冗談交じりの境界線上。
 階段昇って転落死はいかが?
 良い事なんて有りはしないなら
 その背中を押す事も厭わないわ。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
2-43:ては、護りたいモノの為に。
 
 
 
 
 
 悲鳴が上がった。イプシロンメンバーの半分から。あとの半分は声すらも上げ
られずにその場で凍りついている。
 マキュアは前者だった。喉から漏れたのは情けないほどひきつれた悲鳴。確か
に、確かにこの光景はまったくの予想外では無かった。それでも、そうならなけ
ればと祈るように願っていた景色だ。
 自分達の敬愛するキャプテンが。デザームが倒れている。ゴール前−−血の海
の中で。
 まるで真っ赤な絨毯のよう。あの赤の全てが、デザームが吐いた血なのか。戦
慄した。そして考えた。人間が失血死する血の量とはいかばかりだっただろうか
を。
 
「デザーム様ぁぁっ!!
 
 ゼルが再び叫び、真っ先にデザームに駆け寄って行った。その声にマキュアも
、他のメンバーも我に返る。
「デザーム様ッ!」
「しっかりして下さいデザーム様!!
「嫌…嫌だっ何でこんな…!!
 駆け寄っていくイプシロンイレブン。ころころ、と照美が放ったボールがゴー
ルネットから転がってくる。それは雷門に決勝点をもたらしたボール。自分達は
たった今敗北したのだ。
 だがそんな事はもうどうでも良かった。勝敗よりずっと大事なモノが目の前に
あったから。
 
「がはっ…ゴホッゴホゴホ…ッ!!
 
 ゼルに支えられ、上半身を抱き起こされたデザームの顔色は真っ青で、未だ喀
血と吐血を繰り返していた。その度にまき散らされる真っ赤な色。傍にいるゼル
や自分の服も、その朱で汚れた。
 
−−デザーム様……本当に…無理してたんだ。
 
 ぎゅっと拳を握りしめるマキュア。
 
−−七割回復したなんて嘘も嘘。本当は限界だったのに…マキュア達の為に…!!
 
 何から何まで自分達のせいだ。
 デザームがエイリア学園の仕組みに疑問を持った原因は、あの鬼道有人にあっ
たかもしれない。しかしその後の奔走はみんな、自分達を護る為の行動だ。
 そのせいでエイリアの暗部に手を出し、二ノ宮に目を付けられ。あの女の酷い
生体実験晒される事になった。毎日酷い苦痛と後遺症で、辛いなんてものでは無
かった筈なのに。
 それでも彼は笑っていてくれた。心配する必要などないと。キャプテンとして
自分達を引っ張り続けてくれた。
 イプシロンを、護る為に。
 
「デザーム!」
 
 雷門のメンバーも、こちらに駆け寄ってきた。一番遠い場所にいたにも関わら
ず、真っ先に飛んできた円堂は、間近でデザームの様子を見て愕然とする。
 
「酷い…!……瞳子監督!!
 
 円堂に言われるより早く、瞳子は聖也と共にこちらに走ってきていた。その顔
面も蒼白だ。
「何をされたか知らないけど…内臓からの出血が多すぎるわ。このままじゃ、あ
と何分持つか…」
「クソがっ…!」
 瞳子の残酷な言葉に、悔しげに顔を歪める聖也。レーゼを救護した時の例があ
る。救急車を呼ぶわけにはいかないだろう。だとすればまた、彼の仲間に頼る他
ない。
 誰でもいい。何でもいい。
 デザームが死ぬなんて。大好きな人を死なせるなんてそんな事。
 
「嫌…嫌だよっ…!!
 
 とっくに、涙は決壊してマキュアの頬を濡らしていた。泣きはらした眼で、聖
也にすがりつき、叫ぶ。
 
「お願いっ…デザーム様を死なせないでぇっ!!
 
 自分達の愛する人を、助けて。何度も何度も繰り返し、本来ならば敵である筈
の少年に希う。
 
「当たり前だッ!これ以上…誰も犠牲になんかさせるかよ!!
 
 聖也が叫び、とりあえずの応急処置なのか、デザームに何らかのスペルをかけ
た−−その時だった。
 
 
 
 辺りを包み込む、絶対零度の気配。
 
 
 
 ぞくり、とマキュアの背中が総毛立つ。それは自分達もよく知る気配。凍てつ
く闇、その中に人としての温かさを秘め、しかし自分達にとっては絶対的上位者
である少年の気配。
 そう、京都の試合を止めたのも彼だった。思えばあの時から彼は自分達イプシ
ロンの監視を、二ノ宮に命じられていたのだろう。
 マキュアはゆっくりと、気配のする方を振り向いた。そして−−再び凍りつい
た。
 
「ガゼル…様…!?
 
 それは、恐怖からではない。絶望や憎悪や、あるいは気圧されたとか、そうい
った類の感情ではない。
 ただ、驚愕だった。
 一人。普段より緩慢な動作で歩いて来るガゼルの姿が、あまりにも無惨なもの
であったからに他ならない。
 
「ガゼル…!?お前、何だよその怪我…!!
 
 円堂の言葉が、この場にいる全員の心を代弁していた。
 ガゼルの頭には幾重にも包帯が巻かれ、右目までもを覆い隠している。ユニフ
ォームはあちこちが千切れてボロボロであり、破れた服の間から胸元も包帯で覆
われているのが分かった。
 腕も折れているのだろう。左肩を布で吊っている。さらに全身に大小様々な傷
があるのか、肌が露出する部分の殆どにガーゼが貼られ手当が施されていた。
 包帯の中には、血が滲んでいる部分すらある。
 何者かに暴行を受けたのだ。それもかなり手ひどく。誰が見ても分かるほど痛
ましいその姿に、皆が皆一瞬現実を忘れて凝視していた。
 
「…イプシロン」
 
 円堂の質問には答えず。ガゼルは抑揚の無い口調で淡々と言葉を紡いだ。
 
「お前達は雷門に負けた。エイリア学園に敗北は赦されない。ジェミニストーム
を追放したお前達なら、分かっている筈だな」
 
 マキュアは息を呑む。
 そう。ああ、そうだ。忘れかけていた、この試合の意味。勝ち続けなければな
らなかった自分達と、その存在理由。
 でもそれは。そうなったのは。
 
「ちょっと待てよ!」
 
 食ってかかったのは、雷門の土門だった。
「確かに…試合は終わっちまったが!デザームが最後のシュートを止められてり
ゃ、結果は分からなかったぞ!!
「だが実際、止められなかっただろう」
「それは…!お前らがデザームにおかしな真似したせいじゃねぇか!!本調子だっ
たらどっちが勝っててもおかしくない試合だったんだ!!こんなのフェアじゃねぇ
よっ…」
 勝ったというのに、イプシロンの肩を持つなんて。変わった男だ、と思う。だ
がどうやらそれは、土門に限った話では無かったらしい。
 雷門イレブンの殆どが、不満と憤りを隠しもせずガゼルを見ている。
 
「結果は、結果だ。敗北の事実は覆らない。そうだろう?」
 
 まるで、無理矢理感情を殺したかのよう。普段からあまり顔に感情の出ない人
物だったが、今日のガゼルはいつにも増して表情が無い。
 
「イプシロン。たった今、君達をエイリア学園から追放する」
 
 無情な宣言。
 追放−−その言葉を聞いてマキュアが思い出したのは、ジェミニストームとレ
ーゼの事だ。
 正確にはジェミニストームの多くが未だ行方不明。しかし少なくとももレーゼ
は記憶喪失になり、京都の街をさ迷っていたのを保護されている。もしイナズマ
キャラバンに見つけられなければ、今頃どうなっていた事か。
 自分達も。同じような目に遭わされるのだろうか。
 いや。それはかなりマシなケースだと分かっていた。無論記憶を消されるのは
ごめんだ。しかし、ジェミニストームは試合に負けただけで、自分達のようにエ
イリアに不信感を抱いたわけではない。
 彼らより重い処分が待っているのは、ほぼ確実だった。最悪−−処刑、だ。
 
「やめて下さい、ガゼルさん!」
 
 ベンチから駆けて来た春奈が叫ぶ。
 
「貴方も分かってるんじゃないですか!?エイリアの本当の黒幕が誰なのか…追放
されたイプシロンがどうなってしまうか!!
 
 そういえばそうだ。
 魔女に−−二ノ宮に気をつけろと、京都で鬼道に最初に忠告したのはガゼルだ
った。何より彼は真実をある程度把握していたからこそ、自分達と雷門の最初の
試合を中止させたのではないか。
 いや、ガゼルだけではない。恐らくバーンも薄々現実に気付いている。彼もデ
ザームに警告してきたのだから。二ノ宮による虐待に頻繁に晒されているグラン
に至っては勘づかない筈もなく。
 マスターランク以上の誰もが違和感を感じている。感じていながら現状を打破
出来ずにいる。それは何故か。
 あのお方に愛されたいから。
 守りたいものが、たくさんたくさんありすぎるから。
 
「お兄ちゃんに…アルルネシアに気をつけろと忠告してきたのは貴方でしょう!?
イプシロンを…仲間を見殺しにする気ですか!?
 
 見殺し。その言葉が放たれた途端、ガゼルの虚ろな瞳に一瞬、悲しげな影がよ
ぎって−−。
 次にはその気配が、鋭い氷のように尖ったものになっていた。
 
「…黙れ」
 
 静かに、しかし有無を言わせぬ声。
 気圧された春奈が思わず後退るのを、少年は左目だけで冷たく見据えた。
 
「護りたいものがあるのが…自分達だけだと思うな」
 
 ふらつきながらも、ガゼルは近付いて来る。
 何をする気だ。驚き固まるイプシロンの面々をすり抜け、少年が立ったのはデ
ザームのすぐ傍。正確には倒れたデザームの体を支えるゼルの真正面。
 キスが出来そうなほど、ガゼルはゼルの耳元に顔を寄せ、囁く。
 
「分かるだろう…お前になら。お前が私の立場ならば同じ事をするのではないか
?」
 
 ゼルが目を見開く。ガゼルはすぐに顔を離し、きびすを返したが−−マキュア
は見ていた。
 今の瞬間。ガゼルはゼルの手に何かを握らせていた。おそらく何かのメモを。
丁度人垣の影で、カメラなどには映らなかっただろうが−−。
 
「敗者は切り捨てなければならない。それが我々の掟。そして義務」
 
 人垣から離れたところまで歩き、ガゼルは立ち止まる。その体にも朱が付着し
ていた。ガゼル自身のものだけでなく、デザームが流した朱が。
 
「…ガゼル様」
 
 聖也の応急処置で、少しだけ発作の波が引いてきたのか。デザームが苦しげに
息をしながらも、どうにか言葉を紡ぐ。
 
「バーン様とグラン様にも、お伝え下さい。…私を」
 
 マキュアは見る。血にまみれた姿で、デザームが静かに微笑んだのを。それは
覚悟を決めた者の笑みで。
「私を…私達を気遣って下さった事、心より感謝しています。私はあなた方を信
じています、と」
「…伝えておくよ」
 ガゼルの声が、微かに震えていた。
 ああ、とマキュアは思う。
 本当は辛いのだ−−この人も。そのちっぽけな身体でたくさん重たい物を背負
っている。押しつぶされそうになりながらも。
 
「サヨナラだ」
 
 青い模様の入った、黒いサッカーボールが。ガゼルが手を振り下ろすと同時に
、闇色の光を引き連れて自分達に飛んできた。
 逃げる間などない、あっという間の出来事。
 
「デザーム!イプシロン!!
 
 円堂の叫ぶ声。その向こうで微かに聞こえたのは、消え入りそうなガゼルの謝
罪だった。
 
「…ごめんなさい……」
 
 それが、マキュアが聞いた最後の言葉。
 次に目覚めた時、どんな地獄が待つのだろう。ただただ考えた事は、もう何も
失いたくないという一点。
 
−−どうか、デザーム様を殺さないで。
  どうか、イプシロンを消さないで。
 
 けして、赦されない願いではない筈なのに。
 少女には祈る以外に、術が無かった。
 
 
 
 
NEXT
 

 

世界の隅っこで、ワン・ツー。