幸せだよと君は笑った。 それでも私は悲しくて。 何時になったら寂しい嘘は終わるの。 何時になったら取り戻せるの。 この背中に、 白い翼は 無いとしても。 3-8:それぞれの、空を見上げて。 そろそろ、日の落ちる時間になる。 ナニワ修練場の片付けもどうにか今日中に終わりそうだ。今日は休養に当てて 、福岡には明日起つ事になった。陽花戸中の校長にはもう連絡済みである。 瞳子はビックリハウスの前に一人佇んでいた。 平日という事もあり、通行人もさほど多くはない。若いカップルに老夫婦、小 さな子供を連れた家族連れ。皆、自分達の“今日”を楽しむのに精一杯で、ぽつ んと立っている女の事など目もくれない。 身勝手なのは分かっているが。今はただ、一人きりで考える時間が欲しかった 。 −−デザームに、ガゼル…いいえ。 悩んだ時の癖で、ぎゅっと組んだ腕に、さらにまた力をこめる。 −−治君に…風介君。 本当は。今すぐにでも彼らを助けに行きたい。実のところ自分は隠されたエイ リアの本拠地も、正面ゲートの入口を開くpassも知っているのだ。 助けに向かう事が出来る。自分ならば−−吉良瞳子ならば。 でも。 −−今、行っても…イプシロンはもう間に合わない…。 仮に彼らがジェミニストームと同じ処遇を受けたとして。彼らが“追放”され てから“処置”されるまでの時間は、あまりに短いものだった。予め、ジェミニ ストームが負ける事も彼らのその後も決められていたとしか思えない。 現在地である大阪からあの本拠地にたどり着くまでに、きっと全ては終わって しまっている。 −−それに…今雷門を動かしたとしても……彼らにも、アルルネシアにも勝てな い。 主観でしか語れないが。自分にしてみれば雷門イレブンはあまりに発展途上な 面が多すぎる。すぐ出撃したところで返り討ちが関の山だ。 彼ら−−ジェネシスはあまりに、強すぎる。 −−酷い監督だ。私はまたそうやって…時間を遅らせる言い訳ばかりしてる。 今から行っても間に合わない。 雷門の今の実力では、ジェネシスにもアルルネシアにも勝てない。それは確か に事実だ。 しかし、喩えそれらの条件がクリアされていたとしても、自分はみっともなく 二の足を踏んだ事だろう。 本拠地の場所を教えるならば。瞳子が何故それを知っているかも語らざるおえ なくなる。つまり、吉良瞳子という女の正体と目的を。さらには円堂が親しくし ているあの子の真実をも。 それは−−彼らをどれだけ傷つける事になるだろうか。想像するだけで恐ろし い。軽蔑されるだけならまだいい。けれど彼らがそのせいで戦意を失うような結 果になってしまったら。 特に円堂が受けるショックは尋常でないだろう。ただでさえ彼はキャプテンと して気張りすぎる傾向にあるのに。もし彼が折れてしまったら、雷門の空中分解 は免れられまい。 それは即ち、世界を救う為の希望が潰える事に他ならないのだ。 −−いつまでも嘘をつき通せるとは思わない。騙してるのとも違うかもしれない 。だけど…。 『嘘を吐いたんならさ。…最期まで、吐き通して欲しいんだ』 思い出したのは、赤い髪のあの子。ジェネシスのキャプテンで、瞳子の大好き だった兄に生き写しのように似ていたあの子の言葉。 『父さんは、愛してくれてる。俺は騙されたフリをしてる。でも、それでもいい んだ。父さんが望んでくれさえするなら俺は…誰かの身代わりでも構わない』 計画が発動して。瞳子が父の元を離れる直前に、彼はそう言ったのである。何 処か遠い場所を見つめながら。 『嘘も吐き続けたら。嘘でした、って父さんが言わない限りは。…それが真実に なる。俺は嘘を信じてられるから』 俺は大丈夫だよ。 ちゃんと幸せなんだよ。 だから姉さん、心配しなくていいよ。 そうやって笑うあの子を、瞳子は抱きしめる事しか出来なかった。小さな身体 を一生懸命包み込んで、ごめんなさい、と謝る事しか。 嘘には、必要な嘘もある。父が吐いた嘘は、たくさんの子供達を傷つける最低 な嘘だった。それでもその嘘がなければ今日まで生きて来れなかったとあの子は 言う。 −−吐き続ければ、真実になる嘘もあるかもしれない。真実を知らない方が幸せ な現実もあるかもしれない。 だが瞳子は知っている。 父にはその大前提にすべき箇所が、大きく抜けている事を。 「あの人は、嘘で貴方達を傷付けてる事も気付いてない。嘘を真実にしたいとも 願ってないのよ…?」 それでは、どんなに頑張っても“最低な嘘”は“最低な嘘”のままなのだ。 「私は…どうなのかな…」 いや、とっくに答えは出ている。出ている筈なのに、届きそうで届かない。全 ては自分の心一つである筈なのに。 見上げた空は、藍と橙の美しいグラデーションに彩られていた。山間では夕立 が来るかもしれない、とニュースでは言っていたがこの近辺は問題ないだろう。 雲が鮮やかに色づいた、とても綺麗な空なのに。瞳子にはその全てが、泣き出 しそうに見えていた。
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