項垂れた首。
 聴けなくなった耳。
 叫べない喉。
 もう動かない、脚。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
3-26:然の、挽歌。
 
 
 
 
 
 祖父の遺した裏ノート。そこには当然、彼本来のポジションであるGK技が数多
く記されていた。
 その中で円堂の目についたのは、“究極奥義”の文字。究極、とわざわざ名乗る
からにはさぞかし凄い技なのだろう。
 問題はその究極奥義の項に書かれた気になる単語。どれもこれも、“未完成”の
文字が踊っているのである。
 あの偉大な円堂大介ですら、完成には至らなかったのか。そう思うと恐ろしくも
あり、緊張もあり。祖父が完成させられなかった技を自分が完成させられるのか−
−不安は少なからずあったが、それ以上に自分が完成させられたらという喜びが大
きかった。
 祖父に追いつくだけでなく、追い抜くことができたなら。きっと今まで以上にサ
ッカーが楽しくなる。きっと今よりたくさんのものを護れるようになる筈だ、と。
 出始めに手をつけたのが、“正義の鉄拳”というパンチング技だ。これは究極奥
義項の一番最初に書かれていたものだ。
「パッと開いて、グッと握ってギューン…かぁ」
「相変わらず円堂のお祖父さんの言葉って…宇宙人だよな」
 呟きを拾われたらしい。風丸に苦笑しながら言われ、思わず円堂も笑うしかない。
 
「擬音語のセンスが秀逸だってことは…認める」
 
 宇宙人レベルのセンスだ、としか言いようがない。読解出来ても理解に苦しむの
が、円堂大介のノートだった。
 もっと具体的に図解してくれりゃいいのに、と。あまり成績のよろしくない孫に
さえ思われているのだから、推して図るべしである。
 
「パッと開いて、グッと拳を握る…までは分かるんだけど。ギューン、がなんのこ
っちゃなんだよな…」
 
 イメージが湧かない。おかげで残念なくらい、今日まで技の拾得には至らなかっ
た。まあ、ジェネシス戦までの時間のなさを考えれば致し方なかったのかもしれな
いが。
 結局、普通の練習と試合だけやって決戦を迎える事になった。練習試合の結果次
第では、陽花戸イレブンがジェネシスと戦うつもりだったようだが、結局彼らが雷
門に勝つ事は一度も無かった。
 
−−予告された時間は、午前十時ジャスト。
 
「あと何分だ?」
「カウントダウンでもしてみる?」
 緊張した面持ちの土門に、肩を竦める夏未。どこかピリピリとした空気を纏って、
誰もが空を見上げていた。
 マスターランク。あのイプシロンをさらに上回る実力者達。一体どんなチームな
のだろう?
 円堂の知るマスターランクと言えば、どうしてもガゼルのイメージがついて回
る。彼は話せば通じる相手、だと思うが。ジェネシスのキャプテンとやらはどうだ
ろうか。
 生憎の空模様。雨の降り出しそうな重たい曇天を見つめ、吹雪が青い眼を細めて。
 
「…来た」
 
 呟き。その直後に、陽花戸のグラウンドの中心に何かが落ちた。重たい落下音。
言うまでもなく、エイリアの所有する黒いサッカーボールだ。普通のサッカーボー
ルの黒と白が反転した模様は、どこかちぐはぐな印象を受ける。
 そしてそのサッカーボールが、吐き出すように人影を召喚した。砂塵の向こうに、
十一の陰が見え隠れする。
 
「初めまして。もしくは、こんにちは、かな」
 
 じゃり、と砂を踏む音。聞き覚えのある声に円堂は驚愕に目を見開き−−やがて、
悔しげに拳を握った。
 
「エイリア学園マスターランクチーム、ガイア。この度、我々が正式に…エイリア
学園頂点の称号、ジェネシスを拝命した」
 
 驚いたのは間違いない。でも。
 多分自分はこの展開を心のどこかで予想していた。
 そして、こうならなければいいと、願っていたのだ。
 
「我々が、エイリア学園最強の…ジェネシスだ」
 
 円堂は唇を噛み締め、その少年の名を読んだ。想いを絞り出すかのように。
 
「…ヒロト」
 
 砂埃が晴れていく。前口上を読み上げた少年が、集団の中から一歩前に出た。少
年はキャプテンマークをつけ、逆立てた赤い髪をしている。自分の知る彼とは随分
印象が違う。
 それでも円堂にはすぐ分かった。彼がヒロトだと。何故なら。
 
「うん、正解」
 
 少年は−−ヒロトはにっこり笑って肯定する。
 
「基山ヒロトは、俺だよ。正確には…基山ヒロト“も”俺だ」
 
 その、綺麗に作り上げられた笑みはまったく同じ。いつもどこか悲しげだった切
れ尾の眼もまったく同じ。
 
「“この”俺とは初対面になるから。自己紹介、するね」
 
 優しげですらあるヒロトの声が酷く遠い。ガンガンと耳鳴りがする。頭の中にノ
イズが混じって思考を遮る。その全てが円堂の中で痛みに変わる。
 痛い。痛い。何もかも。
 
 
 
「ザ・ジェネシスのキャプテン…グラン。初めまして、雷門の諸君」
 
 
 
 恭しく礼をするヒロトを、何人かが呆然とした顔でみつめている。ヒロトと面識
があった秋や風丸だ。秋などは口元に手を当てて今にも倒れそうなほど青い顔をし
ている。
 
「貴方が…ジェネシスの…!?
 
 ベンチから立ち上がり、驚きの声を漏らす立向居。
 
「そん、な…どうして…!?
 
 そんな彼に、ヒロト−−否、ここではグランと呼ぶべきだろう−−は柔らかな笑
みを向ける。それは穏和すぎて、あまりにも場違いな笑みだった。
 
「俺は君にも、円堂君にも…一言も言ってないよ?これでも嘘は吐かない主義なん
だ」
 
 だから言ってないよ、とグランは言う。
 
「自分がエイリアじゃないなんて、一言も言ってない」
 
 確かに、と円堂はうなだれる。自分が勝手に彼を、雷門のファンか何かだと勘違
いしていただけだ。彼は一度も自分が一般人だなんて言ってない。
 彼の所属するサッカーチームが、普通の人間のそれだなんてまったく言ってな
い。
 ああ、確かに。確かに。彼は何一つ本当の事を語らなかっただけで−−自分を騙
したわけでは、無かった。
 だけど。
 
「目を覚ませよ、ヒロト…!」
 
 円堂より先に口を開いたのは風丸だった。
「お前は、お前達は騙されてるんだ、あの魔女に。アルルネシアに!イプシロンの
試合を知らないのか!お前達は宇宙人じゃない、れっきとした…」
「人間だよ」
!?
 あっさりと。あまりにも簡単に、ヒロトは風丸の言葉を肯定してみせた。
 
「ジェミニやイプシロン。彼ら下位ランクと俺達…マスターランクの最大の違いを
教えてあげる」
 
 一歩前に進み出て、ヒロトは告げる。あまりにも衝撃的な事実を。
 
「分かってる。最初から全部知っている。俺達が宇宙人じゃないって事も、俺達が
やってる破壊の意味も」
 
 言葉が、出ない。
 絶句する円堂。それは風丸や秋や立向居も同じらしい。
 
「それでも、戦う。否、それだからこそ。全てはエイリア皇帝陛下……俺達の父さ
んの為に!」
 
 エイリア皇帝陛下。イプシロンやジェミニが呼び慕っていたその人物が、グラン
の父?
 びくり、と一瞬。瞳子が体を震わせたように見えたのは気のせいだろうか。
 
「ね、円堂君。…俺が言ったこと、覚えてるかな」
 
 くすくすと笑う。笑う。笑う。
 笑みしか浮かんでいない顔を向け、静かな威圧感を放って、グランが笑う。
 
「終わらせようよ。それが君の望みでもあるだろう?」
 
 円堂は思い出していた。あの晩。終わらせたいものがあると、そう口にした彼に
自分は尋ねたのだ。
 その時彼は言った。自分が終わらせたいもの、それは。
 全ての悲しい事であり。
 全ての悪い夢なのだと。
 
 
 
「さあ。円堂君。サッカー、やろうよ」
 
 
 
 だとしたら。
 だとしたら、自分は。
 
 
 
「ヒロト。…俺も言ったな」
 
『これだけは言っとくぞ。…俺はもう、誰の手も離さない。勿論、ヒロトの手もだ!』
 
「お前の手を離さないって」
 
『離して、後悔するのはたくさんだ。お前が今どんな場所にいるのだとしても、俺
が必ず引っ張り上げるから』
 
「もう喪わない為に。だって…」
 
『友達だろ』
 
「俺達、友達だよな?」
 
 グランは何も言わない。ただ笑っている。でも円堂は気付いていた。その笑みが、
あの夜別れた時と同じ、泣き出しそうなものであることに。
 グランは。基山ヒロトは友達だ。自分がそう決めたのだから友達なのだ。たとえ
彼がそう思ってくれてなくたっていい。
 救うと。引っ張り上げると決めた。その自分の心に嘘だけは吐きたくないから。
 
「絶対勝つ。取り戻す為なら…容赦はしないぜ!」
 
 痛みを振り切るように告げた円堂に、グランは声を上げて笑った。
 
「勿論だよ、円堂君」
 
 
 
 
 
 
 
 立向居はずっと考えていた。
 あの赤い髪の少年が−−グランが、エイリア学園の存在だった。しかも陽花戸を
襲ってきた最強・ジェネシスのキャプテンだなんて。
 彼は一体何故、自分なんかに話しかけてきたのだろう。
 どんな気持ちで、話をしたのだろう。
 
「未知のチームとはいえ…マスターランクです。様子見の時間を与えてくれるとは
思えません」
 
 立向居のいるベンチ(試合には出ないにせよ、特別に入れて貰ったのだ)にも、
雷門メンバーの作戦会議の様子は聴こえてくる。
 
「かといって正面で無理矢理突破をかけるのも危険でしょう。奇策を講じた方が良
いかもしれませんね」
 
 作戦を主導するのは、音無春奈という名のマネージャー。ユニフォームを着てい
るあたり、マネージャーのみならず、選手としても活躍できるようだ。
 彼女の作戦立案能力は信用されているらしい。皆が黙って話を聞き、頷いている。
 
「とりあえず、一点先取。早い段階で流れを掴めるかどうかにかかってますから」
 
 彼女が提示したのは以下の陣型だった。フォーメーション名はドットプリズン。
変則的な陣型で扱いにくいが、極めれば爆発的な威力を発揮する陣型だ。
 
 
FW  吹雪    リカ
MF    一之瀬
 春奈        風丸
    栗松  壁山
DF 土門  聖也  塔子
GK     円堂
 
 
「消耗戦になるかもしれません。切り札として、アフロディ先輩や宮坂君には待機
して貰います」
「状況に応じて投入でやんすか」
「そういうことです」
 凄いなあ、と純粋に立向居は思う。自分は学校の成績こそ悪くないが、サッカー
での立案や指揮にはてんで向いていない。それは単なる学年によるものじゃなく、
立向居自身の性格もあるだろう。
 すぐ弱気になる。気持ちが急にネガティブ方向へガクンと落ちる瞬間がある。だ
からそれを隠すべく、いつも明るい自分を演じてはきたけれど。
 
−−やっぱり、あの円堂さん達ですら、どうしようもなく不安になる瞬間、あるの
かな。
 
「絶対勝つぞ!」
「おー!」
 円堂の鼓舞に、皆が力強く拳を上げて答える。理想のキャプテン。精神的支柱と
しての彼が、そこにいる。
 
−−もしかして…ヒロトさんも、本当は…。
 
 ちらり、とジェネシス側のベンチを見る。彼は自ら陣頭指揮を取れるタイプのよ
うだった。副将らしき青い髪の少女と、何やら話し合っている。
 
−−俺にも何か…出来る事はあるんだろうか。
 
 立向居は考える。
 自らの可能性を、そして果たすべき使命を。
 
 
 
 
NEXT
 

 

手に入れたいモノを掴めず、消えない疵を増やしてく僕等。