血の足跡を残して私は歩く。 今すべき事は絶望でないと知っていたから。 傷を広げながら私は考える。 今尽くすべき最善に、この手は何が出来るのかを。 この背中に、白い翼は 無いとしても。2-38:傷だらけ、ラミア。 茫然自失のまま、二ノ宮の部屋を出て。ガゼルはふらふらと歩いていた。歩くたびに、ポタポタとあちこちから血の滴が落ちて通路を汚すのも気付かないまま。 もう何も考えたくない。 考えたくないけれど−−考えるしかない。 傷だらけの身体は重く、もはや何処が痛いのかも分からないほど。それでも生きているのは、二ノ宮に自分を殺す気が無かったからだ。 たった一度。たった一度の攻防だったが、あの女の戦闘能力を図るには充分だった。確かにウォーターベールはあくまでサッカーの必殺技であり、敵を本気で害す為の技ではない。が、それでも。−−ハッキリした。これで。 彼女の力は−−人の領域では図れない。まさしく正真正銘の“黒き魔法”だと。 イプシロンと雷門の試合において、彼らの間で交わされた会話の内容は、自分も把握している。ゆえに今回、雷門がイプシロンに対して提供した決定的な情報もまた、ガゼルの耳には入っているのだ。 だから知っていた。もはや二ノ宮蘭子という女が限りなくクロである事も。彼女が異世界から来た“災禍の魔女”である事も。 自分とて最初からそんな突飛な話を信じていたわけではないが。皮肉にもこの一件で身を持って痛感させられてしまった。 二ノ宮蘭子が、人あらざる力を持つ事を。−−考えなければ。 マスターランクチーム・ダイヤモンドダストとプロミネンス。その両キャプテンの力を持ってしても、彼女にはまったく歯が立たなかった。それが現実だ。 このまま父の計画−−雷門の情報が正しければ、それ自体があの女の策略という事になる−−を続けていても。自分達を待つのは、破滅だけ。 鬼道もデザームも。もっと早い段階で分かっていたのだろう。だから非力な彼らなりに、真実を求め、足掻く術を捜していたに違いない。 そのせいで鬼道は殺され、それを知っていながら抵抗をやめなかったデザームは−−酷い末路を辿る、その一歩手前まで来ている。 考えなければ。どうすれば、あの魔女を打ち倒す事が出来るのか。自分に一体何が出来るのかを。 独りの力では一矢報いる事すら出来ない。だが、ダイヤモンドダストの皆を巻き込むのは気が引ける。−−…いや。よそう。本当は分かってるだろう、私は。 もう−−巻き込む巻き込まないの段階ではない事が。 エイリア学園−−ひいては“お日様園”の園児としてそこにいた時点で。自分達は最初から全員が当事者なのだ。何を知らせようと知らせまいと、結局は破滅の道を歩むだけ。 そして自分の謀反が二ノ宮に知れてしまった時点で、仲間達も高確率で連帯責任をとらされる。多分、バーン率いるプロミネンスも同様に。−−ガイアは、ジェネシスの最有力候補。チーム全体で監視が厳しい。 何より、キャプテンのグランが今はあの状態だ。とても動かせるとは思えない。−−私達ダイヤモンドダストと…プロミネンス。 独りきりでは無理だった。でも、最強であるマスターランクチーム二つで力を合わせれば、突破口が開けるかもしれない。 問題は、ダイヤモンドダストのメンバーとプロミネンスのメンバーの一部が極めて不仲である事だが。−−何とかするしかない。私とバーンで。 普段に比べれば格段に遅いスピードで。ようやっと辿り着いたのは、自分が信頼するチームの副官の部屋だった。 ノックしてすぐ、声をかける。喋るのも億劫だったがそうもいかない。「アイキュー、いるか?私だ」 何人かの話し声と気配。多分、妹のアイシーやクララあたりが、部屋に押しかけて勉強させて貰っていたのだろう。 試合中や練習中。基本的な指示はガゼルが出すとはいえ、アイキューの提案に助けられる事は多い。よくメンバーの何人かが彼の元へ来ては、戦術の立て方について教わっていたりするのである。「はい」 すぐに返事が来た。ドアを開け、出迎えたアイキューの顔が凍りつく。机の上に大量の資料を広げていたアイシーとクララも同様に。 自分達のキャプテンが血だらけで現れたとあっては、無理からぬ反応だろう。「ガゼル様…!?そのお怪我は…っ」「…話は後だ」 くらり、と目眩がして、アイキューに支えられる。少々血を流しすぎたようだ。「とりあえず、休ませてくれないか」 正直、もう立っているのも辛かった。−−考えるんだ。 円堂は、心の中で呟き続けた。−−考えなきゃ。俺が今、一番にしなくちゃならない事を。 あんなに消耗するまで、走り続けてくれたレーゼの頑張りを、キャプテンの自分が無駄にしてはならない。挫けている暇などあろう筈もない。 倒れたレーゼを、聖也の仲間に任せて。ひとまず交代でリカをFWに入れてすぐ、ホイッスルは鳴った。前半終了だ。「円堂先輩」 ベンチの前で集まってすぐ。ノートとペンを片手に、春奈がとことこと近付いてきた。何やら神妙な顔で。「まず最初に…言いますね。どうか落ち込まないで下さい。さっきは皆さんにああ言ってましたけど…本当は誰より責任感じてるって、見てて分かります」 円堂は目を見開く。 バレていたのか。自分が−−あまり調子のよくないレーゼに無理をさせたせいで、こんな結果になったのではないかと。本当はそう悔やんでいた事に、まさか春奈が気付いていたなんて。「キャプテンは、間違った事はしてないです。…この試合は…リュウさんにとって必要で、乗り越えなきゃいけない試練だった。私はそう思います」 そしてちゃんと、あの人は乗り越えられた。春奈はそう言って、笑う。「あの人があの人である為に、一番大事な事を思い出せた。この試合でイプシロンと戦わなきゃ出来なかった事だから」 円堂は思い出す。倒れた時、とても穏やかな顔で笑っていたレーゼと。そんな彼に誰より早く駆け寄ったデザーム。 実際彼らの間にどんな過去があったか、どんな絆であるかは分からない。でも、その深さと重さは、端から見ていた自分達にも伝わってきた。 それを取り戻す事が彼らにとって、どれほど大きな意味があったかも。「大丈夫です。リュウさんは、死んだりしません!」「音無…」 理不尽な形で兄を失った彼女だからこそ。 二度と還らなかった人達を知る彼女だからこそ。 その笑顔と言葉には、確かな重みがあった。「…ああ!」 大丈夫。絶対なんて未来は無いけど、それでも今はあえて言いたい。「絶対、大丈夫だ」 大丈夫。レーゼは死んだりしない。 大丈夫。自分達にならきっと出来る。 サッカーの未来を護る事も、彼の大切な人達を−−デザーム達を救う事も。この試合に勝ち、彼らの心に呼びかける事も。「後半、フォーメーションを変えてみよう。あと一部メンバーも」 一之瀬が案を出して来る。「前半やってみて、分かった事が幾つかあるんだ。こっちが守りを固めていたせいで、ややイプシロンが前気味に攻め込んできて隙ができてるように見えたんだけど…多分アレ、わざとだ」「わざと?」「誘ってるんだよ、もっと攻めてこいって。…もっと雷門らしいサッカーをしろって」 言われてみれば、確かに。前半、雷門は様子見のため、やや積極性に欠けるプレイをした。それはイプシロンを観察する為、イプシロンの必殺技を誘いデータをとる為、イプシロンを焦らせる為−−などなど様々な目的があったわけだが。 どうやら、それなりに成果はあったらしい。おそらくだが、イプシロン最強のシュート技であろうガイアブレイクを引っ張り出し対抗策を練る事にも成功している。 そして心理的な意味合いで、デザームの本音を引き出す事にも。レーゼの記憶を取り戻す事にも。「あいつらにわざと隙を作る余裕があるのは、GKのデザームに絶対的な信頼を置いているからだろうね。仮に最終防衛ラインが突破されても、デザームなら必ず止めてくれる…と」 そのあたりは円堂にも理解できた。 キャプテンのデザームは、戦力的な意味でも精神的な意味でもチームの支柱にあるのである。彼がGKである事そのものにも大きな意味があると言っていい。 デザームなら何とかしてくれる。何とかできる。どんなピンチも覆されると、メンバーの全員が信じている。 裏を返せば、デザームを崩せばチームは瓦解する可能性が高い、という事。「せっかくのお誘いです。乗ってあげましょう。どうせならもっともっと誘わせた上で…ね」 ニヤリ、と春奈が笑う。兄によく似た、なかなか悪どい笑みだ。それに対して一之瀬も似たような笑みを返す。 可愛らしい顔立ちの二人だからこそ、何やら空恐ろしさが漂う。彼らが提案したフォーメーションとメンバーは以下の通り。FW 照美 リカ MF 吹雪 一之瀬 小鳥遊 木暮 風丸DF塔子 壁山 土門 GK 円堂 フォーメーション名はミドルブロック。ボールキープを大事にする3−2−2−1−2の陣形だ。「あくまで吹雪君はMFに置くつもりなのね…大丈夫?」 やや心配げな夏未。なるほど、本来これは一点先取の型ではない。むしろこちらがリードしている時、逃げ切りに走るのに適したフォーメーションだ。 攻撃の要である吹雪をFWに置かないのも、そう見える理由の一つだろう。 だが、円堂は忘れていなかった。さっきの春奈の言葉を。 彼女は言った。攻撃を誘ってくる、イプシロンの挑発に敢えて乗る。さらに誘わせた上で−−と。「見せかけの守備陣形…ってわけだ」「正解だよ、円堂」 トン、と紙を叩く一之瀬。「攻撃を誘いたがってるイプシロンがこの陣形を見たら、多少なりとも頭にくると思うんだよね。まだ守備に徹する気か…って。だからさらに誘いをかけるべく前に出て来る筈だ」 自分達も彼らの思惑に乗り、どんどん自陣内に攻め込ませる。イプシロンのFW陣・MF陣をどんどん前に出させ、ディフェンスを誘導し隙を広げさせる。「塔子、木暮、風丸、土門にはロングシュートがある。本気でピンチになったらこの四人の誰かに回してシュートして貰う。そのままカウンターだ」 また、ピンチにならずとも。吹雪を前かがみの中盤に、照美とリカは隙を見てゴール近くまで走らせておけば。 誰かがボールを奪ってすぐ、シュートを決めることができる。向こうが戻りに入る時間を与えずに。 吹雪に至っては優秀なディフェンス技も持っている。自力での奪取も可能なのだ。「吹雪?」 その吹雪が。さっきからずっと黙りこんでいるのに気付き、円堂は声をかける。「大丈夫か?」 吹雪ははっとしたように顔を上げ、すぐにいつものような笑みを作った。どこかぎこちなく。「ごめん。考えことしてた。…頑張るよ。必ず一点、取るからね」「あ…ああ」 必ず。 彼がそんな断定的な副詞を用いたことに、円堂は不安を覚えた。 まるで、点を取らなければならないと−−自らに言い聞かせているようで。NEXT |
絶対なんて、この世には無いのに。