伸ばしたその手が掴み取った。
 誰かが吹かせた一陣の風。
 今この時と囁く一手を。
 逃す事の無いように。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
3-16:ち向かう者の、白昼夢。
 
 
 
 
 
 福岡県、県立陽花戸中学校。
 フットボールフロンティアで不運もあり優勝を逃したサッカー部は、今日もグ
ラウンドで熱心に練習を続けていた。
 立向居勇気もまたその一人である。
 立向居が入学当時、陽花戸中はけして強豪とは言えない学校だった。ずっと人
数が足りず、去年のフットボールフロンティアは出場すら叶わなかったと聞いて
いる。今年は念願叶って出場し予選を順当に勝ち進んだものの、トラブルに見舞
われ全国大会を不戦敗という結果に終わってしまったのだ。
 立向居がサッカー部に入ったのは、特に大きな理由があってのことではない。
 昨今のサッカーブームに便乗したわけでもなく、単に体を動かす事が好きだっ
たからと、チームの雰囲気に惹かれての事だった。数こそ少ないものの、先輩達
は皆親切で、年少者にもけして偉ぶったりしない人格者揃いであった。
 本格的にサッカーに打ち込みたい。そう思うようになったのは、自分達が敗退
したフットボールフロンティアの全国大会の中継を見てからである。
 
 破竹の勢いでのし上がってきたチーム−−雷門中。
 
 彼らがつい最近まで無名校だったと知った時は心底驚いたものだ。その境遇は
陽花戸中に似通っている。最初はたった七人しかいなかったチームが、努力を重
ねて全国の頂点に君臨したのである。
 立向居だけではない。誰もが思い知らされた事だろう。自分達は、無意識のう
ちに、己の不遇に甘えていた事を。
 全国の舞台に立てなかった陽花戸中と。同じ弱小でありながら、王者の座を掴
み取った雷門中。その差は、心のどこかに諦めを抱いていたかどうか。
 千羽山中との試合で。円堂の言った言葉を、立向居は偶然聞いていた。あの試
合だけは偶々休日に当たっていたので、チーム全員で観戦しに行っていたのであ
る。座った席は、雷門中側のベンチのすぐ近くだった。
 あの時の円堂の姿と言葉が、立向居を動かしたのである。
 
 彼曰く。
 自分達の本当の必殺技は、諦めない事なのだ、と。
 
 ただ技術と連携、身体能力を磨く事ばかりに躍起になっていた自分達はそれで
目が覚めた。一番最後に勝負を決めるのは、心なのだと。
 絶対諦めない。
 一番怖いのは試合に負ける事ではなく、自分に負けてしまう事だ。
 その瞬間、円堂の信念が立向居の信条になった。彼自身の能力も素晴らしいも
のがあったが、最も惹かれたのはその魂そのもの。彼のように強くなりたい。い
つしかそれが立向居の目標になっていた。
「立向居、行ったぞ!」
「はい!!
 MF、黒田のダブルグレネードがゴール前まで飛んでくる。立向居は身構え、エ
ネルギーを充填させる。
 掌に集まる、水色の光。
 
「ゴッドハンド!!
 
 シュートを受け止める神の手。パシリ、と小気味良い音を立てて、ボールは立
向居の手の中に収まっていた。
 ひゅう、と口笛を吹く黒田。
「やるじゃねぇか。ゴッドハンド、ますます磨きがかかってんな」
「ありがとうございます!」
「凄いよな立向居は。あの円堂の必殺技を、テレビで見ただけで再現しちまった
んだから」
 俺達も負けてられないぞ、と。キャプテンの戸田に頭をくしゃくしゃと撫でら
れ、ついつい顔が赤くなる。
 可愛がって貰えている。期待してくれている。それが気恥ずかしくて、でもと
ても嬉しかった。
 もっともっと頑張らなくては。努力はしてしすぎるということはない。皆の役
に立てるのであれば、どんな困難も厭わないと、立向居は前向きな気持ちで考え
ていた。
 その為にはまず、目の前の目標をクリアしなければ。
「マジン・ザ・ハンドも…難しいだろうが、お前ならきっと出来るさ。頑張れよ
「おう。俺達みんな応援してるからな!!
「はい!」
 DFの石山、筑紫の二人に背中を押され、元気よく返事をした。
 ジェネシス襲来まであと五日ばかり。それまでに技を完成させるのは無理かも
しれない。型だけは出来ても、モノになるかは別問題なのだ。
 しかし弱音を吐いてなどいられない。
 襲撃予告の日までには、あの雷門イレブンがサポートに来てくれるらしい。憧
れの円堂に逢える。それは嬉しいことだが、戦いを彼らにばかり任せるのは気が
引けた。
 雷門に比べればまだまだ陽花戸中は弱いかもしれないけれど。ターゲットにさ
れているのは自分達の学校、本来ならば自分達だけで守らなければならない筈な
のだ。
 ヒーローが来たと、すぐ甘えるようなチームでは成長できない。自分達でも、
出来る限り精一杯のことがしたい。それは全員に共通する想いであった。
 
「じゃ、とりあえず十分休憩!水分補給は怠るなよー」
 
 パンパン、と手を叩いて戸田が休憩を宣言した。その途端に地べたに座り込む
者が数名、トイレダッシュが数名、マネージャーにポカリを強請る者が数名。さ
らに数名は、休む時間すら惜しんで作戦会議である。
 とりあえず、全身が汗と砂まみれだ。立向居は、顔を洗ってからドリンクにし
ようと決める。校舎裏手の水飲み場は少し離れていたが、それでも早くサッパリ
したい気持ちが勝った。
 早足で水飲み場に向かい、蛇口を捻る。残暑の日差しに煮えた水はぬるま湯状
態だったが、それでも火照った身体を冷やすには充分だった。
 
「ねぇ、君」
 
 最初は自分にかけられた声だとわからなくて。しかし気配が消えないので、立
向居が顔を上げると、そこに彼はいた。
 
「君、陽花中のサッカー部員?」
 
 艶やかな赤い髪。ショートカットだが、男子にしては少し長めかもしれない。
肌の色は白いというより、どこか青白くて。それがかえって神秘的な雰囲気に拍
車をかけている。
 切れ尾の碧い瞳が綺麗な、美少年。
 だが一瞬時間が止まったような錯覚を受けたのは、多分その整った容姿が理由
じゃない。彼の持つ、どこか人間離れしたオーラが原因だった。
 
「えと…どちら様、ですか?」
 
 同じくらいの年かな、とは思ったが。普段の癖でそのまま敬語が出た。
 
「君は、サッカー部の子だよね?」
 
 しかしこちらの疑問には答えず、少年はさっきと同じ問いを繰り返す。しかも
今度は断定に近い形で。
 
「そう…ですけど…」
 
 サッカー部に用があるのだろうか。戸惑いながらも肯定すれば、そっか、と納
得したような顔をする相手。
「守。もうすぐ此処に来るんだよね」
「まも…る?」
「円堂、守。雷門中のキャプテンの、だよ」
「!円堂さんをご存知なんですか!?
「知るも何も、有名人じゃない」
「いや、あの、そうじゃなくて…!」
 驚きすぎて頭がうまく回らないし、言葉はおかしくなるし。絶対変な奴だと思
われただろうが−−今はそんな事よりも。
 守、と。下の名前で呼ぶからには、親しい人物なのだろう。彼はあの円堂の知
り合いであるらしい。いや、もしかしたらイナズマキャラバンのメンバーかもし
れない。
 少年の顔に見覚えは無かったが、キャラバンのメンバーは人数が多い。また入
れ替えも激しいのは周知の事実だ(実際本来の雷門中出身者はほんの一握りしか
残っていないと聞く)。立向居が知らないのも有り得る事だった。
 
「これから、大変だよね。襲撃予告が入ったんでしょ?負けたらどうなるか分か
らないし」
 
 ジェネシス襲来を知っている。ならばやはり、予想は正しいのか。
 けれど立向居が質問責めするより先に、少年が口を開く。
 
「勝っても…それで終わりかどうかなんて分からない。ずっとこんな事が続くか
もしれない。…不安じゃない?」
 
 不安。確かにそれは、否定できない。宇宙人と戦うなんて。負けたら母校を失
うかもしれないなんて。あるいはもっと恐ろしい目に遭うかもしれないなんて。
 考え出したらキリがない。それは間違いなく怖くて、逃れようのない恐怖。ど
んなに前向きに頑張ってみても、暗雲は陽花戸イレブン全員の胸に立ち込めてい
る事だろう。
 無論、立向居も例外ではない。
 だけど。
 
「雷門は、負けません。…いいえ、仮に試合に負けたとしても…負けないんです
 
 その言葉は自然に出た。
 信じられる。彼らを信じたい。まだ直接逢ってもいないというのに、立向居は
確信していた。
 彼らは信じるに値する戦士達だと。
 
「円堂さんは諦めませんから。円堂さんが諦めない限り…負けない。そして必ず
、ハッピーエンドで終わらせてくれる筈です。絶対に」
 
 悪夢が終わらないとしても。
 彼はそれを、幸せな結末に導く力を持っている。
 円堂守という人物ならば。
「君は強いなぁ。俺はこんなに…不安なのに」
「不安、なんですか?」
「うん」
 少年は笑う。どこかくたびれた笑みで。
 
「本当はね。もう…疲れちゃったんだ。届かない夢を見るのも…嘘を吐くのも」
 
 どうすれば“オワリ”になるんだろうね、と。消え入りそうな声で、呟く。
「もう一回。もう一回。今度こそ終わらせる。…そう願うのに、終わらない。辛
いなんて言えない。タスケテなんて言えない。だって俺達は…」
「…言えばいいじゃないですか」
「え?」
 目を見開く少年。その瞳を真っ直ぐ見つめて、立向居は言った。
 
「何で言っちゃいけないんです?助けを求めて何が悪いんですか。逃げ出した事
のない人なんて、弱った事のない人なんていないのに」
 
 心が痛かった。助けて。雷門イレブンがその一言を言えなくなっているとした
ら。円堂が無理矢理前を向いているとしたら。
 そうさせてしまっているのは、ちっぽけな彼らに世界を背負わせてしまってい
る、全て。自分達みんなが加害者という事になる。
 もしかしたらエイリアよりも罪深い存在なのかもしれなくて。
 
「……君は、守に似てるね。優しくて、真っ直ぐだ」
 
 眩しくてかき消されちゃいそうだ、と。はにかむ彼に胸が詰まる。正直、彼の
正体が本当に何なのかは分からない。雷門のメンバーか仲間だと予測をつけて話
してみたけど−−何だろう。この感覚を何と呼べばいいのだろう。
 訊きたい事は山ほどあったけれど。一番の疑問はそう−−たった一つだ。
 何で貴方はそんな、悲しい顔で笑うの?
 笑顔なのに、泣いているようにしか見えないなんて。
 
「間違わないでね。君も守も、ちゃんと正しいんだから。何があっても自分を見
失っちゃいけない」
 
 少年はくるり、と背を向けて言う。
 
「エイリア学園のしている事は間違ってる。サッカーは…誰かを傷つける為にす
るものじゃない。誰かと笑う為にするものなんだから」
 
 あの、と声を出しかけて−−立向居は絶句した。まばたきをしたほんの一瞬の
うちに−−その姿は掻き消えてしまったのだから。
 
「え…ええ?」
 
 ごしごしと瞼を擦って見ても、景色は同じ。フェンスの前には誰もいない。立
向居ただ一人しか、いない。
 夢でも見たのだろうか。
 それでも自分は、幽霊にでも憑かれたのか。
 
−−あんなリアルな夢…本当にあるのかな…。
 
 夢と現の狭間。日差しの中で立ち尽くす子供。
 それはけして、幻などでは無かった。
 何故ならごく近い未来に、二人は再会を果たすのだから。
 
 
 
 
NEXT
 

 

時に苦渋嘗めて、大地に這い蹲ったとしても。