マイライフ、僕は僕だ。
 コンプレックスにもトラウマにも負けてたまるか。
 綺麗なだけの天国ならノーサンキュー。
 苛烈な現実にこそ意味がある。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
4-1:かの為に、明日の為に。
 
 
 
 
 
 佐久間は焦っていた。いや、焦りというより−−歯痒くて仕方ない、と言
った方が正しいかもしれない。
 福岡で起きた出来事の全ては、渡されたノートパソコンのリアルタイム中
継で知っていた。ジェネシスと雷門のあまりに悲しい試合も、そこで新たに
犠牲者を出す事になった顛末も。
 
「くそっ…!」
 
 車椅子を使い、動かない身体を無理矢理動かして進む。病院の廊下は静ま
り返っている。偶然なのか理由があるのか、今は廊下に出ている患者や看護
士の数が極端に少なかった。
 そして僅かにすれ違った患者達は、佐久間をちらりと見て(精々、車椅子
がなんとなく邪魔だという程度の興味のない目線だった)通り過ぎていく。
尤も、今の佐久間にはどうでも良い事ではあったが。
 円堂にしろ風丸にしろ、特に親しい間柄というわけではない。むしろ一時
は恨みさえしていた。彼らさえいなければ、鬼道が帝国を離れる事は無かっ
たのだから。
 でも。彼らが、絶望の淵にいた自分達を救ってくれた事もまた事実である。
彼らがいなければ、きっと自分も源田も闇の底から抜け出せずにいただろ
う。
 
−−悔しいんだ…このままじゃ。
 
 自分が本当に助かって良かったのか。生きていてもいいのか。実のところ
はまだ分からない。だが現実に死を免れて此処にいるのであれば、何かやる
べき事はある筈なのだ。
 
−−ただ悲劇を見てるだけなんて、絶対嫌だ…!
 
 必死になって車椅子を操作する。車輪を回す手が震えて、そのたびに痛み
が走るが構わなかった。
 
「あ…」
 
 角を曲がったところで、人にぶつかりそうになる。
 
「源田…」
 
 源田だった。ふらふらと、壁に手をつきながら歩いている。彼は脚には大
した怪我をしていなかった為、歩けるようになるまでが早かったのだ。無論、
長い距離には支障が出るが。
 
「なんだ、佐久間もか。考える事は同じだな」
 
 顔色は悪いながらも、気丈に笑う源田。
 
「あの魔女を、探してるんだろう?」
 
 肯く佐久間。思い出すのは、自分達が奇跡的に意識を取り戻し、生きる覚
悟を決めたあの日のこと。
 お見舞いに来てくれた辺見達が帰った後だ。その女性は現れた。音もなく
気配もなく、まるで空気から滲み出たかのように唐突に。
 長い銀髪は、まるで角のように固められている。ややキツい印象を与える
ものの、それはメイクのせいだと分かった。綺麗な赤い眼の奥、冷たさの向
こうに確かな温かさが見えた。
 長身の、とてもとても美しい女性。思わず見惚れずにはいられないほどの。
 だけど。それでも警戒せずには居られなかったのは、彼女がアルルネシア
を連想させる真っ赤なドレスを身に纏っていたことと。そのあまりに超常的
な登場の仕方が、その正体を容易く予測させたからだ。
 
『ま…魔女…!?
 
 アルルネシアや聖也=キーシクスと同じ、異世界を渡り魔を操る女。正直、
お世辞にも良いイメージは無かった。警戒するのが当然だろう。
 ましてや、こちらはベッドから起き上がる事もままならない重傷患者。無
防備に等しい。強大な魔女に対する有効な防衛手段などあろう筈もない。
 
『佐久間次郎に、源田幸次郎…ですね』
 
 警戒心を露わにする佐久間達に、女が口を開く。思いの外物腰の柔らかい
声と喋り方だった。
『初めまして。私は、時間の魔女アルティミシアと申します』
『アルティ、ミシア?』
『かつての弟子が、大変な事をしてしまいましたね』
 アルティミシア。アルルネシアとよく似た名前。それは、彼女がアルルネ
シアの師である事に関係しているのだろうか。
 だがそんな些細な疑問は、次の瞬間には吹っ飛んでいた。目の前の魔女が、
深々と頭を下げてきたからだ。
 
『申し訳ありませんでした…!』
 
 驚いた、どころではなく。ぎょっとさせられた。
 まさか魔女に謝罪を受ける日が来るなんて思ってもみなかったから。
 
『謝って赦される事でもなければ、私が謝って償いになるとも思いません。
でも私が、私がもっと早く彼女を止めていれば、こんな事にはならなかった
!!
 
 泣きそうな声だった。佐久間は慌てて彼女を宥めてしまった。事情があま
りに飲み込めてないのもあるし、女性に泣かれるのは男として辛いのもあ
る。
 何より。あくまで事をしでかしたのはアルルネシアだ。鬼道を殺したのも
佐久間と源田を洗脳したのも、影山や不動を唆したのも全部。犯人でもない
人間に謝られたって、正直困る。
 ややバタバタしながらも、アルティミシアから大まかな事情は聞き出し
た。アルルネシアはかつてアルティミシアに憧れ、押し掛け弟子のようにつ
いて回っていたこと。ある時思想の違いから決別し、袂を分かったこと。
 そして。その後からアルルネシアの暴走が始まり、次々あらゆる世界に災
厄を撒き散らし始めたことも。
『私もまたいろいろ前科のある身ゆえ…今はその償いを兼ねて、聖也の元で
ある事をしています』
『聖也って…雷門の桜美聖也?』
『ええ』
 どうやらこの女性は、聖也の仲間であるらしい。アルルネシアの謝罪をし
てきた事からしても、とりあえずは敵でない事は分かる。
 
『様々な異世界の監視と治安維持。…主にアルルネシアのような、犯罪者を
取り締まるのを仕事にしているのです。異世界を渡る魔女を捕らえられるの
は、同じ力を持つ者だけですから』
 
 その上で、貴方達にお願いがあって来ました、と。アルティミシアは静か
に告げたのだった。
 
『私達と共に…アルルネシアを倒して欲しいのです』
 
 そう。
 アルティミシアは。アルルネシアを倒す為に、佐久間と源田に協力を要請
してきたのだ。自分と契約を交わし、魔女に抗する為の力をつけて欲しい、
と。
 最初はとても信じられなかった。自分も源田も、どうにか意識を取り戻し
たとはいえベッドから起き上がれもしない重傷者。そうでなくとも魔女相手
に何の特別な力も持たない、一般人に他ならない。役に立てるとは、到底思
えなかった。
 そもそも、自分達はあまりに大きな罪を犯して此処にいる。何もかも自分
の意志で無いとはいえ、一時はアルルネシアの計画に手を貸したと言っても
過言ではない。そんな自分達をどうして信用できるのか。
 混乱する佐久間に、アルティミシアは言った。
 
『魔法とは…願いの力なのですよ。素質ある者が強く願いさえすれば、それ
以上の脅威は無いわ』
 
 佐久間は目を見開く。
 魔法の素質がある?自分と源田に?
 
『貴方達は強く願っている。本当の強さを得たいと…護る為の力が欲しい
と。そして亡き人の意志に報いる方法を捜している…違いますか?』
 
 違わない。
 本心を言い当てられ、黙るしかない。
 
『まだまだ、悲劇は続くでしょう。この先に待つ絶望がどんなモノかなんて
想像もつかないこと。その上魔女との契約の代償は軽くない』
 
 その上で私は此処に来たのです、とアルティミシアは告げる。
 
『前に進む覚悟がおありなら。私と、私達と契約を』
 
 佐久間は僅かに逡巡した。魔女の力の恐ろしさは身に沁みている。安易に
その域に手を出すべきでない事も分かっている。
 だが。否、だからこそ。
 これこそが、自分が生かされた意味ではないか−−架せられた役目ではな
いかと。そうも、思ったのだ。
 佐久間と源田は、共に差し出された手を取った。魔女に対抗出来る存在に
−−魔術師の力を得る為に。
 
「魔法って、凄いんだな」
 
 手を握ったり開いたり。その感触を確かめながら、佐久間は言う。
 
「致命傷だったし、普通なら助かっても一生寝たきりになるような怪我だっ
たんだぜ?それがこんなスピードで回復するなんて」
 
 アルティミシアと交わした契約は以下の通り。
 まず佐久間と源田に必要なのは、悲惨極まりないこの怪我を一刻も早く治
す事だ。ゆえに、アルティミシアの力で二人の“時間”を早め、驚異的な早
さで回復するよう魔法をかけて貰ったのである。
 ただし、この魔法を受けるにあたり幾つかの対価を支払う事になった。
 一つ。怪我が完治しない限り、二人は与えられた魔法を自らの力では使え
ない。
 二つ。時間を早める為に、佐久間と源田の本来の寿命が削られる。また、
どれくらい削られたかも知る事が出来ない。
 三つ。魔法が使えるようになった後は、アルティミシアや聖也が所属する
組織−−ラストエデンに従って仕事をこなすこと。
 これでもかなり軽い対価であるらしかった。というのも佐久間と源田を魔
女と契約させるのは、アルティミシアや聖也の願いでもあったからだ。彼女
たちもまた、この契約の為の代償を負っているのだという。
 
「有り得ない事は有り得ない…んだよ佐久間」
 
 源田がやや苦い笑みを浮かべる。
「堅苦しく考えても混乱するだけさ。魔法なんかないって、当たり前のよう
に否定出来てた頃にはもう戻れないんだから」
「…まぁな」
 今だからこそ分かる。かつての自分達が、どれだけ幸せな場所にいたのか
が。
 総帥の鳥籠に囚われた世界だった。その為に毎日毎日傷ついていくばかり
の人がいて、その人に護られるしか出来ない自分があまりに歯痒くて。
 一歩踏み出せば崩れ去るような、脆い地盤の上に成り立っていたかもしれ
ない。そこには鬼道だけでなくたくさんの見えない屍が転がっていたかもし
れない。だけど。
 帝国で。自分達は確かに笑い合っていた。鬼道もまた、笑っていた。一人
じゃないと、共に支え合える仲間がいると知っていて。それは紛れもなく“幸
せ”と呼べた日々だった。
 平凡な平穏。静かな平和が続いて生きて死ぬと、誰もが無意識に、当たり
前のように信じていたあの頃。まさかこんな悲劇的な未来や、魔女のファン
タジーバトルに巻き込まれるだなんて誰が予想しただろう?
 もう二度と。あんな毎日には戻れない。失ってしまったものがあって、知
ってしまった現実がある以上は。
 
「…時間を負うしかないのは分かってるんだ、でも…何もしないでいるなん
て、嫌だ」
 
 佐久間は呻く。
 大切な友達がエイリア学園の人間で。しかも酷く傷ついて追い詰められて
いるのを目の当たりにして。
 さらにはずっと共に戦ってきた親友の−−風丸の、死。円堂の心中は察す
るに余りあるものだった。
 今の彼らに立ち上がれなんて言えない。言わずとも立ち上がれてしまうの
もまた彼らであり、故に見ていていたたまれないのもまた事実なのだ。
「何か、出来る事が欲しい…どんなに無力だとしても」
「……ああ」
 その時だった。階下から、バタバタと駆け上がってくる足音を聞きつけた
のは。
 
「え?」
 
 明らかに焦った様子で階段を昇ってきたのは、佐久間が今まさに捜してい
た人物だった。
 アルティミシアは佐久間と源田の姿を捉えると、驚きを露わにして−−言
った。
 
「駄目…ッ…逃げなさい!早く!!
 
 状況が飲み込めずフリーズする佐久間。逃げる?何から?何処へ?
 戸惑っている間に状況は変化していく。現れたのは、影だった。
 真っ黒な影が、突如足元から吹き出して来たのだ。
 
 
 
 
NEXT
 

 

心無きもの、襲来。