愛したっていいじゃないか。 傷だらけで這うほど望むなら。 願ったっていいじゃないか。 それの何処が罪だったというの。 この背中に、白い翼は 無いとしても。3-32:最期の、翼。 風丸は手を差し出したまま、暫く動けずにいた。 助けて。グランは、確かにそう言った。笑顔の仮面で覆っても隠しきれなくなった その向こう。擦り切れて擦り切れてどうしようもなくなった心が悲鳴を上げ て、涙を流して。 絞り出すように、やっと口に出来たのだろう真実。彼は風丸の手を取ろうとしていた。なのに、最後の最後で触れる事が出来な かった。そうさせた人物−−ウルビダの眼を、風丸は真正面から見つめる。彼女は、グランと風丸の手が触れる寸前に−−グランの首筋に手刀を叩き込 んで気絶させたのだ。グランは今、ウルビダの腕の中でぐったりしている。自 分達のキャプテンを抱きしめたまま、彼女はゆっくりと口を開く。「……予想は、してたさ。こうなるかもしれないって事くらいはな」線の細い見た目に反して、低くて大人びた声だった。それはグランとは別の 方法で、静かに感情を殺し、凍らせてきた人間の声なのだと分かった。「こいつは、ジェネシスのキャプテンなんて器じゃない。一人で背負いきれる ほど強靱でもなければ冷徹でもない」 ウルビダは、グランを抱きしめたままその腕に手を伸ばす。「こいつは、優しすぎる。…とんだ大馬鹿者だ、だから最初から距離を置けと 言ったのに」 距離を。それは、自分達雷門との−−円堂との事だろう。近付かなければ、こんなに 苦しまずに済んだのに、と。それは冷ややかながらも、グランを想うがゆえの 彼女の言葉だった。「…試合続行だ」ウルビダはグランの腕からキャプテンマークを抜き取り、自分の左腕に嵌め た。「我々とお前達との力の差は歴然。グランの力などなくとも…十人でお前達を 充分潰してやれる」「ま、待てよウルビダ!」近くに待機させていたエイリア学園のエージェントにグランを預け、そのま ま背を向けようとするウルビダに風丸は声をかける。「お前だって…お前だって本当は分かってるんじゃないのか!?こんなサッカー、間違ってるって!このままじゃ誰も救われないって…」「黙れ」 ぴしゃり、と言い放たれ、二の句が告げなくなる。「何も分かってないのは貴様等の方だ」振り向く彼女の眼は、相変わらず冷え切っている。嘲りすらもない、凍った ポーカーフェイス。 だがその瞳の奥に僅かに見え隠れする色があった。憤りと、苛立ちだ。「ジェミニストームは追放された。イプシロンは処分された。…私達だけは、 最後までお父様の味方であると決めたのだ。特に、グランが…お父様から離れ られる筈がない。裏切るなど論外だ」 別に裏切らせようとした訳じゃない、なんて−−言えなかった。ある一面から見れば確かに、風丸の行動は裏切りを扇動したととられても仕 方ないからだ。「お前達の手を取ったところで、グランは確実にお父様の元に戻る。そして… 罰を受けるのもまた確実なのだ」「……!」「お父様が何もせずとも、あの魔女は必ず制裁を下す。今度は本当に…殺され るかもしれない」思いもよらなかった指摘に、絶句する風丸。グランを救う。自分達の元に誘 うことでそれが成せると信じていた、でも。その結果彼の処遇がどうなるか、どれほどの危険を晒す事になるかなんて考 えもしなかった。ましてや、彼の忠誠が命懸けであることなど。『その人の為なら命だって賭けられる。その人の為なら何だってできる。だか ら…その宮坂君って子の気持ち、分かる気がする』思い出したのは、京都での彼の言葉だった。大切な人がいる、と言ったグラ ン。今から思えばそれはエイリア皇帝陛下、彼の父の事を言っていたのだろう。 ああ、あの時からもう、彼はサインを出していたのに。『…君達も…気をつけてね。悪い事は言わない。エイリアをあまり…嗅ぎ回ら ない方がいい。仲間だった子を、記憶を消して捨てるくらい…平気でやる連中 なんだ』 エイリアは、自分達は間違っている。でも。 命に換えても、大好きな人を裏切れないならどうすればいい、と。『もしかしたら…本当にもしかしたら。君達は殺されてしまうかもしれない… だって相手は、恐ろしい侵略者なんだから』 恐ろしい侵略者。彼はどんな気持ちで、自らをそう呼んだのだろうか。 どうして気付けなかったのだろう。あんなにもハッキリとSOSは叫ばれていたのに。 「他人の心配より自分の心配をしたらどうだ、風丸一郎太」 再び背を向けたウルビダの声に、我に返る。「試合は終わっていない。計画は続行される。…その意味は、分かっている な?」ああ、そういうことか。風丸は全身の傷の痛みを思い出した。不思議なこと だ、“思い出した”のだ。こんなにも激しい痛みを、たった数分前の出来事を、 自分は確かに忘却していたのだ。 こんな身体の痛みより、もっと痛い場所があったから。「…審判。試合、再開だ」ウルビダの淡々とした声に、偶々居合わせて審判を務めていた陽花戸の教師 は、戸惑った顔をした。戸惑いと、それに勝る恐怖だ。もはや試合の様相を呈 していないこの状況で、ペナルティも無しに再開させる事が躊躇われたのだろ う。むしろ公式戦ならば、とっくにエイリア側が失格になっていてもおかしくな い。それが出来ないのは、立場の問題だった。今までもそうだった。風丸は、明 らかに審判達がエイリア側に甘い判定をしている事を知っている。ただの無力 な人間。雷門に勝って欲しいのは山々だが、エイリアに逆らうのは恐ろしい− −無意識に彼らのファウル判定が甘くなるのは致し方ない事かもしれない。「聞こえなかったか。…再開だ」もう一度言われ、審判は苦い表情で再開を宣言した。ああ、自分も早くポジ ションに戻らなければ。そうは思うのに、身体がうまく動いてくれない。足をもつれさせながらどうにか所定の位置に着く。試合は、ジェネシスが二 十点目を上げたところで止まっていたから、雷門ボールでの再開となる。−−限界、近いかも。 諦めないと決めた。倒れないと誓った。でも。現実的に、身体的ダメージは既に無視出来ない域に達している。保ってあと 三回。三回攻撃をくらったら多分もう、立てなくなる。−−そうなる、前に。一矢でいい、奴らに報いてやる。たった一度。たった一点の奇跡でも構わな い。それで、暗く沈みかけた心を揺らせるならば。 吹雪や、ウルビダ達の魂に何かを届かせることが出来たなら。−−それだけできっと俺は…俺のサッカーに胸を張れる気がするんだ。リカが吹雪へパスを出す。だが、ここで吹雪が痛恨のトラップミス。ボール はウルビダに渡ってしまった。取り戻さなければ。痛む体に鞭打って走り出す風丸。これ以上彼女に近付け ば今度こそ取り返しのつかない傷を負うかもしれない。それでも、飛び込む事 に迷いは無かった。命を削るギリギリのところでぶつかり合わなければ、本当の意味で彼女を知 る事は出来まい。知る事が出来ずして理解もまた無いのだ。「はああっ!!」 気迫を込めて、スピニングカットを繰り出す。が、吹き上がった青い焔を、 ウルビダはいとも簡単にかわしてみせた。「遅い」冷ややかな視線がかち合う。ひらり、と宙を舞い踊る可憐な肢体。一瞬とは いえ、魅せられた。それは異性だからというより、芸術的な美しさだった。「メテオシャワー・V2」次の瞬間、風丸の頭上から、雨霰と隕石が降り注いだ。イプシロンのマキュ アと同じ、しかし威力が桁違いの技。ガツンガツンと石に全身を殴られ、熱に焼かれる。息の止まるような痛みが 走り、体中が血を噴いた。 もはやサッカーの技ではない。風丸を潰す事に終始した技だった。「お前達を倒すのに、必殺技は必要ない。…だが」 地面に伏す風丸に、ウルビダの声はやけに遠く響いた。「消え逝く者へせめてもの手向け。そして我々のキャプテンさえ揺さぶるだけ の力を持ったお前達への…せめてもの礼儀だ」 立たなくては。何が何でも立たなくては。「全力で、終わらせてやる」歯を食いしばって、身を起こす。ボタボタとフィールドに赤い色が滴る。ま るで涙のように。「……終わりを、望んでたんだ…グランは」 ぴくり、とウルビダの眉が動く。「終わらせたい、と。全ての悲しい事を。悪い夢を」『終わらせなきゃいけないんだ。でも…俺達にはもう無理だから』「お前だって…本当は同じだったんじゃないのか。本当は心のどこかで…期 待、してたんじゃないのかよ」『君達に、終わりにして欲しいなって。…それはもう少し先かもしれないけど。 それまで俺も頑張ってみせるから』「俺達は無力かもしれない。…でも、お前達に手を差し出すことくらいなら出 来るんだ」 それで何かが変わるわけじゃないかもしれない。 でも、何かは変わるかもしれない。変わった先の未来が、今より確実に良いものなんて言えない。もしかしたら もっと酷い結末が巡るかもしれない。 だけど。何も変わらない未来が、本当に幸せと呼べるものだろうか。「待ってるだけじゃなくて…お前らから動いてみたっていいじゃないか」 少なくとも。 助けてと口にする勇気がないほど、彼らは臆病なんかじゃない筈だから。「考えろよ。何もしないで諦めるなよ!あんたやグランや…あんた達の愛する 人が本当に幸せになれる未来を。みんなで幸せになる方法を!!」 お願いだから。 幸せになる権利なんかないなんて、諦めないで。「…黙れ、と言った筈だがな」 ギリ、と少女は唇を噛み締めて風丸を睨みつけた。「お前らに一体何が分かる…?」ウルビダの瞳の奥が揺れている。冷徹を装った仮面が剥がれ落ち、本来の激 情家たる一面を露わにさせる。「私達が今日までどんな想いで生きてきたか…喪われる仲間や壊れる仲間を どんな眼で見てきたか。…何より」 細い肩が震えている。 どうにもならない怒りに、理不尽さに。「お前達にあいつの…身代わり人形として生きて死ぬしかないグランの…痛 みの!苦しみの!!一体何が分かると言うんだ…!!」 叫びとともにウルビダが蹴りつけたボールは、風丸の胸元に食い込んでいっ た。派手に吹き飛ばされた風丸は、背中から勢いよくゴールポストに激突する。頭の中から。背骨の中から。非常に不愉快な音がして−−そのままずるずる と倒れこんだ。もうこれ以上は、指先一本動かせそうに無かった。−−ごめん…円堂。此処が、俺の限界みたいだ…。 頬を、赤と透明な滴が、混ざりあいながら流れ落ちていく。−−俺にもっと、力があれば。傷つける為じゃない…護る為の力があったら。風丸はゆっくりと瞼を閉じた。何も無い景色の中、最後に思い出したのは円 堂の笑顔だった。−−ごめんな、円堂。次に目覚めた時、どうかそこに彼の笑顔がありますように。風丸が祈ったの は、そんな事だった。 NEXT |
突き刺さった言葉と、血を流す傷口と。