愛しい人よ、悲しまないで。 もうこの声は届かないとしても。 貴方の涙を、望んでないの。 どうか僕なんかの為に、泣かないで。 この背中に、白い翼は 無いとしても。3-34:葬られた、希望。 心の何処かが腐り落ちていく。麻痺していく頭の一部が、恐ろしく冷静に 今の状況を見ていた。円堂は、腕の中に抱きしめた風丸を、ぼんやりと観察する。遠くからでは 分からなかった傷までよく見える。思っていた以上に、その様相が凄まじい 有り様であることも。腕や足や首筋。服に隠れていない場所だけ見ても、その体は青あざだらけ だ。全て、ジェネシスの集中攻撃で負ったもの。多分あちこち骨もイカれて いるだろう。内臓だって深刻なダメージを受けているかもしれない。擦り傷も多い。殆どが、さっき受けたメテオシャワーの傷だと思われる。 中には深い切り傷もあって、そこかしこから血を流している。ユニフォーム にも赤い色が滲んでいる。だが何よりも深刻なのは。頭からの夥しい出血である事は間違いなかっ た。最後にウルビダに攻撃された時、風丸は吹っ飛んでゴールポストに激突 した。そして、頭を強打したのだ。頭蓋骨骨折、脳内出血−−きっと、即死 だった。どうして気付かなかったのか。さっさと手当てしたところで間に合わなか ったかもしれないが、間に合ったかもしれないのに。「い、嫌、だ…」円堂は風丸の肩に手をかける。思い出したのは鬼道の遺体を発見した時の こと。あの時と同じように、抱きしめる手は真っ赤になって。でもあの時と違っ て、風丸の体はまだ温かかった。 まだ生きているのではと、錯覚するほどに。「嫌だ、嫌、嫌だよ風丸…!」 だけど。「死んだなんて嘘だろ…なあ、嘘だよな…?」 いくら揺さぶっても、風丸は動かない。 瞳に光は戻らない。「嘘だって言ってくれよ…なぁ…!!」 息をしてくれない。 心臓も動いてくれない。「こんなの嫌だ…嫌だよ風丸…!!」 もう。 笑って、くれない。「風丸、く…」「吹雪!?」 どさり、と何かが倒れる音がした。どうやら吹雪が気を失ってしまったら しい。駆け寄るたくさんの足音から推察できる。 しかし今の円堂は、そんな彼らを振り向く余裕すら失われていた。『赦さ、ない…』「う…ぁ…!」『風丸を…返せぇっ!!』 「うぐ…ああ、ぁぁぁ…」 バチリ。 バチリ。 点滅する景色。まただ、またあの“夢”。鬼道が死んだ時も見た。ナニワ修練場で特訓した時もだ。あの時よりさら に鮮明な光景が瞼の裏に広がる。叫び、首を振っても振り払えない。追いか けて来る悪夢−−否、過去?薄暗い路地。静まり返った住宅街。血溜まりの中倒れている小学生くらい の子供。散らばる長い髪。遺体にすがりつく、幼き日の自分。ゆらり、と。泣き叫ぶ円堂の前に立つ影。頬のこけた、爬虫類のような眼 をした男。逆光で顔がよく見えない中、それでもギラギラと光る眼だけは隠 せない。男が嗤う。血まみれの刃物を振り上げる。円堂はその姿を見て、逃げなけ れば、と最初は思った。でも。殺された友達の姿が、もっと凶暴な感情な感情を掻き立てた。こいつが殺 した。大事な大事な友達を殺した。こいつが、こいつが、こいつが!!『赦さ、ない…』 許さない。許せる筈がない。 殺してやる!!『風丸を…返せぇっ!!』 吹き出したのは闇色。幼き円堂が掲げた手から溢れる黒い光、それはやが て巨大な手を形成させた。黒々とした神の手は、ゴットハンドによく似てい る。でも、色も纏う気配も全くの真逆。そもそも円堂がゴッドハンドを完成させたのは中学に入ってからだ。こん な昔に使えていた筈は無いのに−−。『ぐはぁっ!!』 闇色のゴッドハンドは、殺人鬼を吹き飛ばしていた。壁に激突した男の頭 が、まるで投げつけたトマトのように潰れる。砕け、原型を留めない頭蓋骨 からは真っ赤な血とゼリー状の中身が飛び散っていた。凄まじい威力。怒りに任せて、人を殺した。それでも円堂の中から憎悪は 消えない。理不尽な怒りが、悲しみが、涙となって頬を伝う。『…素晴らしいわ』その時。カツンカツンとハイヒールの音を響かせて、円堂の後ろに立った 者がいた。『今日、東京に戻って来たのは偶然だったんだけど…思いもよらぬ収穫ね。 まさか貴方みたいな子供が、魔術師の才を秘めているだなんて』円堂は振り向く。そこに立っていたのは、茶色い髪の、背の高い女。真っ 赤な眼と真っ赤なルージュが毒々しい、美しくも魔性の存在。『でも、まだ荒削り。育つには時間がかかりそうだし…このままだと、才能 を発揮しないまま人生を終わらせる事になっちゃいそうね。それは流石に… 勿体無いわ』『…誰…?』 幼いながら、円堂は本能的に理解していた。『魔女…?』 それは、人あらざるモノである、と。『そ。正解』 女は、ニィと喜悦に歪んだ笑みを浮かべる。『あたしは“災禍の魔女”、アルルネシア。初めまして、可愛い可愛い…“断 罪の魔術師”のタマゴさん』キスできそうな距離まで近付いてくる魔女。円堂は反射的に身を縮こませ て、親友の躯を抱きしめる。『ふふ。その子…生き返らせてあげてもいいわよ』『え…!?』 『出来るのよ。あたしは魔女だから』 その代わり、対価を戴くわ、と魔女は言う。『貴方とその子の過去の一部を貰おうかしら。さらにこの先の、貴方とその 子を巡る闘いの宿命。過酷な運命の義務付け。そして…いずれ時が満ちた時、 貴方達を迎えに行く事になる。それでも構わないなら…あたしが貴方達に “未来”をあげるわ』 彼女の言う事は難しくて、幼い円堂なは半分も理解出来なかった。でも。『風丸、助かるの?』 大事な友達を、救う事が出来るなら、と。『お願い…お願いです。風丸を、助けてぇっ!!』 縋ってしまった。 願ってしまった。 相手がどれだけ残酷で恐ろしい魔女かも知らず!『いいわ』 魔女は嗤って、金のハンマーを取り出した。『契約、成立ね。ふふふ、きゃははははははっ!!』 そうだ。 あれは、風丸が死ぬ夢。自分が人を殺した夢。 否、死んだという、確かに存在した筈の、事実。なのに。 過去は、アルルネシアの手で歪められ。 円堂と風丸の運命は、大きく、歪んだ。「あ…ぅ…か、は…」 浅く息をする。脂汗で全身がびっしょり濡れていた。円堂は思い出した。自分達の本当の過去を。自分が犯してしまった、取り 返しのつかない罪を。「全ては、決まっていたことなのよ。円堂クン、貴方なら分かるわよねぇ?」 アルルネシアの笑いを含んだ声。「あたしに差し出した対価により。貴方と風丸クンは、戦いに生きる運命が 定められた。その定められた時が来た時…風丸クンはもう一度命を落とす事 が決まっていたのよ。ま、どんな死に方をするかはその流れ次第だったんだ けど」 遠い。 魔女の声も、世界全てが。遠いのに−−煩い。煩いと言う事すら出来ないほど、煩い。思い出してし まった真実がズシリと背中にのしかかり、忘れていた罪が心臓を突き刺す。かつて稲妻町で起きた、連続通り魔事件。風丸がその犯人に遭遇し、危機 一髪で逃げ切ったものの、それがトラウマで彼はしょっちゅう悪夢に魘され るようになった。幸運にも犯人はその近日中に逮捕され事なき事を得た−− と、円堂はそう記憶していた。しかし、真相は違う。その記憶は、アルルネシアが魔法により書き換え、 作り上げられた記憶。彼女が都合よく描いた偽の過去だったのだ。まだ、残酷な未来など露ほども知らなかった幼きあの頃。自分と風丸はい つもサッカーをやっていた。そう、本当の風丸は小さな頃から円堂とサッカ ーをやる少年だったのだ。『円堂なんか…大っ嫌いだ!』『なんだよ、悪いのは風丸じゃんか!風丸なんかだいっきらいだ!!』 だが、あの日。ちょっとした事で自分達は大喧嘩して。意地を張ったまま、 別々に帰路についた。そして、事件は起こったのだ。大嫌い、なんて。本当はそんな事ちっとも思っていなかったのに。頭が冷 えた後円堂の中にあったのは、重い罪悪感と後悔だった。謝らなくちゃ。そう思って風丸を探しにきて−−円堂は見てしまう。逢魔 が時。夕暮れの住宅街。男が、風丸に馬乗りになって、刃物を突き立ててい るところを。血の海の中事切れている親友の姿を。絶望し、恐怖し、泣き叫び−−最終的に円堂が辿り着いた感情は、あまり にも深い憎悪と憤怒。円堂は感情に任せて、祖父から譲り受けた才能を目覚 めさせてしまった。闇のゴッドハンドを発動させ、殺人犯を殴り殺してしま ったのだ。 そう。本当の歴史ならば。円堂は幼くして殺人犯となり、そのレッテルと罪の意 識を背負って生きる羽目になっていただろう。風丸はあの日あの場所で死 に、その先に未来などなく、その後の彼は存在しない筈だっただろう。しかし、そこで魔女の手が加わり。起きた筈の悲劇は封印された。円堂と 風丸は共に、ごくありふれた少年として成長する事になった。 でも。それはあくまで隠され、無かった事にされただけで−−実際円堂が犯して しまった罪が消えるわけではない。「俺は…俺、は、人殺しだった…」 ガタガタと震える体。「そして、俺が、風丸を……風丸を生ける屍にして、しまった……!!」 なんてことだろう。自分の知る風丸は。中学生になって、サッカーをして、 共にフットボールフロンティアを勝ち抜いた最高の親友は。 とうの昔に消えていた筈の、死者だった。「感謝してるわ、円堂クン。貴方が望んでくれたから…あたしはこの子を生 き返らせ、家具にする事ができた。貴方と一緒にいた風丸クンの意志は紛れ もなく彼自身のモノだけど…彼を貴方の傍に置かせたのはあたしの意志で もあるのよね」アルルネシアは語りながら、風丸に手を伸ばす。連れて行く気だ。反射的 に、円堂は渡すまいと腕に力を込めた。「…あら、どうして拒むの、円堂クン?」 魔女はまるで困ったかのように笑って。「この子をあたしの家具にして…もう一度生き返らせてあげようって言う のに」「!!」 甘言を、囁く。あの日と同じ。風丸の運命を弄び心を支配する代わりに、命を蘇らせてや る、という。渡してはいけない。そんな風丸の意志を無視し、裏切るような真似は赦さ れない。円堂はそれを分かっていた。「あ…ぁ…」 分かっていた、筈だった。「……イイ子ね、円堂クン」なのに−−気付けば風丸の遺体はアルルネシアの腕の中にある。円堂は無 意識に、抱きしめる力を緩めてしまっていた。また、願ってしまったのだ。 どれほどの裏切りになるとしても、風丸に生きていて欲しい、と。「大丈夫よ。この子はあたしがたっぷり可愛がってあげるから。きゃははは はっ!」高々とした笑い声を残して魔女が消えても、円堂はその場に座りこんだま まだった。 どうしてこんな事になってしまったのだろう。もはや何一つ、希望の光は見えなかった。 NEXT |
ねぇ、どうして。