挫けそうな時、傍にいてくれたひと。
情熱は消せない、君がいる限り。
 導け、切り開け、自分だけの未来。
時代を変えろ、戦士達。
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
4-13:王に仕えし、騎士の贄。
 
 
 
 
 
 自分はもう一生、悪夢から逃げられない。弱冠十四歳にして、エドガー=
バルチナスはそれを悟っていた。
 
『よぉ、お高く止まった騎士サマ』
 
 人間の中に渦巻く、汚物。それらを纏めて集めたかのような、厭らしい男
の声。暗闇の中、ギラギラの光る眼を、エドガーは嫌というほどよく覚えて
いる。
 その眼にあったのは下衆な興味と、低俗なプライド。人を人とも思わない
見下した感情。それだけでエドガーは悟らざるおえなかった。彼らは本当に
−−知っているのだ、自分の“正体”を。
 イギリス代表チーム、ナイツ・オブ・クイーンのエースストライカーにし
てキャプテン。自分が代表を率いるのは色々ひっくるめてこれが三度目にな
る。故に、長年良くも悪くも注目を浴びてきたし、テレビの露出も少なくな
かった。
 大袈裟な表現だが、いつの間にか公人にも近い扱いなのである。変装無し
で表を出歩く事も出来やしない。つまり、それだけ逆恨みも買いやすい立場
なのである。
 宿舎のポストに無記名で投函されていた手紙。そこには、エドガーとバル
チナス家が長年隠し続けてきた秘密が記されていた。つまり、脅迫文。バラ
されたくなかったら一人で指定の場所まで来い−−と。
 愕然とさせられた。もしこの事実が公表されたら自分と家だけではない−
−ナイツ・オブ・クイーンも、下手したらイギリスという国そのものに迷惑
をかける事になる。自分が代表を降ろされるだけならまだいい。だが、心か
らサッカーを愛している仲間達を傷つける真似だけは絶対に避けたかった。
 ゆえに。エドガーは誰にも告げず、たった一人でこの暗い路地裏にやって
来たのである。仲間達を守る為に。そして−−知るべき事を確かめる為に。
 
『…どうやって、知った?バルチナス家の権力は知っているだろう』
 
 何かが、おかしい。
 こんなチンピラ共が手にできるような安い情報ではない。脅迫状の中に
は、バルチナス家内でも一部の家族しか知らないような事まで書かれていた
のだ。
 
『誰だ?誰が貴様らに情報を売った?』
 
 確かめなければ。仮にこの危機を乗り切れたとしても−−次にどんな事件
になるか分かったものではない。
『ぎゃはははっ!何マジメな顔してんの?』
『教えるわけねぇじゃん、そんな事ぉ!なぁ?』
『そーそー』
 六人の男達は、臭い息と下品な言葉を吐き散らしながら笑う。エドガーは
溜め息をついた。多勢に無勢だが−−ここは力づくで吐かせるしかないか?
 自分ならなんとかできる。エドガーは自らの力を信じていた。バルチナス
家の英才教育で学んだのはサッカーや勉学だけではない。護身術も、ある程
度マスターしている。自分はあまり腕力に自信が無いが、脚力と速さなら誰
にも負けないと自負していた。
 そう。この時までは警戒心の強いエドガーも、危機感を抱いていなかった
のである。
 気配を殺して近付いてきた二人の男に−−背後から羽交い締めにされる
までは。
『つーかまえたっ!』
!!
 気付いた時はもう、遅かった。後ろから現れた大柄な男は、エドガーの身
体を力づくで押さえ込むと−−素早く取り出した注射器を、首筋に突き刺し
たのである。
 途端。がくり、と力が抜ける全身。顔面蒼白になり、望んでもいないのに
後ろの男にしなだれかかってしまう。
『く…ぅ…貴様、私に、何を、打っ…』
『なぁに。大したもんじゃねぇよ。ドコにでもある脱法ドラッグってヤツだ
から』
『な…!?
 ドラッグ。その言葉に、身体中の血が冷えた。
 
『てめぇに拒否権はねぇ。俺らはな…ずっとムカついてたんだ。お前みたく
お高く止まったスター気取りの野郎が』
 
 そんなくだらない理由で、ここまでするのか。そう怒鳴りかけ、うまく舌
が回らない事に気付いた。
 
『俺らのストレス発散に付き合ってくれりゃあそれでいい。そうしたらお前
の秘密は黙っててやるさ』
 
 男達が取り出すナイフ、鈍器、次の注射器、縛り上げる為のロープ。さら
にはデシタルカメラとビデオカメラ。何をする気か、何をされるのかを理解
した。理解してしまった。
 奴らは、自分を。
 
『クスリでぶっ飛んじまえ。みっともねぇ姿、残らず撮してやんよ』
 
 身体に伸びる手。痛み。苦しみ。羞恥。嫌悪。
 
 
 
 
 
 エドガーは、地獄を見た。
 
 
 
 
 
 生きたまま身体中を切り刻まれた上で−−手酷く暴行されたのだから。
 
 
 
 
 
「−−ッ!!
 
 エドガーは声にならない叫び声を上げて、ベッドから飛び起きていた。ど
くんどくんと鳴り続く心臓の音が煩い。耳につく。この鼓動を止めてしまえ
たら−−何度そんな事を思っただろう。
 
「はぁ…はぁ…ッ…また…!」
 
 まただ。またあの夢を、見た。エドガーは夜着の胸の辺りを掴み、荒い息
を整える。落ち着け、落ち着くんだ、と繰り返し念じる。あの夢は、確かに
過去実際に起きた事。だけどもう、ずっと前の事じゃないか、と。
 
−−弱いな…私は。
 
 自嘲の笑み。本当に情けなくて、涙が出そうになる。こんなに弱い自分だ
から。脆くてみっともない自分だから。ああやって蔑み、見下す輩が現れた
のだ。全部全部、自分のせいだというのに。
 未だに夜も眠れないほど怯えているなんて−−本当に、どうかしている。
 
「エドガー、起きたのか?」
 
 コンコン、とノックの音。ドアの外から聴こえる声は、覚えのあるものだ。
時計を見る。もうすぐ、正午。もうそんな時間だったのかと驚かされる。
 どうやら随分長く寝てしまったらしかった。
 
「起きている。入ってくれ」
 
 ドアを開けて入ってきたのは、銀髪を逆立てた精悍な顔立ちの青年、フィ
リップ。エドガーの幼なじみにして、ナイツオブクイーンの副将を務める男
だ。
 彼はエドガーの顔を見るなり、手に持った紅茶の御盆を置いて眉を寄せ
る。
「…酷い汗だ、エドガー。また、あの夢を見たのか?」
「…お前に隠し事は出来ないな」
 ため息をつく。呆れではない、安堵からだ。
 複雑な身の上に厄介な性格は自覚している。そんな自分が唯一、気兼ねな
く接する事が出来るのがこのフィリップだった。
 彼には隠し事が出来ない。
 つまり−−何も隠す必要がない。
 
「…いい加減、立ち直らなければならない時期に来ている。それは、分かっ
てるんだがな」
 
 エドガーは、あの事件後の何ヶ月かの記憶がない。暴行され、瀕死で路地
裏に放置されていたエドガーを見つけたのはフィリップだった。そのまま病
院にかつぎ込まれたものの、長く生死の間をさ迷い、意識を取り戻した後も
人形同然の状態であったという。
 ドラッグを打たれてしまったのも大きかった。精神も肉体も汚染され、回
復にはとんでもない時間がかかってしまったのだ。
 だが本当に恐ろしいのはそこではない。
 身体の傷は完治しても。心の傷が癒える事は無い。エドガーを殺そうとし
た犯人達がまだ捕まっていないのも原因の一つだった。身体に残ったあまり
に残酷な“後遺症”。そして心に刻まれたあまりに凄惨な“トラウマ”。動
かせない身体と恐怖が原因で、エドガーは未だに外に出るのも叶わずにいる。
 なんせ。大人の男達が皆、自分を襲った犯人達に見えるのだ。自宅の執事
や知人、はたまたチーム監督や父親にまで怯えるとあってはどうしようもな
い。
 仕方なく、フィリップ達チームメイトやメイドの女性達に世話になってい
る。それが本当に申し訳なくて、エドガーは彼らの顔を見るたび苦しくなる
のだった。
 今来てくれたのも、昼食の有無について訊きにきてくれたからだろう。
 
「悪いがフィリップ…吐き気がするんだ。今何かを食べられそうにない」
 
 夢のせいだと分かっていたが。胸の奥が詰まったように気分が悪い。正直、
今無理矢理食べ物を押し込んだとしても、すぐ吐いてしまうのが目に見えて
いる。
 フィリップは少し悲しそうな顔をして−−紅茶だけは飲めよ、と言った。
彼も分かっている。今のエドガーは一日一食食べられたらマシな状態だっ
た。足りない分は点滴で補っている。
 
「…医者から聴いたと思うが」
 
 紅茶の用意をしながら、フィリップが言う。
 
「君の選択はどうにせよ。手術は受けるべきだろう。このままじゃ、取り返
しのつかない事になる」
 
 取り返しのつかない。その言葉に、エドガーは笑うしかなかった。フィリ
ップには悪いが、そんな事は今更だ。堕ちてしまった自分、汚れてしまった
自分。そしておぞましい遺物を押し付けられ、誇りを奪われた自分。
 もうとっくに、何もかもが遅いのに。選択肢などあって無いようなものな
のに。
 
「…私もそのつもりで、いる。FFIの開催までもう時間が無い。早く終わら
せなければ…間に合わない」
 
 だがエドガーは、本心を全て噛み殺した。どうせフィリップには見抜かれ
ている。でも口にしない事で、少しは負い目を感じさせずに済むのなら。
 手術をしなければ、きっと自分は死ぬ。でも、それならそれで構わないと
も思ってしまっている。
 生きているのは、あまりに辛くて−−悲しくて。
 
「……実はさ。今日意外な人に会ったんだ」
 
 沈黙を破り、意を決したようにフィリップは言う。
「ヒデナカタ。…知ってるだろ、俺達の世代でも世界的に有名な日本人プレ
ーヤーだ。ここ最近は世界中を旅して回ってるらしくて…この国にも来てた
んだな」
「あのヒデが…?」
 さすがに驚く。ヒデナカタ。日本人にしておくにはあまりに惜しい天才的
プレーヤーだ。確かイタリア代表のキャプテンもやっていた筈。もっとも本
人は武者修行中ゆえ、現在はチームを副将のフィディオ=に任せているよう
だが。
 彼がイギリスに。おかしな事ではないが−−。
 
「あの人、情報網ハンパないから。エドガーの事も、エドガーに起きた事も
知ってたっぽいな」
 
 フィリップはポッケから、手紙とDVDを取り出した。
 
「これはヒデからのお土産だ。俺はもう見た。…是非、エドガーにも見て欲
しい」
 
 あのヒデが自分に。エドガーは今度こそ目を丸くして、手紙とDVDを受け
取った。まずはDVDを見てみるか、と−−室内にあったビデオデッキに差し
込んみる。
 映像はすぐに始まった。映っていたのはサッカーの試合。この国じゃない。
ヒデの母国−−日本の子供達か?
「エイリア学園の、中学校連続破壊事件。…今日本で起きていることだ」
「日本で?」
「ああ」
 フィリップは頷く。
 
「俺もこれを見てからいろいろ調べたよ。相当大変な事になっているらし
い。日本を襲った組織は“エイリア学園”…宇宙人だとか名乗ってるんだ。
死傷者もかなり出てる」
 
 宇宙人とは−−また突拍子もない。
 しかし、それで実際死人怪我人が続発しているとなれば、到底笑い話では
済まないだろう。
 
「奴らはサッカーで攻めてきた。そして彼らが…日本の雷門イレブンが、サ
ッカーで受けて立ったんだ。これはその歴史」
 
 だから、見て欲しいんだ、と。フィリップはエドガーを真っ直ぐ見つめた。
 
「彼らが、教えてくれるよ。白き魔法ってヤツが、何なのかを」
 
 
 
 
NEXT
 

 

飛び込む、次の舞台へと。