その日がはとても寒くて。 冷たい雨が始まりと終わりを告げていた。 時が微量、一瞬だけ。 針と止めた、セカイ。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 4-21:護ること、愛すること。
不動明王は考える。 今までの自分にとって、一番大切なモノは“誇り”だった。気高く生き、 常に勝利者の側に立つ事。それができる力を誇示し続ける事こそ、不動が不 動たる証明に他ならなかった。 だから。 こんな日が来るなんて−−一体誰が想像しただろう? 目の前に立つ男達を見る。エイリア学園のエージェント達。ここで彼らに 屈し、マイクロチップと己の身柄を受け渡す事は、不動にとって敗北に他な らない。死よりも耐え難い屈辱。一番大切な“誇り”を汚される事だった。 なのに。今、自分はその選択をする事を考え始めている。向けられる銃口 が恐ろしいのではない。今拒否の意志を示せば弾丸が貫くのが自分ではない と知っているからだ。
−−最初は何とも思っちゃいなかった。女にしとくにゃ惜しい実力と、度胸 だと思っただけで。
腕の中の小鳥遊を見る。激痛に苛まれながらも、意識を失う事さえ赦され ない少女を。
−−だけど。…気がついたら、こいつなら隣にいても悪くねぇって…思うよ うになってて。
死ぬかもしれない。 明日の朝日は拝めないかもしれない。 そんな時になって−−思い出したのは彼女の顔で。声が聴きたい、死ぬ前 に一目逢いたいと願ってしまって。
−−こいつだけが、俺を裏切らなかった。
助けて、と願ったら。 本当の本当に、たった一人で助けに来てくれた。 不動は気付かされる。自分が一番欲しかったものが何であるのかを。彼女 の存在の大きさを。
−−小鳥遊だけが…俺の味方になってくれた。
こんな風に思ったのは初めてだ。 誇りを棄ててでも誰かを護りたい、だなんて。
「……もし」
世界でたった一人の、味方だから。
「もし俺が、大人しくお前らに着いて行ったら」
彼女がいなくなったら、自分はたった独りになる。 体は生きていても、心が死んでしまうから。
「小鳥遊には…これ以上手を出さないってのかよ…?」
−−こいつだけは、俺が護る。
「不動!」
小鳥遊が悲鳴に近い声を上げた。
「馬鹿な事言ってんじゃない!こいつらに着いて行ったりなんかしたら、ど んな目に遭わされるか…っきゃぁ!」
再び銃声。銃弾は小鳥遊の脹ら脛を貫いていた。さらに引き金に指がかか るのを見て、不動は反射的に−−彼女に覆い被さっていた。 「ぐぁっ!」 「不動!何やって…!?」 「うっせぇ、よ!」 背中に食い込む鉄の楔。焼けるように熱くて、衝撃が全身を貫いて。 だけど頭だけはハッキリしていた。自分がやらなくてはならない事も、や りたい事も。
「てめぇが俺の、味方なら…。俺がお前の味方、だろ…」
意識が朦朧としてきた。 ダメだ。まだ倒れるわけにはいかない。
「護ってやるよ。…仕方ねぇ、から」
少なくとも彼女を助けるまで、死ぬわけにはいかない。 「馬鹿不動!どきやがれっ、あたしより酷い怪我のくせにっ…」 「うっせぇ…黙れよ」 「黙るか馬鹿!」 馬鹿馬鹿ってさっきからそればっかりだな、と思う。なんだかおかしくな ってしまってつい笑みが零れた。 ああ、だからそんな顔しないで。 そんな泣きそうな顔が、見たいわけじゃない。 「うぁっ!」 「あああっ!!」 折り重なり、庇いあう二人の子供に大人達は容赦なく銃弾を打ち込む。小 鳥遊の背に、腕に、不動の脇腹に、脚に。地面に広がる赤い海はどんどん大 きくなっていく。
「…早く、決断するがいい。手遅れにならないうちにな」
その姿に何も感じていないのか。男は無感動に言い放つ。
「次だ。次で女を殺す」
ガチリ、と撃鉄を起こす音がやけに大きく響いた。
−−俺、は…。
さっきはああ言ったが。思えば自分が彼等に従ったところで、小鳥遊が助 かる保証は何処にもない。手を出さないと約束した上で平然と踏みにじるの がアルルネシアのやり方だった−−ジェミニストームが追放された時もそ うだったように。 それに。自分がYESと答えたところで、小鳥遊がYESと言うとは限らない。 彼女はきっと抵抗するだろう。不動を助けようとするかもしれない。エージ ェント達がそれを見逃すかと言えば−−答えは否、だ。
「ふ、どう…」
弱々しく、小鳥遊が不動の血だらけのユニフォームの裾を握る。
「分かってんだろう、ね…?アンタが一番欲しいモノは…何?」
一番、欲しいモノ。 不思議な事にその言葉を聴いた瞬間−−不動の迷いは、晴れた。
「俺、の…欲しい、モノは……」
何者にも縛られない生き方をしていたつもりだった。敗北者と化した父と 壊れた母の面影のない場所に逃げ、強さを振りかざし、欲しいモノは全て力 で手に入れてきたつもりだった。 でも。実際自分は、何も手にしちゃいない。どうでも良い事はうまくいっ ても、一番欲しかったモノは手に入らない。気ままな人生を送ってきた筈が、 気がつけばいつも自分は籠の鳥だった。最初は母で、次はあの人で、影山で、 二ノ宮で。大人達の手の上で踊らされ、束縛され。その結果こうして最期を 迎えようとしている。 それでもいいかもしれないと思ったのは−−最期の最期で、一番欲しかっ たモノが一つ手に入ったから。 だけど。 やっと手に入ったかもしれない“絆”を−−死によってすぐ手放さなくて はならないなんて、そんな理不尽を許していいのか。抑え込もうとしていた 不満が爆発する。イヤだ、と叫ぶ。 やっと欲しかったモノが見つかったんだ。 だから−−もう、失いたくない。 そして、失わない為に必要なモノは。
「俺が…今。一番、欲しいのは……」
誰かに決めつけられた人生じゃない。 勝利が死ぬほど欲しかった事もあるけれど、それはあくまで“目的”の為 の“課程”だと気がついた。 勝ち続ければ、力さえあれば手に入ると思って、しかし手に入らなかった それは。
「それは……自由だ」
誰かの駒としてじゃない。たった一人の個人として、不動明王として生き て死ぬ権利を。 絆も、愛情も、決めつけられない人生も。全てを手にする為に自分は−− ずっと、自由になりたかった。心まで、魂まで。
「二つに一つの選択、だぁ?んな事、お前らに決めつける権利があんのかよ」
体中がみしみしと軋む。激痛と共にあちこちから噴き出す鮮血。 それでも、不動は動いた。
「今分かった。…生きる場所も死ぬ場所も…誰かに強制されるなんざ理不尽 極まりねぇって事がな。だから、お前らが望む答えなんかくれてやらねぇっ」
血だらけで、意識をさまよわせながら。
「選ぶのは、三つ目の選択!」
不動明王は、立ち上がる。
「こいつと共に…“自由”に生きてやらぁっ!!」
全ては、生きて幸せになる為に。
「ジャッジスルー!!」
怪我を思わせぬほど身軽な動きで跳んだ自分に向け、エージェントが引き 金を引くのが見えた。銃弾が肩を掠め、血を噴いたが不動は止まらなかった。 相手を潰す為の、危険なドリブル技。それはこんな格闘でも役に立つ。ボ ールを介してないのだから威力はさらに増す事になる。 不動に思い切り腹を蹴り飛ばされた男は吹き飛び、後ろにいた男に激突し た。それを見て怯んだのか、一瞬動きが止まった三人目に不動は畳みかける。
「キラースライド!!」
脚を思い切り突っかけられ、転倒するエージェント。思い切り頭を打った ようで、そのまま動かなくなる。まさか死んだわけではないだろうが。
「はっ…一人でかっこつけてんじゃないわよ、不動」
よろけながら、小鳥遊が立ち上がった。痛みをこらえつつ、しかし不適な 笑みを浮かべて。 「何の為にあたしが助けにきたのか…危うく分からなくなるとこだった。ア ンタって意外に鈍感だね」 「うっせぇ。ってかそれはさりげない告白か?」 「好きに解釈しなよ。…まぁとにかく」 彼女は不動の隣に立ち、まだ立ち上がろうとする男達や援軍のエージェン ト達を睨み据えた。
「助けにきたのはあたしな訳で。つまりあたしがヒーローな訳で。…あたし にもカッコつけさせて欲しいのよね」
その言葉で、彼女の意図が分かった。小鳥遊は“あの技”でケリをつけよ うと言っているのだ。本来ならば真帝国と雷門の試合で使う筈で−−しかし 完成が間に合わなくて使用が見送られたあの技を。
「…未完成だろ、アレ」
確かにサッカーボールはある。追っ手の一人から拝借してきたのが一つだ け。
「他に打開策あんの?」
あれ以外の技で、あの数ぶっ飛ばすのは厳しいと思うんだけど、と小鳥遊 は言う。それもまた正論ではある。
「…ち、仕方ねぇな」
今まで、計算ずくの戦いばかりしてきたのに。最近は行き当たりばったり に行動してばかりだ。 だけでそれも、悪くないと思っている自分がいる。
「信じてやるよ…お前を」
生まれて初めて、自分の意志でその言葉を口にした。信じる。その一言を。 「…ありがと。プロポーズだと思っておくわ」 「誇大解釈って言わねぇ?それ」 「乙女の夢壊すなっての、馬鹿不動」 「乙女ってガラかよ、お前が」 「ひっど!それあたしに失礼!!」 つい二人で吹き出してしまった。こんな状況だと言うのに。笑って、不動 と小鳥遊は口を揃える。この世界で、確かに学んだ事を。
「「大事なのは…諦めない事だ!!」」
一人の少年と一人の少女の身体が、宙へ舞い上がる。打ち上げたボールを、 二人の脚が同時に蹴りつけた。
「「キラーフィールズ!!」」
ボールを中心に、紫色のオーラが渦巻く。ボールに加わった凄まじい回転 が竜巻のようにオーラの突風を巻き起こし−−集まってきていた追っ手達 を根こそぎ吹き飛ばしていた。
「くっ…!」
なんて威力だ。着地した不動は、技に巻き込まれないように地面にしゃが んで地面にしがみつく。完全とは言い難い完成度。なのにここまでのパワー があるなんて−−まったく恐ろしい。 そしてもう一つ恐ろしいと思う。皇帝ペンギンといいキラーフィールズと いい。これらの技をたった一人で開発し、自分達に伝授した−−影山零治と いう男の才覚を。
「さぁ、道は…開けたぜ」
荒い息を整えながら、不動は隣に座り込む小鳥遊を見る。
「あともうちょいだ。奴らが気絶しているうちに、さっさと行くぜ」
そうだね、と。強気な彼女の声が聞ける筈だった。しかし期待した返事は なくて−−不動は目を見開く。 ゆっくりと。傾いでいく小鳥遊の身体。倒れていくその様が、スローモー ションのように瞳に映った。
「小鳥遊…!?」
支える手が血で滑った。彼女は真っ青な顔で、荒く息を吐いている。不動 の顔から一気に血の気が引いた。
「小鳥遊!しっかりしろ、おいっ!!」
ぽつり、と叫ぶ不動の頬に落ちる水滴。空はいつの間にか真っ暗に濁って いた。ぽつり、ぽつりと降る雨粒。その間隔が徐々に短くなっていく。 雨がまた、降り出した。
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蜩と海猫が、哭く。