまででも努力し続けら れる”という才能。それができるゆえの天才なのだ。 薄々分かっていた事。しかし、だからこそ目を逸らしていたかった事。 自分は彼らに追い抜かされるかもしれない、なんて。
『それに…僕には風丸さんっていうハッキリとした目標があるから』
リフレインする、宮坂の言葉。
『尊敬できる人が身近にいて、その人を目標に頑張れる。これってスゴく幸せな 事だと思うんです。強くなったらなっただけ、その人の役に立てるし』
宮坂に邪念はない。ただ純粋に、風丸の為に頑張ってくれている。確執のあっ たサッカー部に来てまでも、自分の役に立とうとしてくるている。 なのに。 そのひたむきさが。熱意が。風丸にはやや重荷になりつつあった。彼の頑張り に答えるだけのものが、自分には何一つ無いのである。 宮坂が思っているほど、自分と彼の距離は遠くないのだ。陸上部時代からそう だった。宮坂という存在は可愛い弟分であると同時に、下からのし上がってくる 脅威であったのである。 入部当初、宮坂はけして脚が早い方ではなかった。それが今はどうだ。現時点 で既に、部長の速水や風丸に次ぐスピードを誇るようになっている。まだあれか ら半年も経っていないのに。 その力は彼が、ひたすら努力して勝ち取ったもの。故に恐ろしい。彼は努力を 恐れる事も怠ける事も一切無いのだから。 宮坂は風丸が目標だと言う。だがそうやって凄まじいスピードで追いついて来 る彼を、風丸は畏れていた。陸上だけじゃない。彼はつい先日サッカーを始めた ばかりであるのに、試合であれだけ活躍してみせた。 実力者であるレーゼとあれだけ息のあった連携技を披露してみせた。 誰もが既に認めているだろう。新入りの宮坂が、けしてチームの脚を引っ張る 存在などではない事を。
−−俺は宮坂に目標にして貰うほどの実力なんか…持ってない。
嫌になる。自分の弱さが、無力さが。
−−そしてお前が思うほど、綺麗な存在でもないんだ…。
なんて酷い。なんて醜い。一生懸命頑張っている後輩に、自分は嫉妬したのだ 。彼が頑張っているのは風丸の為なのに。彼は才覚に胡座を掻く事なく努力して いるというのに。 最低だ。終わりの見えない戦いに思い悩んでいるのは自分だけじゃない。みん な同じ状況。みんなが辛い。なのにこれじゃあまるで、悲劇の主人公を一人で気 取っているよう。 あまりにも惨めで、みっともなくて、笑い出したくなる。
バキィッ!!
「…!」
派手に何かが壊れる音。宮坂達が練習していたのより、さらに奥のシュート練 習場。主にパワーの底上げを目的とした場所からだ。 風丸は何となくそちらに向けて歩いていった。そこで練習しているのが誰かは 知っているし、さっきの音も断続的に響いているもので理由は分かっている。 ついでに言えば、別に用があるわけでもない。ただ何となく気になったから。 そうとしか説明できない。 丁度入口から中を覗いたタイミングで、その技は決まった。
「吹き荒れろ…っ」
吹雪の足下から吹き上げる冷気。脚がボールに氷をまとわりつかせて、宙へと 浮き上がらせる。凍てついた風がボールを中心に渦を巻いていく。
「エターナル…ブリザードッ!!」
氷塊と化したボールを、力一杯蹴りつける吹雪。絶対零度の一撃が、ゴールを 守るロボットに叩き込まれた。 ぐしゃり、と金属が歪む音。 ロボットの頭の辺りにボールがめり込み、首があらぬ方向へとひしゃげる。 千切れたコードから火花を散らせながら、ロボットの体は壁まで吹き飛ばされ 、貼り付けになった。壊れかけた状態で、ガチガチに凍らされて。 相変わらず、なんて破壊力なのか。あれが普通の人間相手だったら、怪我じゃ すまないところである。
「クソがっ…!」
だが。吹雪は満足していないのか。悔しげに顔を歪め、ゴールを射殺さんばか りに睨みつけている。
「足りねぇ…こんなんじゃ全然足りねぇ…!もっとパワーがなけりゃ、デザーム は…っ!!」
普段の温厚な彼からは想像もできない、荒い口調で悪態をついている。 デザーム−−あのイプシロンのキャプテン。どうやら彼にゴールを阻止された のが余程悔しかったらしい。
−−困ったなぁ。
一番最初に思った感想がそれ。すぐに情けなさに、風丸は自己嫌悪に陥る。 風丸の武器だったスピードというお株を、いとも簡単に奪ってくれた吹雪にパ ワーまで身に付いたら。追い抜きようがなくなってしまうではないか。自分は本 当に用済みになってしまうかもしれない。 なんて。 さっきから馬鹿な事ばかり考える自分がほとほと嫌になる。自分が弱いのは才 覚が無いからだけじゃなく、努力が足りてないせいだと分かってはいるのに。
「…風丸君?」
名前を呼ばれ、はっとして顔を上げる。物思いにふけっている間に、風丸の存 在に気付いたらしい。吹雪がいつものぼんやり顔でこちらを見ている。 そこに、さっきまでの刺々しさは無い。 「どうかした?なんか…顔色悪いよ」 「…そうかな」 お互い様だろう、と思いはしたが口にはしなかった。吹雪に指摘されるまでも なく、自分がどんなに酷い顔をしているかくらい想像がつく。 そして吹雪の方も。特訓に精を出すのは良いが、端から見てもオーバーワーク 気味だ。修練場に入ってからろくに水分補給もせずシュートを打ち続けている。 さすがにその顔には披露の色が濃い。
「…頑張ってるな、吹雪。凄いよ」
思わず、本音がこぼれ出る。
「今の雷門のエースストライカーは間違いなくお前だ。みんながお前に…お前の エターナルブリザードに期待してる」
羨ましい。妬ましい。そしてまた回る自己嫌悪。最低の無限ループだ。 正直なところ風丸の嫉妬の対象は宮坂やレーゼだけではない。吹雪もだ。むし ろ彼こそ、風丸に初めて黒い感情を自覚させた存在であるかもしれない。 風になろうよ、と笑った吹雪。実際に彼は、まるでフィールドを走る雪風のご とく早かった。今までずっと“風”は風丸のものだったのに、彼はもっと高い場 所にいたのだ。
「羨ましいな。俺にも…お前みたいなスピードがあれば。力があればみんなの… 役に立てたのに」
吹雪の力は才能だけじゃない。血の滲む努力によって裏打ちされたものだと知 っている。だからそれを妬むのも、わざわざ本人にこんな事を言うのもお門違い だと分かっているのに。 勝手に比較しては、落ち込むばかりの自分。力があれば。強さがあれば。速さ があれば。まったく、願望だけで願いが叶なら苦労はしないだろう。
「風丸君は」
吹雪が口を開く。俯いたまま、その言葉を聞く風丸。
「自分は役立たずだって、思ってる?」
静かな声。 役立たず−−その言葉が胸を抉り、傷ついた自分に傷つく。役に立ちたいと願 うという事は、今はまだ役に立てていないと認めるも同然。 自分で言ったようなもんなのに、他人に改めて言い換えられてショックを受け るだなんて、本当にどうかしてる。
「そんなこと、ないよ。僕は、知ってる」
答えられずにいる風丸に、吹雪は続ける。
「君の存在に、チームのみんなが救われてる。支えられてる。特にキャプテンは ね。君は僕なんかよりずっとみんなの役に立ってるよ」
それは想定ではなく、断定の言葉だった。風丸は顔を上げる。そして。 その瞬間、後悔した。
「君は僕が羨ましいって言うけど。それ、おかしいよ。僕こそ…君に嫉妬してる んだから」
吹雪は泣き出しそうな顔で、笑っていた。 風丸は悟る。何が原因か、何が理由かは分からない。しかしたった今自分は何 か致命的なミスを犯したのだ。とんでもない失言をやらかしたのだ。そして彼を 、どうにもならないくらい傷つけたのだ。 激しく動揺し、視線を泳がせる。 何だ。何がいけなかったのだ。何故そんな顔をする。何故そんな眼で自分を見 る。 やめてくれ、と思った。身勝手にも吹雪を傷つけた罪悪感より、保身の心が先 に働いた。 そんな眼で自分を見るな。これ以上追い詰めないで。自分を、誰かを、可哀想 だなんて思わせないでくれ。 情けない懇願が脳髄を這い回る。
「僕は本当は生きてちゃいけない人間だから。どんなに君達の事が好きでも、君 達が僕を好きになってくれても…結局独りきりでしかない」
独りきり。なんて悲しい事を言うのか。何故自分に言うのか。 自分達は、仲間であるというのに−−いや、それとも彼はもっと別のカテゴリ ーからそれを語っているのかもしれない。じゃなきゃそんな矛盾した事は言わな いだろう。 確かなのはその本質を風丸が理解するには、あまりに情報不足だという、その 一点に尽きる。 「でも君は違う。みんな、本当の君を必要としてる。そしてみんなが君の仲間で 、どんな場所にいても君は独りきりにはならない」 「俺、は…」 「風丸君。お願い、気付いて。当たり前のものなんてない。今日と同じ明日なん て絶対にない」 だから羨ましいなんて、言わないで。それは消え入りそうな声だった。
「なくしちゃう前に、気付いて。君は僕に無いもの、たくさん持ってるんだから 」
風丸の隣。すれ違いざまにそう言って、吹雪は立ち去っていった。ぺたん、と 平たい音。何かと思ったら自分が膝をついた音だった。 何か、取り返しのつかない過ちをして、それを償う機会すら逸した事を自覚し た。自覚はしたが、結局何が正解だったのかは分からずじまいだ。
−−ああ、そうか。これって。
『いい加減にしろ、風丸』
いつかの鬼道の言葉が、靄の中から浮かび上がる。
『知らない事は罪じゃない。…だが、知らないからで赦される事は何もない』
−−あの時…あんなに後悔したのに。
またやってしまった。無知ゆえの心無い言葉。悪意の無い刃。その重さがどれ ほどのものかは、傷つけられた本人にしか分からなくて。
−−…謝らなきゃ。
知る努力すらしないで妬むだけ妬むなんて、最低にもほどがある。 知らず知らずのうちに、温い涙が頬を伝っていた。本気で自分が嫌いになった 瞬間。罪悪感で死んでしまいそうになる。 自分は皆に追いつけないばかりか、仲間の死や幾つもの戦いをえてなお、何一 つ成長できてない。 絶望と失望。風丸はうずくまり、声もなく、泣いた。
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求めもしない、救えもしない。