そして僕等は生まれ変わるだろう。 泣いて泣いて叫びながらも。 涙が地図を濡らして見えなくなっても。 飛べないカナリアにはならないから。 この背中に、白い翼は 無いとしても。4-3:愛の、彷徨。 何かを考えていた筈だった。しかし、ふとした瞬間に何も考えられなくな る。自分は誰で何処にいて何をして何をするのか。そんな当たり前のことが 消失し、真っ白になる。こんな事初めてだ、と円堂は思った。つまりそれが、生まれてからかつて 無いほど余裕を無くしている状態なのだと、どこか冷静に考えていた。陽花戸中の屋上。座り込み、もたれたフェンスは堅く、冷たい。長時間に 渡れば渡るほど背中も尻も痛くなる。しかし、他の場所に移動するという選 択肢は初めから無い。人間が、大好きだ。人の声が、人の温もりが好きでたまらない。それは今 までもそうだし、これからも変わらないだろうと思う。だからずっと無意識 に、人の多い場所を選んで生きてきたのかもしれない。誰かと一緒にいるの は楽しくて、毎日新しい発見があったから。なのに。ああ、本当にこんな事は初めてだ。今だけは、誰の声も聞きたく ないし誰の姿も目に入れたくないなんて。「…我儘だなぁ、俺」 誰かにではない。 自分に聞かせる為に、円堂は呟く。「我儘で自分勝手で…最低だ」もはや何を悔いればいいのかも分からない。キャプテンとしての無責任さ 以前に、人間的な問題として悔いねばならない点が山ほどある気がした。「何も、見えてなかった」初めてヒロトに逢った時に、疑問に思うべきことはたくさんあったはず だ。何故あんな真夜中に、まるで忍び込むようにして漫遊寺に来たのか?こ っそり抜け出してきた、雷門の事は有名だからよく知ってると彼は言い、自 分はそれで納得してしまったけれど。それだけでは、無かったのだ。自分達といずれ戦う事になる雷門について、 偵察にきた。あるいは自分と接触を図りに来た。それが父の命令かヒロトの 独断かは分からない。でも円堂の性格を分析したデータがあるなら、高確率 で真夜中に特訓している事も容易く想定できた筈だ。『君達のサッカー、見ていて羨ましいな。どんなに辛い状況でも真剣に楽し んでるのが分かるもの。俺もサッカーやるけど…君達のようには、出来ない から』身体が弱いから謹慎をくらっていた、というのは嘘ではないかもしれな い。ヒロトの病的な肌の白さを思えば。だから、その次の言葉もあっさり流してしまっていた。雷門のようなサッ カーが、出来ない。それは身体が弱いから、それだけが理由だと勝手に決め てしまっていた。「そうじゃ、無かったんだよな」 空を見上げる円堂。曇ったまま、晴れる気配のない空を。「羨ましいって…言ってくれてたんだよな。俺達みたいな楽しいサッカーが したいけど…出来ない境遇だったから」ヒロトのサッカーは、誰かの為にするサッカーだった。何かを壊し、支配 し、従える為の手段だった。本人の望みとは裏腹に。 こんなサッカーはしたくないよ。 君と楽しいサッカーがしたいんだよ、と。ヒロトはずっと訴えていたのだ。ハッキリと言葉に出せば自分にも仲間に も危害が及ぶ。何より父を放ってはおけない。でも、本当は辛くて辛くて。彼は円堂にずっと言いたかったのだろう。君なら、俺達を救ってくれる か?と。彼はずっと叫んでいたのに、自分はまったく気付いていなかった。最後の 最後、間に合わなくなってから手を伸ばしたけれど、それでは何の意味もな くて。結局ヒロトは傷ついて追い詰められて、またエイリアに引き戻されて しまった。「風丸…」フェンスを握りしめる。グラウンドの向こう、ランニングをする仲間達の 姿が見える。掛け合う声が聞こえる。でも、その中に風丸はいない。そう思 ったら涙が滲みそうになった。辛い時。落ち込んだ時。隣にいて話を聞いて欲しい存在が誰か、なんて考 えた事も無かった。何故ならその存在はいつも当たり前のように側にいたか ら。当たり前すぎて、気付けなかった。甘えていたのだ、自分は。無意識に風丸に依存して、寄りかかって。豪炎 寺や他のみんなの事だって信頼している。でも自分にとって一番近い場所に いてくれたのは、いつだって彼で。「失くしてから気づくんじゃ遅すぎるって…分かってたのになあ…」 鬼道が死んだ時否が応にも思い知らされたのに。 また自分は同じ事を繰り返す。 罪を、繰り返す。「本当に、遅すぎる…」 もう。 風丸は、戻ってこない。 否。戻ってきたとしてもその時風丸は−−。「あはは…」不意に零れた笑い声は、乾いていた。自分からこんな声が出るなんて、と 内心円堂は驚いていたが。 そんな本心とは裏腹に、嗤う声が止む事は無かった。「あははは、はははは!」 最低だ。 戻ってきた風丸は、もう風丸でないかもしれないのに。それでも構わないと、思ってしまった。もう一度風丸に会えるなら、もう 一度サッカーができるかもしれないなら、と。 ああ、そもそも本当の“風丸一郎太”は、一体どこにあったのだろう?「はははっ!!」 あらゆる感情は流れ、溶けて、また消えていく。 誰かの嘆きと、痛みを飲み込んで。 屋上のドアの前。夏未は一人、唇を噛み締めて立ち尽くしていた。−−あんな円堂君、初めて見た…。見ているだけで死にたくなる姿、とはあのような様を言うのだろう。泣き たいのに泣けなくて、ただ自らを嘲るように嗤うしかなくて。 それはどれほどの悲しみだろう。 どれほどの、痛みだろう。−−何で来たんだろう、私。決まっている。あんな円堂の姿は見るに耐えきれなくて−−少しは元気づ けたくてやって来たのだ。最初にかける言葉も、その先の言葉も決まっていた筈だった。なのに、い ざ円堂の姿を目の当たりにしたら−−足が竦んで、動けなくなってしまっ た。自分に何かが出来るなんて自惚れていたわけじゃない。でも、何かは出来 るかもしれない、くらいの期待は持っていたのに。僅かばかりの自信が、足下から消失していく。がらがら、がらがらと崩れ る音がする。今の円堂に何を言えばいい?何を伝えればいい?何を口にした ところで届かない結果が見えているようで−−怖かった。 あまりにも辛くて辛くて。 ああ、誰にもぶつけられそうにない。こんな、面倒な感情など。「夏未さん?」はっとして顔を上げる。階段を登ってきたのは、秋だった。彼女もまた、 夏未と同じ目的で来たのだろう。「やっぱり、考える事は同じだね」秋は力無く笑う。円堂ほどでないにせよ、その顔には憔悴した色が見える。 きっと自分も似たような顔をしているのだろう。「…見たくなかったわ。あんな円堂君の姿なんて」自然と。夏未の口からは本音が零れていた。自分と同じように、円堂に好 意を寄せる彼女となら。この想いも共有出来ると、そう思ったのかもしれな い。「今の円堂君は…円堂君じゃない…!!」 ぎり、と唇を噛み締める。自分の知る円堂は。自分の大好きな円堂守という人間は、いつも明るいみ んなのキャプテンだった。どんな夜も、彼さえいれば明けると信じていられ た。朝を教えてくれる、太陽そのものだった。なのに今の彼は。沈みこんだまま、泥沼に溺れるばかり。そこから動く気 配もない。悩みこんで立ち止まったって、解決しないのに。「……夏未さん」静かに、秋が口を開く。夏未は慌てて顔を上げた。そうせざるおえないほ ど秋の声は、重たい感情に満ちていた。「否定するの?今の円堂君を」「…え」「もし、そうなら」 秋の顔は真剣というより無表情に近かった。だから、分かった。 彼女は今、怒っている。夏未の何かが彼女の琴線に触れたのだ。「逃げてるのは夏未さん、貴女よ」 がつん、と。脳髄に、衝撃。「弱さを持たない人間なんかいない。一生に一度も逃げた事のない人間なん かいない」淡々と、秋は言葉を紡ぐ。夏未は目を逸らす事も耳を塞ぐ事も出来ず、凍 りつくばかり。「円堂君は、確かに強いよ。でも、だからこそ脆いの。夏未さんは、気付い てなかった?」気付いてなかったわけじゃ、ない。しかし夏未は何も返事をする事が出来 なかった。強くて強くて、いつもその求心力でみんなを引っ張る円堂。だからいつか ポッキリ折れてしまうのではと、不安に思っていたのは事実だ。 だけど。そんな日が来るかもしれないなんて、認めたくなくて。そんな日が来て、 気持ちが揺らいでしまうのが怖くて。 何も出来ない自分を思い知らされたらと−−恐ろしくて。「円堂君は、綺麗な幻じゃないよ。生きている、生身の人間。私達が理想を 押し付けて強制するなんてお門違い」「そんな、つもりじゃ…」「キツい事を言ってるのは分かってる。でも、聴いて」秋はじっと夏未を見つめる。大きな瞳に映る自分は−−怯えと、焦りに満 ちており。「強さとか、カッコよさだけ求めて…本当の姿を否定して、受け入れられな いなら」 くるり、と秋は背を向ける。「貴女に、円堂君を好きでいる資格は、無いよ」タン、タン、タン、と階段を降りていく足音。夏未は去っていく秋の背中 を、ただ見送るしか出来なかった。何か言うべきだったのかもしれない。そんな事ない、と反論するべきだっ たのかもしれない。 だけど、それが出来なかったのは。「私、は…」 かくん、と折れる膝。「私は……っ!」秋は何一つ、間違った事を言っていない。逃げていたのは紛れもなく自分 の方で、それを初めて他人に言葉にしてぶつけられたと分かったから。 円堂が大好きだ。愛してる。そういう意味で大好きだ。こんな感情は生まれて初めてだった。誰かの為に、自分の全てを投げ売っ てでも力になりたい−−なんて。だからマネージャーになった。大嫌いだっ た雑用も進んでやるようになった。全部全部全部、円堂の為だ。円堂を大好きな、自分の自己満足の為とわか っていた。だけど、一度彼の世界に足を踏み入れてしまえばもう止まらなく て。 どこかの安い恋愛小説のようだけど、本気で思ったのだ。 こんな燃えるような恋は、百年に一度の代物だと。「う、うう…」 嗚咽し、うずくまる夏未。自分は、太陽のような円堂の姿に魅了された羽虫のようなもの。だから消 えそうになる光に焦って、もう一度光を灯そうと躍起になったのかもしれな い。それは完全に自分本意なこと。秋に非難されても仕方ない。彼女は自分よ りずっと円堂を理解し、ずっと近い場所にいるのだ。ただでさえその愛らしさも家庭的で優しい性格も魅力的だというのに。気 持ちまで負けて、ああ本当に彼女に勝てる気がしない。本当に自分は酷い女だ。大好きな人が傷ついていても、自分の傷しか考え られない。 資格なんてない。本当に、そう。「それでも…」 愛はさ迷う。 膝の上に降る涙の雨と共に。「それでも私は…円堂君が好きなの…!好きで好きでたまらないのよ…!!」 まだ、青空は見えない。 NEXT |
幾千の、星のように。