深い冷たい闇の中で。 それでも光を探した。 伸ばした手が何かを掴みかけた。 温かい、そんな掌。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 2-34:ハロー、グッバイ。
イプシロンに先制された。スコアは1対0。まだまだ試合は序盤とはいえ−− これは大きな一点と言えるだろう。 流れを掴む為には、先に点をとっておきたかったのが雷門メンバー全員の本心 であった筈だ。
−−と言っても…今の守備に寄った陣型じゃそれは難しかったんだけど。
ちらり、とベンチの春奈を見るレーゼ。次に中盤の一之瀬を。 基本、攻撃型かカウンター狙いのサッカーをする事の多い雷門にしては、珍し い始め方だった筈だ。内心反発したメンバーもいたのではないか。頭脳明晰な二 人がそれに気付かなかった筈はない。
−−それでもあえて…守備重視に持って来たのは何か訳があるんだろうな。
雷門が守りに入っている事で、イプシロンは初期陣型から前に偏った配置にな っている。イコール、守備がやや薄いのだ。カウンターでその隙を突く作戦か? だが−−どうにも、それだけではない気がする。春奈達は一体何を待っている ?何を探っている?
−−どっちにせよこの試合…絶対に負けられない!
イプシロンをこちら側に引き込む為にも。自分が記憶を取り戻す為にも。 そして−−エイリアの仲間達を救い出す為にも。
−−何か…大事な事を思い出せそうなんだ…!
何か。それが何かは分からないけれど。頭の隅に引っかかっているもの、デザ ームの顔を見るたびチラつくものの正体が、見えてきそうな気がしている。 ナミネというあの記憶の魔女は言っていた。記憶とは鎖のようなもの。記憶喪 失になった自分は、その鎖をバラバラにされてしまったような状態なのだと。 記憶の欠片が消えたわけじゃないから、いつかは思い出せる。それでもまずは 記憶の破片を捜し、拾い集めるところから始めなければならないゆえ、時間がか かるのだと。 焦ってはならない。それは自分が一番よくわかっている。でも。 何もかも終わってしまった後で−−記憶を取り戻しても遅いのだ。こうしてい る間にも、苦しんでいる仲間達がたくさんいる。何人かは手遅れになっていても おかしくない。 時間の猶予など、無きに等しい。
「…みんな。図々しいお願いを承知で、言う」
レーゼは一つ息を吸い、雷門イレブンを見回した。誰もが命を、魂をかけて戦 っている。 そんな中で自分はFWを任されたのだから、果たすべき責務がある筈だ。
「私に…ボールを集めて欲しい。何か…大事な事が思い出せそうな気がしてるん だ」
一瞬。ほんの一瞬、吹雪の顔に苦い色が走ったのを、レーゼは見逃さなかった 。本当は彼が一番FWをやりたがっていた筈だ。デザームにリベンジする為に。 それを理解しつつも、自分はシュートを決めなければならないとレーゼは分か っていた。 本当の自分を、取り戻す為に。
「あのひとを」
黒い長い髪を靡かせて、ゴール前に立つ彼を見る。誇り高いエイリア学園ファ ーストランクチーム・イプシロンのキャプテンを。
「あのひとを、超えられたら。何かが見えるんじゃないかって、思うんだ」
超えられたら。 否。 超えたい−−彼を。 何故こんなに強く思うのか、自分でもよく分からないけれど。
「……そっか」
仲間達が反対する様子は無かった。ただぽつり、とどこか切なげに呟いた土門 の言葉が気になり目を向ければ、彼は苦笑いしつつ肩を竦める。 感情的になりそうな時、気持ちが揺れそうな時。誤魔化す時の彼の癖だと気付 いたのは最近だ。
「いやな。…お前の眼がちょっと、似てたから。佐久間は鬼道のこと、そんな風 に見てたんだろうなって。鬼道を越えられたら、あいつと同じ世界が見れる筈だ って…」
佐久間がどれだけ鬼道を慕っていたかなど、わざわざ他人が語るまでもない事 。まさかそんな彼と比較されようとは思ってもみなかった。 分からない事だらけ。なんせ記憶の大部分を失っているのだから。それでもな んとなく、土門の言葉で真実の一端が見えたような気はした。 佐久間にとっての鬼道が。 自分にとってのデザームだったのだろうか。
−−このペンダントをくれた人って、もしかして…。
いや、よそう。今はからっぽの追憶や曖昧な推測に浸るべきじゃない。レーゼ はホイッスルと共に走り出していた。最前線でパスを受けるべく。 照美のパスを受け取り、木暮がシュート体制に入る。雷門が得意とする長距離 砲だ。
「彗星シュート!」
お決まりの手だが、センターから地道に上がるより成功率が高い。小さな足を 振りかぶり、木暮が前線に彗星シュートを叩きつける。 悪くないコントロールだ。ボールは真っ直ぐデザームの方へ向かっていく。デ ザームがシュートを防いだとしても、自分と照美はその間にギリギリまで上がる 事が出来る。 だが。
「フッ、甘いな。何度も何度も同じ手が通用すると思うな!」
誤算があるとするならば。司令塔たるイプシロンのキャプテン最大の武器は、 その守備力でも実力でもなく明晰な頭脳であった事か。 デザームが手を振り下ろし、仲間達にサインを出す。 「迎撃せよ。作戦時間は2,7秒!」 「イエッサー!!」 統制のとれた軍隊のよう。まるで事前打ち合わせでもしていたかのような正確 さで、ケイソンとタイタンがシュートコースを塞ぎに来た。 速い。なんてコンビネーションか。 さらには。
「ヘビーベイビー!!」
ボールに一気に圧力がかかった。操られた重力によりズシリ、と重くなった彗 星シュートはあっという間に威力を殺がれる。 そしてイプシロンのゴールに届く事なく、地面に食い込んだ。その名の通り手 のかかる赤子のように。
「戻れ!カウンターだ!!」
円堂の指示が飛ぶ。シュートブロック技を用いて鮮やかにボールを奪ったタイ タンは、クリプトへとパスを出した。
−−くっ…私も戻るべきか…でも…。
逡巡するレーゼ。守備に回るべきか回ざるべきか。悩む理由の一つが、自分に は個人のディフェンス技がないこと。戻ってもどこまで役に立てるか。 その時、センターまで走っていく照美が一瞬振り向き、眼が合った。女神のよ うに美しい面差しの少年はニコリと微笑み−−その唇を動かした。
−−大丈夫。任せて。ボールは必ず私達が奪って君に繋ぐから。
まるでテレパシーのように。彼の心の声が聞こえた気がした。 赤い瞳が、確かにその心を語っていた。
−−君はそこで、待ってて。私達を信じて。
クリプトがメトロンへパスを出す。既にマキュアとゼルが加速している事から その狙いは明白だ。ガイアブレイク。さっきの技をもう一度やる気なのだ。 円堂を信頼していないわけじゃないが、今度は止められるという保証はない。 あの技は放った瞬間、ボールにまとわりついていた隕石が砕け散り、視界を大き く遮る。 さっき円堂が止められなかったのも実はこれが原因だ。ボールを見失いかけた せいで反応が遅れたのである。威力もさる事ながら実に厄介な一撃としか言いよ うがない。 ならば、技自体を出させないのが一番。そう考えたのはレーゼだけではない筈 だ。
「行かせるかよ!ザ・タワー!!」
イプシロンがシュート体制に入るより先に、塔子が動いた。ザ・タワー。天高 く聳える巨塔から、青い稲妻が降り注ぐ。 ガイアブレイク自体を、ザ・タワーのみで防ぐのは難しかっただろう。だが技 を出す前なら話は別だ。どうにか稲妻をかわしたものの、怯んで足の止まったメ トロンからボールを奪うのは容易い。
「アフロディ!」
塔子のセンタリング。ボールはやや中盤まで戻っていた照美の元へ。その照美 を止めようと、イプシロンのディフェンス陣営が詰めて来る。 だがそれも彼の思惑通りだろう。照美の得意とするあの技は、対多人数でこそ 大きな効果を発揮する。
「ヘブンズタイム!」
掲げた手。細い指先がパチンと音を奏でた。止まる時間。動き出す時間。それ らを発動者以外の人間が自覚する事は出来ない。 しかし実際、はっとした瞬間には照美は敵ディフェンス陣営を置き去りに何メ ートルも前進していて−−ぎょっとした彼らは次の瞬間突風に吹き飛ばされる。 地面に叩きつけられて苦悶するスオーム、タイタン、ファドラを後目に、照美 はレーゼへパスを出した。 完全にフリー。見事なタイミングだ。
−−決める!
レーゼはボールに回転をかけ、オーラを集中させた。重力がボールを中心に集 まり、紫色の光となって包み込む。
「アストロブレイク!!」
全身全霊をかけて蹴りだした一撃。デザームは両手を広げて、迎撃体制をとる 。 その瞬間、レーゼは聞いた。小さく笑んだデザームが−−呟いたその言葉を。
「強くなったな…お前も」
−−え…?
それはまるで。愛する我が子を見守る親のような、あるいは兄のような。そん な慈しみに満ちた声だったので。 レーゼは目を見開く。つきん、と脳髄を鈍く揺らした痛みに気づいた時には、 シュートはデザームのワームホールで止められた後だった。 やはり、アストロブレイクでは威力が足りないようだ。だがそんな事より、レ ーゼはたった今のデザームの笑みと、声の意味が気になって仕方なかった。 あの人は−−自分にとってどんな存在だった?自分はどれだけ大切な事を忘れ てしまっている?
「リュウさん?」
呆然と佇む自分を訝しんでか、宮坂に声をかけられる。我に返るレーゼ。 「大丈夫、ですか?何か思い出したとか?」 「ああ…うん」 思い出しかけた、と言えるのだろうか。何だろう、このくすぶりかけた感情の 名前がよく分からない。 ただ無性に、胸が痛い。
「うん。……大丈夫」
何に対しての大丈夫かもよく分からなかったけれど。とりあえずはそう答えた 。他に言葉が見つからなかったから。 宮坂は心配そうだったが、すぐ笑顔になった。レーゼを元気付けようとするか のように。 「まだ一点差!次決めれば追いつけますよ!!僕らのユニバースブラストなら、き っとデザームにも勝てます!!」 「うん…ありがと」 そうだ。時計は止まっていない。ぼんやりしている時間など無いのだ。 とにかく動け。動きながら考える、それしかあるまい。
「モール!!」
カウンターを狙い、一気に攻め上がるイプシロン。デザームの強肩から放たれ たパスを、センター近くで受け取ったモールは、こちらの守備が詰めるより先に さらにパスを出す。 パスを受けたのはスオーム。中央から展開させる気なのか。
「ゼル、メトロン、マキュアの三人をマークだ!」
一之瀬が指示を出す。ガイアブレイクは彼ら三人の連携技。彼らの誰か一人で も封じれば出す事は出来ない。
−−大丈夫。
レーゼは心の中で繰り返していた。呪文のように−−しかし確信を持って。
−−私は…独りでサッカーをしてるわけじゃない。
きっと勝てる。イプシロンにも−−目の前の運命にも。 彼らとならば出来るかもしれない。 サッカーを、今度こそ楽しむという事が。
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畏れず光へ、飛び込め。