抱きしめる為に、その腕はあったんじゃないの? 一人じゃ淋しくて、だから愛を歌うんじゃないの。 一つの息を取り合って、気付けば互いを腐らせる。 あれ、オカシイナ。こんな筈じゃなかったのに。 この背中に、白い翼は 無いとしても。 4-11:二息、歩行。 それは小鳥遊が電話を受ける、数時間前まで遡る。不動はいつも通り、病院のベッドでぼんやりと外を眺めていた。身体の傷 は大した事がない。問題は精神的外傷だった。今でこそ他人とまともに会話 が出来るようになったものの、運ばれてきた当初は目も当てられない状態だ ったのである。半狂乱。幻覚症状。一時的な失語傷害。看護士が少し目を離せば無意識に 身体中に引っ掻き傷を作ったし、幻覚に惑わされるまま窓から飛び降りかけ た事もあった。不動が受けた人体実験の後遺症に加え、信じてきたもの全てに裏切られた 結果がこれだ。みっともない姿である事は不動自身が一番よく分かってい た。しかし、もはや前向きに生きる気力などどこにも残っていなかったので ある。時間をかけて、少しずつ症状は落ち着いてきたが。不動が退院する事は出 来なかった。それはいつまた不安定な状態がぶり返すか分からない為と、不 動の身柄の引き取り手が無かったせいである。元々エイリアに関わっていたらしい、というのは医師達も知るところ。ゆ えに、その“親元”に連絡をとる訳にもいかない。ましてや不動は捨てられ たのだ。唯一保護者と呼べそうだった影山はもはや海の底である。生きているか死んでいるかも分からない日々。それでも携帯を手離さなか ったのは、心の何処かで何かを期待しているせいかもしれなかった。また“あの人”が自分を頼ってくれるんじゃないか、なんて。夢を見るに もほどがあるけれど。 それに−−“彼女”も。「俺…何で生きてんのかね…」呟きが、夕焼け空に溶ける。思い出すのは、灰色に塗りたくられた過去ば かりだ。不動が生まれたのは、普通のサラリーマンの家庭だった。ただほんの少し 安月給で、ほんの少し両親が忙しいだけの家庭。多分、幼い頃の自分は幸せ だったのだろう。 全ては、ある一つの事件がきっかけだった。父の会社で発覚した横領。やっていたのは父の直属の上司だった。しかし 上司は自分の身可愛さに、証拠を捏造して父に罪を被せたのである。自分は無実だ。そう叫ぶ父の声は誰にも届かなかった。彼は会社をやめさ せられ−−その瞬間平凡な家庭は地獄に変わってしまったのである。母の安いパート収入だけでは生活していけない。親戚を回ったが、得られ た金など雀の涙に等しいもの。助け合いだのと普段は奇麗事ばかり並べるく せに、本当に辛い時は誰も救ってはくれないのだ。借金は雪だるま式に膨れ上がるばかり。毎日家には借金取りが来て、父の 謝る声が聞こえて。段々と居留守を決め込むのが普通になった。 それは−−まだ幼かった不動が、父の首吊り死体を発見するまで続いた。 自分が弱かったから。力が無かったからこんな事になってしまった。 ごめんなさい。それが父の残した遺言。不動の母はそれを見て、荒れ果てた部屋で言った のだった。『明王。貴方は強くなりなさい。強くなって、周りの奴らを見返してやりな さい。』 それが。 不動の記憶にある母の、最後の言葉。『力がなければ、何の意味も無いのよ』生きていく為には強さがなければならない。力こそ、勝利こそ全て。繰り 返された言葉は不動の心を黒く染め上げた。まさしく黒き魔法として。−−所詮この世には、奪う者と奪われる者しかいねぇんだよ。父は弱かったから、奪われる者にしかなれなかった。だったら自分は強く なって、奪う側に回ってやる。やがて町を徘徊し、不動は荒れた生活を送る ようになった。犯罪紛いの事は一通りやっただろう。クスリの類も、かろう じて自分でやりはしなかったが、売る側に回るところまでは堕ちた。 母が心を病んで入院するまで、さほど時間はかからなかっただろう。頼れる親戚もいない。最終的に不動は施設に送られる事になる。そして− −“あの人”に出逢ったのだ。−−愚かな夢を見た。あの人なら。そう、思ってしまった。 失ったモノ。 理不尽に奪われたモノ。家庭が地獄と化してから、母は自分に強さばかり期待するようになった。 頭を撫でて誉めてくれる手はなくなった。叱って叩くばかりの手になった。 学校で良い成績をとって。 家事をすすんでこなして、悲惨な状態の部屋を片付けようと努力して。だけど母は、もう不動を誉めてはくれなかった。愛してはくれなかった。 ただ期待をかけて、まだ足りないまだ足りないと鬼のように叱るばかりにな った。頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って −−でも、何かを変える事は出来なくて。−−あの人だけだった。俺を、必要としてくれたのは。それは−−ひょっとしたら“兵器の一つ”としての意味合いだったのかも しれない。でも、あの人は不動の頭を撫でてくれた。叩いたりしなかった。 嘘でも、愛していると言ってくれた。 だから、自分は。あの人の為なら何だってやると誓った。あの人が望むならどんな過酷な練 習も実験も耐えてみせた。「…馬鹿じゃねぇの、俺」 あの人の一番になりたかった。 あの人に、認められたかった。「愛されたかったとか…マジ馬鹿げてる」 愛情に飢えて飢えて餓えて餓えて。一人で生きていけるなんてのたまいながら、結局愛情にしがみついてもが いていただけ。くつくつと自嘲の笑みをもらした。漸くその程度の心の余裕を持つ事は出 来た。だからといって何が解決するわけでもないのだけれど。「ホント…どうすっかな…」もたれかかるベッド。ぎしり、と軋む音にもいい加減飽き飽きしてきた。 しかし、この入院という名の拘束が解かれても、何もするべき事はない。寧 ろ、何も出来ないと言った方が正しい。思い出したくもない二ノ宮の言葉。アレが正しいのであれば−−自分はあ の人に捨てられたのだ。用済み。出来損ない。捨て駒。帰ったところでそん な自分を歓迎してくれるとは到底思えない。精々、“追放”の烙印を押されて−−今までの比じゃない人体実験のモル モットにされて。廃人になるまでなぶられるのが関の山だ。−−もう帰る場所なんか、ない。 いや、と。自分で自分の言葉を否定する。−−そんなの…最初から、か…。力こそ全て。弱ければ何の意味もない。そう信じ、貫いたのは自分自身で はないか。分かっていたことだ。己が弱者となった時点で、辿る末路など。それにあの人に尽くし続ければ、遅かれ早かれ自分は壊されていた。その 前に現実を思い知らされて放り出された、それだけのことではないか。「何で生きてんのかね、俺…」気がつけば同じ言葉を繰り返している。どうして自分はまだ生きているの だろう。いっそあの潜水艦で、影山のように海に沈んでしまえたら。気が触 れたまま逝けたら、楽だったのに。 どうして生きているのだろう。 どうして−−生まれてきたのだろう。 誰にも必要とされないなら、どうして。−−終わりにしちまうか…さっさと。不意に思い出して自分の右耳に触れる。小さな、赤い宝石のような形のピ アス。その中には、マイクロチップが仕込まれている。エイリア学園で−−エイリア石やら資料やらを拝借する際。何かの保険に とついでに盗み出したものだ。何が入っているかは分からないが、重要機密 には違いないだろう。二ノ宮の机の奥、厳重に仕舞われていたのだから。入 手できたのは殆ど偶然が重なった結果だ。コレが無くなったと分かったら、きっとあの女は慌てふためくだろう。そ れを思うと少しだけ溜飲が下がった。コレを道連れにして死んでやろうか。 最後の最後、一矢報いれるだけマシかもしれない。さて、死ぬとしたら−−どうやって死ぬのがいいだろう。ここは病院だか ら真っ当な道具など手に入らない。飛び降り自殺では、マイクロチップを処 分できないかもしれない。『人が心配して電話してんのに、その態度はなんだ!!あたしはっ…あたしはただ…』 そこまで考えて、不動が思い出したのは“彼女”のことだった。『あんたに…ありがとうって、言いたかっただけで…っ』ありがとう、なんて。そんな言葉を言われたのはいつ以来だっただろう。 何故感謝されるのか分からなくて戸惑った。彼女の声が泣いていなければ、 皮肉られてるのかと苛立ったかもしれない。誰かに感謝されると、胸が痛くなった。彼女の言葉に錯覚させられた。彼 女なら自分を必要としてくれるかも、なんて。そんなわけない。寧ろ自分は約束を破ったわけで、恨まれていつも仕方な い。そう思うのに−−思うのに。『あんたが、あたしに奇跡をくれた。何回だって言う。あたしはあたしの意 志であんたに着いて行った。それを後悔する気はさらさら無いね』 何もかも終わらせようと思っていた。 その覚悟が彼女の言葉で、揺らいでしまった。『もう、迎えは待たない。不動、あんたが自分から未来を変えようとしたよ うに。……あんたはあたしよりずっと前に気付いてた筈だろ。だったら…こ れからだって出来るんじゃないのか』「未来を変える…か」 変えられるだけの未来なんて。自分には、もう。 ガタン!!「!!」 不動の意識は現実に引き戻された。病室の引き戸が乱暴に開かれた音。無遠慮に病室に踏み込んできたのは、 黒ずくめの大柄な男達だった。「…マナーのなってねぇ連中だな。部屋に入る時はノックくらいしろよ」吐き捨てる不動に、しかし男達は何も答えない。不動は舌打ちした。名乗 られるまでもなく、連中がエイリア学園のエージェント達であるのは明白 だ。 目的は、恐らく。「二ノ宮様からの伝言だ」 真ん中に立つ男が、無感動な声で告げる。「貸したモノを返して貰うついでに…我々と一緒に来て貰おう」少しだけ意外に思う。マイクロチップだけが目的と思いきや、自分も一緒 について来いとは。「今更…俺に何の用だってんだ?」 今更。本当に、今更だ。 それにこんな形で、なんて。「拒否権は?」「あると思うか?」「ま、そりゃそうだろうね」「二ノ宮様は仰られた。抵抗するなら…」 ギラリ、と。男達が一斉に取り出したナイフが光った。「持ち帰るのは、死体でも構わんとな…!」その言葉を聞くや否や。不動は反射的に行動に移っていた。掴んだシーツ を、男達に思い切り投げつけたのである。数秒、視界を奪われるエージェント達。その隙に不動は窓から飛び出して いた。幸い此処は二階。滑り降りれば大した怪我もせずに済む。そろそろ病室を抜け出すつもりだったので服も着替えていた。真帝国のユ ニフォーム姿で、不動は走り出す。行くアテなど何処にも無かったけれど。−−…死んでもいい。だけど、二ノ宮の思い通りにさせるのはムカつくんだ よ。 それに。目の前に危機が迫った瞬間、願ってしまったのだ。 最後に一度だけでいい。小鳥遊の声が、聴きたいと。 NEXT |
僕の吐くコトバ、吸って息絶えて。