知らない世界に夢は溢れてる。 情熱は未だ冷めていない、ただ時を待っているだけ。 幼き戦士よ、どうか振り向かないで進みなさい。 護りたい者達が、愛しい人達がいるのなら。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 4-6:最期の、意志。
父の部屋の前に立つ。ノックをしようと手を上げて、そこでウルビダは動 きを止めていた。 敬愛する父。大好きな父。逢えるだけでいつも嬉しくて仕方なかった存在。 なのに。 どうして自分は今、こんなに緊張しているのだろう。何も難しいことはな い。ちょっとした提案をしに来ただけなのに−−どうして。
「旦那様なら、今はいらっしゃいませんよ」
完全な不意打ち。びくり、と情けなくも肩が震えた。振り向いた先にいた のは、父の腹心ともいうべき男。 父の秘書官にして、強化人間開発プロジェクト総責任者−−研崎竜一。
「少々、遠出なさってます。おそらく今日は遅いお戻りになるかと。何かご 用件があるなら、私からお伝えしておきますが?」
淡々とした口調。ウルビダはじっ、とその男を見る。 こけた頬に、長身痩躯。いつも感情を表に出さず、何を考えているかイマ イチ読み取れない人物。しかし、二ノ宮が現れるよりずっと前から父に仕え ている人間でもある。 意外かもしれないが、ウルビダはこの男に対してそう悪い印象を抱いてい ない。 まだエイリア学園がお日様園だった頃からそこにいて、父の信頼が厚かっ たのもあるし。ことあるごとにその能力の高さが伺い知れるのもある。あと は、父が不在の時、小さな子供達の子守役をやっているのを見てきたからで もある。 だが。結局のところ、彼がどんな人物かを窺い知るには至らないのである。 魔女の勢力に脅かされる今、彼が自分達にとって敵か味方かも分からない。 学園内では信頼できる大人がいない。残念ながら今はそれが現状だった。
「…貴女のご用件に、目星はついています」
黙ったままのウルビダに、察するものがあったのだろう。溜め息を一つつ いて、研崎は言う。
「グラン様が落ち着くまで…貴女がジェネシスのキャプテン代理を務めた い、と。そんなところじゃありませんか?」
つい、まじまじと研崎を見てしまった。それは彼の言った事が自分にとっ て、まったくの図星だったからに他ならない。 「分かりますよ、それくらい。…グラン様は、繊細すぎますから。円堂守に 近づきすぎた時点で、いずれこうなる事は目に見えていました。彼を本当は 一番大切にしている貴女が、その重荷を背負うと言い出す事も」 「べ、別に私は…」 「昔から、でしょう?甘くみないで下さいね。何年貴女方を見てきたとお思 いで?」 「う…」 小さく笑みを浮かべる研崎。なんだか、何を言っても勝てる気がしない。 ましてや彼の言っている事が全て的を射ているとなれば。
「旦那様は、グラン様以外に、ジェネシスのキャプテンを任せる気はないで しょう。全ては最初から決まっていたことです」
ですが、と研崎は続ける。
「一時的な代理というなら話は別です。ましてやそれが、グラン様を想って の事ならば」
許可は出る、と。研崎はそう考えているのか。でも、父は。
「私は…私達は、お父様を愛している。この世の誰より、愛している。…で も」
疑ってはいけない事を疑っていると分かっていた。それでもウルビダは言 わずにはいられなかった。
「お父様は…本当に愛してくれているのだろうか。グランのことを」
エイリア学園内でも、自らの本来の人格を保っているのはマスターランク に属する者のみ。さらにその中でグランと父の関係の秘密を知っている者 は、本当に僅かしかいない。 確かガゼルは知っていたが、バーンは知らなかった筈だ。
「愛してますよ、間違いなく」
研崎は即答する。
「その愛がどれだけ身勝手なものでも。誰かの身代わりであるとしても… ね」
グランは身代わり人形にされている、と。自分は激昂して、円堂達にその 言葉を漏らしていた。彼もそれをどこかで聞いていたのだろうか。 ウルビダは唇を噛み締める。どうしてグランは自分達の目の前に現れたの だろう。父や自分達にとっては幸せでも−−彼自身にとっては不幸でしかな かったのではないか。 父と出逢わなければ、彼はきっと、こんな虚しい愛を知らずに済んだだろ うに。
「……言伝、頼む」
やめよう。不毛な事ばかり考えても埒があかない。父の愛を疑う事は、そ のまま自分達の存在意義を揺らがす事になる。だから考えるべきじゃない。 最初から理解していた事だ。 これ以上会話を続けたらまた余計な事を口にしてしまいそうで−−ウル ビダは男に背を向けた。
「ウルビダ様」
その背中に、静かに投げられる声。
「私もずっと、貴女方にお訊きしたいことがありました」
何を?と尋ね返す前に、続きは紡がれていた。
「貴女は。貴女達は…私を、恨んでいますか?」
ウルビダは−−何も言えなかった。あまりに唐突すぎる質問に、面食らっ たのもある。何より。 普段平坦な研崎の声が−−ほんの少し、震えていたせいもある。 振り向けなかった。今彼がどんな顔をしているか、容易く想像がついたか ら。
「…恨んでいない筈、ないですね。私と二ノ宮がいなければ、こんな事には ならなかった。旦那様の復讐心に火がつく事も、貴女達が誰かの道具になる 事も」
ふっ、と自嘲する気配。
「忘れて、下さい。伝言は受け取りました。必ず旦那様にお伝えします。… その代わりと言ってはなんですが、貴女に受け取って頂きたいものがありま す」
ウルビダは振り向く。その時にはもう、研崎は普段の無表情に戻っていた。 男は周囲を窺い−−さっと、小さなものをウルビダの手に握らせた。 「これは…」 「時が来たら…研究所以外のパソコンで開けて下さい」 USBメモリである事は感触で分かった。 どうやら、相当重要で、かつ二ノ宮に見られたらマズいものであるらしい。 何故自分に、と思ったが。質問の全ては、射抜くような研崎の目に封じられ た。
「…行きなさい」
離れる手。そのまま有無を言わさず言葉で背中を押され、歩き出すウルビ ダ。だから、その先の研崎の呟きを、聴く事は無かった。
「私もいずれ、私でなくなるでしょう。だから…」
言葉は、溶けて、想いと共に消える。
「これは、私の…最期の意志」
蹴ったボールは、思っていたよりずっと左に逸れた。
「あっちゃ…」
土門は思わず声を上げる。ゴールポストを外れたボールは、だいぶ遠くま で転がっていってしまった。あれは拾うのが面倒だ。 しかし、陽花戸中に居候させていただいてる身、借り物を粗末に扱うわけ にはいかない。そうでなくとも一サッカー選手としてボールを大事に扱うの は大前提だ。土門がボールを取りに駆け出そうとした時、そのボールを拾う 手があった。
「絶不調だな、土門」
一之瀬だった。校舎に用があると言っていたが戻ってきたのか。土門は苦 笑して、さんきゅ、と手を上げる。 「俺は元々守備担当要員よ?シュートは苦手なのー」 「シュートが苦手でもコントロール音痴は駄目だろ土門サン?聖也になっ ちまうぞ」 「うわぁ、それすっごい嫌だわ」 「はは」 いつもと同じ、じゃれあうような会話。しかし今はどちらにも覇気がない。 それもそうだ。あんな事件があってからまだ何日も経っていない。
「振り切りたくてさ。みーんな、ガムシャラに練習すんだけど」
土門の視界の端。ランニングに励む一年生ズが見える。走るのが大嫌いな 壁山すら、前を向いて必死に手足を動かしている。 「やっぱ、無理なんだよな。つい考えちまって…調子、落としてる」 「それが当たり前だと思うよ」 一之瀬は砂を払って、ボールを抱える。大事そうに、まるで慈しむかのよ うに。
「俺達にとってそれだけ大きな存在だったんだ。風丸も…円堂も」
風丸が死んだ。だが、実はもっと昔に死んでいて、二ノ宮に生き返させら れた存在だった。そしてその遺体は持ち去られてしまった。 円堂が受けたショックを思うだけで死にそうになる。風丸の運命を変えて しまったこと。風丸を護れなかったこと。それだけではない、グランのこと も相当気に病んでいるに違いないのだ。それら全てに責任を感じて、ついに 沈んでしまった−−太陽。 自分達みんなに今、夜が来ている。円堂に頼りすぎないようにしよう、重 荷をかけないようにしようと決めた矢先にこれだ。結局自分達はみんな円堂 の強さと明るさを支柱に立っていたのである。円堂が折れたことで、みんな が心を折ってしまうなんて。
「苦しい、とか。悲しい、とかさ。もっと言ってくれればいいのにな」
土門は胸の内を吐き出すように、言う。
「俺達みんなが…円堂に弱音を吐けなくしてるんだろうな。…無意識だって んだから、余計質悪いぜ」
いや、それは円堂に限ったことでもないのだろうが。 風丸だってそうだった。鬼道だってそうだった。吹雪だってそうだったし、 今自分の目の前にいる一之瀬だって、そう。 自分の中の辛い気持ちを溜めて、溜めて、パンクするまで溜めすぎてしま う。何故だかそんな面子ばかりがここには揃っている。
「助けて欲しい時に、助けてって言えない奴らばっかりだ」
それは強さかもしれないけれど。本当の強さとは、違う気がするのである。 おかしな話だ、ここにいる誰もが仲間を想い、信頼している筈なのに。
ダンッ!!
「ん?」
不意に大きな音がして、土門はそちらを見た。校舎脇の木に、タイヤがぶ ら下がって揺れている。その前でひっくり返っているのは−−。
「立向居?」
どうやら彼は、見ている土門と一之瀬に気付いていないらしい。頭をさす りながら立ち上がり、もう一度構えをとる。 そしてタイヤを思い切り吹っ飛ばして−−!!
「マジン・ザ・ハンドー!!」
技名を、叫んだ。土門は息を呑む。それは彼の特訓方法が、円堂と同じだ ったからばかりではない。 重なったからだ。かつて世宇子を倒す為、マジン・ザ・ハンドを拾得しよ うと必死でもがいていた−−円堂の姿と。
「あいつ…」
パワーが集まる。立向居の体が光り始める。 だがそこまでだった。目標に向けて放とうとしたエネルギーは寸前で霧散 して、立向居の体はタイヤに跳ね飛ばされる。悲鳴を上げて転がる少年。し かし。
「諦め、ない…」
すぐに、立ち上がる。ボロボロになりながらも。
「絶対に、諦めないぞ…!!」
それは。自分達が知る円堂の姿、そのものだった。諦めない心こそ力にな ると、そう自分達に教えてくれた彼の姿がそこにあった。 魂は、間違いなく受け継がれている。喩え立ち止まり、折れる事があった としても。
「…そうだよな」
一之瀬の声が、土門の耳に届く。
「俺達…諦めないって決めたんだよな。ただ試合に勝つってことだけじゃな い」
立向居が思い出させてくれた。 自分達の、あるべき姿を。
「みんなで幸せになることを。希望を。…諦めない事が、大事なんだ」
円堂は必ず立ち上がる。だから自分達も立ち上がらなくては。 前にも後にも、絶望は広がるとしても。
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往きなさい、生きなさい。