弾き出した答えがまた犠牲に成って。 そんな筈じゃなかったのに、また何かを奪ってく。 いつか君に捧げた歌、覚えてる? 今は哀しいだけの愛の歌、でもね。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 4-17:祈るように、願うように。
円堂が、笑った。 まだ傷だらけの笑顔だったけど、確かに何かを取り戻しかけている−−そ れが分かる顔で、笑った。 夏未はベンチに座り−−叫びだしそうな自分を必死で抑えこまなくては ならなかった。正の感情も負の感情もいっぺんに溢れて混ざり合って、今自 分がどんなみっともない顔をしているかすら想像がつかない。 円堂がサッカーの楽しさを思い出しかけている。サッカーが人を幸せにす る魔法だと思い出しかけている。それは夏未なとっても純粋に嬉しい事だっ た。なんせ自分は、サッカーを楽しむ円堂の姿に惚れたのだから。 けれど。同時にこうも思う。どうしてあの場所に自分は立っていないのだ ろう−−と。
−−…木野さんが言った通りだった。私は円堂君のすぐ近くにいる…つもり になっていただけだった。
一番大切な事が何一つ見えていなかった。 どんなに近くにいても、傍にいても、心まで近付く事が出来た存在は−− 自分では、なかった。
−−円堂君を引っ張り上げたのは私じゃなくて…木野さんだった。
自分が怖くて逃げ出した事に。目を逸らして耳を塞ぐしかなかった事に。 秋は臆する事なく立ち向かっていったのだ。夏未にはどうやっても出来なか った事を、いとも容易くやってみせたのである。 差は歴然だった。否、多分全ての決着は最初から着いていたのだろう。
−−私にも、サッカーが出来たら…。
秋や春奈のように。サッカーができたら。いや、その努力さえしていたの なら。
−−ほんの少しでも…円堂君と同じ景色を見れたのかしら。
円堂の痛みを、悲しみを理解する為に。彼と同じ世界を見れたら、共有す るだけの力が自分にあったのなら。 秋の代わりに自分があの場所に立てたのだろうか。円堂を、救う事が出来 たのだろうか。
−−こんなに、遠いなんて知らなかった。
いつもベンチから試合を見ていた夏未。マネージャー専任である以上、一 緒にフィールドに立たないのは当然だと思っていたし、そこに疑問を持つ事 も無かった。一緒にサッカーが出来なくても、別の方法で役に立てる筈だと、 そう思っていた。多分それも間違いではない。 しかし−−自分は結局、どんな方法でも円堂の支えにはなれていない。こ の距離が仕方ない、マネージャーなんだから当たり前。そう言って諦めるの は、単に自分にサッカーが出来ない事への言い訳に過ぎなかったのだ。 今になって漸く己の醜さと弱さを自覚する。そして思い知る。円堂の存在 はこんなにも遠かったのだと。ベンチからゴールまでの目に見える距離よ り、ずっとずっと。
−−私はきっと、木野さんには勝てない。
サッカーしか見えていない円堂が、特定の伴侶を作る事は一生無いかもし れない。それでも、思うのである。もし彼が選ぶとしたら自分ではなく秋だ ろう、と。 彼女の方がずっと円堂に近い場所にいる。いる為に努力をし続けている。 絶望的なまでに、大きな差。
−−それでも…私は、円堂の助けになりたい。
秋はキャッチしたボールを、思い切り前線に投げていた。隙を見てどうに か宮坂を振り切ったリカが、空中でパスを受ける。 皆が皆、サッカーに必死になっている。どんなに傷つき落ち込んでいても、 一度ゲームが始まれば円堂も集中して身構える。相手の動きを読もうと思考 を巡らす。勝つ為に全力を尽くす。 あの中に自分も入りたい。夏未は、切実にそう思った。
−−私も…円堂君を、円堂君の大切なモノを護れるようになりたい。
辛さも悲しさも苦しさも、全部全部全部受け止めて、受け入れて。一緒に 歩いていけるようになりたい。分かち合える存在になりたい。 強欲と分かっている。でも、昨日までの恥ずべき自分と−−逃げるしか能 の無かった弱い自分と、訣別したい。変わりたい。
−−サッカーが、したい。
サッカーのできるリカや秋に嫉妬して、暗い感情をぐるぐる回すだけの 日々はもうたくさんだ。 正直努力は嫌いだけれど。円堂の為なら、と思う。円堂の為なら全て投げ うてると思う。本当に本当に、大好きだから。生まれて初めて自分より大事 と思えた人だから。
−−待ってるだけじゃ駄目なんだわ、きっと。
「行くでぇっ!通天閣シュート!!」
リカがシュートを放つ。彼女の新必殺技だ。あの大阪名物の高い鉄塔を駆 け下りるかのように−−天から墜落するシュートが、円堂の護るゴールに向 かっていく。 思うより先に、夏未の体は動いていた。ベンチから立ち上がり、叫ぶ。
「頑張って…円堂君!」
思っていた以上に大きな声が出た。円堂の事だけしか頭になかった。 立向居も言っていたように。円堂のサッカーは同じピッチに立った者のみ ならず、見る者も惹きこんで魅力する。そして生きる勇気を与えてくれる。 忘れないで、と。そう言いたかった。貴方は貴方のサッカーを忘れないで、 と。
「円堂君のサッカーは…私達みんなに元気をくれたわ。だから…」
幸せを、くれた。 こんな素敵な気持ちを教えてくれた。 だから。
「誇りなさい!貴方は貴方のサッカーを!!これは理事長の言葉と思って貰 って構いません!!」
円堂がこちらを見る。そして、まだ弱々しいけれど笑ってくれた。夏未を 見て笑ってくれた。自分は単純だ。たったそれだけで、天にも昇る心地なの だから。
「サンキュな、夏未!」
円堂は再びボールと向き合い、必殺技の構えをとった。拳を大きく後ろに 引いて、パワーを溜め込む。
「爆裂パンチ!」
十回、百回。繰り返し繰り返しボールに叩きつけられる激しいパンチ。衝 撃がシュートの威力を殺ぎ、ボールがまるで生き物のように震える。 だが、完全に殺しきるにはパワーが足りなかったようだ。トドメの一撃を 弾き返され、円堂の体が後ろに転がった。ゴールネットにシュートが突き刺 さる。 1対0。なんと秋チームの先制だ。
「ふふん、見たか、うちの通天閣シュート!なかなかの威力やろ?」
腰に手を当て背中をそらし、リカが得意気に鼻を鳴らす。
「ああ。…いつの間にあんなシュート開発したんだよ?すっげーな!」
点を取られたというのに、なんだか円堂は嬉しそうだ。顔を輝かせてリカ を見ている。そう、強敵に会ってワクワクを抑えきれない時、円堂はいつも こんな顔をしていたっけ。 すぐ隣で、見てみたいと思った。こんな遠くからじゃない、もっともっと 近い場所から。
−−新しい風は…自分から起こさないと。
夏未は密かに決意する。 全てが片付いたらその時は、秋や春奈に本格的にサッカーを教わろう、と。
これだ。この感じだ。 円堂はゆっくりと手を開く。ビリビリと痺れるような痛みが拳に残ってい る。シュートと重み。シュートを受けると、そこに込められた想いもまた伝 わってくる。魂が震え、心が騒ぐ。 自分がGKになったのは、祖父が同じポジションだったからというだけじ ゃない。シュートを受ければ受けるほど、相手の気持ちが理解できる。これ 以上ない素晴らしい守り手たからだ。
−−リカも本気で俺にぶつかってきてくれてるんだな…。
彼女にも不安や葛藤はあるのだろう。円堂に話す事も話さない事も全部含 めて。 そんな想いの全てを込めて放たれた一撃には、同じだけの重みがあった。 強さがあった。 シュートを受ければ受けるほど分かち合える。それがサッカーだと、はっ きり思い出す。
−−本気の相手には、本気で応えるのが戦いの礼儀だ…!
今まで自分は本気で戦ってきた。どんな相手にも全力でぶつかってきた筈 だ。 その果てに悲しい事もたくさんあったけど。どうにもならない悲劇や、取 り返しのつかない罪もあったけど。本気になってサッカーに挑み続けてきた 事は−−間違いじゃ、ない。 だってこんな自分にも、真摯に向き合ってくれる仲間達がいるのだから。
『どうか、忘れないで下さい』
立向居の言葉の意味を、理解する。
『貴方のサッカーで、幸せになった人間が、ここにいるってことを』
自分のしてきた事全てを否定したら。今、円堂に必死でぶつかってきてく れている者達の想いも−−円堂のサッカーを信じて此処に立っている者達 の幸せも、否定する事になる。 きっとそれは何より許し難いことだ。同時に、あまりにも悲しいことだと 思う。
−−俺は確かに、たくさんのモノを守りきれなかった。だけど。
あと一歩足りないモノがあるというなら。 そのあと一歩を埋めれば、今度は守れるかもしれないということ。
−−足りないのは、勇気だ。
決断し、踏み出す勇気。何度倒され痛みを味わっても立ち上がる覚悟。自 分を信じてくれる仲間を信じ抜く決意。
「大事なのは…諦めない事だ」
皆が教えてくれた。 諦めない心が、本物の強さに、力になるという事を。
「宮坂!レーゼ!立向居!!」
円堂は顔を上げ、仲間達の名前を呼ぶ。三人が振り返る。“今”、このフ ィールドで、同じチームで戦う彼らがこちらを見る。何かを問いかけるよう に、投げかけるように−−信じるように。
「あと三点!絶対勝つぞ!!」
勝つ事が絶対なのではない。 大切なのは勝ちたいと願い、その為に努力を惜しまない気持ちだ。これは 円堂なりの一つの答えであり、意思表示。 「……ああ、勿論だ円堂!」 「当たり前ですよ!!」 「負けてられられませんからね!!」 レーゼ、宮坂、立向居の答えは予想したままだ。その事に安堵し、また背 中を押される自分がいる。
「立向居君!」
こちらのボールで試合再開。レーゼがパスを出し、立向居が駆け上がる。 宮坂が秋チームのメンバーを牽制している間にレーゼは最前線に上がる。さ っきやられた戦法のお返しだ。 とはいえそれは向こうも承知している事。秋の指示通り、春奈がレーゼの マークに走る。 「行かせませんよ!」 「フッ…それはどうかな?」 レーゼの手に紫色の光が集まる。何が来るか悟ってか、春奈が一瞬身を引 いた。が、今気がついてももう遅い。
「ワープドライブ・改!」
円堂は目を見張った。イプシロン戦で見た時より遙かに予備動作が短くな っている。この短期間で技を進化させてきたというのか。 異空間へのワープホールを作り出し、悠々と春奈を抜き去ったレーゼ。そ の彼に、立向居からパスが出る。レーゼはうまく空いたスペースに走りこん でいる。完全にフリーだ。
「アストロブレイク…V2!」
以前より遙かに威力が増したシュート。ゴールを護る秋が技の構えを見せ た。今度はゴッドハンドではなく−−。
「熱血パンチ!」
まったく恐れ入る、と円堂は思った。熱血パンチは破られ、レーゼのシュ ートはゴールに突き刺さったが−−まさか彼女がここまで円堂の技を勉強 してくるとは。 新しい発見がある。ワクワクがある。だからサッカーは、こんなにも楽し い。
「よし、もう一点だ!」
だから、きっと大丈夫。 自分はまた、歩き出せる。
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感情一つ消しても、楽にはなれないから。