勇気と感情撃ち落して。 蒼も赤も黒で塗り潰して。 迷って狂わされた日があったからこそ。 立ち上がって強くなれるの。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 3-30:グロリアス、マインド。
風向きが変わってきた。グランは驚きと、僅かな焦燥を含んだ眼でフィールドを 見る。 さっきまでの雷門は酷いものだった。必殺技を構えても、繰り出す暇すら与えら れない。完全にこちらの身体能力と心理的揺さぶりに翻弄されていたというのに。
「疾風ダッシュ!」
ボールを取りに行ったゾーハンが対応するより先に、風丸の必殺技が炸裂してい た。多分、風丸がボールを保持していたなら大柄なゾーハンでも追いつけた筈であ る。 しかし器用な事に風丸は疾風ダッシュの序盤で同時にパスを出していた。ボール をリカに預けての疾走。普段よりスピードが出るのは必然だ。さらにその速さがめ くらましになって、パスに気付くのが難しくなっている。 続いて、キーブがタックルで風丸に迫る。駄目だ、とグランは思った。今の見事 な連携に気取られて彼女は反応が遅れている。 若干の隙。今の風丸はきっと見逃すまい。
「分身フェイント!」
風丸の姿が分裂する。残像とは違う、全てが実体と言うべき影分身。キーブが僅 かに惑った間に、彼は相手を抜き去っていた。 もう風丸の邪魔をするディフェンダーはいない。キーパーのネロと一対一だ。力 ずくでどうにかなる相手でないのは分かっているのだろう、風丸が仕掛けたのはル ープシュート。 小柄なネロの頭上を狙って、弧を描いて飛ぶボール。狙いは悪くない。相手がネ ロでなければ。
「はっ!」
パワーは無いが、卓越したテクニックと、人間離れしたジャンプ力でどんなシュ ートにも跳びつく事ができる。それがネロだ。ネロの遙か頭上を通過する筈だった ボールは、彼の驚異的な跳躍力によりキャッチされた。 フン、と鼻を鳴らすネロ。だがグランは気付いていた。さっきまでのような見下 した色が、ネロの瞳から消えている事に。
「くそっ…あと少しだったのに!」
悔しがる風丸の背中を、黙ってポンと叩く一之瀬。疲労していたが、その顔には 笑顔があった。
「どんまいどんまい!惜しかったぞ風丸!」
雷門側のゴールエリアから円堂の声が飛ぶ。
「流れは来てる!次は決めていこうぜ!!」
流れ。そう−−風丸が反撃を宣言してから、確かに流れが変わった。力の差は歴 然で、それは変わりない筈なのに−−雷門は気迫だけで、じりじりとその差を詰め てきている。 勿論自分達もまだまだ全力じゃない。でも。 風丸のプレーで、何かが動き始めた。シュートまで持ち込んだという、その結果 だけではない。彼のプレーが雷門に希望を与え、仲間達に光明を与えたのだ。 つまり。まだ勝負は決まっていない−−勝てる可能性はゼロじゃない、という希 望を。
−−円堂君だけじゃ、無かった。
グランは知っていた。 最後の最後で勝敗を分けるのは、より大きな力ではなく。
−−円堂君以外のみんなも…風丸君も。こんなに強い人達が、いたんだ。
京都での邂逅では気付けなかった。 彼らが本当の強さを−−真の心の強さを持った者達である事を。 それは奇跡のような力で、しかし対戦相手たる自分達にとっては厄介極まり無い ものだった。風丸のような眼をした者は、どこで何をやらかすか分かったものじゃ ない。一瞬の気の緩みが命取りになるだろう。 かつてガイアとイプシロンの試合で。最後の最後で自分達から一点をもぎとっ た、デザームのように。
『……』
はっとする。インカムが入る時の、独特の電子音とノイズ。思わず、かの人が隠 れているであろう正門側に視線を投げる。
『あの水色髪…動きが格段に良くなりましたね。少々、都合の悪い展開です』
おっとりとした中にある、有無を赦さぬ口調。
『ジェネシスは最強であらねばなりません。敗北は勿論、勝利ですら、圧倒的でな くてはならない。…お前達なら分かっていますね?』
インカムは、全員の耳に入っている筈だ。同じ機材を渡されているし、常にスイ ッチは入れてあるのだから。 グランは、隣に立つウルビダを見た。彼女は眉一つ動かさず、敬愛する我らが指 導者の言葉を聞いていた。少なくとも表向きは。
『少しばかり、予定を変更します』
告げられた言葉に。 グランの背に、ぞくりと冷たいものが走った。
『潰しなさい』
潰す。 一体、何を?
『彼らが二度と立ち上がりたくなくなるまで…絶望に叩き折られるまで』
一体、誰を?
『見せしめにするのです。ジェネシスの大いなる力を示す為に』
見せしめ?
『風丸一郎太を、処刑しなさい』
頭と心臓を、同時に殴り飛ばされたかのような衝撃。 潰す。見せしめ。処刑。それらの単語がぐるぐると頭の中を回る。意味は分かる。 でも、分かりたくない。脳味噌がかき混ぜられるかのように、痛くて堪らない。
『今、雷門の精神的支柱になっているのは…円堂と彼でしょう。しかし、円堂には まだ利用価値がありますから』
これは命令です、と。残酷な声が降りていく。
『雷門の心を挫き、脅し、その支柱を叩き割っておやりなさい。その上で円堂大介 のノートを奪い取れば、最後まで試合する必要もない』
父が言いたい事は理解出来る。つまり、風丸を傷つけていたぶって、雷門に脅し をかけろと言っているのだ。 ジェネシスの圧倒的力を示し、かつ円堂大介のノートを奪い取れば一石二鳥だ と。
「グラン」
ウルビダと眼が合う。
「分かっているな?お父様の命は…絶対だ」
言われなくたって大丈夫さ。そう声に出そうとしたが音にならなかった。喉は掠 れ、唇が震えた。大丈夫。大丈夫。今まで何度も繰り返してきたその言葉が、言え ない。 風丸を。あんなに強い彼を、潰さなければならない?父がほんの少し痛めつける 程度を言っているわけでない事は分かっている。最低でもサッカーが出来なくなる くらい、再起不能なまで追い詰めろ。あわよくば、殺せ。 その結果がどうなるかなんて考えるまでもない。 今までよりもさらに、円堂を悲しませる?傷つける?そんなこと、したくない。 でも、父に逆らうなんてそんな。 出来ない。出来ない。出来ない。 それは、一体、どれが?
「さっさとその情けない顔をなんとかしろ」
ウルビダの声に我に返る。 ああ、そうだ。自分は悪役だ。円堂の敵。そして父の最後のミカタ。
「別れはもう、告げたのだろう?」
そうだ。想いはもう、断ち切った。 断ち切らなくては。
「…うん」
演じきれ。 最低な裏切り者−−ジェネシスのキャプテン、グランを。
「問題、ないよ」
だから。だから。だから。
「やるよ」
ごめんなさい。 また自分は、罪を重ねる。
何かがおかしい。急にジェネシスの空気が変わったような−−円堂がそう思った 次の瞬間には、それは起こっていた。
「ッ!!」
肩口に思い切りボールをぶつけられた風丸がよろめく。ネロが力任せにボールを 蹴りつけたのだ。
「な、何をっ…」
肩を押さえて呻いていた風丸は、そのまま目を見開く。彼に当たったボールは宙 を舞い、ハウザーの手に渡っていた。ハウザーはドリブルしながら風丸の方に向か っていき−−。 力ずくで突破。途中、ボールごと風丸の脚を引っ掛けるのを忘れずに。
「痛ッ!!」
勢い余って風丸が転ぶ。その転んだ風丸の背に、あろうことかハウザーはボール をぶつけた。 「がはっ…!」 「風丸っ!!」 単純なサッカーをするなら。ただ点を取り、勝つ為ならば。まったく意味のない 行為だった。既に抜き去った選手をわざわざ痛めつけるだなんて。 もし目的があるならそれは一つしかない。 事実に気付き、愕然とする円堂の前で。こぼれ球をゾーハンが拾っていた。彼は 無表情に、うずくまる風丸を見下ろして。
「…スーパーアルマジロ」
くすり、と。本人の代わりに技名を呟いたのはコーマだった。ボールを腹に抱え こみ、アルマジロのように転がったゾーハンは、勢いをつけて風丸を跳ね飛ばして いた。
「うわぁっ!」
風丸の体は宙を舞い、地面に叩きつけられる。その際、嫌な音がした。ベンチに 座っていた宮坂が思わず立ち上がり、絶叫する。
「風丸さんっ!!」
何だ。一体何なんだこれは。 明らかに風丸一人を狙った集中攻撃。明らかに風丸を潰す為に−−これではリン チではないか。
「何なんだよ…何のつもりだよお前らっ!!」
ぎり、と睨みつける先。グランと眼が合って−−ぞっとする。 それは今まで円堂が見たどんな笑みとも違っていた。背筋を、魂を凍り付かせる ような絶対零度の笑み。 くすくす。くすくす。グランは嗤う。
「ごめんね。ちゃんと試合、したかったんだけどさ」
計画変更って、言われちゃったんだよねぇ。彼はこともなげに言い放つ。
「雷門の精神的支柱を潰せってさ。御命令。見せしめに一人、処刑しなくちゃいけ なくなったから」
言いながら、グランもまた倒れた風丸にボールをぶつけていた。最初にネロにや られた肩と同じ場所に当たり、呻き声が上がる。
「俺も風丸君に思い入れが無いわけじゃないけど。やるなら彼にしろって命じられ ちゃったから」
ダカラ、ゴメンネ。 その声がやけにひび割れて円堂に聞こえた。
「生贄だよ」
ドカッと大きな音が二つした。助けに入ろうとした栗松と春奈が吹っ飛ばされた 音だった。グランの周りに渦巻く風。一体どんな技を使ったんだろう。 そしてグランが他の者を足止めしている隙に、キーブが打ったボールが風丸の腹 に当たっていた。よろめきながら立ち上がろうとしていた風丸は膝をつき、激しく 咳き込んでいる。 やめさせなければ。このままではどうなるかなど明白である。 「やめろっ!かぜま…」 「来るな、円堂!!」 ピシリ、と叫んだのは風丸。傷だらけ、泥だらけになりながらも、意志の強いま なざしに射抜かれる。
「俺は、大丈夫だ…この程度大した事ない…」
その眼光は、駆け寄りかけた円堂の脚を止めるほどで。
「こんな痛みより…もっと痛い思いをしてる奴はいっぱいいるんだ…。吹雪も、鬼 道も、アフロディもリュウジもイプシロンの奴らも…」
その眼が捉えたのは、冷笑を絶やさないグラン。 「グラン…お前だって、本当は…」 「……」 「…だから」 立ち上がる少年。その姿は雄々しく、美しく。
「この程度で、倒れたりするもんか。…円堂、お前は来るな。ゴールを守るのがお 前の役目だろ」
それは一つの正論ではあった。試合は終わっていない。風丸に気を取られている 隙に、いつの間にかウルビダがゴール自陣深くまで切り込んでいる。 ギリギリで塔子が阻止したが、予断も油断もならぬ状況には間違いない。円堂が ゴールを離れるなんてもってのほかだろう。
−−でも、俺は…俺は…!
警鐘は鳴り止まない。何かとんでもない悲劇が待っている気がして仕方なかっ た。 それこそ、二度と立ち上がれなくなるほどの。
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罅割れた、愛しき魂。