夢見るように目覚めて。 未来まで届くように、願って手を伸ばしても。 掴んだ端から希望は擦り抜ける。 どうすればこの絶望を塗り潰せるの。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 4-9:愛が呼ぶ、方へ。
「…終わったみたい、やな」 「うん」 外に出ようとしたところで雨が降り始め、間一髪校舎に駆け込んだ小鳥遊 とリカ。外にいた面々はずぶ濡れだったようで、さっきから昇降口で慌てて 身体を吹いている。 多分みんな、雨すら忘れて惚けていたのだろう。それほどまでに照美の歌 はみんなを魅了したのだ。 なんていう曲だろう、と小鳥遊は思う。聴いたことのない曲だ。
「うち、知っとるで」
そんな小鳥遊の疑問を悟ってか、リカが口を開く。 「今休止中の…一昔前に有名だったユニットの曲や。オカンが好きだったか ら、覚えがあるわ」 「ふうん」 そのユニットのことは知らないけれど。なんとなく、さっきの照美ほど上 手く歌える人間はいないだろうなと思ってしまう。自分は彼らほど悲壮な決 意はしていないし、悲惨な過去を持っているわけでもない。でも。 あんなにも歌が人の心を揺さぶるだなんて−−知らなかった。あんなにも 想いを込めて、想いを乗せて歌える人間がいるなんて、思ってもみなかった。
−−生きていい。ただ純粋に生きればそれでいい…か。
それはシンプルなようで、本当はとても難しい事なのかもしれないけれ ど。ひょっとしたら人は多かれ少なかれ、そんな免罪符を求めて生きている のかもしれない。 誰かにそう言って貰いたくて。そう言ってくれる誰かに出逢う為に今日を 生きている。
−−あいつには…いなかったのかな。ただありのまま生きればいいんだよっ て…そう言ってくれる人。
つい、苦笑してしまう。最近、気を抜くとすぐ不動の事ばかり考えている 自分がいる。彼との付き合いなんて、本当に短い時間しかなかったというの に。 何故だろう。今の歌を彼が聴いていなかった事が、凄く惜しい事のように 思うのである。
−−一回じゃサビくらいしか覚えられないし。後でアフロディの奴に、訊い てみようかな。
小鳥遊がそう思った、その時だった。
♪〜♪♪〜
突然鳴り出した、電子的な音色。小鳥遊の携帯の着メロだった。 「お、あゆか。うちも好きな曲や」 「そう?結構趣味合いそうね?」 携帯を取り出して−−小鳥遊は眉を顰める。液晶に表示された名前は、不 動明王。本来なら彼から電話してきてくれた事は喜ばしい筈だが。 何故だろう。今はものすごく、胸騒ぎを感じる。
「…もしもし」
ボタンは押した筈だ。しかし電話は沈黙したまま、相手が何かを喋る気配 はない。
「……不動?」
呼びかける。僅かに、身じろぐ気配がした。荒いような息遣い。微かに聞 こえる波音−−埠頭? いや、不動はまだ愛媛の病院だった筈。病院は海の近くなどではないし、 入院中の彼が埠頭まで出歩くなんてことは−−。
『たか、なし…』
出た。もし不動以外の誰かだったらどうしよう、なんて思っていた自分に 気付く。ちゃんと不動の声だった事に束の間安心して、でもすぐ不安になる。
『……悪ぃ』
何でいきなり謝罪? 何でそんなに−−掠れた声? 「…ねぇ、あんた今、何処にいるの」 『……』 「何処で何、してるの」 『………』 「答えな!」 つい声を荒げてしまう小鳥遊。精神的なだけじゃない、明らかに身体的な 何かが理由で余裕のない不動の声。それだけで自分は、こんなに動揺させら れる。 どうして−−何で?
『…小鳥遊に』
漸く不動が口を開く。
『電話、するつもり…無かったんだけどな』
つもりは無かった。その言葉に、少しだけ胸が痛む。 それはリカと同じ−−自分が頼られるに値しないと知った失望であり。ま た一人で背負いこもうとする彼への悲哀でもあった。
『なんか、声聴きたくなった。…何でだろうな』
それはこっちが訊きたい。 自分も不動の声が聴きたかったなんてそんな事言ってやらない。言えな い。
『だってもう…最後かもしれないだろ』
最後? 最後って?
「どういう、意味?最後って…なに?」 『……』 「まただんまりなわけ?」 傍でリカが息を呑むのが分かった。状況は分からないにせよ、緊迫した空 気は伝わったのだろう。
『この間…お前さ。俺に…ありがとうって言ったよな。そう言いたかったか ら、電話したって』
不動の声が震えている。あのプライドの高い男が−−泣きそうな声で電話 をかけてきている。
『もう、二度と。逢えねぇかもしれないから…』
きっと。声と同じくらい、情けない顔をしているんだろう。簡単に想像で きる。だって、自分は出逢ってからずっと彼を見ていたから。 脆くて、本当はとても弱い姿を見てきたから。
『本当は直接言うべきなんだろうが。今、言っとく。あの時…俺に着いてき てくれて、ありがと、な』
そうか。 出逢った時にはもう、自分は。
「…させないよ」
小鳥遊は携帯電話を握りしめる。もう手遅れな事もあるかもしれない。で も、もしかしたら間に合うかもしれないから。
「最後になんか、させない。言いたい事あるなら、逢って直接言いな」
後悔したくないから、自分は不動の手をとった。
「あんたの…プライド高いくせに、負け犬根性に気合い入っちまってるとこ が、あたしは嫌い」
後悔したくないから、自分は真帝国に入った。
「だけど。そんなアンタに、あたしはあたしの意志で着いていった。そんな アンタがいる場所を…ううん、そんなアンタを、あたしは選んだ」
後悔したくないから、自分はこの場所にやって来た。
「だから。…忘れないで。あたしはアンタの味方なの」
そして後悔したくないから。 今、こんな話をしている。
「例え世界がアンタを裏切っても。 アンタを独りぼっちにしようとしても。 あたしは、あんたの味方でいるよ」
お願い。気付いて。
「…仲間でしょ、あたし達」
貴方を好きな人間は、此処にいる。
『…小鳥遊』 「何」 『……さんきゅ』 「それ、さっきも聞いたわよ」 『…でも、もう一回言いたくなった』 「何それ。あんた、見かけによらず単純ね」 少しだけ、笑顔になる。 不動がほんのちょっぴり、余裕を取り戻したのが分かったから。
『…追われてんだ。正直、逃げられる気がしねぇ』
だけど、と不動は続ける。
『お前、は。一緒に逃げてくれるって、言うのかよ。こんな…俺と』
馬鹿な奴、と小鳥遊は思う。 本当に不動は馬鹿だ。答えなんてとっくに出ているというのに。
「言ってみな。あんた、あたしにどうして欲しい?」
言えばいい。叫べばいい。それが弱さだなんて、少なくとも自分は思わな いから。 苦しいなら、辛いなら。どうか呼んで。名前を−−存在を。
『……頼む』
小さな。本当に小さな声だけれど−−不動は言った。そして呼んだ。
『……助けて…忍』
小鳥遊の名前を、呼んだ。
「分かった。助けてやる。…場所を言いな、明王」
不動から場所と状況を聞き出し、通話を切った。彼はやはり、愛媛埠頭に いるらしい。どうやら自分が思っていた以上にマズい事態になっているよう だ。 だが予想出来なかったわけじゃない。彼はエイリアに深く関わっている。 関わり過ぎていると言ってもいい。
「行く気やな」
リカが静かに言う。いつも騒がしい彼女だからこそ、言葉には重みがあっ た。
「行ってきぃや。惚れた男の一人も護れないようなら、女やない。根性見せ たれ!」
ぐっと親指を上げてウインクするリカ。だから小鳥遊も同じように笑って 応えた。 自分はひょっとしたら、もう此処へは戻ってこれないかもしれない。でも、 だからこそ今思う。彼女達と過ごした時間はけして長くは無かったけれど− −とても幸せだったと。楽しかったと。 ああ。彼女達とサッカーができて、本当に良かった。
「ありがと。…リカ」
昇降口から飛び出す。今から交通機関を使って行ったのでは間に合わな い。ではどうするか。 癪だがアイツに頼むしかあるまい。
「待ってろ…馬鹿不動」
いつの間にか。雨は上がっていた。
吹雪はどこかほっとした気持ちで、窓の外を見た。
「良かった…雨、上がったみたいだ」
雨が降るだけで気持ちがこんなにざわつくなんて、本当に情けないと思 う。強くならなければと思うほどあの日を思い出してしまう。 何もかも忘れて生きていけたら、なんて。罪深い事なのだけど。 「歌…上手なんだね、アフロディ君って」 「ありがと。君にそう言って貰えると嬉しいよ」 パタン、とピアノの蓋を閉める照美。
「…この歌ね」
彼は椅子に座ったまま。思いを馳せるように、瞼を閉じる。
「教えてくれたの、総帥なんだ。…総帥はお父さんに教わったって言ってた かなあ」
あの影山が。吹雪にはイメージが沸かなくて、しかしどこか切ない気持ち になる。照美はどんな想いで歌ったのか。今はもう亡き人が遺してくれた宝 物を。 人は誰しもいずれ死ぬ。だけど必ず遺るものがある。彼は自分にそう、伝 えたかったのかもしれなかった。 吹雪は、考える。
「…僕も」
“生きて、生きていいの。 ただ純粋に生きればそれでいい。”
「生きて…いい?」
何度諭されても自信がなくて。誰かに確認してしまう弱い自分。
「当たり前だよ、吹雪君」
頭の上に、温かい重み。 椅子から降りてきた照美に頭を撫でられた途端、不覚にも涙が滲みそうに なる。
「何もかも一気に割り切る必要はない。時間がかかってもいいから。…忘れ ないでね。君も、幸せになっていいんだってこと。必要とされてること」
それは−−免罪符。
「……うん」
もう少し。もう少しだけ頑張ってみよう。何かが見えるまで、あと少し。 生きて罪を償う方法が見つかるまで。 吹雪は心の中で小さく誓う。此処から抜け出す為には、足掻くしかない。 照美や円堂がいるなら、なんとか出来るかもしれないから。
「…?」
その時になって、二人は廊下が騒がしい事に気付く。何人かがバタバタと 走る音がする。
「何か、あったのかな?」
吹雪は照美と共に、廊下に続く引き戸を開けた。ちらり、と階段の方へ消 える背中が見えた。あれは、宮坂? 「…こ…ですか?」 「み…の…意味や。つま…は…」 途切れ途切れに複数の声がする。宮坂と、あと何人かの女の子だろうか。 誰もがやや強い語調で喋っており、宮坂の声もどこか尖っている。 不安げに、二人で顔を見合わせた。そのまま宮坂が走り去った方向へ急ぐ。 階段を降りていくと、すぐ下で話している数人の姿が見えた。 宮坂に、リカに、春奈に、秋に、塔子に−−あとは、レーゼ?いつの間に 戻ってきたんだろうか。 さっきよりも鮮明に会話が飛び込んでくる。
「うちを責めたいなら好きにしたらええ。でも、うちはそう判断したんや」
吹雪は、足を止めた。
「不動は、小鳥遊が助けに行かなアカンてな」
NEXT
|
傍にいる、いつだって。