地獄の業火よ、すべて焼き尽くしておくれ。 何もかも滅んでしまえばいい、どうせ救いなどありはしない。 奈落の底の世界で、他にどうして生きろというの。 相手が誰であれ、もはや引き金を引くしかないの。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 4-5:ロスト、スマイル。
心も身体も、酷く冷え切っている。少し前まで荒ぶっていた激情が嘘のようだ。 研究所の冷たい廊下を、ウルビダは一人歩く。考える事もしなければならない事 も山ほどあった。今、その一つを成す為、ある場所に向かっている。 自分達が敬愛する父−−その人の元へ。
−−あいつ…風丸一郎太、といったか。
自分のそれより淡い青色の、長い髪。綺麗な少年だった。それは多分見た目だけ ではない。きっと心まで透き通った存在だったのだろう。 汚れを知らない、のではない。何度その胸の内を濁らせても、また晴らす事の出 来る強さ。それを人は、真の美しさと呼ぶのだろう。
−−何も、知らないくせに。
『……終わりを、望んでたんだ…グランは』
−−本当の地獄なんて、見た事もないくせに。
『終わらせたい、と。全ての悲しい事を。悪い夢を』
−−ほんの少し…あいつの本音に触れただけで、知ったようなクチをききやがっ て。
『お前だって…本当は同じだったんじゃないのか。本当は心のどこかで…期待、し てたんじゃないのかよ』
−−お前達に何が分かるというんだ。
『俺達は無力かもしれない。…でも、お前達に手を差し出すことくらいなら出来る んだ』
−−期待させるな。望みなど持ったところで…虚しいだけなんだ。
『待ってるだけじゃなくて…お前らから動いてみたっていいじゃないか』
−−これ以上、グランを追い詰めるな。傷つけるな。これ以上…。
『考えろよ。何もしないで諦めるなよ!あんたやグランや…あんた達の愛する人が 本当に幸せになれる未来を。みんなで幸せになる方法を!!』
−−無為な言葉で、私達を揺さぶるな…!!
ダン、と思わず壁を殴っていた。拳から伝わる振動。痛み。それらと共に、頭に 響いてやまなかった風丸の声も霧散していく。 静かで重たい怒り。そこに僅かに混じる悲しみに、ウルビダは必死で眼を背けよ うとする。悲しくなんかない。悲しんだところで、現実は何一つ変わりはしないの だ。
−−殺して、しまった。
無知のくせに知ったかぶる風丸に対し、憤りがあったのは事実だ。しかし、彼が 自分達にはない強さを持った、本当の意味で“美しい”存在であったことは間違い ない。 罪悪感。 確かに潰すつもりではあったけれど−−殺すつもりなんて、無かったのに。 殺されていい人間でも、無かったのに。
−−私が、殺した。
愛する父の命なら。父の為ならば、どんな事でもすると誓った。死すら厭わず、 この手を汚す事も躊躇わないと思っていた。なのに。 いざその時がきて−−今になってこんなにも恐怖を感じるなんて。自分のこの手 は、この力はいとも容易く人の命を奪えてしまう。その事実が−−こんなにも。
「ふふ…あはは…っ」
零れたのは涙では無かった。 嘲りと諦めに満ちた−−嗤いだった。
「殺した!私が!!私は人殺しになった!!」
殺意は無かった。だからあれは悲しい事故だったんだと、誰かはそう言うかもし れない。 でも誰より、ウルビダ自身がよく分かっている。殺す気は無かったとしても、壊 す気はあったのだ。害意を持って風丸にボールをぶつけた。サッカーボールを凶器 にしてみせた。 ならば、何も変わる事はない。殺人か傷害致死かの違いだけ。自分が彼を殺し、 自分に彼が殺された事実にはなんら変わりはしないのだ。
「これでもう!!何処にも引き返せやしない…!!あははははははっ!!」
あの魔女が風丸を生き返らせたとしても。過去は消えない。犯された罪という名 のスティグマは一生関わった者の胸に刻まれるだろう。 これで完全に逃げ道は封じられた。 自分はもう、何処にも戻れない。 幸せだった頃には、還れない。 「ふふふ…無様だろう?笑いたかったら笑っていいぞ、バーン」 「……ウルビダ」 途中からその気配に気付いていた。廊下の向こうから現れたバーンは歩くのも辛 そうにふらついている。どうやらまだ、アルルネシアにやられた傷が癒えてないら しい。
「……グランのヤツ、どうしてる?」
バーンは彼らしからぬ無表情で、ウルビダの問いとはまったく別の事を言った。 予想の範疇だったのでこちらも特に憤りはない。 不器用だが、優しい男だ。昔から変わっていない。 「グランか?まだ目を覚ます気配がないぞ。怪我も治ってなかった上、ここ最近眠 ってなかったみたいだからな。疲れが出たんだろうよ」 「よく見てんだな、あいつのこと」 「これでも一応グランの副官だ。見くびって貰っちゃ困る」 円堂の仲間を傷つけること、ひいては円堂を傷つけること。もはや限界を突破し ているグランの心が耐えきれるとは到底思えなかった。 だから、結末を見る前に。彼の精神が完全に崩壊してしまう前に−ーフィールド から退場させた。何より、風丸の手をとってしまえば、どんな目に遭わされるか分 かったものじゃない。
「あいつは、優しすぎる。とんだ甘ちゃんだ。本当はジェネシスのキャプテンなん かやる器じゃない」
それが希望だなんて、錯覚してはいけない。 その先に待つのは今よりもさらに深い、奈落のような絶望でしかないのだから。
「本当の意味で…どうせ円堂守の事もお父様の事も裏切れやしないんだ。いずれ引 き裂けて、壊れる時が来る。…私がやった事など、それを僅かに遅らせる為の…… 焼け石に水でしかないとしても」
それでも、何かせずにはいられなかった。 ウルビダは唇を噛み締める。 だって−−自分は。
「お前さ。前に言ってたよな。グランの事が大嫌いだって」
バーンが口を開く。苦笑しながら。 「ぶっちゃけな。俺もあいつが大ッキライだ。…でもそれにしたって俺もお前も、 言ってる事とやってる事が矛盾するだろ」 「…何が言いたい?」 「やっと答えが出たってハナシ」 分かってるくせに、と笑うバーン。
「俺達が嫌いなのは“今”のグランだ。そうだろう?」
ウルビダは何も答えない。否、答える事が出来なかった。 しかしその沈黙こそ、答えに他ならなかった。
「…お前がグランの副官で、良かったよ」
俯き、少しだけ切なさを滲ませた声で、バーンは言う。
「今。…ガゼルも俺もこんなザマだ。俺達も俺達なりに運命ってヤツに抗ってみる 気ではあるけど…でも結局、ジェネシスじゃない俺達に出来る事なんてたかが知れ てる。あの人を揺さぶれる人間がいるならそれはグランで…グランの率いるガイア でしかありえないんだろう」
自分には、出来ない。それは負けず嫌いな彼が初めて口に出した敗北宣言であり。 それだけに、痛いほどの想いがこめられていた。それでも愛するひとを救いたい −−そんな願いが。
「だからウルビダ。お前、最後の最後まで…あいつの傍にいてやってくれよ」
顔を上げるバーン、その金色の瞳には、ウルビダが初めて見る色が宿っていた。 そう、ライバルであり仲間でもある存在への慈しみ、という。
「何があっても、あいつの味方でいてやってくれ。お父様を救えるのがグランだけ であるように…あいつを救えるのもまた、お前だけだと俺は思う」
だってさ、と彼は小さく笑みを浮かべる。
「誰より願ってんだろ?お前の一番好きなアイツを、もう一度取り戻したいんだっ て」
ウルビダが何かを言う暇は与えられなかった。バーンはそのまま手をひらひらと 振って歩き去ってしまったから。 その歩くスピードはお世辞にも早いとは言えない。だから呼び止めて否定を投げ るくらい簡単だった筈なのに−−結局自分は何もする事が出来なかった。 否定するにはあまりに、彼の言葉が的を射ていたから。
「…変なところばっかり、目敏くなりやがって」
言われずとも分かっている。 自分がこんなにも、グランを想って必死になってしまう理由なんて。簡単な計算 式より容易く解は出るのだ。ただ今まで認められずにいただけで。 何も変わらないのに、結局、何かは変わっていく。
「仕方ないだろ。…気持ち、なんて」
呟きを漏らし、歩を進める。父の部屋は研究所の奥の奥に、ある。
リカの話を聞いて、小鳥遊から最初に漏れたのは溜め息だった。それは面倒くさ い、呆れた、という意味を含んだものであったが−−リカに対してそう思ったわけ ではなかった。 本当に−−恋愛やら独占欲やらといったものは、なんて厄介なのか。今回の場合 リカの気持ちは必ずしも恋愛に付随するものではなかったが−−独占欲が発生す るのは何も恋愛対象に限った事ではないのである。
「要するに」
小鳥遊は呆れを隠しもせず、リカの言葉を要約した。 「一之瀬が一番頼りたい相手が自分じゃなかったのが悔しくて、そんな相手になれ なかった自分が不甲斐なくて仕方ないワケね」 「…うん」 「あのねぇ…仕方ないでしょ、そんなのは」 髪を掻き上げて小鳥遊は言う。
「あたしに言えた事じゃないけどさ…あんたと秋じゃ、一之瀬と一緒にいた時間の 長さが決定的に違うの。長く親しんだ相手を頼りにするのは普通の事でしょが」
一之瀬が、リカをまだ恋愛対象として見ていないのは分かっていたし。ついでに、 秋をどこか特別な存在と見ていた事も勘づいていた。ただそれは恋をする異性とい うより、護るべき聖域といった印象ではあったけど。 少なくとも秋が一之瀬にとって、土門に並ぶ親友レベルの相手である事は間違い ないのだ。そしてライバルでもある同性の相手には話しづらい事も、異性の秋には 相談できるかもしれない。ならばその関係に、何の不自然があるだろう? 対し、リカと一之瀬はまだ知り合ったばかりだ。リカはもう一之瀬にベタ惚れか もしれないが、一之瀬にとってはまだ大事な仲間の一人に過ぎないだろう。 「…あんな。うちだって理解しとんねん。でも感情が…追いつかない事だってある やろ」 「まぁ…ねぇ」 体を丸め、幼子のように体育座りをするリカ。そうしていると大人びた容姿の彼 女も小学生のようだ。
「…あたしは。ずっと力ってものを、誤解していた」
自然に、小鳥遊は自分の想いを口にしていた。多分いつの間にか自分も雷門に感 化されてきたせいだろう。
「ハデな例を上げるなら…そう、GKを体ごとぶっ飛ばすようなシュートを打つパ ワーとか。…そういうのが力だと思ってた。そういう力を持つ人間が“強い”んだ って」
結局、自分も佐久間達と変わらない。力を誤解して、真帝国に集った一人。 「でも。…違ったんだね。アンタ達と一緒にいてさ、あたしも段々分かってきたん だ。本当の力は…強さは、心に宿るって」 「心…か」 リカは力なく笑う。 「確かに…そういう意味でも、うちはまだまだ秋に勝てんのかもなぁ」 「そういう事よ」 何も心配する事はない。 願う心は、強い。願えば願うほど、可能性は限り無く高まる。それがこの、世界。 円堂達が自分に教えてくれたもの。 だから自分も、願うのだ。小鳥遊は小さく笑みを浮かべた。
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思いと結果は、擦れ違うけど。