ただひたすらに声を上げて。 生きてるんだと叫び続ければ良かったの? 存在証明、存在理由。 何が正しいかも分からなくても。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 3-22:枯れた、向日葵。
陽花戸の校長は、優しげに目を細めた。特に円堂を見る眼は、父が我が子を慈 しむそれによく似ていて−−瞳子はつい、かの人を思い出しそうになる。 心を揺らされている暇などありはしないのに。まだ揺らぐ余地のある自分の弱 さが恨めしくて、一人唇を噛み締めた。
「お前さんは本当に、大介の若い頃そっくりばい」
陽花戸と雷門の練習試合、その翌日。懐かしそうに円堂を見ながら、校長は そのノートを手渡した。 「大介が託してくれた裏ノート。ここに書かれた必殺技は、一歩間違えれば凶器 にも兵器にもなる。争いの火種にもなる。…でも君なら、きっと正しい使い方を してくれるったいね。信じてるとよ」 「ありがとうございます…!」 円堂は深々と頭を下げる。彼は奔放で無邪気な面が目立つが、目上に対する礼 儀はしっかり心得ている少年だった。だから実は、子供だけでなく大人にも受け が良かったりする。無論、本人が狙ってやっているわけではないだろうが。 円堂大介の裏ノート。それは自分達が福岡に来たもう一つの目的。往年の名プ レーヤーにして名監督だった彼の奥義を身につける事が出来れば、それだけで大 きな武器になるだろう。 だからこそ、大きな価値を持つのだ。それはサッカーを悪用する者達にとって も例外ではなく、またサッカー以外の利用価値を考える者達にとっても同じ事な のである。 大介自身、それを危惧していたのだろう。だから万が一の時は処分するように 言い残して、ノートを幼なじみに託したわけだ。 「力を得れば、失うものもあるったい。時には、失くしてはならないものまで…」 大介には力があった。だから本人もまた恐れてたんだろう、と校長は言う。 「間違えたら、いかんと。取り返しがつかなくなる事もあるかんね。ようけ、 知っときんしゃい」 誰もが強くありたいと願う。欲しいものを手に入れる為の力が欲しいと請う。 だが、それには思いもよらぬ対価を要求されたりする。無意識に、気付く暇すら 与えずに。 円堂にはまだ分からないかもしれない。理解出来ても、納得出来るような経験 は彼にはまだ無い。いや、それは多分無くても構わないことだろう。ただ、知識 として知っておくべきというだけで。 瞳子はそれらを、過去でも現在進行形でも痛感している。アルルネシアに力を 与えられた影山は、一番大切な願いを見失って後悔する事になった。そして−− いつかきっと、あの人もそうなる。 必ず悔いる時は来るのに、罪を重ね続けている。自分は一日でも早く止める為 に此処にいるのだけど。 不安になって、ばかりだ。円堂大介の技を、彼らは我が物にできるだろうか。 仮に手に入れても、それでエイリアに勝てるのか。強くなった事で、あの人のよ うに過ちを犯してしまわないか。 考え出したらきりがない。そして監督としては、死んでも吐けない弱音だった。 自分に出来る事など限られている。せめて大人として背筋を伸ばして立ち続ける くらいはしなければ。 「とりあえず、今日一日は特訓特訓!だな!!」 「出たよ特訓バカ」 「ってゆーかサッカーバカ」 意気込む円堂に、苦笑しながら次々ツッコミを入れる風丸に木暮。木暮は次 の瞬間、春奈にハリセンの一撃をくらってのびていたが(どっから取り出したん だろう?)。 大介の凄まじい字の汚さは、サッカー業界でも有名だった。実際円堂が持って いた大介の特訓ノートは(瞳子も見せて貰った事があるが)、とてもじゃないが 読めたものではなかった。 今度のノートも、解読は円堂にかかっていると言っていい。孫の円堂だけは何 故だかあの記号とも暗号ともつかぬ文字が理解できるようだから。 まずは特訓の様子を見て、方針を固めよう。瞳子がそう考えた、その時である。 「校長」 校門の方から早足で駆けてきたのは、眼鏡の気弱そうな女性だった。多分、こ の学校の教師だろう。
「お客様がお見えになってますが…今お時間よろしいですか?」 瞳子は驚愕した。女性教師に、ではない。彼女が連れて来た二人組に、あまり にも見覚えがあったからだ。 −−何、で? 一気に、体の芯が冷えていく。 穏和そうな笑みを貼り付けた、まるで大仏のような容姿の老人と。彼の腹心の 部下である痩せぎすの男。 有り得ない。だって、まさか、まさか。
−−どうして貴方が此処に来るの…!?父さん!!
−−父さん…どうして…!?
息を呑んだ人間がもう一人。学校の西門の裏手に隠れて様子を窺っていた、基 山ヒロトだ。 吉良星二郎。敬愛すべき、我らが偉大な父。部下・研崎を連れて現れたその姿に、 瞳子が凍りついているのが分かる。誰にとっても予定外の登場だった。少なくと もヒロトは、父自ら陽花戸に出向くなんて話は聞いていない。 そしてジェネシス最有力候補のガイアのキャプテンたるヒロトが知らないなら ば、瞳子や他のメンバーが知っていた筈もないのである。 「これはこれは…吉良さん。お久しぶりです。最近お顔を見ていなかったもん で心配してたんですが」
どうやら校長は、父と知り合いだったらしい。それなりに親しいのか、破顔し て歓迎している。 「すみません、今応接室の用意を…」 「いえいえ、お構いなく。偶々仕事でこちらに来たので、ご挨拶に伺っただけで すから」 吉良はにこにこと友好的に挨拶している。が、ヒロトは気付いていた。その穏 やかに見える瞳の奥に隠している、物騒な色を。 何が目的か。何故父自ら陽花戸に馳せ参じたのか。そんなこと、決まっている。 「こちらが、雷門イレブンの皆様ですね。初めまして。吉良財閥頭首、吉良星二 郎と申します。こちらは部下の研崎。ご活躍はかねがね伺っておりますよ」 「は…はあ。どうも。キャプテンの、円堂守です」 円堂は突然登場したVIPと、どきまぎしながら握手を交わしている。
「そちらの…財前総理の娘さんとは前にもお会いしてますね。ご無沙汰してお ります」
吉良の言葉に、どうも、と会釈をする塔子。 「誰なんだ、このヒト」 「吉良財閥総帥。…知らないかな、運輸業や船舶業じゃ結構有名だったと思うん だけど。あと吉良自動車も系列だね」 「うわ、マジかよ」 塔子に教えられ、眼を丸くする風丸。
「一番有名なのは慈善事業ですよ」
そこに、校長のフォローが入る。
「孤児院も経営してらっしゃいましたよね、お日様園。子ども達はお元気ですか?」 その瞬間。空気に入った亀裂を、身を凍らせた者がいたことを、円堂は気付い ただろうか。 お日様園。ヒロトはぎゅっと体を抱きしめてうずくまる。忘れなければならな いことだった。忘れた筈のことだった。なのに。 思い出した瞬間、こんなにも心が弱くなってしまう。泣き出してしまいそうに すらなる、脆い己が嫌になる。
「……ええ。みんな元気にしてますよ」 僅かな沈黙の後、吉良は笑顔で答えた。平然と。平静に。その小さな間が意 味することを知るのは、自分と瞳子と研崎だけだろうが。
「そういえば。少し小耳に挟んだことがあるのですが。こちらの学校はかの有 名な円堂大介選手が在籍していたこともあると。その秘技を記したノートも存在 するとかで」 来た。とヒロトは立ち聞きしながら身構える。音声は耳につけたインカムから も入ってきていた。その雑音まじりの言葉が、否が応でも状況を突きつける。 「もし宜しければ…私にも見せて頂けませんか?」 やっぱり。出そうになった溜め息を胸の奥で殺す。校庭に集まる集団の中で、 瞳子は目に見えて顔面蒼白だ。もしノートをすり替えられでもしたら、雷門の希 望の種もまた摘み取られてしまう。 緊張は一瞬だった。しかしヒロトにはその一瞬が無駄に長く感じられたのだっ た。
「…すみませんね、吉良さん」 校長は穏やかに、しかし断固たる意志で拒否を示してきた。
「いくら吉良さんでも、お見せするわけにはいかんとです。大介さんも封印して きた技の数々…大介さんに連なる者にしか、渡してはならんのですよ」 大介に連なる者。つまり円堂にしか見せないつもりで、校長はノートを保管し てきたのだろう。 「そうですか。すみませんね、無理を言って」 「いえ。申し訳ないです」 吉良は落胆する様子もなく手を引いたように見えた。表向きは、だが。 この後に来る指示は見えている。吉良と研崎は(正確には研崎は殆ど喋らず、 ただ側に控えているだけだったが)しばらく他愛ない会話を繰り返して、正門の 方から出て行った。ヒロトのいる場所からはやや離れたところに車を停めている らしい。
『ヒロト。聴こえていますね?』
インカムから届く、吉良の声。小さな頃から、大好きな声だった。その声を聴 覚が拾うたび、名前を呼ばれるたび、いつも嬉しくて仕方なかったのに。 今は。心のどこかで怯えている自分がいる。なんて悲しいことなのか。 『改めて指示します。雷門を倒し、あのノートを奪いなさい。円堂大介の奥義 を手に入れれば、きっと計画にも役立つ事でしょう』 円堂大介の裏ノート。父がそこまで重要視するほど価値があるものなのだろう か。仮に手に入れたとして、使い物になるのか、そもそも読解可能かどうか。 だが、そんな疑問は無意味なのだ。自分が、基山ヒロトが、父の意向に意を唱 えるなどありえない。答えは是。それ以外は赦されていない。 「…了解しました」 ただ確かなのは。それによってまた円堂を傷つけてしまうだろうこと。自分の 裏切りがさらに罪深いものになるだろうという、その一点のみだ。 「…ごめんね、円堂君」 小さな呟きが、胸の奥に落ちる。 「どうか俺を…赦さないでね」
練習を開始しても、暫くの間塔子は吉良について考えていた。 −−吉良星二郎…。 政財界でも人格者として有名だった男だ。小さな頃、可愛がってもらった記憶 もある。自分にも同じくらいの息子がいるのだと、そんな事を話していたっけ。 子供が好きなのも慈善事業に熱心なのも知っていたが、孤児院経営については 初めて聞いた事だ。 −−孤児院…。
何だろう。何かが引っかかる。 吉良は最近、表の世界に顔を見せていなかった。年も年だ、具合でも悪いのか もと父が心配していたのを覚えている。 −−裏ノートの事を知っていて、興味を持っていた…。 そして吉良という名字。 頻繁に巡り合うほどではないが、極めて珍しいわけでもない名字。瞳子監督の それと同じなのは単なる偶然だろうか。吉良は、監督にはまるで見向きもしなか ったように見えたが−−。 よくよく思えば、瞳子の様子もなんだかおかしかった気がしないでもない。 −−エイリアの裏にある、大きなバックアップ組織…。
鬼道の話を思い出して−−しかし慌てて首を振り、塔子は考えを振り払った。
−−まさか、ね。 そんな訳ない。そう思い込もうとした。 子供好きのあの人が、子供達を道具にする訳無い、と。
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越えられないのは、何。