パっとフラっと消えちゃいそうな 終末感がただ虚しいの。 さよなら、お元気で、なんて。 能天気に眼を逸らせたら楽なのに。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 3-1:救済せよ、そして。
イプシロンが消された。自身も満身創痍なガゼルの手で。
−−アリなのかよ。
塔子はギリ、と歯を食いしばる。悔しくて悔しくて、どうにかなってしまいそ うだった。
「アリかよ、こんな結末!」
そして吼えた。イプシロンを消し、立ち去ろうとするガゼルに向かって。
「アンタは本当にそれでいいのか!?なぁっ!?」
ちらり、とガゼルが塔子を振り返る。そこにはもう何の感情も浮かんでいなか った。 いや、違う。 何も浮かぶ事のないようにと−−感情を殺している者の眼だ。いつかの鬼道と 同じように。
『護りたいものがあるのが…自分達だけだと思うな』
殺した心を絞り出すように。ガゼルが言った言葉がリフレインする。彼にも護 りたいものがある。あってその場所にいる。それくらいは予想がつく。 でも。 それは、イプシロンの命より大事なものなのだろうか。
「仲間の命より、大事なモノって何だよ!分かんねぇよっ!!」
自分には分からない。分からないからガゼルの口から訊きたくて仕方ない。 何故そんなに、エイリア皇帝陛下とやらに仕えたいのかと。 ガゼルは答えない。ただ、光を無くした眼でこちらを見るばかりで。そんな彼 の傍に、すっと歩み寄った人影があった。聖也だ。
「ねぇ」
びくり、と一瞬ガゼルが身を強ばらせたのが分かった。その様を、悲しそうな 眼で見る聖也。ああ、彼にも分かったのだろう。 ガゼルの恐怖は。いわれない暴力に晒された者の怯えなのだと。
「その怪我。二ノ宮にやられたのか?」
華奢な少年は、塞がってない方の眼で背の高い聖也を見上げている。そこに揺 らぐ感情は何だろう。疑心か。不安か。恐怖か。絶望か。あるいはその全てなの か。 答えないガゼルに、聖也は切なそうに眼を細めた。
「……そっか」
そして。そっと、その手でガゼルの頬に触れる。
「痛かったね」
思いがけない言葉だったのか、ガゼルがほんの少しだけ眼を見開いた。
「凄く凄く…痛かったよね。ごめんね、助けてあげられなくて」
まるで怪我をしているのがガゼルではなく聖也であるかのよう。彼の方が痛み に耐えるような顔をしていた。痛そうだった。 ガゼルの痛みが、伝わったかのよう。 「君も、大事な誰かを人質にとられた。だから二ノ宮に従うしか無かった。心も 身体も…すっごくすっごく、痛かったのに」 「……!!」 誰もが驚愕する。一瞬にして驚きに染まったガゼルの顔が全てを物語っていた 。聖也の予測が正しい事を。
「信じて、なんて。今の俺達にはまだ言えないかもしれないけど」
小さな子をあやすように。聖也は少年の頭を撫でた。僅かにガゼルの身体が震 えたように見えたのは気のせいだろうか。
「君の事も…エイリアのみんなの事も。俺達が必ず助けるから。護るから。だか ら…少しだけ、待っててくれるかい?」
息を呑む。塔子にも、理解出来た気がした。ガゼルの死にかけたような眼は。 痛い事を痛いとも言えない子供の眼だと。多分聖也はそんな子供を他にも見てき たのだろう。 ガゼルは、泣いているのだ。涙もなく、声もなく。彼はいち早くそれに気付い たのだろう。 本当は少年は必死で、助けを求めている事に。
「戯言を、言うな…」
パシッとガゼルは聖也の手を振りほどいて、背中を向けた。もうその表情は見 えなかったけれど。
「期待する事なんて…とうの昔にやめているんだ。だから…」
少年の手に、あの黒いサッカーボールが戻ってくる。闇色の光に包まれて消え る間際、消え入りそうな彼の声が聴覚に届いた。 胸を締め付けるような、寂しい音色で。
「もう…私達に関わらないでくれ」
光が弾けた時にはもう、ガゼルの姿はどこにも無かった。その名の通り、凍て つくような冷えた風だけを残し、立ち去ってしまっていた。 辺りを包む静寂。先程までの熱い試合が嘘のよう。雷門イレブンも、監督もマ ネージャーも、何も言わない。あまりにも急に色んな事が起こりすぎて、思考が 追いつかないのかもしれない。少なくとも塔子はそうだ。 振り払われた自身の手を握りしめ、聖也がポツリと呟く。
「似てたんだ、あの子。吹雪とおんなじ眼、してた」
自身の名前を拾って、吹雪がゆるゆると顔を上げる。その顔色も真っ青だ。試 合の間も後も、彼にとってショッキングな出来事が続きすぎている。 「助けなきゃ。あの子達を救えるのは…俺達しかいねぇよ」 「私、聴きました」 ガゼルさんのすぐ近くにいたから、聴こえたんです、と。春奈が苦しげな顔で 言う。
「ごめんなさい…って。謝ってたんです、あの人」
ごめんなさい。 ありふれた謝罪の言葉なのに、ズンと重たく塔子の胸にのしかかる。追い詰め られてパニック症状を起こした鬼道はよく、謝罪ばかりを繰り返していたのを思 い出す。 ごめんなさい。良い子じゃなくて、ごめんなさい−−と。 ガゼルは一体誰に対して、どんな気持ちでその一言を紡いだのだろうか。それ はイプシロンに対してだけでは無かったのかもしれない。
「このままじゃ…時間がない。こうしている間にもイプシロンは…ガゼルは…! 」
円堂が拳を握りしめる。助けに行きたい。その気持ちは全員に共通するものだ った。だが、何処に助けに行けばいいのかも分からないのが現状。 そして助けに行ったところで、まだまだ非力な自分達に出来る事があるのか。 ここまで事態が深刻化してしまった以上、公共機関に任せた方がまだマシなので はないか。
「エイリアの手がかりなら、まだある」
迷う仲間達に、聖也は静かに告げた。 「そして…アルルネシアを倒せるのはお前達だけなんだ」 「…どういう事?」 首を傾げる秋に、彼は言う。驚くべき事実を。
「雷門イレブンは…前に一度、アルルネシアとの勝負に勝ってるんだよ」
デザームが眼を覚ました時、そこは暗い牢屋のような部屋だった。 灰色の冷たいコンクリート。明かりのついた廊下に面するガラス窓は開かない 仕組みのようで、薄暗い部屋を照らすには少々心許ない。 ドアは一つ。多分鍵がかかっているのだろう。ガス室−−その単語が脳裏をよ ぎり、思わずぞっとする。 「デザーム様、ご無事ですか…?」 「メトロン…」 仲間達はみんな、部屋の中にいた。狭い室内に自分を含めた十一人。一人、ま た一人と意識を取り戻しては、不安げに辺りを見回している。
「私は大丈夫だ。…あの桜美聖也のおかげか、さっきよりだいぶ症状が落ち着い ている」
少なくとも、身体中を苛んでいた痛みはだいぶ楽になり、喀血も止まっている 。まだ口の中に鉄くさい味が残っていて、デザームは顔をしかめた。 此処は一体何処なのだろう。 多分研究所の一室だとは思うが−−こんな部屋は見た事もない。地下かもしれ ない。妙に冷えきった空気が、まだ若干熱のひかないデザームの肌を刺した。
「…どうなっちまうんだ、俺達」
ケンビルが身体を丸めて、不安げに言葉を口にする。
「追放、なんだよな。だったらジェミニストームみたいに記憶消されて放り出さ れるのか?それとも…」
その先を紡ぐ事なく、彼は口ごもる。 それとも、もっと酷い目に遭わされるんじゃないか。それ以上を語るのはあま りに恐ろしかった。 この部屋が、何らかの実験室なのはまず間違いあるまい。忌々しげに監視カメ ラを見上げる。いつまでもこうして閉じ込められているだけとは到底思えない。
「何とか、脱出する方法を考えよう」
監視カメラが音声をも拾うタイプだったら。そうは思ったが、自分は紙もペン も持ってはいない。デザームは覚悟を決めて話し始めた。 このままじっとしていても、破滅の時を待つだけなのだから。 「此処が研究所の内部なら…全員、ある程度は把握しているだろう。部屋から出 る事さえ出来れば勝機はある。幸い私達は誰一人拘束されていない」 「でも…でもデザーム様」 不安そうに、マキュアが言う。
「逃げるって…何処へ?マキュア達にはもう、帰るところなんて無いのに。もう 何も…無いのに」
還る場所が、無い。その言葉が、誰の胸にも重くのしかかる。 自分達の還る場所はいつもこの冷たい研究所だけだった。皇帝陛下の元に在る 事がけが全てだった。その何もかもを失えば、何も残りはしない。
−−いや。
俯く仲間達に対し、顔を上げるデザーム。
−−私達にだって…残っているものが確かにある。
「雷門なら、私達を受け入れてくれるかもしれない」
それは甘えで、本来ならば赦されない事なのかもしれない。 自分達は山ほど罪を犯した。直接的に、あるいは間接的に、彼らの大事な物を 奪いもした。 分かっている。だけど。 彼らが自分達に差し出してくれた手に−−縋ってしまうのは間違いだろうか。 信じたい。信じられると、そう考える事は。 「我々はあまりに大きな物を失ったかもしれないが…それでも残っているものが ある」 「残っているもの?」 「そうだ」 やっと気付けたのだ。 それさえあれば自分は生きていける。息が出来る。前に向けて歩いていけると 。
「サッカーと…お前達との絆だ。それは絶対に私を、私達を裏切らない。そうだ ろう?」
仲間達と雷門が教えてくれた。 あの試合は、負けはしたが価値あるものだったと言える。一番大事な事を気付 かせてくれたのだから。 「あの試合をやって、お前達にも伝わった筈だ。彼らとなら…真実を掴みとれる 筈だと」 「真実…」 仲間達は顔を見合わせ−−頷き合った。代表するように、ゼルが口を開く。
「私は…彼らを信じてみたいです。デザーム様が信じた。ならば…私達が信じな い理由は無いですよ」
決まりだ。 一刻も早くこの場所を脱出し、逃げ延びなければ。猶予はない。あの魔女のこ と、どんな汚い手を使って来るかわかったものではない。 ざっくりと作戦会議。筆記用具が無いので詳しい内容などたてられる筈もない が、それを今言ってもどうしようもない事だ。
「皆も知っての通り、研究所内で黒いサッカーボールのワープ機能は殆ど使えな い」
任務の後、帰投する際は必ず転送室を経由していた。外から研究所内の転送室 へ飛んで来る事は可能なのである。そして転送室前の部屋でボディチェックを受 けパスワード入力をし、初めて入室が許可されるのである。 逆に研究所内から外へ行く場合も、転送室を使う。転送室からでなければ基本 的に外へは出られない。研究員用の通常の入口出口もあるが、そのパスは彼らし か知らないのだ。 そして転送室からも黒いサッカーボールは使えない。室内の機械を使う他ない のだ。 「シンプルだけど、あっちこっち壁をぶっ壊すのが早い予感」 「確かに」 「発覚早そうだけどなぁ」 そんな会話をかわしていた、その時だ。スピーカーに大きなノイズが。そして 。
『皆さんご機嫌よう』
あの女の声が、響き渡ったのは。
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この先、無間地獄。