あの日私が迷う事なく。 全ての選択肢を切り捨てて君を選んでいたら。 何かは変わったというの。 君の傍にいられたの。 この背中に、白い翼は 無いとしても。3-19:円卓の、騎士達。 福岡県内でも、陽花戸という市は人口の少ない、田舎町である。県の中心地から外れ、のどかな田園風景が続く。市立陽花戸中学校の最寄り駅は、私鉄が一本走っているのみ。しかも二十分に一本しか来ない。さらに学校は駅から徒歩一時間歩く距離だ。 だが、東京都心には無いものがこの街にはあると思う。キャラバンを降りた円堂がまず最初にしたのは、胸一杯に息を吸い込む事だった。 空気にも味がある、なんて。小説の派手な比喩表現に過ぎないと思っていたけれど。その考えが間違っていた事を今、身を以て実感していた。 この町では、何もかもが穏やかで温かい。田んぼの脇をどこかのんびり走る電車。近所の一軒家からはご飯の匂いがする。散歩の犬ですらのびのびしているように見える。あくせく走る人など何処にもいない。−−此処が、じいちゃんの育った町…。 祖父のもう一つの故郷。円堂は感慨深い気持ちで、陽花戸中の門を潜る。 長年の歴史を誇る公立校なだけあって、門も壁も錆びて汚れが目立った。クリーンスタッフを雇い、補修工事にも余念がない雷門中とは大違いだ。それが逆に、学校らしい味を出している気がする。「わざわざ東京からご足労いただき、誠にありがとうございます」 雷門イレブンを出迎えたのは、キャプテンマークをつけた一人の少年と、年輩の男性−−陽花戸中の校長先生だった。二人の後ろには揃いの水色ユニフォームを着た部員達が、ずらっと控えている。「自分は、陽花戸中サッカー部キャプテン、戸田雄一郎と申します。あのフットボールフロンティアで優勝なさった雷門の皆さんにお会いでき、誠に光栄です」「あ、ありがとう…」 こう、改まった挨拶をされると気恥ずかしい。円堂はおずおずと手を出し、戸田と握手をかわした。なんというか、真面目で礼儀正しい少年なのだろう。中学生にしては出来過ぎている気さえする。「陽花戸中って、最近メキメキ力をつけてきた福岡のダークホース!って聞いてましたけど」 春奈がふと疑問を口にする。「何でフットボールフロンティアの全国大会に出られなかったんです?」 陽花戸イレブンは顔を見合わせる。まずい事を訊いてしまったのか、と円堂は内心焦った。深い事情があるのかもしれないし、純粋に実力不足が原因だったならそれはそれで気まずい。 口を開いたのは、ディフェンダーの大濠という選手だった。「…手紙がな、間違ってたんだよ」 「手紙?」「ああ」 逆立てた金髪を掻きながら、溜め息をつく大濠。「全国大会初戦の通知書。そいつの日程が一日間違ってた上、何でだか協会から連絡も来なかった。で、せっかく全国進出したのに、出場すら叶わず不戦敗ってわけだ」 割り切ったような、妙にあっさりとした口調。それだけに彼らの悔しさが見てとれた。フットボールフロンティアといえばサッカー少年の夢の祭典。円堂もずっと出場を夢見ていた大会なだけに(実際雷門中は去年は人数不足で出られなかった)、気持ちを窺い知るには充分だった。 ましてや陽花戸も雷門と似た境遇。今年やっと出られた筈の大会に出られなくなったのである。その心情は推して図るべしだろう。「手回ししたのは影山零治…か」 塔子の呟きに、陽花戸イレブンも校長も何も答えなかった。ただ苦い顔で笑ってみせただけで。それは何よりの肯定に他ならない。 真帝国の試合に中継は入っていない。だが愛媛の大量失踪事件や海坊主騒ぎはニュースになっている。解決したのが雷門であること、原因が影山であった事、事の顛末なども大まかにだが噂になってしまっている。 人の口に戸は立てられない。目撃者や生存者(あの潜水艦の従業員に生き残りがいた事が分かったのは昨日の事だ)を合法的に黙らせる方法なんてありはしない。 最終的に影山もまた被害者だったと、そこまで彼らが知っていたのであれば−−複雑な気持ちになるのも当然だろう。「大会に出られなかったのは残念でしたが…それはもういいんです。終わった事 ですから。大事なのはこれからでしょう」 話題を切り替えたのは同じくディフェンダーの筑紫という少年だ。「宇宙人襲来…事件の事は知ってます。フットボールフロンティアに出場できな かったとはいえ、いつか僕らにもお鉢が回って来るだろうとは思ってましたけど」 いざターゲットにされると、気が滅入るどころじゃないですよ、と。筑紫は肩を落とす。「自信が無い…わけじゃないですけど。見た感じ、どこまで理屈が通用する相手 か分からないじゃないですか。ましてやジェネシスってチームは、今回初登場でしょう」「まあ、未知数だよな」 未知数−−それもイプシロンより格上と知った上での相手だ。エイリアと戦い続けてある程度コツを掴んできた雷門とは違い、陽花戸がいきなり戦うには荷が重い相手だろう。 無論それも考慮した上で、自分達は馳せ参じたのだ。彼らの代わりに、自分達がジェネシスと戦う為に。「ん?」 ふと、円堂は奇妙な事に気付いて首を傾げる。よくよく数えてみれば陽花戸イレブンの人数が一人足りない。 疑問はすぐに溶けた。ミッドフィールダーの道端−−その後ろに、まるで隠れるようにして佇んでいる人影がある。明るめの焦げ茶のふわふわした髪に、くりくりとした大きな青い眼。どこか幼さを残す、可愛らしい少年だ。「立向居…いつまでモジモジしてんだよ」 円堂の視線に気づいてか、道端が呆れたように振り返る。「緊張するのも分かるけど。ほら、挨拶しろって」「は…ハイ!」 立向居、と呼ばれた少年はぎこちない動きで歩き出す。まるで漫画に出てくるロボットのよう。右手と右足が同時に出てしまっている。「あああああのっ!俺、立向居勇気って言います!!陽花戸中一年で、キーパーや ってます!!」 どもりながら、そして必要以上に背筋を伸ばして立向居が名乗る。なんだろう、この反応。戸惑いつつ苦笑いしつつ、円堂は手を差し出す。「立向居勇気…いい名前だな。俺は円堂守。よろしくな!!」 「は、はい!!」 円堂と握手した立向居は、その顔を茹で蛸のように真っ赤にして。「あ、憧れの円堂さんと握手…もうこの手一生洗いませんっ!!」 と、アイドルの追っかけの少女のような事を言うので。円堂はついつい、笑ってしまったのだった。 円堂に逢えたのは嬉しい。そりゃあもう、滅茶苦茶嬉しい。が。 それだけに立向居は今、逃げ出したい気持ちでいっぱいなのである。「立向居は、期待のホープ。凄いんだぜ、こいつ見ただけでゴットハンドをマスターしたんだから」「本当か!?」 胸を張る戸田部長と、眼を輝かせる円堂。ああ、頼むからそんなにプレッシャーかけないで欲しい。純粋に誉めてくれるのは喜ばしいのだけれど。「お、俺のゴットハンドなんて円堂さんの足元にも及びません。実力だって、全然」「おーおー謙虚だねコイツ」「わわっ」 ディフェンダーの石山に肘でこずかれ、つんのめる。巨漢の彼は手加減していても立向居の数倍パワーがあった。 謙遜しすぎだと先輩達は言うが。実際自分のテクニックなど付け焼き刃にすぎないと分かっている。事実は事実なのだからどうしようもない。 元々中盤の選手だった立向居。守護神を志したのは、フットボールフロンティアの中継で円堂の姿を見たのがきっかけだった。彼の姿、言葉、熱意。あらゆるものが立向居の中にくすぶっていた情熱を掻き立てたのである。自分も、“護る者”になりたい。雷門の試合シーンを収録したDVDは飽きるほど 見た。そして研究した。円堂と同じ“神の手”をマスターする為に。 今。それほどまで憧れた存在が目の前にいるのだ。それだけで素晴らしく緊張するのに、さらに煽りたてられたらますます堅くなってしまう。「…まあ、いい機会じゃないか」 そんな立向居と、円堂を交互に見ながら。ついに言い出したのは道端。「立向居。お前の実力、憧れの円堂クンに見て貰えばいいじゃないか」「ははははいっ!?」 「というか、陽花戸の実力…だな」 来たか、という顔をしたのは陽花戸イレブンも、一部の雷門イレブンも、だった。やがて意を決したように、戸田が一歩前に進み出る。「雷門の皆さん。私達陽花戸の為に、はるばる東京からいらして下さった事には感謝しています。ですが…本来ジェネシスが狙ってきたのは我々陽花戸。私達が 自分戦うのが道理です」 だから試させていただきたい。戸田は丁寧な口調で、しかしはっきりと言い切った。「私達と試合をして下さい。もし我々が勝った時は…ジェネシスとは私達陽花戸 が戦います」「望むところだ!」 試合、と聞いた途端目を輝かせた円堂。本当に本当に、彼はサッカーが大好きなのだ。そのちょっと所作一つで彼の本質が窺い知れて、立向居はなんだか嬉しくなった。 憧れの雷門との試合。プレッシャーは少なからずあるけれど。でも、楽しみでない筈はない。こんな機会を与えてくれたという意味では、宇宙人襲来にすら感謝したいくらいだ。「あたし達にも異論は無いよ」「ああ」 塔子が、風丸が、キャプテンに同意する意志を示す。「お手並み拝見、ですね。負けませんよ!」 宮坂がその少女のような顔に、挑戦的な笑みを浮かべる。これが雷門イレブンだ。それぞれのサッカーに対する熱意と士気の高さ。仲間との連帯感と絆の強さ。 その全てが、彼らの無限の可能性とパワーに繋がっているのだろう。−−そういえば。 ふと、立向居は彼らを見回して気付く。 いるだろう、と漠然と思っていた顔がない。あの、円堂の知り合いらしき、赤い髪の少年。名前も知らないけれど、なんだか気にかかって仕方ない、彼。「あの…円堂さん」 「ん?」 答えを知るには、当事者に訊くのが早い。立向居は少し遠慮がちに、円堂に声をかける。「この間…円堂さんの知り合いだっていう人が来たんです。俺より一つ二つ年上 くらいの、ストッパーのかかった赤い髪の男の子なんですけど」「赤い…髪?」 「心当たり、あります?」 もしただのファンとかだったら、円堂が認知していない可能性もあったのだが。あ!と彼が声を上げた事で、その可能性は否定される。「そいつ、碧の眼じゃなかった?ちょっと釣り目なかんじで、色が白くて…」 「あ、はい。そうです」「やっぱり!ヒロトだ!!」 破顔する円堂。「京都で言ってたもんなー…親の仕事で、次は福岡に行くって。陽花戸の近くま で来てたのかー」 よほど仲が良い友達なのか。ニコニコと笑いながら語る円堂は本気で嬉しそうだ。円堂以外のメンバーも何人かは、彼の言う“ヒロト”が誰か知っているらし い。となれば怪しい人間ではないだろう。 だとすれば、尚更。話しておくべきかもしれない−−あの時ヒロトが自分に話した事。 あの時あんなにも寂しそうだった−−彼の様子を。「円堂さん、実は…」 NEXT |
悲しい爪跡が、この胸に沁みて。