自分こそが正しいと信じていた。 間違いは力で正せばいいと思ってた。 気付いた時にはすべてが遅かった。 繋いだ筈の、この手は遠く離れていた。 この背中に、白い翼は 無いとしても。3-20:優しい、嘘吐き。 考える事は山ほどある。それはキャプテンとしてでもあり、円堂守一個人としてでもある。−−ヒロト…。 試合の準備に取りかかりながら。考えたのは、京都で知り合った彼の事だ。 彼との会話の殆どはメールで、実際に会ったのはたった二度ばかり。それでも既に基山ヒロトは円堂にとって大事な友達だと認識されている。一緒にサッカーをやった。楽しかった。理由などそれで充分ではないか。 立向居が会ったという少年は、ほぼ間違いなく基山ヒロトその人だろう。円堂を“守”と呼ぶ人間は極めて少ない。ヒロトの呼び方は偶に“円堂君”になるが 、基本的には下の名前だ。 その彼が。何故だか思い詰めた様子で、立向居の前に現れたのだという。無論それまで立向居とヒロトの間に面識などない。でも、立向居はその時逢った彼の事が非常に気がかりで仕方ないのだと言う。『俺はたった一度、逢っただけです。でも…なんだかほっとけなくて』 お願いです、と立向居は言った。『円堂さんがあの人の友達なら…どうか、助けてあげて下さい。多分…それは円 堂さんにしか出来ない事だと思うから』 確かに。ヒロト、という少年には何処か影がある。最初はそれを、体の弱さゆえ思うようにサッカーが出来ないせいだと思っていたけれど。本当は、それ以外にも理由があったのかもしれない。 だが突き詰めて考えるには、あまりに円堂はヒロトの事を知らなすぎた。思えば彼の本当の住所も、各地を転々としなければならない親の仕事についても、彼の所属するチームの名前ですら−−自分には何も分からないのである。 円堂が深く突っ込んで聞かなかったせいもあるだろう。だが、よくよく考えてみればヒロトは、そのテの話題を敢えて避けていたように思う。円堂の話は喜んで聞いてくれるのに、ヒロト自身の事を積極的に語られた記憶はない。 そこにもまた、一つ鍵があったのだろうか。「助けて欲しいのに、そう言えない気持ち…か」 「どうしたの円堂君?」「いや…」 呟きを、偶々近くにいた秋に拾われる。何でもない、と反射的に言いかけて、やめた。 秘密にされてばかりで、何も相談して貰えなかったら。信頼されていないみたいで凄く不安になる−−そんな秋の言葉を、思い出したからだ。「立向居の話。ヒロトのこと、考えてたんだ」『もう一回。もう一回。今度こそ終わらせる。…そう願うのに、終わらない。辛 いなんて言えない。タスケテなんて言えない。だって俺達は…』 「ヒロトはどうして、誰に助けてって言いたくて…でも言えないでいるんだろう って」立向居がヒロトの言葉をそのまま伝えてくれたのであれば。“だって俺達は… ”の、その先にはどんな意味が続いていたのだろうか。 達。つまり、複数形。ヒロト個人に限ったわけではない話。それがどうも気にかかって仕方ない。 もう一回。 モウイッカイ。今度こそ、終わらせる。それは一体“何を”、だ? 「…円堂君」 秋はじっと、円堂を見つめてきた。「私には…ヒロト君が何を悩んでるのかなんて分からないし。もしかしたらそれ は、全然見当もつかない理由なのかもしれないけど」 分かる事もあるの、と彼女は言う。「助けて欲しくても…そう言えない気持ち。私より誰より、円堂君が一番理解で きるんじゃないかなって」「え?」 予想外の答えに目を丸くする。 視界の端。一年生組がせっせとグラウンド整備するのを見ながら、円堂はつい考えこんでしまった。「難しく考えなくていいの」 すると秋は苦笑した。ほんの少しの呆れと、ほんの僅かな悲しみを含んだ笑みだった。「例えば…そうだな。本当はそんなんじゃチームとして良くないんだけど。もう すぐ大きな試合があるとして。その直前に、円堂君の個人的な問題が発生したとする。喩えは悪いけど、お父さんとお母さんが離婚しそうになってる…とかね」 また過激な喩えを持ってきたな、と。円堂は自らの両親を思い出して失笑する。我が家の二人が離婚するなど、まったく想像もつかない話ではあったが。「そうなったら…気がかりでたまらないでしょう。練習に集中出来ないかもしれ ない。だからって円堂君、周りのみんなに相談出来る?」 秋の言いたい事が分かった気がする。 大事な試合の前。貴重な練習時間。フィールドの外の問題を持ち込んで、みんなに心配かけるなんてそんなこと−−きっと、出来ない。増してや自分はキャプテンなのだ。不安な様など見せればそのままチームの瓦解に繋がってしまう。 一人で抱え込むのは辛くて。本当は誰かに一緒に背負って欲しくて。 でも、そんな言葉は口に出来ない。大切なものが多ければ、多いほどに。「……あ」 「ね。分かったでしょ?」「うん」 ああ、確かに。 助けて欲しくても言えない−−そんな体験なら、自分にもある。勿論、両親の離婚だなんだという重い問題ではないにせよ。ちょっとした瞬間に重圧を感じている事は否定出来ない。 自分は円堂守。雷門のキャプテンなのだから。「助けてって言えない人はね。本当は…誰かに助けて欲しいってずっと叫んでる んだと思う。…そう」 秋は目を伏せて、少しだけ悲しそうな色を瞳に乗せた。「声にならなくても。言葉に出来なくても。きっとずっと…訴えてる。本当は気 付いて欲しいんだって」 本当は、気付いて欲しいのに。そうとは口に、出来ない。 円堂ははっとさせられた。それは、吹雪にも言えたこと。彼もずっとそうだったのだと。 たった一瞬の悲劇。雪崩という名の、逃れようのない災害で、全てを奪われた吹雪。たった独りで震え、怯え、悩み、嘆き。それでも生き抜く為に、心にもう一つの人格を生み出すしかなかった彼。 お願い、必要として。 誰か本当の自分に気づいて。 もう独りにしないで。 呼んで。アツヤじゃない、吹雪士郎の名前を。 吹雪は声にならぬ声で叫んでいた。ずっと悩んでいた。でもそれを言い出せなかったのは、仲間に嫌われるのも心配をかけるのも怖かったから。 ああ、そうなのかもしれない。 周りに満ちる声を、自分の中に渦巻く声を。まだ円堂が根こそぎ拾いきれていないだけで。本当は身近にたくさんいるのではないか。 自分や吹雪の他にも。助けを求める事が出来ずにいる誰か。 思えば風丸もそうだっただろう。ガゼルもそう。きっとイプシロンやレーゼだって。 理由は違えど、原因は違えど、悩み苦しんで孤独に抱え込んでいるのは同じ。「立向居君に、言った言葉は」 青空に流れ、溶けていく秋の言葉が。円堂の胸にゆっくりと染みていく。「ヒロト君の、やっと口にできたSOSなのかもしれない」 SOS。 もしかしたら本当に彼がそれを伝えたい相手は、立向居ではないのかもしれない。 自分かもしれない、なんて。自惚れと人は言うのだとしても。「あいつも、福岡にきっとまだいる。だったら…メールじゃなくて、直接訊いて みるよ、俺」 円堂はキーパーグローブを填めて、ぎゅっと手を握りしめた。こんなちっぽけな手で護れるものなどたかがしれているかもしれない。届く世界などほんの一部で、それは限りなく狭いものかもしれない。 それでも、自分は。「俺はどうしたら…お前の力になれるのかって」 すぐ側にあるものだけでも、支える事ができたなら。「それでいいんだと思うよ。まずは知ること、相談する事が第一歩!でしょ?」「ああ!」 自分達は無力でも、毎日一歩一歩前に進んでいる。少なくとも今、そう信じる事ができるから。「サンキュな、秋!!」 どういたしまして、と笑う彼女の声を背中に聞いて。円堂はフィールドに、走り出していったのだった。 公式戦でもなければ、対宇宙人の試合でもない。ゆえに雷門と陽花戸の練習試合には中継が入る筈も無かったのだが。 今、佐久間の目の前に置かれているパソコンには、その映像がリアルタイムで流されていた。超小型カメラの撮影とは思えぬほど高画質で高音質。まったく恐れ入る科学力である。それを病室に持ち込んできた女が“魔女”だというのだから、まったくおかし な話だが。−−雷門も戦術の幅を広げてきたな…あれは世宇子のフォーメーションじゃない か。FW 浦辺 MF 一之瀬 風丸 照美 吹雪 木暮DF土門 栗松 塔子 壁山GK 円堂 フォーメーション・ヘブンズゲート。個人能力を生かしたハイレベルな4−4−2の陣型だ。一人一人の判断力と高いテクニックが要求されるが、型に嵌ると中央から一気に相手を切り崩す事ができる。 その実、自分達帝国が世宇子にやられた時もそうだった。照美を中心とした、半ば力ずくの中央突破を止めきれなくて敗北したのだ。なるほど、超攻撃型サッカーを本領とする雷門には合っているかもしれない。「サイドの守りが甘いように見えるのは…表向きだけだな」 配置もよく考えてある、と源田。「足の速い風丸とアフロディを両サイドに置いてる。そして万が一二人が突破されても、その後ろにはロングシュート持ちで守備力も高い土門や木暮が控えてる。下手に攻め込むと一気にカウンターをくらうな」「ああ。これを突き崩しのは難しいだろう」 特に今の雷門なら。 フットボールフロンティアで戦った頃とは比べものにならないほど力をつけてきている彼らなら。 その実力ならば、自分達自身がつい先日痛感したばかりだ。結果だけみればあの時は引き分けだったが、それは雷門が佐久間と源田を気づかっていたせいが大きい。 小細工なしで闘っていたら負けていた。認めるのも悔しい事だが。「…あいつら」 佐久間が、ベッドサイドのドリンクに手を伸ばしている間に。試合は動いていた。浦辺リカが相手ゴール前まで迫っている。彼女はそのままDFの弦界と志賀を 抜き去ると、華麗にシュートを決めていた。ローズスプラッシュ。茨を纏った鋭いシュートに、GKの立向居は反応しきれな い。前半十分で早くも雷門の先取点だ。「あいつら、本当に…楽しそうにサッカー、してるな」 佐久間の呟きに、源田の返事は無かった。彼は俯いて、小さく唇を噛み締めていた。どうしようもない感情に、肩を震わせながら。 サッカーは楽しいものだった。自分達も最初はそうだった筈なのに。いつからだろう。いつの間に忘れてしまっていたのだろう。「取り戻したい、よ」 もう二度と戻らないものもある。だけど。「取り戻したい」 このまま立ち止まっていることこそ、亡き人への冒涜ではないか。画面の中、リカを取り囲んで喜ぶ雷門を見ていると思う。あれこそが本来、あるべきサッカーの姿だったのではないかと。 佐久間は顔を上げた。まだ体は僅かしか動かないけれど。時間は確かに動き出している。 今生きている事を無意味にしない為に。立ち上がる。もう一度−−今度こそ。NEXT |
流れる白い砂に、僕等は埋もれたまま。