何時までも悪い夢の中。
 連れ去られた片割れを求めて溺れて。
 足掻きつかれた深淵に。
 それでも朝は来るというの。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
3-17:はまた、昇る。
 
 
 
 
 
 小さな頃を思い出していた。吹雪は追憶にふける。
 あれはアツヤが小学校に上がった頃だったか。両親に遊園地に連れて行って貰
った時である。
 
『兄ちゃんコレ!コレ乗りたい!!
 
 アツヤがそう言い張ったのは、遊園地の目玉である大きなジェットコースター
。当時、日本で一番高く、一番角度が大きいとかで幅広く宣伝されていたものだ
 吹雪はげんなりした。自慢じゃないが自分はジェットコースターが苦手だった
のだ。あの、落下する時の浮遊感。足元から消失していくような恐怖。なんで皆
が好き好んで乗りたがるのかまったく理解出来なかったものだ。
 が。幼いなりに、吹雪にもプライドはあったわけで。何より弟が果敢に挑もう
としているものから、兄の自分が逃げるわけにもいかない。嫌だ、乗りたくない
−−とは言えなかった。
 ギリギリ年齢制限をクリアして、家族四人で乗って。その結果どうなったかと
いえば。
 乗りたがった筈のアツヤがボロ泣き。兄の吹雪はどうにか泣くのはこらえたが
、顔がひきつるのはどうしようもない。もう二度と乗るもんか、と心に誓ったも
のである。
 にも関わらず。あんなに泣きまくったくせに、アツヤはまったく懲りないので
ある。次に行った別の遊園地でも、さらに次の遊園地っも、一番大きなジェット
コースターに乗りたがった。迷惑な話である。その度に必ず泣くのだから。
 まあそれを理解していながらアツヤを止めない両親も両親なのだけど(今から
思えば自分達は相当奔放に育ててもらったと思う)。
 
−−あの時は、いつも考えてたなぁ。どうすればアツヤとジェットコースターに
乗らずに済むだろうって。
 
 ナニワランドで。今日円堂とジェットコースターに乗って思い出した。それは
セピア色の、しかしどこか鮮明な記憶。
 
−−今はもうそんな事、考える必要もないんだ。
 
 自分はもう、ジェットコースターを怖がらなくなった。どうしても嫌な事は嫌
だと言える年になった。
 何より−−アツヤはもういないから。この世界の、何処にも。
 いるのは綺麗な幻で誤魔化してどうにか生き長らえている、愚かな自分だけ。
 
「吹雪」
 
 名前を呼ばれて、我に返る。
 
「今何、考えてた?」
 
 円堂だった。じっと見つめてくる視線の中には、悪意も邪気もない。ただ純粋
な心配と疑問だけ。
 丸い大きな瞳の中に映る自分は、鬱々とした顔をしていた。ああ、なんて大き
な差。暗い、暗い、怯えを孕んだ不健康な顔。アツヤによく似た、顔。
 駄目なのに、と思う。
 ずっとそうだった。あの事故の日から、鏡で自分の顔を見るたびアツヤの事を
思い出して、深く深く沈みこんで。
 そんなんじゃいけない。みんなを心配させちゃいけない。頑張らなきゃ、頑張
らなきゃと思うのに−−いつまでもいつまでも前に進めない自分。
 情けない。彼らといる時はせめて、明るい吹雪士郎でいようと、そう思ってい
たのに。
 結局自分の時計は、止まったままで。
 
「ごめん、ね。大丈夫」
 
 不安がらせちゃいけない。
 迷惑かけちゃいけない。
 心配されちゃいけない。
 足を引っ張っちゃいけない。
 
「大丈夫、だから」
 
 そうじゃなきゃ自分は。
 自分、は。
 
吹雪」
 
 円堂が眉を寄せて言う。
「その返事、なんかおかしいぞ?」
「え?」
「俺は何考えてた?って訊いたのにさ。何で吹雪は謝るんだ?」
「え、だって
「それに大丈夫って何に対しての大丈夫、なんだよ」
「それ、は
 おかしいな。さっきから鼓動が煩い。何だろう。何で自分はこんなに焦ってる
んだろう。
 
「えっと、ね。だから、その
 
 謝らなきゃ。心配かけてごめんって。
 大丈夫だって言わなきゃ。心配しなくていいよって。
 でも、それを言ったらもっと心配されてしまうのだろうか。
 吹雪が言葉に詰まっていると。円堂はストン、とベンチに腰を下ろして言った
 
「あのさ、吹雪。悩んでる事とか話したくない事とか全部喋れなんて言わな
いからさ」
 
 気付いて欲しいな、と彼ははにかむ。
「俺達に心配かけたくないからって何もかも秘密にされたらさ。勘ぐっちゃっ
てもっと心配になるんだよな」
……!」
「だからいや、うまく言えないんだけど。俺達の事、仲間だと思ってくれてる
なら。いろいろ相談してくれたらすっげー嬉しいなって」
 頭を掻きながら円堂。吹雪は目を丸くする。
 
「嬉しいの?」
 
 それはあまりに、意外な言葉だったから。
 
「おう!嬉しい!!だってそれだけ俺達の事信頼してくれてるってことだろ?」
 
 円堂は笑う。歯をみせて、まるで太陽のような笑顔で。
 
「俺、吹雪のこと、すっげー大事な仲間だと思ってる。吹雪は違うのか?」
 
 言葉に詰まった。違わなくない。みんな大事な仲間だ。自分だってそう思って
いる。
 でもだからこそ、迷惑かけてはいけないと思っていた。失いたくなかったから
 自分は表向きだけでも完璧でなければ。そうでなければみんないなくなってし
まう。それは呪いよりもっと根深い何か、だ。
 だけど。でも、だけど。
 
「大事だから不安なんだ。心配かけたり、みんなの足を引っ張らないようにす
るにはどうすればいいんだろうって」
 
 少しだけ。
 ほんの少しだけ縋っても、赦される?
 
「それって変かな」
 
 お願い。
 お願い。
 自分は。吹雪士郎はこんなに弱くて脆い人間だけど。
 ねぇ君は、見捨てないでくれる?
 いなくならないで、傍にいてくれる?
 それは吹雪にとって最後の願いで、賭のようなものだった。この賭に失敗した
ら、何もかもが終わる。それが分かっていた。
 
「ぜんぜん」
 
 束の間遊園地の喧噪が遠退く感覚。青い空の下で自分達の周りの空間だけ切り
取られたかのよう。
 それほどまで、円堂の声はよく響いた。心に、魂に。
 
「変じゃないよ。みんな本当は不安なんだから。俺も含めてさ」
 
 円堂も。それは吹雪にとっては静かな衝撃だった。劣等感から、彼を多少理想
化かつ美化して見ていた事は否定しない。
 しかし、吹雪の知る円堂はいつも真っ直ぐで。いつだって笑っていた。怒るの
は仲間を侮辱されたり、大好きなものを汚された時だけだった。
 何かに怯えたり、悩んだりする様なんて−−想像もつかなくて。
「キャプテンにも、不安な事があるんだ?」
「ひどっ!た、確かに俺悩みなさそーな顔してるかもしれないけど!」
 夏未にはほぼ毎日バカバカ言われるしなー、と呻く円堂。見当違いな感想かも
しれないが、その様は年相応で可愛らしくすらある。
 さっきから、新しい発見ばかりだ。
 
「本当はこんな事、言っちゃいけないのかもしれないけど。吹雪だから話すな。
本当はいつも頭のどっかで思ってる。俺なんかがキャプテンでいいのかなって
 
 そんな事を思っていたなんて。予想外も予想外だ。吹雪だから、話す。その言
葉が重く、しかし温かく胸の中に降りていく。
 話してくれなければ、きっと自分は円堂を綺麗なヴィジョンのまま見ていた事
だろう。つまりは、ただ強い人間という間違った認識を持ったまま。
 言葉にする事は、少しでも本当に近い形の自分を誰かに伝える事だ。知っ
て貰う手段なのだ。だが最初から口を閉ざしてしまったなら、心はいつまでもす
れ違い続けてしまう。
 今の吹雪のように。本心は誰にも知られないまま。
 
−−なのに僕は本当は期待して。遠回りのサインばっかり出してた。
 
 言葉にするのは怖いのに。言葉にしなくてもいつか気付いてくれるんじゃない
かと。いつか伝わるんじゃないかと。身勝手な淡い期待を抱いて、また勝手に失
望して、一人殻に籠もっていた。
 話しても何も解決にはなりはしない、なんて。それは諦めですらない、ただ臆
病なだけだったのに。
 最初の一歩は自分から踏み出さなければならない。本当は多分、答えなどとっ
くに出ていた。気付かないフリをしていたのは他ならぬ自分自身。
 
僕、みんなの役に立ててる?」
 
 DFの吹雪士郎は、みんなの求めていた存在じゃなくて。
 FWの吹雪アツヤは、エイリアに抗するにはあまりに非力な存在で。
 自分達は二人分の力を持っていても、みんなの一人分も役に立てやしない。足
手まといだと言われても仕方ない。
 それが分かっていながらも吹雪は問うのだ。確かめる為に。選ぶ為に。
 
「僕はみんなと一緒にいても、いいの?」
 
 必要とされていますか?
 此処にいても赦されますか?
 
「当たり前だろ!お前が要らないなんて言う奴、一人だっていやしない!!
 
 迷う事も躊躇う事もなく円堂は言った。もっと自信持てよ!と拳を握る少年。
 我らが雷門中の−−そう、いつの間にか当たり前のようにそう考えていたのだ
−−偉大なるキャプテン。
 
「シュートが決まらなかった?デザームに勝てなかった?それがどうした!俺な
んか守護神とか言われてるけど、点を入れられるなんかしょっちゅうだし、必殺
技は破られてばっかだし
 
 そうだ。どうして気付かなかったのだろう。
 円堂は今まで負けなかったわけじゃない。無敗の神ではない。何度も負けて這
い蹲って、ボロボロになっても仲間と這い上がってきた、傷だらけの王者なのだ
 雷門中は最初七人しかいない弱小チームだった。それを優勝に導けたのは何故
 エイリアのセカンドランク、ジェミニストームに大量失点して負けた。それを
、ファーストランクのイプシロンに勝てるまで鍛え上げられたのは何故?
 諦めなかったからだ。
 何度負けても、立ち上がったから。
 それが、円堂守。
 
「辛いなら、辛いのごと楽しめよ!勝ったり負けたりして強くなるから、一人じ
ゃないからサッカーは楽しいんだぜ!」
 
 ポン、と吹雪の肩を叩く手は、温かい。
 それは差し伸べる手だった。
 闇から引き上げてくれる手だった。
 自分はそんな彼に、彼らに出逢う事が出来たのだ。
「忘れるな!何があってもお前は雷門最強ディフェンダーで、最高のストライカ
ーの一人!俺達の仲間なんだからな」
「キャプテン
 吹雪は眼を閉じる。そして、想う。
 自分に今一番必要な事が何なのかを。
 
「俺達にはお前が必要なんだ。だからお前も俺達を頼ってくれないか?」
 
 必要だと。円堂は今、吹雪が一番欲しかった言葉を言ってくれた。何も知らな
いからこそ意味がある。重みがある。
 自分は応えられるだろうか、その信頼に。
 否−−応えたい。
 
話しても、いいかな」
 
 夏の終わりに吹く風。青い空の中に溶け出していくのは、優しい記憶と悲しい
記憶。誰かの傷と自分達の決意。
 
「ううん。話したい。アツヤのこと。僕が求める完璧についても」
 
 壁が壊れた先には太陽があった。
 笑顔で迎えてくれる仲間がいた。
 
「僕にとってもみんなはキャプテンは大事な仲間、だから」
 
 大丈夫。今度は心から言える。
 きっと今、時計は動き出したから。
 
 
 
 
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昇る太陽は、君だった。