私という存在。
この音は終わりまでのカウントダウン?
 永遠など手に出来はしないから。
運命の檻の中、足掻くしかにというの?
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
4-14:翔の、戦乙女。
 
 
 
 
 
 自分に出来る事なんて、本当に小さな事かもしれない。意味を遺そうなん
て、無駄な足掻きかもしれない。
 それでも、と秋は思う。
 それでも−−大切なモノがあるなら、足掻くしかない、と。
 
−−円堂君は、いつも私達を救ってくれた。守ってくれた。
 
 屋上への階段をゆっくり登る。手すりを握る手が汗で滑った。やっぱり緊
張しているのか。しかしそんな自分をどこか冷静に見つめる自分もまた存在
する。
 こんな−−不思議な高揚感は久しぶりだ。そう、かつて一之瀬達とサッカ
ーをしていた頃以来だろうか。
 
−−今度は、私が…キミを助ける番。
 
 錆びたドアの隙間から僅かに漏れる光。ノブに手をかけ、秋は思い切り開
け放った。雨上がりの湿った空気。まるで絵に描いたような美しい夕焼け空
が広がっている。
 その下で。屋上の隅にうずくまる小さな影。その姿に胸が痛くなる。ああ、
こんなにも彼は小さかったのだ。それなのにいつもその背中が広く、大きな
モノに見えていたのは−−きっと。
 
「円堂君」
 
 秋は歩み寄りながら、思う。
 自分は円堂にはなれない。でも。
 その場所に立てば、少しは同じ景色が見えるだろうか、と。
 
「そろそろ、行こうか」
 
 目の前に立つ秋を、円堂はぼんやりとした眼差しで見上げる。その眼は最
後に見た時ほど濁っていなかったが、まだ暗い影は消えていない。
 
「サッカー、しよう」
 
 円堂が何か言うよりも先に、秋は言葉を続けていた。
 
「私と、勝負して欲しいの」
 
 最初、何を言われたか分からなかったのだろう。眼を瞬かせる円堂に、秋
は微笑む。
 大丈夫、怖い事なんて何も無いよ、と。そう我が子を安心させる母親のよ
うに。
 
「ナニワランドで話した事、覚えてる?私、言ったよね。もう一回、サッカ
ー始めるんだって」
 
『私…決めた。この戦いが終わったら…私ももう一回サッカー始める!』
 
「円堂君みたいなGKになりたいって」
 
『ちなみに私、GKになりたいな。円堂君みたいに、チームを守る人に』
 
「今の私じゃ、円堂君の足下にも及ばないって分かってる。私はまだ“守る
人”としてあまりに未熟だって事も。だけど…」
 
『ううん。…絶対、なる!』」
 
「円堂君が私達に教えてくれたモノ。私なりに、証明したい。見て貰いたい。
他ならぬ円堂君に」
 
 人を真に強くするのは勝利の栄光ではない。敗北に与えられた絶望。どう
にもならない深い深い闇を前にして、それでも立ち向かう意志を持てた時、
人は誰より強くなる。
 絶望を知る者が、絶望を知らぬ者に負ける事はない。諦めない心。絆を信
じる心。そんな心の強さ。それこそが真のチカラであり、何より尊い白き魔
法であると−−円堂がそう、教えてくれた。
 だから自分は、示してみせる。円堂が見失ってしまっているというなら、
今度は自分達が引っ張り上げる。それこそが仲間として、いつも自分達を支
えてくれた彼への報恩だ。
 
「…駄目だよ、秋」
 
 いつになく弱気な声で、俯く円堂。
「今の俺に…サッカーをやる資格なんか、ない」
「どうしてそう思うの?」
 言葉を探す円堂を、じっと待つ秋。焦る必要はない。ゆっくり捜せばいい
−−自分の本当の言葉を。
 いつまででも、待っているから。
 
「……俺が、サッカーを好きになったきっかけは…じいちゃんだった。もっ
と好きになったのは、サッカーをやってるとどんどん仲間が増えるって知っ
た時で」
 
 円堂が語り出すのは、彼が彼たる起源。彼のサッカーの、始まりの始まり
だった。
 
「サッカーは俺に楽しさをくれた。友達をたくさん連れてきてくれた」
 
 だけど、と。苦しそうに詰まる声。
 
「だけど今は…その友達が離れていく。みんな…いなくなっていってしま
う。俺に、力が無いせいで…誰一人護れやしない!!
 
 胸の痛くなる言葉。しかし秋は、一言一句聞き漏らしてはならないと思っ
た。彼はここまで辿り着くまで、どれほど葛藤したことだろう。
 
「サッカーと…どう向き合えばいいか、分からないんだ…!」
 
 それは、円堂の心の叫びだった。
 とても大切な筈なのに、それが見えなくなって。大事に守ろうとすればす
るほど手の中をすり抜けていってしまう。弱さを悔いながら、守り方が分か
らなくなって惑いながら。円堂もまた、大きな壁にぶつかっているのだろう。
 
「…前に円堂君は言ったよね。サッカーは、悪い事に使ったり、何かを壊す
為の道具じゃない。それをエイリア学園や…みんなに教えてやりたいって」
 
 ジェミニストームに負けて。力の差を思い知らされた時のことだ。たくさ
ん怪我人を出した。たくさんの涙が流れた。でも円堂は立ち上がって、そう
言った。
 
「サッカーは楽しいもの。そして大事なモノを守る為のもの。…円堂君は間
違ってない。だってそんな円堂君についてきたから、今の私達が此処にいる
んだもの」
 
 どんなに願っても願っても、叶わない事は確かにある。喪って、二度と帰
らないもの。守りきれなかったものも、確かにあるだろう。
 だけど、見失わないで欲しい。
 円堂のおかげで。その強さで。守られたものも確かにあるという事を。
「失くしたモノだけ、数えちゃいけない。今度は私が…私達が見せてあげる。
円堂君が護ってくれたモノを」
「秋…でも、俺は…」
「大丈夫だよ」
 手を差し出す秋。そんな秋を戸惑う眼で見つめる円堂。
 
「大丈夫。怖い事なんて何もないから」
 
 ほんの少し。ほんの少しだけ、勇気を出して。今はこの手を握ってくれた
らそれでいいから。
「ちなみに、拒否権は無いからね?円堂に勝ってやるんだーってみんなにタ
ンカ切ってきちゃったんだから。嫌でも拉致ってくつもりで、今すぐそこに
塔子さんが待機してたりして」
「…な、何ソレ」
「はい。分かったらさっさとする!」
 わざと底意地の悪い笑みを浮かべると、想像したのか円堂がちょっとだけ
苦笑した。やっと笑ってくれたな、と思う。さあ、ここからが本番だ。
 
「円堂君。サッカー、やろうよ!」
 
 躊躇いがちに伸ばされた円堂の手を、秋は力強く引き上げた。
 
 
 
 
 
 
 
 どれだけ逃げたか。どれだけ走ったか。不動はもはや分からなくなってい
た。
 既に日は沈みかけている。夕闇が幸いしてなんとか奴らを撒き、血だらけ
になりながらも埠頭まで辿り着いて。
 倉庫に身を潜めて、電話をかけた。これで気持ちを、全ての未練を断ち切
る為に。お別れを、言う為に。
 なのに。
 
『例え世界がアンタを裏切っても。
 アンタを独りぼっちにしようとしても。
 あたしは、あんたの味方でいるよ』
 
 小鳥遊の声を、言葉を聴いたら。
 
『…仲間でしょ、あたし達』
 
 断ち切るどころか、ますます逃げられなくなってしまった。
 仲間。味方。そんな言葉、初めて聞いた気がする。知識として知ってはい
たし、使わない言葉ではなかった。でも、世界に溢れたソレは全て偽物でし
かなくて−−自分には縁遠いモノだった筈なのに。
 父が敗北者になって。復讐に狂った母はいつも口癖のように言っていた。
偉くなって奴らを見返してやりなさい、貴方を愛しているわ、これは全て貴
方の為なのよ−−と。
 全てを喪い、エイリアに身を寄せて。そうしたら今度は新しい父が繰り返
すようになった。愛していますよ、貴方は大切な私の息子です−−と。
 最初はそのどちらも本物だと信じていた。
 今はそのどちらも信じられなくなった。
 だけど。
 小鳥遊に“仲間”だと言われて−−初めて本当の言葉で言って貰えた気が
するのである。初めて世界に色がついた。初めて、まともに息が吸えた。彼
女は自分に甘い愛の告白をくれたわけではないけれど−−。
 生まれて初めて。
 泣きたいほどの、歓喜を知った。
 
−−ガキの頃、本で読んだっけか。
 
 ありがちな御伽噺。約束されたハッピーエンドのファンタジー。その中に
出て来た女神様が言っていたのだ。
 世界でたった一人。たった一人でいいから、信じてくれる人がいたら−−
貴方は必ず救われる。幸せになれる、と。
 あの時は分からなかったその意味。今は無性に、縋ってみたくなる。
 
−−なぁ、小鳥遊。お前は…。
 
 貴女は。
 そのたった一人に、なってくれるのでしょうか。
 
「痛っ…!」
 
 潤んできた眼を擦ろうとして、傷の痛みを思い出した。これまでの逃走劇
で、既に指の先まで傷だらけだった。手を開くと、ナイフを掠めてバックリ
開いた掌の傷が嫌でも目につく。血がぬるぬると滑って、実に不快だ。
 腹の傷も相当ヤバいが、首を斬られたのもかなりマズかった。頸動脈をや
られていたら即死だったろうから、ギリギリそれは避けたのだろうが−−さ
っきから血が止まる気配がない。このまま放置すれば確実に失血死コースだ
ろう。
 肋を折られたせいで、息をするのも辛い。サッカーボールが凶器になる事
はエイリアで嫌というほど学んできたが−−あの頃はまさか自分が被害者
の側に回るなんて思いもしなかった。
 今まで目を逸らし、悪事に荷担してきたツケが回ってきたというのか。不
動は浅く息を吐いて、どうにか痛みの波をやり過ごす。いつまでも此処に隠
れているわけにはいかない−−早く、決断しなければ。
 マイクロチップを道連れに命を絶つか。
 小鳥遊を信じて助けを待つか。
 
−−声だけ、聴けたら。終わりにするつもりだったのに…よ。
 
 ああ、なんて惨め惨め。負け犬もここまで堕ちられるかと呆れてしまう。
 今、自分は願ってしまっている。
 生きたいと。小鳥遊と、一緒に。
 
−−このままアイツに、何も返せないなんて…嫌だ。
 
 本当は巻き込みたくなんかなかったのに。気がつけば口にしてしまってい
た−−助けて、と。
 この感情を、一体何と呼べばいい?
 
「ぐぅっ…」
 
 全身に走る痛みを堪えながら、倉庫から這い出した。なんとか動き回って、
時間を稼がなくては。一歩動くたびに、ボタボタと地面に滴る血が鬱陶しい。
 嫌だと思った。小鳥遊が迎えにきてくれた時、不細工な死に様を晒すのだ
けは。
 
−−生きるんだ…っ!
 
 最後の意地にかけて。
 最後に残されたプライドにかけて。
 
「ワイルドクロー」
 
 気がついた時には、遅かった。斬り裂かれ、血を噴く胸元を不動は呆然と
見つめる。
 
「あ…」
 
 見つかっていたのか。倉庫から出て来るのを待っていたのかもしれない。
スーツ姿の三人のエージェントが、揃ってニヤリと嗤った。
 あの二ノ宮と同じ、気の触れた笑みを。
 
−−畜、生…!
 
 万事休す。その言葉が脳裏をよぎった。不動の意に反して傾ぐ体。倒れる
体。凄まじい筈の激痛が、もう熱いとしか感じない。いよいよ、マズい。
 結局、ここまでなのか。血の海の中、目を閉じようとした−−その時だっ
た。
 
「不動!」
 
 その声が、耳に届いたのは。
 
「…あ……?」
 
 何で。彼女は福岡にいた筈なのに−−こんなに早く愛媛に来れる筈がない
のに。
 走ってくる小鳥遊が見えるのは、何故だろう?
 
 
 
NEXT
 

 

この命が輝く、与えられた刹那に、どれくらいの焔と出逢えるだろう。