パターン化したこんな世界じゃ。
 私が誰かも分からなくなるの。
 それでも未来を誰にも決め付けられたくないから。
 道なき道でも、私は行くの。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
2-36:方が、いたから。
 
 
 
 
 
 もう少しだけ保ってくれ。
 近付く限界の中、レーゼはまるで暗示をかけるがごとく、心の中で呟き続けて
いた。
 自分の身体の異変は最初からだ。記憶を失い、京都の街をさ迷っていた時には
もう気付いていた事。恐らく長くフィールドを駆ける事は厳しいだろう事も、多
分この命自体がもはや長くはないだろう事も。
 試合に出る事でさらに寿命を縮める事も、全部全部分かっていた。
 記憶も断片的にしかない。自分が自分である事を物的に証明出来るものなど何
もない。
 それでも、レーゼが走り続ける事を選んだのは。
 
−−助けたい。
 
 何処から来るかも分からない、その感情が唯一の道標であったから。
 それが唯一、自分が自分であると教えてくれるであったから。
 
「ユニバースブラスト!!
 
 宮坂と共に駆け、跳び、シュートを放つ。絶対に決めなければ−−そう思った
次の瞬間、レーゼの全身から力が抜けていた。
 
−−あっ。
 
 まずい、と思った瞬間には、息が苦しくなっていた。胸の奥から突き上げる痛
み。ひゅっ、と掠れた音が喉から漏れる。
 風丸に助けられた時と同じ発作。
 当然ボールは大きくゴールポストから外れてしまった。
 
−−そんな。此処まで、来たのに。
 
 少しだけでも強くなれた気がしていた。
 少しだけでも手が届く気がしていた。
 それなのにこんなんじゃ。シュートの一つも入れられないんじゃ。
 
−−こんなんじゃ誰も助けられない。みんなの役になんか立てない。
 
 バランスを崩して、宙から落下する。背中から地面に叩きつけられて痛みが走
る。肩を捻ったか、ズキズキと脳髄に響く。宮坂が何かを叫んだのが分かったが
その意味まで汲み取る事は出来ない。
 息がうまく、できない。胸が苦しい。
 ごめんなさい、と呟いた声は音にならない。
 
−−役立たずだ、私は。
 
 その言葉を胸の奥で呟いた、その時だった。
 
 
 
 
 
『レーゼ』
 
 
 
 
 
 優しい声が。
 記憶の中からそっと、自分に向けて呼びかけてきて。
 
 
 
 
 
『お前はいつも無理をし過ぎる。何故そんなに強くなりたいんだ?』
 
 
 
 
 
 慈しむ言葉と共に、その映像が蘇ってきた。
 冷たい、研究所の通路。自分と長い黒髪の彼−−デザームと二人だけ。ややノ
イズのかかった景色の中でも、その声だけは鮮明で。
 そうだ、あの日。自分はこの場所で−−ナニワ修練場で。初めてマシンのMAX
ベルをクリアして。それが嬉しくて嬉しくて、真っ先に彼に報告したのだ。
 自分にとってあの人は、血など繋がってなくても兄のように大切な人だったか
ら。
 デザームは自分の成長を喜んでくれで。でも同時に心配されたのだ。お前は頑
張りすぎだ、と。何がお前をそこまで動かすのか、と。
 それで−−ああそうだ。自分はその疑問にこう答えたのだ。
 
『役立たずは、嫌なんです』
 
 体格的にも、頭脳やセンスの意味でも。自分に才能が無い事は痛いほどよく分
かっていた。イプシロンやガイアとの、痛いほどの力の差も。
 
『少しでも役に立てるようになる為に。皆様を助ける事が出来るように。その為
にはたくさんたくさん、頑張るしかないから』
 
 人の何倍も努力するしかない。
 その為ならボロボロになっても構わないと、そう思っていたから。
 
そうだな』
 
 そんな自分に。デザームは優しく頭を撫でてくれた。
 もっと頑張れ、とか。頑張りが足りないとか、そんな事は言わなくて。
 
『お前は本当に頑張っている』
 
 私も、みんなも分かってるからと。
 認めてくれるその言葉が、本当に嬉しかった。涙が出るほどに。
 
『頑張るな、とは言わない。だがお前が頑張りすぎて身体を壊したりしたら
うしたら、悲しむ者がいる事も忘れてくれるな』
 
 少なくとも私は悲しいから、と。そんな事を言ってくれた人は初めてだったの
だ。
 自分はエイリアの選ばれた戦士なれど、セカンドランク。下っ端の下っ端に過
ぎない。陛下にとっては切り捨ての駒に過ぎない事は理解していたし、愛情を希
うなんておこがましい真似など出来る筈もない。
 だけど。
 この人は、自分に愛をくれる。優しさを、慈しみをくれる。家族を知らない自
分にその温かさをくれる。いつでも、どんな時でも。
 過酷な練習と実験を繰り返す日々の中、その心がどれだけレーゼの支えになっ
ていた事か。貴い存在であった事か。
 
『これを』
 
 デザームは自分が首にかけていたペンダントを外して、レーゼに差し出した。
『私を昔から護ってくれていたまじないの品だ。お前にやる。御守り代わりだ』
『で、デザーム様!?そんな大事なもの、私なんかが
『お前だからだ。受け取ってくれ。お前がナニワで目標をクリア出来た祝いも兼
ねてなんだ』
 どこかの国の、魔除けの印。魔法陣のようなものが描かれた不思議なデザイン
だった。
 そう−−自分にとっての、一生の宝物。
 
『それを見るたびに、思い出してくれ。お前は自分に才能なんか無いと思ってる
んだろうがそんな事はけしてない。お前は誰もが羨む努力の天才だ。その
才を無駄にしてはならない』
 
 努力出来る事以上の才能は無いと。彼はそう、笑ってくれた。
 
『だからもっとお前はお前を大事にしてくれ。……約束だ』
 
 そうだ。約束した。
 彼が、デザームが自分を大切にしてくれるなら。
 自分も己を−−レーゼを愛する努力をしてみようと。大切な誰かを悲しま
せる事がないように。
 
『ありがとうございます!じゃあ、私も約束、しますから貴方も約束して下
さいますか?』
 
 ああ、そう誓ったのだ。かの人に貰ったペンダントを握って。
 
『私は、私は必ず……
 
 
 
 
 
 
 
「レーゼ!!
 
 記憶の淵から、レーゼの意識はゆっくりと現に帰る。
 霞みがかったような景色の中、倒れた自分を覗き込む人影が眼に入った。その
人物はしきりにレーゼの名を呼び続けている。
 
「レーゼ!レーゼ!!しっかりしろ!!
 
 赤い瞳に、誰もが美しいと誉め羨んだ綺麗な長い黒髪。誇り高き、仲間達の誰
もに愛されしイプシロンのリーダー。
 デザーム。
 ああ、そうだ。やっと思い出せた。
 
「貴方、だったんですね」
 
 嫌な音を立てて鳴る喉。弱々しい呼吸の合間にどうにか絞り出した声は掠れて
、まったく酷い有り様だ。
 それでも、口に出せた。
 彼の記憶を、一番大事な真実を取り戻せたから。
 
「私の手を、いつも引いてくれたのは貴方、だった」
 
 その手が好きで。その笑顔を見るだけで嬉しくて。たくさんたくさん、甘えた
。彼は本当の弟のように、自分を愛してくれた。
 デザームとて、本当は誰かの愛に飢えていた筈なのに。求める事なくただ与え
てくれた。それがどれだけ貴い心か、今なら理解出来る。
 自分がどれほど幸せであったのかも。
 
「良かった。やっと、思い出せた」
 
 自分が今此処に立っていられる理由を。自分を支えてくれていたモノを。
 
「デザーム様。約束しました、ね」
 
 約束しました。
 貴方は覚えてくれているでしょうか。
 
「私は、私を愛するからその努力をするから」
 
 大切な誰かを傷つけない方法を見つけるから。
 
「私が貴方を助けられるくらい強くなるまで、待っていて下さい、と」
 
『私は、私は必ず……貴方のように強くなります。貴方の手助けが出来るよう
恩を返せるように。だから、その日まで待っていていただけますか?』
 
 小さな、とても小さな声だったが。デザームには届いたようだ。青年は何処か
泣き出しそうな眼でレーゼを見、頷いてくれる。
 忘れてなんかいない、と。
 
「まだまだ、力不足だけど」
 
 まだ貴方からシュートの一本も奪えない自分だけど。
 
「私少しは強く、なれましたか?」
 
 デザームは首を振る。レーゼの手を握って。
「馬鹿を言え。お前は最初から強いじゃないか」
「デザーム、様
 見ていて下さい。こんな所で終わったりしないから。貴方が自分を認めてくれ
たから次は。
 今度こそは。
 
「ありがとう、ございます
 
 今度こそ、貴方を苦しめるもの全てから貴方を解放出来るように。
 救ってみせる。
 貴方が生かしてくれた、魂だから。
 
 
 
 
 
 
 
 かくん、とレーゼの首が垂れる。
 デザームははっとした。体温が異常に低いのに汗をかいているレーゼの身体。
顔色は真っ青だ。
 そして−−呼吸が止まっている。
「リュウジ君!!
「リュウ!!
 レーゼが意識を失ったのが分かったのだろう。呼吸停止という事態にベンチか
ら瞳子と聖也を筆頭にメンバーが駆け寄って来る。
「きゅ、救急車を!」
「待て!秋っ」
 携帯を取り出す秋を止める聖也。
 
「普通の病院になんか送ってみろ、万が一こいつがエイリア学園のレーゼ
ってバレたりしたらとんでもない事になんぞ!!
 
 それに、下手な病院に送って二ノ宮に見つかったりしたら。
 彼女は前にも一度レーゼを浚いに来ている。貴重な実験体を取り戻す為ならど
んな惨たらしい手でも使うだろう。一般人を巻き込んだ大惨事をも起こしかねな
い。
 そして捕まったレーゼがどんな目に遭わされるか。考えたくもない事だ、と聖
也は苦々しく吐き捨てる。
 
「仕方ねぇ。俺達のホームで治療させる」
 
 周りの意見や反論をまったく赦さず、彼はさっさと結論を出した。実際ぐだぐ
だと迷っている猶予は無い。彼はパチンと指を鳴らす。
 
「さぁさおいでなさい、我が愛しの戦乱の少女ティナ、道標の少年オニオン
 
 デザームは目を見開いた。この世界には、科学では到底説明しきれない魔法が
あると−−それを操る魔女たる存在があると、大まかに聞いてはいたが。
 何も無い場所で光が弾け、そこから二人の少年少女が現れた時、デザームの中
で一つの疑問と答えが繋がった。
 自分達が今まで扱ってきた黒いサッカーボールとその瞬間移動能力。二ノ宮か
ら与えられたそれは確かに、魔法に連なるものであったのだと。
「戦乱の少女、此処に」
「道標の少年、此処に」
 ふわふわとした金髪に碧い眼の少女(女性、と呼んでも差し支えない年かもし
れない)と、長い赤茶髪に若草色の瞳をした幼い少年(デザーム達より年下なの
は明白だ)は恭しく礼をした。
 少女の名はティナ、少年の名をオニオンと言うらしい。どちらも愛らしい、整
った顔立ちをしている。
 聖也は二人にレーゼを預け、治療するよう命じた。
「安心しろよ、デザーム」
「あ
 心配を隠しもしなかったが。レーゼを見送ったデザームに、聖也は笑う。大丈
夫だ、と繰り返しながら。
 
「あいつは俺が俺達が絶対死なせねぇ。お前は自分の心配をするべきだな」
 
 不安なのは誰もが同じだった。それでも最初に皆に活を入れたのはやはり、円
堂守その人で。
 
「みんな、レーゼの事は聖也に任せよう」
 
 彼がキャプテンたる訳。その理由をデザームもまた実感するのである。
 
「試合はまだ終わってないぜ」
 
 
 
 
NEXT
 

 

僕はいつも、護られてた。