乾いた叫びが突き刺す。 胸を貫く枯れた夢。 新しい世界を見たくて、僕は君を誘うから。 どうかこの手を、共にこの先へ。 この背中に、白い翼は 無いとしても。 4-20:誰かの捧ぐ、一つの歌。 小鳥遊の実力は、自分の思っていた以上であったらしい。不動は純粋に感 嘆した。だってそうだろう−−重傷の不動というお荷物がいるにも関わら ず、彼女は次々追っ手を突破していくのだから。無論、それは力押しの突破ばかりではない。時に相手の隙を突いてやり過 ごし、奇策を用いて足止めする。自分より余程策士に向いてるんじゃないか と思う。埠頭を抜け、どうにか寂れた商店街まで辿り着いた。閉店、や休業の張り 紙が目立つ通りは人通りがまばらである。幸か不幸かは微妙なところだ。路地裏に隠れ、漸く休憩を取る事が出来た。ずっと不動を背負ってきた小 鳥遊もさすがに息が上がり始めている。不動自身も限界に近かった。彼女い わく、待ち合わせ場所まであと少しだという。「ちょっと休んだら、行くよ。隠れる場所なんかたかが知れてる。いずれ見 つかるだろうしね」小鳥遊はポーチから注射機を出すと、有無を言わさず不動の腕に突き刺し た。彼女があまり器用でないのは真帝国の時に見ている。少々不安だったが、 どうやらうまくいったようで、段々と痛みが和らいでいった。「…お前に、看護士の真似事される時が来るとはなぁ…」「はは、あたしもビックリ。真帝国じゃ、マネージャー兼任してたのアンタ だったもんね。見た目によらず器用だから驚いたわ」「見た目によらず、は余計だ…」どうやら副作用で眠くなるらしい。頑張って意識を保たなければ。ただで さえ血を流しすぎて目眩が酷いのだ。今眠れば“永眠”にはならずとも、当 分目が覚めなくなるのは分かっていた。「……お前が」 まだ、眠りたくない。「お前が、まさか本当に…助けに来るなんて、思ってなかったぜ」訊きたい事がたくさんある。小鳥遊と話していたい。だって−−もう二度 と逢えないと思っていた存在に、逢う事が出来たのだ。自分はその為だけに、 死なないで足掻いていたのだから。こんな身体でこんな状況。いつ最期になってもおかしくないのなら。精一 杯、後悔しない方法を捜したい。最期の、一秒まで。「信じたら、裏切られる。人を信じるって事は、いつか裏切られる事で…騙 されるのは信じた方が馬鹿なんだ。…人間ってそういうもんなんだろ?」 信じてしまったから、父は裏切られて自殺に追い込まれた。自分もまたエイリアを信じてしまったが為に敗北者に堕ち、今こんな無様 な姿で地面を這いずり回っている。「だから……独りで生きていくしかないって、思ってた。壊される前に壊し ちまえ。奪われる事なんざないように…奪う側に回ればいいって」 そう、思っていたのに。「何でか…また、誰かを信じちまってんだ。また裏切られるってそう思って た、のに」 独りきりの世界に、いつの間にか−−君がいた。「何で、お前は来たんだよ」 彼女は、裏切らなかった。不動が信じたまま現れて、望んだままの言葉を投げて。たった一人で、助 けにきてくれて。縋りついてしまった。独りきりでいた筈なのに、孤独には慣れていたのに。 その背中の温もりを知ったら、抜け出せなくなっていた。 もう離れられない。そう思ってしまったのだ。「…何でだろうね」 不動の傷を見て、不器用に止血をしながら小鳥遊が言う。「あたしにも、よく分かんないや。ただ」腹の傷にガーゼが当てられる。みるみる赤く染まる布に彼女は眉をひそめ た。思っていた以上に傷が深いらしい。吐血した事を考えると内臓もやられ ているかもしれない。「最近。…気がつくとアンタの事ばっか考えてて。アンタの電話をずっと、 待ってた。だって最初から分かってたんだもの。アンタが独りで生きようと 壁を作るのは…失うのが怖いから、本当は誰より孤独を恐れているからだっ て」そんな訳ないだろ、とは言えなかった。実際自分は孤独を恐れて、だから あの人の愛情に縋りついていたのだから。「だから。…アンタがあたしを必要としてくれた事が、嬉しかったのかな」包帯を巻く手が、温かい。下手くそだけど、それでもいいと思った。そこ には確かに、彼女の気持ちが込められていたから。「誰かに必要とされて…嬉しくないわけ、ないじゃない。アンタなら分かる でしょ」「…そうだな」 自分でも驚くほど素直に同意する。「信じたら絶対に裏切られるとか。アンタがなんでそう思うようになったか は分からない」 だけどね、と小鳥遊は続ける。「そうやって生きるのって…幸せじゃないでしょ?」 幸せ。ああそんな事、ずっと考えてなかったなと思う。自分の為だけに生きてきた筈なのに。幸せになれる日が来るなんて思って いなかった自分がいる。そう、今日の今日までは。「雷門の連中はさ。辛い試合も…悲劇もたくさんあった筈なのに……どっ か、幸せそうなんだ。何でかなって思った。答えはすぐに出たよ。あいつら は…信じあってるから、笑ってられるんだ。仲間を、自分を…自分達のサッ カーを」 信じる事が、幸せ?「信じたら…信じて貰える。あいつらはそう思ってる。それは必ずしも正し い事じゃないかもしれない。でも…」小鳥遊は微笑む。普段は男勝りな彼女なのに−−それはとても女の子らし い、優しい笑顔だった。まるでそう、母親にでもなったかのような。「あたしはあいつらと一緒にいるの…悪くないって思ったし。楽しかった よ。あいつらとサッカーするのは」もしかしたら、彼女も変わったのだろうか。だとしたら彼女を変えたのは −−変えたのは。「今すぐどうこうしろ、なんて言わないからさ。不動」「…うん」「幸せになる方法、探してみない?」触れられた指先を。不動は何も考えず、握り返していた。飢えていたもの、 欲しかったものが今目の前にあるのだと気がついた。「あたしも、手伝ってやるからさ」 気付いてしまったら。涙が出そうになって−−慌てて不動は首を振って誤魔化した。赤くなった かもしれない顔を俯いて隠し、小さく呟く。「…馬鹿が」何て言えばいいか分からなくて。そんな単語しか出てこない自分。思って いた以上に、自分は言葉を持っていなかったのだと知る。優しい言葉なんて、 尚更だ。それでも小鳥遊には、不動の心が伝わったのかもしれない。アンタは口を 開くとそればっかり!と彼女は笑った。「…仕方ないから」 不動は思う。ずっと死のうと思っていた。二ノ宮への嫌がらせさえ果たせれば後の事な んかどうでもいい、終わらせてしまえばいいと思っていた。それが出来なくなったのは−−出来なくさせたのは。自分がかつて騙して 攫った筈の、一人の少女。「生きてやるよ。…一緒に」生きたいと、生まれて初めて心から思った。彼女と一緒に、生きていきた いと。 小鳥遊は弾けたように笑い出した。「あはははっ…相変わらずツンデレすぎ!」「う、うっせぇよ!」「そんな真っ赤な顔で凄まれても迫力ゼロだから!あははっ…」もしかして。これが“幸せ”という感情なんだろうか。ずっと昔に置き去 りにしたままだった気がする。 何かを言おうとして不動は口を開きかけ−−。 パァン。 次の瞬間。 笑顔が、凍りついていた。「え…?」小鳥遊の肩から、じわり、と赤が滲んだ。暫く二人は呆然とその様を見て いた。現実を認識するまでの、僅かな間。 その間が−−命取りになった。 パァン! パァン! パァン!! さらに、乾いた音が三つ。小鳥遊の腕から、足から、腰から、次々と赤い飛沫が上がって−−その度、 踊るように彼女の身体が跳ねた。「あっ…」 小鳥遊の眼が、大きく見開かれて。「あああああっ!!」 悲鳴が、上がった。彼女が撃たれたのだ。不動はそれをようやく認識して、 倒れかける身体を慌てて支えた。全身の傷に響いたが構ってなどいられな い。「小鳥遊っ!小鳥遊っ!!」 「ぐ、ぁ…」痛みに歪む少女の顔。彼女の手足を、不動の手足を、伝い落ちていく赤い 滴。顔を上げた不動は見た。路地裏の入口。銃を構えて立つ男の姿を。「何でだ…っ」 ぎっ、と。音がしそうなほど強く、不動はエージェントを睨みつけた。「何で撃った!?お前らの狙いは俺だろうっ!!こいつは関係ねぇだろうが っ!!」 怒りで頭が真っ赤になっていく。抱きしめた腕の中、小鳥遊が呻きを噛み 殺す気配があった。急所は撃たれていない。だが太ももに当たった弾は貫通 せず、体の中に残ったままになっている。激痛、なんてものではない筈だ。 その事実が、ますます不動を激情に駆り立てた。「二ノ宮様の御命令だ。邪魔をする者は全て敵。徹底的に排除せよ、と」サングラスごしでは男の表情は窺えない。人を撃ったとは思えないほど無 感動な声だった。「そして…貴様に絶望を贈れと。残酷であればあるほど好ましい、とな」「…っ…あの下衆がっ…!」あの女の、喜悦に満ちた笑みが見えるようだった。もしかしたらこの鬼ご っこも、不動を苦しめる為にわざと長引かせていたのかもしれない。悔しさ に唇を噛み締める。血の味が、苦い。「最終通告だ。マイクロチップを渡せ。あれは沖縄での実験を完成させる為 に必要なものだ」 沖縄?意外なキーワードに、不動は眉を寄せる。だが疑問はすぐに吹っ飛んだ。 男が次に放った一言で。「我々と来い、不動明王。…いや…」 空気に、罅が入る音が、した。「元・エイリア学園サードランクチーム“タルタロス”キャプテン ……リバースよ」「黙れぇぇっ!!」 不動は叫んでいた。怒鳴るというより絶叫に近い声で。「それはもう捨てた名前だっ…俺はもう“リバース”じゃねぇ!!」 エイリアの、サードランクチームのキャプテンとしての不動の名前。それ が、リバース。最初は誇りだった。しかしやがてそれは、自らを縛る鎖にな った。だってそうだろう。今でさえ−−その名を聞くと思い出してしまうのだ。 あの人に愛されていると信じていた、確かにあの人を愛していた過去を。「お前の感情など、どうでもいい」エージェントは一人、また一人と増えていく。恐らく連絡を受けて散らば っていたメンバーが集まってきているのだろう。最初の男はどれだけ不動の怒気を浴びせられても臆する気配すらない。も しかしたら彼らもまたアルルネシアに洗脳されているだけなのだろうか。「お前の選択は二つに一つ。生きて我々と共に来るか…それとも」 黒光りするいくつもの銃口が向けられる。不動に、そして小鳥遊に。「その娘がのた打ち回って死ぬのを見てから、死体になって我々に従属する かだ」どうすれば、いい。不動は銃口を睨み据えて、必死に考え続けた。ああき っと、少し前の自分なら迷いはしなかったろうに。 確実に迫るその時を前に。不動は今真正面から向き合わされていた。己の真実と−−その先の未来を賭けて。 NEXT |
目を閉じて、心で斬れ。