悲しい音が、背中に爪跡を刻むの。 私は未だ私を上手に片付けられない。 散らばるそれが、初めて役に立たない薬だと知った。 ホントウに欲しかったのは、貴方との未来。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 2-32:君の声が、聴こえる。
病院の休憩所。年代物のテレビを、鬼瓦はじっと見つめていた。 ブラウン管の向こうから響くは、熱の入った実況と観客の声だ。
『緑川、ボールを奪われたぁっ!』
緑髪のポニーテール。可愛らしい顔立ちの少年が、エイリア学園の青髪の少年 ・メトロンのタックルに吹っ飛ばされる。 あのポニーテールの彼−−緑川リュウジの正体を、鬼瓦も知っていた。髪型も 雰囲気も違うけれど、あれがジェミニストームの元キャプテン・レーゼだろう、 と。 元々自分は鬼道から依頼を受けて、エイリア学園の正体を探っていた一人であ る。だからレーゼ達が宇宙人などではなく、孤児院で行方知れずになっていた子 ども達の一人であると分かっていた。 彼らが大人達の都合に振り回され、利用された存在であることも。
−−神様なんてもんがいるとしたら…残酷な真似をする。
誰もが愛し愛される為、幸せになる為生まれて来た筈なのに。そんな当たり前 な事が何故赦されないのだろう。
−−普通の家庭で育ったなら…こんな事にはならなかっただろうに。
本当の意味で彼らに罪など無い。ある筈がない。それを理解しているからこそ 、鬼瓦はイナズマキャラバンでレーゼを預かっている現状を容認しているのであ る。 瞳子は京都でレーゼを保護した際、警察に一切連絡していない。秘密裏にと鬼 瓦にだけ事情を話してきたのは聖也だ。それだけ信頼してくれているという事だ ろう。 自分の立場上、あまり好ましい提案で無かったのは否定しない。しかし個人的 観念からすればレーゼには同情の余地があったし、言い方は悪いが彼を通じての 情報収集は有益だ。 実際雷門に、この短い期間でレーゼは馴染みつつある。また、この試合を通じ てイプシロンを説得する段階まで来ている。これは悪い傾向ではない筈だ。
−−いるかどうかも分かねぇ神様とやらよ。
生体実験に晒され、記憶をねじ曲げられたレーゼ。彼の事を鬼瓦に報告してき た時の聖也の、怒りに満ちた声を思い出す。 そして鬼道有人と、真帝国学園の悲劇を。全ての悲しみを、全ての嘆きを。
−−これ以上、あいつらを不幸にしてくれるな。重たいもんを背負わせてくれる な。
ライブ映像。試合の生中継は続いている。 メトロンがパスしたのは、イプシロンの副将、FWのゼルだ。素早い動きでフィ ールドを駆け上がり、ゼルはシュートの射程圏まで入る。
「ガニメデプロトン…!」
量の手の中に生み出すオーラ。浮き上がったボールを、紫色の光が吹き飛ばす 。
「たぁっ!!」
必殺シュートが雷門のゴールに向けて放たれた。 そこに走りこんで来たのは木暮。少なからずゼルの顔が強ばったのが分かった 。漫遊寺での雷門とイプシロンの初戦にも中継は入っていた。木暮はその時、不 完全な形ながらもゼルの一撃を阻止している。 逆立ちをして、木暮は技の名前を叫ぶ。
「旋風陣ッ!!」
少年の小柄な体を中心に巻き起こる旋風。吹き荒れる風に巻きこまれ、シュー トは木暮の足元へと引き寄せられた。 『木暮!今度はゼルのシュートを完璧に止めたぁぁっ!!』 「俺だって特訓したんだからな!ウッシッシ」 角馬の実況に、木暮は胸を張る。確かに、進化している。この短期間で相当。 無論それは、木暮だけではない。
「行くぞっ!」
木暮からのパスを受けたのは風丸。そのまま攻めあがっていく彼を阻止せんと 、スオームが駆けていく。 しかし。
「分身フェイント!!」
まるで忍術。風丸の姿が三人に分裂し、スオームが戸惑う一瞬の間で、あっと いう間に彼を抜き去っていく。 素早さに磨きがかかっている。驚くべき成長と言うべきだろう。 なのに−−彼の表情がどこか苦しそうに見えるのは何故なのか。
−−あいつらも、あいつらなりに頑張ってるんだ。
鬼瓦はテレビに背を向け、休憩所を後にする。足は自然と、佐久間と源田の病 室に向かっていた。 彼らはまだ目覚めない。危篤状態は脱したとはいえ、依然予断を許さぬ状況に は違いない。一生意識が戻らない可能性もあるという。 それでも。帝国の仲間達は毎日見舞いに来る。今日も来ている。そして二人が 戻って来るその日を、ずっとずっと待っている。 彼らには−−待っている人がいる。
「次は…お前らが頑張る番じゃないのか?なぁ…」
逝っては駄目。その先に楽園なんて有りはしない。 二人には、帰るべき場所があるのだから。
頭の中で、ずっと同じ単語ばかりが回っている。繰り返し、繰り返し。佐久間 は譫言のように、その言葉を呟き続けていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
深い深い闇の中でただ一人。自分は死んだのか。それとも生きたまま死んだよ うに夢を見ているのか。あるいは、これから死のうとしているのか。 分からない。しかし、今はそんな事どうだっていい。この死ぬよりも苦しい後 悔が晴れるならば何だっていい。 赦されたいとは思わないし、もはやそんな資格など自分には無いだろう。赦さ れない事をした。赦される筈がない。それは自分自身が、誰よりよく分かってい る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
それでも、謝らなければならない。 それでも、謝るしか出来ない。 それ以外にどう贖えばいいと言うのだろう。自分の命で叶うならそうしよう、 しかしそれだけでは絶対的に足りない。絶望するほど痛感している。 それほどまでに、犯した罪は重すぎるから。
「ごめんなさい…ひっく…ごめんなさ…」
洪水のように、瞳から溢れる滴。子供のように泣きじゃくりながら謝り、ひた すら佐久間は歩き続ける。 後悔で心臓が止まりそうなのに、自分はまだ動いている。悲しみで脳が腐りそ うなのに、自分にはまだ理性があるのだ。 それが怖くて恐ろしくて、また涙が溢れるのである。溺死してしまいそうなほ ど流れても、一向に枯れる気配はない。
−−−どうして謝っているの?
いつまでそうしてさ迷っていたのか。不意にその声は聞こえた。小さくて、く ぐもっていて、誰だかも分からない声が。 それでも確かに、聞こえた声。
「…謝らなくちゃ、いけないんだ」
佐久間は嗚咽を上げながら、その声に答える。
「俺は…赦されない事を、した。勝手に死んで…大事な約束も忘れて…。あいつ を、裏切り者呼ばわりして殺しただけじゃあきたらず…っ」
自らの懺悔が、胸に突き刺さる。
「絶対に使うなって言われた技まで使って…影山に従って…。しまいには…あい つが命懸けで守ろうとした妹を傷つけようとしたんだ。先に裏切ったのは、俺達 の方だったのに…!」
最期の最期まで、一番大事な事に気付けなかった。一番大事な、彼の想いを汲 み取れなかった。 裏切って裏切って。踏みにじって踏みにじって。自分も仲間も傷つけて傷つけ て。
「泣かせた。いつも泣いた事なんかない鬼道を…俺達が泣かせちまった…!」
こんな事、望んでなんかいなかったのに。
−−−じゃあ、どうして、君が泣くの?
「だって!!」
叫んでいた。 胸が張り裂けそうな悲しみを、撒き散らすかのように。
「もう…もう二度と…鬼道に謝れない!約束守れないんだ…俺達は帝国で、待っ てなきゃいけなかったのに!!」
待ってる。信じてる。 そう言ったのは、自分達の方だったのに。
「もう二度と…一緒にサッカーできないんだ…!悲しくて…死にそうだ……!!」
本当の望みは、それだけだった。 その為に、自分達は頑張って来た筈だった。バラバラになってしまった帝国サ ッカー部をまとめ上げ、最強の名に相応しいチームになって。 胸を張って鬼道の帰りを待っていようと、そう決めたのに。
−−−そうか。
ふわり、と。優しい香りがした。何だろう、と思った瞬間。かくん、と佐久間 の膝から力が抜ける。 それは安堵から、親の前で座り込む子供のように。
−−−頑張ったね。
頭の上に、温かな重み。
−−−本当の本当に。ずっとずっと、頑張って来たんだね。
それは、佐久間の頭を撫でる誰かの手。声と共に優しく、佐久間の心を包み込 んでいく。
−−−お前は、悪くないよ。本当は誰も悪くなかった。
「悪く…ない?」
−−−そうだよ。
声が、手の感触がリアルに、クリアになっていく。佐久間は叫び出しそうにな った。いや、感情が飽和しすぎて、喉からは何の音も出て来なかった。
「お前は優しい子だから。自分を責めて責めて、追い詰められてしまったんだな 」
それが誰だか、分かるには充分だったから。
「すまなかった、佐久間。謝らなければならないのは、俺の方だったのに」
鬼道が、立っていた。 帝国のユニフォームを着て、赤いマントを羽織って。
「俺の罪は。お前達がどれだけ俺を想ってくれているか、気付けなかった事。お 前達の苦しみを理解してやれなかった事だ」
呆然と座り込む佐久間の頭を、鬼道は抱きしめる。幼子を諭す、母親のように 。 「すまなかった。何度でも謝る。だから…もう、お前はお前自身を赦してやって くれないか」 「き、ど…」 「本当に、よく頑張った。ずっと辛かったろう」 頑張った。 ああ、そうだ。自分はずっとそう、誉めて欲しかった。自分のしている事は無 駄じゃないと、教えて欲しかった。 報われたいと、願っていたのだ。
「俺はずっと此処にいる。お前が願うなら、ずっと待っているから」
鬼道の温かさに、言葉が出ない。言いたい事は山ほどある筈なのに、何一つ。
「お前達に逢えたことを、俺は後悔しない。お前達を恨んだ瞬間なんてない。そ れでもお前が俺の為に何かしてくれると言うのなら…ワガママを一つ、聞いてく れ」
すっと離れていく腕。漸く気付いた。鬼道がいつものゴーグルをしていない事 に。
「生きて。生きてお前の納得する答えを見つけて欲しい」
切れ尾の赤い眼が、こちらを見つめている。そこに涙は無い。鬼道は−−泣い てなど、いなかった。 いや。きっと泣いた時もあったのだろう。それでも、今は。
「俺がお前達に愛されて生きたように。お前もまた愛されて愛されて、そこにい る事を忘れてくれるな」
鬼道の背後から、白い光が溢れ出して来る。闇を切り裂くそれを見た時、再び 佐久間の視界は滲んだ。 頬を伝う、最期の一滴。
「お前の帰るべき場所は、何処にある?思い出せ」
手を伸ばして、佐久間は声の限り叫んだ。かの人の名を、涙と共に叫んだ。 消える最期の瞬間、振り向いた鬼道は−−笑っていた。それが答えだと言うよ うに。
「ありがとう、佐久間」
光が闇を掻き消して。佐久間は現実を、真実を悟った。 そして−−静かに決意した。
「さ…佐久間…!!」
名前の呼ぶ声に眼を開くと。 そこには自分を愛してくれる、仲間達の顔があった。
NEXT
|
闇の中、君の声が。