苦しいって言って欲しかった。 寂しいって言って欲しかった。 そうしたらどんな場所だって、貴方を迎えに行ったのに。 ねぇ、お願い、イカナイデ。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 4-7:サウンドレス、ボイス。
陽花戸中校舎。一階の廊下の隅。 宮坂はうずくまって考えていた。考えても考えても答えは出ないのだろう が、思考を止める事がどうしても出来なかった。
−−僕…何でここに、いるのかな。
決まっている。風丸を助ける為だ。大好きな先輩の、役に立ちたかったか らだ。そして彼の大切な人達を知る為であり、彼の大切なサッカーを一緒に 守る為だった。 そう。 宮坂の行動理念、宮坂のサッカーの中心にはいつだって風丸がいたのだ。 勿論、最終的に全ては自分の為と分かっている。自分が風丸を大好きだから、 そんな自分の為に走ってきたと知っている。 だけど。 風丸がいなくなった事で−−自分の全ての支柱は、崩れ去ってしまったと いっても過言ではない。
「風丸さん…っ」
護れなかった。 護れなかったんだ。 その無念さが涙になって、じわり、と眼の奥に溜まっていく。
−−貴方を護る為に、救う為に、支える為に…僕がいた筈なのになあ。
ヤクタタズ。その言葉を、宮坂は即座に否定した。違う、自分はもっと、 酷い。 足手まといかもしくは邪魔、だ。やった事といえば自分の不用意な憧れと 言葉と存在で、風丸を精神的に追い詰めた。それだけだ。 まるで走馬燈のように、思い出が流れて消えていく。笑顔に怒った顔。し かしその中に泣き顔が一つも無い事に愕然とする。こんなに近くにいた筈な のに、風丸は自分に涙を見せてくれなかった。見れたのは泣きそうな笑顔だ けだ。涙を見せるに値する存在に、自分はなれなかったのだ。 そして、そんなたくさんの顔よりも記憶に残っているのは。走っていくか の人の背中。思えば自分はいつも風丸の背中を追いかけてばっかりだった気 がする。 走り抜ける青。初めて見た時、自分は風の神様を見たのかと、そう思った ものだ。駆けていく風丸の姿はそれほどまで美しく、輝いていた。走るのが 大好きな人間の走りだった。 まるで初恋のように鮮烈で、眩しい感情だった。実際ある観点で自分は、 あまりに盲目的な恋をしていたのかもしれない。その好意は尊敬の域を通り 越して、崇拝に近いものだった。 その感情自体が、風丸の重荷になっついたと気付かずに。 彼は天才かもしれないが、美しく生まれついたかもしれないが−−それだ けなのだ。あくまで一人の人間で、まだ幼い中学生にすぎなかったのに。
−−僕が大好きだった風丸さんは…本当の風丸さんじゃ無かったんだろう か。
円堂が望んで、アルルネシアの屍鬼として蘇った風丸。本当は自分と出逢 う前に死んでいた筈の風丸。 その全てが嘘だった?その全てが幻だった?
−−そんなの…嘘だッ!!
唇は噛み締めすぎて、鉄の味がした。滲む血も痛みも、今の宮坂には思考 の外に他ならなかった。 彼は、人間ではなかったかもしれない。でもだからといって誰が彼の意志 を否定できるだろう?ただの人形がどうしてあそこまで何かに誰かに命を 賭けられるだろうか。
−−風丸さんが。あんな風に死ななくちゃいけないって…そこまで何もかも 決められてたなんて…そんなの。
風丸の名前を呼ぶ円堂。円堂の腕の中、傷だらけで冷たくなっている風丸 を思い出して−−宮坂は思わず口元を押さえていた。精神的苦痛は、もはや 臨界点に達しようとしている。なんとかギリギリ、吐かずに波をやりすごす。 決められた世界。定められたセカイ。その中で自分がやってきた事、やろ うとした事は全て無意味だったんだろうか。いやむしろ、自分に出来た事な んてあったんだろうか。
「僕は…どうすれば…っ」
きつく膝を寄せて、宮坂がうずくまった時だ。不意に、視界が暗くなる。 頭上から落ちる陰に気付き、宮坂は顔を上げた。
「宮坂君」
いつの間にキャラバンに戻ってきたのか。じっとこちらを見下ろしていた のは−−レーゼだった。
「リュウ…さ…」
その姿を見た途端。堪えていたものが、我慢していたものが全部溢れて− −止まらなくなった。
「ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい… っ!!」
決壊する。 崩れ落ちる。次から次へと。
「僕…僕は、何も出来なかった…っ護れなかった、救えなかった…!!」
要らないコでごめんなさい。 弱いコでごめんなさい。 役立たずでごめんなさい。 生きていて、ごめんなさい。
「貴方がいない間は僕が…僕が風丸さんを助けなきゃいけなかったのに… っ…結局、風丸さんを苦しめるだけの役立たずで…!」
ずっと責め続けていた。ナニワランドで風丸の告白を聴いてから、ずっと。 彼の本音を聴けたのは良かったと思う。本当に思う。だけど、そうなるま で彼を追い詰めたのは他でもない自分自身だ。 風丸に出逢えて、自分は幸せだった。 でも風丸は、どうだった?
「僕は…風丸さんを不幸にしただけだった…!」
だから幸せだなんて、もう思っちゃいけないのだ。
「僕さえ、いなければ良かった…!!」
ごめんなさい。 ごめんなさい。 何度謝れば赦してくれるの?
「出逢わなければ良かった…!!」
何度謝れば。 世界は貴方を還してくれるの?
「…宮坂君」
暫しの沈黙の後。静かなレーゼの声が、降ってきた。
「本当にそう、思ってる?」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる宮坂。
「私も、魔女だから。全部分かった上で言っている。宮坂…本当にそれが、 正しいと思ってる?」
どういう意味だとか、彼が何を言いたいんだとか。細かく考えようとはし たけど、頭はうまく回ってくれなかった。 宮坂が何かを言う前に、レーゼが先を続ける。
「私の見る風丸君は、笑ってたよ」
息が、止まる。 一瞬の、間隙。
「笑ってた。君の隣で。…どうしてだろうね」
意味を、考える。考える。考える。 風丸の笑顔を思い出す。思い出せるのは笑っている彼を知っているから だ。自分に向けて笑いかけてくれたのを見ているからだ。 宮坂は、考える。考えて。考えて。
「風丸さん、は…」
声が震えた。言葉にするのも辛いけれど、言わなくてはならなかった。 「優しい、から。例え僕が邪魔なだけな存在でも…嘘でも、頑張って、笑っ て」 「それだけ?」 「それだけ、です」 「それだけで、あんなに綺麗に笑える?」 「風丸さんは、笑えたんです」 「本当に?」 「本当、です!だって実際…!」 無意識に宮坂は声を荒げていた。 だって実際。風丸は自分にも笑いかけてくれた。目障りな自分にすら笑顔 を向けられるくらい“優しい”人だったのだ。 そうだ。そうに決まってる。だから。
「宮坂君。本当は、分かってるんだろう?」
やめて。もうやめて。 悲しい希望なんか、持たせないで。
「確かに。私達の存在が、風丸君を追い詰める一因だったかもしれない。で も」
宮坂の想いとは裏腹に、レーゼは静かに言葉を紡ぐ。魔女の力を持つ言葉 を。魔女が語る真実を。
「それは、私達の存在が…風丸君の中で大きなものだったからこそ。そうだ ろう?」
彼を追い詰めてしまうほど、私達は彼の心を占める存在だったんだ。どう でもいい存在なら、要らないだけならきっと彼はあそこまで傷つかなかった よ、と。 レーゼは言う。その声が、緩やかに宮坂の胸に落ちていく。
「私達は、愛されてたんだよ。友として…大事な仲間として」
本当に? 本当に、そうなのか。 宮坂は胸の奥で呟く。
「…信じても、いいの?」
自分は風丸を傷つけてばかりだったけど。傷つけるだけの価値を持ってい たのだと。
「風丸さんにとって…要らない存在なんかじゃ無かったって。そう信じて、 いいの?」
ねぇ。 此処にいて、貴方の傍にいて。 それは貴方が赦してくれた距離だと、そう思ってもいいのですか。
「…私は風丸君じゃないから。絶対的に何が正しいなんて、そんな事は言え ない。…でも」
貫かれる。レーゼの言葉に。 「でも、風丸君が私達を好きでいてくれて。だから本物の笑顔を向けてくれ ていたとして。その気持ちを私達が否定したら…それは風丸君そのものを否 定するのと同じことだ」 「……!」 「それでも。もし君がまだ自信を持てないなら。罪の意識を感じているなら」 黒曜石の瞳が、覚悟を決めた者の眼が。 あまりにも真っ直ぐに宮坂の姿を映し出す。
「私達は私達に出来る事を、やるべき事をするんだ。…風丸君を助けに行こ う。そして本人の口から、直接訊こう…本当のキモチを」
ね、と。差し出される手。ふわり、と初めてレーゼが笑った。今までのど こか自信のない笑みや、怯えを孕んだ笑みではなかった。 慈しむ聖母のような微笑、だった。
「まだ…間に合う、かな」
膝を抱えてうずくまり、宮坂は呟く。 風丸は死んだ。自分の目の前で、殺された。本当ならもう何もかもそこで 終わってしまっていた筈だ。死んだ人間が生き返る事はなく、死んだ人間と 言葉を交わす術など無いのだから−−そう、本来ならば。 だが風丸の遺体は、魔女に連れ去られた。それは即ち、因果律に反する再 会が待つ可能性を指摘する。死んだ筈の風丸が魔女の駒にされて生き返り、 立ちはだかる可能性は−−けして、低くはない。真帝国の前例があるのだか ら尚更だ。 本当なら、けして喜ばしい事などではない。風丸の意志も、人格も無視し た最低の行いだ。自分達がそれを望むなどあってはならない事なのだ。 でも。それ故に贖いの機会が与えられるというなら。取り戻すチャンスが あるかもしれないなら。
「ごめんなさいって。ちゃんと、言えるかな」
その未来に。 自分は、賭けたい。
「今度こそ。こんな僕でも風丸さんを助けられる、かな」
全てを賭けて、挑みたい。 今度こそ間違えないように、守りきれるように。
「人の願う力は強い。願い続ければ続けるほど必ず真実に近付く。魔法に携 わる私達は、知っている」
レーゼが笑う。宮坂も、泣きながら笑っていた。 白き魔法。自分にもそれは使えるなら。 「きっと、なんとかなる。一人で頑張るんじゃない。だって私達は、仲間な んだから」 「…うん!」 宮坂は差し出された手をとった。そして立ち上がった。誰かに支えられな がら、よろめきながらも−−自分の脚で。
「ありがとうございます、リュウさん」
自分のせいで招いた悲劇があったかもしれない。償わなければならない罪 は大きすぎて、また押しつぶされそうになる瞬間があるかもしれない。 だけどもう、迷わない。
「風丸さんを、助けに行きます。…いいえ」
諦めない。やり直せる未来があるのなら。
「一緒に、助けに行きましょう…絶対!」
例え這いつくばっても、何度でも地面を踏みしめて立ち上がってみせよ う。 もう、自分にはそれができる。宮坂は己に与えられた幸福を噛み締めてい た。 独りきりじゃない世界は、こんなにも素晴らしい。
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儚いコエのイノチごと、掻き消して、スベテ。