壊れた機械が見るのは哀しい夢幻(ユメ)。
 永遠に醒めぬ時を奏でる蓄音機。
 あとどれくらい、時を紡げばいいの。
 貴方を照らすのに、何が足りないの。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
3-27:ロの、調律。
 
 
 
 
 
 あの、グランとかいう少年は、円堂の友人。京都で会ったのがきっかけで親しく
なったそうな。偶々聖也はその現場にはいなかったのでよく分からないけれど。
 ただ円堂のあの様子。短い付き合いなれど、相当親しくしていたのは確かなよう
だ。皆を力強く鼓舞し、気合いを入れる円堂の姿はいつも通りに見えるけれど。
 
−−無理、しやがって。
 
 聖也は心の中で溜め息をつく。
 
−−結局そうやって、一人で背負っちまうんだ。
 
 無理をしている。それも、相当。
 本人は気付いてないだろう。時々己の肩が震える瞬間があることも、気合いを入
れる声が普段より大きいことも。多分、秋は気付いている。だから時折悲しげな眼
で円堂の方を見るのだ。
 辛くない筈がない。苦しくない筈がない。それでも前に進むしかない。なるほど
それは概ね正しい。キャプテンが弱気になればチームの士気に関わるのも確かなこ
とだ。
 だけど。
 
−−円堂。…お前が、鬼道や豪炎寺の分まで…無理しすぎる必要、無いんだぜ?
 
 誰もが分かり始めている。
 自分達が今まで彼ら三人に頼りすぎてきたこと。特に円堂を精神的支柱として、
寄りかかりすぎていたことに。
 だから。もうこれ以上仲間を傷つけない為に。仲間を護り、支え合えるように。
 一人一人が、前に進もうとしている。一人一人が支えになれるよう頑張っている。
 あとは、円堂が気付くだけだ。
 
−−お前が思ってるほど…こいつらは弱くねぇんだ。
 
 もうそろそろ、もっと仲間を信じていい時期の筈だ。円堂が思い切り泣いても、
泣く事が赦されてもいい筈なのだ。
 
−−間違えちゃいけない。仲間ってもんの、本当の意味を。
 
 グランを見る。少年は不自然なほど穏やかに微笑んでいる。その微笑みは、仮面
だ。笑ってさえいればと、本心を覆い隠す為のペルソナだと聖也は気づいていた。
 自分達がやっている事の意味を知っている。罪を理解している。自分達が只人で
あると分かっている。
 それでも繰り返す。愛する人の為に、ただ一人の人の願いの為に。たとえ友を傷
つける事になっても。
 それは一体どれほどの覚悟だろう。
 そしてどれほどの痛みなのだろう。
 
−−絶対、赦さねぇからな、アルルネシア。
 
 災禍の魔女。その罪を、どんな罰ならば裁ききれると云うのだろう。死だけでは
あまりにも足りない。あらゆる苦痛に晒そうとも償いきれはしない。
 そうだとしても、いずれ必ず罰は下さねばなるまい。彼女が思い知らぬ限り、そ
れは罰にもなりはしない。
 繰り返す惨劇を本当の意味で止める為には、アルルネシアに本心から膝をつかせ
るしかないのだ。それは気が遠くなるほど難易度の高い事だけれど。
 
「聖也!」
 
 声をかけられ、はっとして顔を上げる。塔子が愛らしい顔でこちらを睨んでいる。
もしかしたら何回も呼ばれていたのかもしれない。
「ぼーっとすんなよな。試合、始まるぜ」
「あ、うん。悪ぃ」
 所定の位置へと走りながら、聖也は後ろを振り返った。既にFWの位置で待機し
ているグランの姿が見える。
 
−−やっぱり。…レーゼやデザームと同じ、だ。
 
 自分と彼らは初対面の筈だ。なのに。
 
−−どうして俺は、あいつらの顔に見覚えがあるんだ…?
 
 どこかで逢った事があるのだろうか?だが、それならば何故記憶にないのだろう。
 
−−もしかして…故意に忘れさせられてる?…まさか、な。
 
 もどかしい。この記憶さえちゃんと取り戻せたなら、エイリアの本拠地も、彼ら
の詳しい正体もわかるかもしれないのに。
 今聖也にできることと言えば、悔しさに歯噛みすることだけであった。
 
 
 
 
 
 
 
 今なんて言ったの、とグランが聞き返すと。ウルビダは眉を潜めて同じ言葉を投
げてきた。
 
「気持ち悪い」
 
 また酷い言い種な。昔から言葉の辛辣な少女ではあったけど−−特に幼なじみの
自分に対して毒を吐く事はままあったけれど。
 一体何に対しての“気持ち悪い”なんだろうか。グランがハテナマークを飛ばし
ていると、ウルビダは溜め息をついた。呆れ果てました、と言うように。
「お前のその笑みが気持ち悪いって言ってるんだ。造り物臭くてイライラする」
「えー、結構頑張ってるんだけどなあ」
 苦笑する。それ以外にどうすればいいのやら。
 
「俺、上手でしょ?鬼畜な悪役も酷い裏切り者も」
 
 上手に演じられていると思うのだけど、どうだろう。
 自分は確かに嘘が苦手だ。だから、嘘は吐かない。語るのは全部本当のことで−
−でも、核心には触れないだけ。
 だから、ボロは出にくい筈だと思っていたのだが。
 
「グラン。…これでも私達は腐れ縁だ。私は、お前の本質がまったく見えないほど
馬鹿なつもりもない」
 
 腕組みして言うウルビダ。
「昔から言ってる筈だがな。お前は嘘が下手だ、と」
「うん、だから…」
「そうやって無意味に演技している行為自体が、嘘に等しい。違うか?」
「……」
 そう言われては黙るしかない。一理なくは、ない。言葉で騙さずとも行いで騙し
ているのは確かなのだ。私はそんな事言ってませんから、なんて−−なるほど詐欺
師の言い訳だろう。
 
「下手に円堂守に近付きすぎなければ…苦しまずに済んだのにな」
 
 愚かなことだ、と。ウルビダはそう言い捨てて、背中を向ける。逆にこちらに近
付いて来たのはコーマとゾーハンだった。
 
「グラン」
 
 ガイアのメンバーは誰もがキャプテンを呼び捨てる。様付けはしないように、と
グランが一番最初に宣言した為だ。
 コーマは不安げな顔でグランを見る。
 
「円堂守との事は全員が知ってます。…本当に、戦えますか?」
 
 ゾーハンの方は何も言わないが、その眼の奥が本心を語っている。どうやらウル
ビダのみならず、みんなに心配をかけてしまっているらしい。
 
「大丈夫」
 
 グランはまた、笑う。皆を元気づけられる笑い方なんて忘れてしまったけれど。
大丈夫。大丈夫。その言葉を繰り返すしかない。
 
「大丈夫だよ。…戦える」
 
 最初は、父に命じられて、円堂を観察しに行っただけだった。でも彼とサッカー
をしたら、話をしたら、余計な感情まで持つようになってしまった。
 誤算だったのは、円堂が思っていたより眩しい人物だった事じゃない。思ってい
たよりずっと−−自分が弱い人間だった事だ。
 
「…でも、ウルビダの言う事は…正しいよね」
 
 光に触れて。光を思い出して。
 縋りつきたくなってしまった。まだ戻れるかもしれないなんて、一瞬でも期待し
てしまった。
 そして。
 僅かでも願ってしまった。救われたい、と。なんて罪深いことだろうか。
 
「俺が強かったら…もっと楽に戦えたんだろうなぁ…」
 
 希望を捨てきれない自分を、グランは心の底から嘲り笑った。
 位置につく。ホイッスルが鳴る。あんなに好きだったその音色が、今は悪夢の始
まりとしか思えなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 グラン、という少年が、円堂にとってどれほどの存在であったかは知らない。一
之瀬からすれば初対面に過ぎないし、一番の本質はけして事実が全てではない。心
がどうであったかなど、本人達にしか預かり知らぬところだ。
 だが。
 きっと大事な友達だったのだろう。あの円堂の空元気ぶりを見れば明白だ。
 
−−辛いなら、辛いって言ってもいいのにさ。
 
 円堂は一人で背負いすぎる。奇しくも一之瀬は聖也と同じ事を考えていた。
 キャプテンだから。前を向かなくちゃいけない、弱音を吐いちゃいけない。そう
思って無自覚に無理をしすぎる円堂。それは強さだが、ある種の傲慢とも言える。
 強さと強がりは違う。弱さを隠す事より、認める事の方が遥かに勇気が要る。本
来円堂ならばそれだけの力、容易く持てる筈なのに−−。
 
「強い奴ほど、脆いんだぜ…?」
 
 いつか。何かのきっかけで彼がポッキリ折れてしまうのではないか。一度完全に
折れてしまったら、立ち上がれなくなってしまうのではないか。
 激しさを増す戦い。無言の警鐘は日増しに大きくなるばかり。一之瀬や周りの仲
間達の危惧に円堂は気付いているか否か。
 
−−俺が、頑張らなくちゃ。
 
 豪炎寺はいない。鬼道もいない。風丸はやっと立ち直ったばかり。
 自分がなんとかしなければ。
 上級生としてもサッカーのベテランとしても壁を乗り越えてきた者としても。皆
の支えにならなければ。これ以上円堂に無理をさせるものかと、鬼道が死んだ時に
誓ったのだから。
 
−−円堂だけに…背負わせるものか。
 
 一之瀬がそんな事を考えている間にも、時間は確実に過ぎていく。メンバーが位
置に着く。ホイッスルが鳴る。錯覚だと分かっている、でも。
 
 
 
 そこから先の時間は凄まじく早いスピードで回り始めたのだ。
 
 
 
「うわぁっ!」
 
 悲鳴を上げて栗松が吹っ飛ぶ。
 ガイア−−いや、エイリア学園の頂点・ジェネシス。彼らの速さはまるで神風の
よう。動きを目で追う事もできやしない。彼らが駆ければ疾風が巻き起こり、近付
いた者を次々吹き飛ばしていく。
 スピードを武器にすると言えば、ジェミニストームもそうだった。彼らの速さに
ついていけず、手を触れる事も叶わなかったのはそう昔の事ではない。その彼らの
スピードを凌駕し、勝利してみせたのも。
 だが。力をつけた今だからこそ分かる。強くなってこそ実感する事もあるのだと
一之瀬は今ハッキリ悟っていた。
 ジェネシスの速さは、ジェミニストームの非ではない。無論イプシロンとも勝負
にならない。そしてジェネシスには速さのみならず、パワーも、テクニックも、非
の打ち所なく揃っていた。
 そして何より恐ろしいことには。
「邪魔だっポー」
「ぐっ!」
 小柄な少女−−クイールにボールをぶつけられ、一之瀬は地面を転がる。ボール
には、彼女の体格からは想像もつかないほどのパワーがあった。
 そう、恐ろしいことには。
 彼らは全く、必殺技を使っていない事だった。使う必要がないのだ。自分達の必
殺技は何度繰り返しても通用しないというのに。
 
「ぐぁっ!」
 
 ボールがゴールに叩きつけられた。グランの放ったノーマルシュートに、円堂の
マジン・ザ・ハンドが破られてしまったのだ。
 なんという事だ。一之瀬は愕然とする。まるで今まで自分達が築き上げてきた全
てを否定されるよう。これを人は、絶望と呼ぶのだろうか。
 実際。雷門の精神を挫くのも彼らの狙いではあっただろう。肉体的にも同じ。イ
プシロンとは違い明らかに、雷門を潰す為に危険なプレーを繰り返している。疾風
でメンバーを吹き飛ばし、ボールをぶつけて攻撃し、ダメージを蓄積させて。
 このままでは、みんな揃って病院送りだ。試合に勝つどころではない。でも一体、
どうすれば。
 一之瀬が考えた、その時だった。
 
「…どうして、ですか!」
 
 ベンチから立ち上がった者がいた。
 
「こんなサッカーが貴方の望みなんですか…グランさん!!
 
 凛とした眼でフィールドを睨み据える−−立向居がそこにいた。
 
 
 
 
NEXT
 

 

手を離さないで、貴方を追って逃げたくなるから。