哀しみの海に沈んでいく僕達。
眼を開けることすら畏れてた。
このまま誰にも見つけられず墜ちていくの?
そんな時、君に出会った。
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
3-24:と吹雪と、懐古と倫理。
 
 
 
 
 
 円堂に、悩みを打ち明けるのは辛い。だから、話せない。風丸はずっとそう思
っていた。自分は彼のようなサッカーに賭けた聖人じゃない。話せば、醜い胸の
内をさらけ出してしまったら、きっと嫌われてしまう。それが、怖くて仕方なか
った。
 でも、今は違う。
 鬱々とした気持ち。ドロドロとした恨みに妬み。そんな感情を抱えているのは
自分だけでないと、宮坂と聖也が教えてくれた。自分の弱さを認められる事こそ
強さであると。仲間の信頼に怯える必要はないのだと。
 そんな風丸一郎太が価値ある存在と、そう言ってくれた。だから、大丈夫。円
堂に全てを語らないのは、出来ないからじゃない。
 今なら細かな言葉にする必要はないと、そう感じたからだ。
 
「円堂」
 
 ただ、これだけは伝えたい。
 その言葉だけ、風丸は口にする。
 
「俺は、もう大丈夫。…悩んでたのは事実だけどさ、今はもう、大丈夫なんだ」
 
 もう疑いはしない。自分がみんなに不必要な存在かもしれないなんて、軽蔑さ
れるかもなんて畏れない。
 
「みんなの役に立てて、一緒にサッカーできる。それが幸せだって気付いたからな」
 
 自分の価値を見限ったら、それは愛してくれる人全てへの冒涜だから。
 
「でも…もし。また挫けそうになったら次は…ちゃんと“助けて”って言うから
さ」
 
 風丸は円堂に笑いかける。自然と笑顔になれる自分が此処にいるという、その
証明として。
 
「その時は…お前が引っ張り上げてくれよな。頼りにしてるぜ」
 
 円堂はじっと、風丸の瞳を見つめて−−やがて笑って、ああ、と頷いた。不思
議だ。円堂の笑顔を見るだけで力が湧いてくる。残虐な悪夢も、悲しい過去も、
不確定な未来も。怖くなどないと、心からそう思えるのだ。
 やはり、彼は太陽だ。
 どんな夜も明ける時を告げてくれる、眩しいお日様なのだ。
 
「…あれ?」
 
 その時不意に周囲を見回してみて、風丸はキャラバン内の人数が足りない事に
気付く。吹雪がいない。さっきまで照美の隣で寝ていた筈なのに。
「吹雪…また練習か?」
「…どうだろな」
 何か思い当たる事でもあるのか、円堂から帰ってきたのはどこか曖昧な返事だ
った。
「星を、見てるのかも。今夜はいい天気じゃないか」
「星?なんで?」
「…だってさ」
 円堂は切なげに眼を細めて、窓の外を見つめた。
 
「死んだ人は、星になるって言うじゃんか」
 
“凍った夜空に 貼り付く星達
 君もあの場所の何処かにいるのかな”
 
 思い出したのは、吹雪が歌っていた歌の歌詞だった。吹雪は誰か−−もうこの
世にいない誰かを想って謳っていたのだろうか。
 円堂は何を知っているのだろう。
 
「…俺、吹雪に謝らなきゃいけないことがあったんだ」
 
 今、話してくるよ、と。風丸は音を立てないよう気をつけながら座席を降りる。
 
「その前に…円堂、お前の知ってる事も教えて欲しい。もう、知らないせいで誰
かを傷つけるのは…嫌なんだ」
 
『知らない事は罪じゃない。…だが、知らないからで赦される事は何もない』
 
 今はもう、分かっているから。
 あの時鬼道が何を言いたかったのか。仲間は仲間の為に、何をするべきなのか
ということを。
 
 
 
 
 
 
 
 星を見る。その行為に、深い意味はない。
 北海道、特に吹雪の住んでいた田舎では、星は当たり前のように存在するもの
だった。光を遮るネオンはなく、排気ガスの塵もない。だから、わざわざ眺めよ
うとも思わなかった−−雪崩で、全てを失うまでは。
 当たり前の事なんて何もない。今日側にいてくれた人が、明日もそこにいてく
れる保証なんて、ない。
 それを嫌というほど思い知ってから、吹雪は星を見るようになった。今生きて
いる一瞬一瞬を目に焼き付けるために。空のどこかにいるかもしれない家族に、
恥じない生き方をする為に。
 そんな事をしても、自己満足だと分かってはいたけれど。吹雪自身がいつまで
生きているかも分からないのだ。日常は、あまりにも容易く崩れ去るものだから。
「此処、実は結構お気に入りか?」
「…!風丸君?」
 タラップを登る音はしていた筈だ。なのに、声をかけられるまで吹雪は風丸に
全く気付いていなかった。
 また、トリップしていたらしい。まったく迂闊な。
 
「キャラバンの上に登ると、ほんのちょっとだけ空に近くなるよな。だから、俺
は結構好きなんだけど」
 
 風丸は吹雪の隣に座り、空に向かって手を伸ばす仕草をする。
「手、届きそうじゃん。いつもなら星に触れるなんて思いもしないのに」
「…そうだね」
 手が届かないと知っているモノに、少しだけでも近付けるような気がする。そ
んな夢を僅かばかり見せてくれる。
 吹雪にも、分かる気がした。
 むしろ吹雪だからこそ、と言うべきかもしれない。
 自分と風丸は良くも悪くも似た者同士だ。吹雪は最初からそれを、なんとなく
感じていた。違いは自覚があったかどうか、それだけだ。
 
「最近、いろんな場所の星を見てると思うんだ。北海道の星は、もっと近いよう
に見えてたけど…それはまやかしだったんだなって」
 
 凍った空のプラネタニウム。星が近いほど、アツヤとの距離も近いように思え
ていた。皆がさりげなく気遣ってくれて、その生ぬるい優しさが時々痛くて、で
も甘えてしまっていた自分。
 その、甘えられる地盤がなくなって。アツヤとの距離が遠ざかったように思え
たけれど。
 本当は最初から距離なんて変わっていなかった。最初から近付いてなどいなか
ったと気付いた。星はいつだって星のままなのだから。
 
「距離を思い知って、現実に叩きのめされて。…でもいつか、気付かなくちゃい
けなかったんだと思うんだ。僕が生きてるのは優しいだけの夢じゃなくて、紛れ
もない現実なんだから」
 
 それはとても辛く苦しい事だけど。
 逃げるばかりでは、幸せは掴めないのだ。否が応でも、立ち向かって行かない
限りは。
 
−−完璧に、なるんだ。
 
 その気持ちが変わったわけではない。でも今は、自分が必要とされる為ではな
くて−−こんな自分でも必要として支えてくれる人達の為に、そうありたいと願
うようになっていた。
 円堂達は厳しい現実を教え、その上で引っ張り上げてくれた。手を差し伸べて
くれた。その想いに応える方法を、吹雪はサッカー以外に知らない。
 まだ心にはちぐはぐなモノを抱えたままであるにせよ。吹雪士郎が守備に秀で、
アツヤが攻撃に秀でるのであれば、その両方で皆の力になりたい。
 やっと与えられた、自分にしか出来ない役目なのだから。
「…俺。吹雪に謝りたかったんだ」
「え?」
 唐突な風丸の言葉に、吹雪は目を丸くする。風丸は少し苦い笑みを浮かべていた。
後悔と、自嘲と、反省を込めて。
 
「お前のこと、羨ましいだなんてさ。思っても言うべきじゃなかったな。何にも
知らないで…軽率だった」
 
 その言葉に、吹雪は悟る。風丸も吹雪の過去を知ったのだろう。まあ、円堂に
話した時点で、皆に知れ渡るのもよしとは思っていたが。
「キャプテンから、聞いた?」
「ああ。…勝手に、すまない」
「いいよ。隠してたわけじゃないしね」
 なんとなく既視感を覚えた。そういえばあの時、照美にも同じように謝られた
ような気がする。勝手に鬼道から吹雪の過去を聞いてごめん−−と。
 あの時も自分は隠してたわけじゃないからと笑って−−いや、思い出すのはよ
そう。あの時の鬼道と照美との話を、吹雪は半ば無理矢理忘れようとした。
 
『完璧じゃなくたって…護れる物はあるさ。円堂を見ろ。あいつは完璧じゃない
から負ける。だけど何回だって立ち上がる』
 
 否定しなければ。少なくとも今だけは、あの時の鬼道の言葉を。完璧にならな
ければ、守れるものなど何もない。
 
『…その強さは、完璧な存在よりもずっと貴い物だと思う。…安心しろ。俺達は
お前の前からいなくなったりしない。…大事な仲間を置いていったりはしないさ。
なぁアフロディ?』
 
 そうでなければ。
 何故鬼道が死ななければならなかったのか、わからなくなってしまう。
「…どうした、吹雪?」
「……ううん、何でもない」
 思考を現実に引き戻す。
 傷を思い出してはならない。そうでなければ、前に進めなくなってしまう。
 
「…吹雪には悪かったと思ってる。でもさ、その上で言うよ。…お前、俺なんか
よりずっと強い。その強さをさ、もっと誇っていいんじゃないか」
 
 俺がお前の立場だったら、生きてられなかったと思う。風丸はそう言って俯く。
「お前の力はお前のモノだ。アツヤの力もお前のモノにして今此処にいるんじゃ
ないか。凄いよ」
「そう、かな」
「そうそう。…まあ、俺、円堂みたくうまく言えないけどさ」
 うーん、と伸びをする風丸、その表情は少し前と比べてずっと晴れやかだ。彼
も彼なりに、吹っ切れたものがあるんだろうか。
 
「お前のこと、もう羨ましいとは思わないけど。でも、憧れはあるんだよ。お前
みたいに俺も立ち上がりたい、それくらい強くなりたいって。…分かるか。お前
は俺達にとってそれくらい大きな存在なんだ」
 
 綺麗な眼差しを向けられて、吹雪は何かが胸の奥につかえた。それは、不快な
ものではなく−−ああ、自分でもうまく表現出来なかったけれど。
 多分、嬉しかったのだ。
 彼が前向きに考えて歩き出してくれた事も、吹雪の価値を認めてくれたことも。
「俺には、スピードしかない。それしか誇れるものがなくて…お前やレーゼが現
れた時、はっきり言って絶望したもんだけどさ」
「そう…なんだ」
「ああ。だけど…今なら思う。それもきっと必要だったんだって」
 夜風にふわり、と風丸の長い水色の髪が揺れる。月を見て微笑む彼の姿には、
性別を超えた美があった。
 弱さを認めて立ち上がった者だけが、本当の強さを得た者だけが持つ美しさが。
 
「俺、他のことは負けっぱなしだけどな。速さだけならもう負けない。お前だっ
て必ず追い越してやるからな、見てろよ!」
 
 ニッと風丸は笑ってみせた。
 
「…って、俺も思えるようになっただけ、悩んだことも無駄じゃなかったのかっ
て思う。…お前の強さに比べたら、俺なんてまだまだ頼りないかもしれないけど」
 
 何かは変わっていく。良い方へも、悪い方へも。時は確実に流れていく。
 吹雪は思う。自分より、風丸の方がよほど強い。でも多分自分もまたそれを羨
むべきではないのだろうと。
「お前が辛い時は、俺も…助ける努力くらいはできるからさ。お前もちゃんと、
覚えててくれよ」
「…うん」
 悲しいことはたくさんあったけれど。今の自分はきっと幸せだ。こんな貴い仲
間に出逢えたのだから。
 
「ありがとう風丸君。…おかげでまだ、頑張れる気がするよ」
 
 だから。逆に彼らが辛い時は自分が支えになれるように。
 一刻も早く、完璧な強さを手に入れるのだ。吹雪は心の中で、小さく誓いを呟
いた。
 
 それが既に、どこか歪んだ脆く危うい決意だと気がつかないままに。
 
 
 
 
NEXT
 

 

嘘吐きは、誰。